ひかまる
生存者を発見したら、まずは食糧を渡す。
警戒心を解くためだ。それから現在の生活情報を聞き出し、希望すれば保護して白心病院へ送り届ける。もちろん、危険な人物だと判断した場合は保護を見送ることもある。
保護を希望しない場合は、定期的に様子を見に訪れる手はずになっていた。
とは言え、ゾンビを警戒して安全重視で動く必要があるため、やたらめったら探索するのは危険だ。僕たちは生活の形跡がありそうな家を目印に訪ねていた。
「ん? 原口さん、あそこのマンションの3階、カーテンが動きました」
「ゾンビじゃないのか?」
「いえ、こちらを見ています。洗濯物も新しいですし……女性でしょうか?」
「ほう、若い女のようだな。よし、助けてやるか」
原口はそう言うと、パトカーをマンションの駐車場へ滑り込ませた。
マンションは4階建てで入り口の数も多く、間取りはワンルーム中心のようだった。
「……ゾンビが多いな」
原口の呟き通り、駐車場やエントランス付近には無数のゾンビが彷徨っていた。
しかも、どれも動きが速い。
ゾンビは生前の身体能力に比例して動きが速くなる傾向がある。ワンルームマンションということもあり、住人は学生などの若い世代が主体だったのかもしれない。
僕の頭の中に、壁を登ってベランダから侵入し、避難階段を使って女性を救出するルートが浮かんだ。だが、警察官である原口にそんな泥棒のような提案をするのも気が引けた。
「強行突破は危険だな。残念だが諦めるか……」
「待ってください、作戦があります。原口さんは僕を下ろした後、駐車場を出てクラクションを鳴らしてください」
「それで?」
「ゾンビは音に反応します。僕はどこかに隠れてゾンビをやり過ごし、その隙に3階へ登って生存者の元に向かいます」
「駄目だ、君が危険すぎる」
「大丈夫ですよ。ゾンビの対処には慣れていますから」
「……そうだったな。君はこのゾンビの街を生き抜いてきたんだったな。分かった、そうしよう。これを持っていけ」
原口は伸縮式の警棒を手渡してくれた。
それを受け取ると、僕はドアを開けて駐車場に降り立ち、素早く木陰へと身を潜めた。
しばらくすると、路上から甲高いクラクションの音が鳴り響いた。
予想通り、ゾンビたちはゾロゾロと音のした方向──駐車場の外へと向かっていく。若いゾンビだからか足取りが速く、それほど待つこともなく駐車場から姿を消した。
僕は周囲の安全を確かめながら素早くエントランスへ侵入し、非常階段を駆け上がった。
(左から三番目の部屋だったな……)
303号室の前まで来ると、ドアを軽くノックした。
「警察の者です! 食糧をお渡ししますので、開けていただけませんか?」
ドアの向こうから人の気配がした。恐らくドアスコープから確認しているのだろう。
制服を着ているわけでもなく、本職の警官でもないためドラマのように警察手帳を見せることもできない。信用してもらえるか不安だったが──
「……本当に、食べ物貰えるんですか?」
ガチャリと解錠する音がして、隙間から声が聞こえてきた。
顔を覗かせたのは、20代の綺麗な女性だった。
「はい、まずはこれを。飲み物もありますよ」
僕はリュックから、配布用に持参していたおにぎりとお茶を取り出して手渡した。
「ありがとう……マジ、神。イケメンだし」
彼女はそれを受け取ると、嬉しそうに笑った。
「少し、お話を聞かせてもらってもいいですか?」
「はい、どうぞ中に入ってください」
「お邪魔します」
初めて会った若い女性の部屋に入るのは少し罪悪感があったが、玄関先で長話をしていてはゾンビの危険がある。
部屋はワンルームながらそれなりに広く、ベッドなどが配置されていた。生活感は薄く、インテリアにこだわったお洒落な空間だ。
彼女はお腹が空いていたのか、受け取ったおにぎり二個をあっという間に完食してしまった。
「ごちそうさでした!」
「すごく素敵な部屋だね」
「ありがとうございます! 実は私、配信をやってて。部屋の中も画面に写り込むから色々こだわってて」
「なるほど、だから大きなマイクがあるんだね」
「ですです。『ひかまる』って名前でやってます。……知りませんよね?」
「ごめん、あまりそういうの見なくて……」
「ですよねー」
「なんか、ごめんね」
「そんな、知らなくて当然ですよ! 私のリスナーなんて10代の女の子か、オジサンばっかりですから」
「また、極端な組み合わせだね」
「なんか私、昔からオジサンにモテるみたいで」
「綺麗だからね」
「えっ、ちょっ……マジ照れるからやめてください! 嬉しいけど……」
そう言って、彼女は本当に頬を染めていた。
「元気そうだけど、ひかまるさんは今までどうやって生活してたの?」
「生配信だとどうしても夜中になっちゃうから、普段から昼夜逆転生活で。夜中に出歩くのが怖かったから、昔から食べ物は買い溜めする癖があったんです。水も大量にあったし、止まる前にお風呂やペットボトルに貯めておいたから」
「すごいな、頭がいいんだね」
「褒めすぎー! でも自分でも危機管理能力高いなーって思ってました!」
そう言って自慢気に笑う。日常的に配信をしているだけあって表情豊かで会話が上手く、どんどん話が弾んでいく。
「でも、僕のこと簡単に部屋に入れすぎじゃない? 助かったけど」
「それは、窓からパトカーが来るの見えてたし……それに、お兄さんカッコよかったから」
「あ、ありがとう……」
「もしゴツいオッサンだったら、絶対に入れなかったですよ!」
その時、渡されていたトランシーバーからノイズと共に原口の声が流れた。
『井上くん、生存者との接触は成功したか?』
「はい! 無事に接触できました。食糧を配布したところです。20代の女性です」
20代と言いながら彼女に視線を向けると、彼女は笑顔で頷いてみせた。
『そうか。ゾンビは誘導して散らしたから、俺もそっちへ向かう』
「一緒の人?」
「そうだよ。実は僕は本物の警察じゃなくて手伝ってるだけなんだ。今から来るのが本職の警官だよ」
「そうなんだ……どうしよっかな」
「ん? あっ、そうだ。もし君が望むなら避難所に案内するよ。白心病院って知ってるよね? あそこが避難所になっているんだ」
「あー、知ってる! 通院したこともあるし、綺麗な病院だよね。井上さんもそこにいるの?」
「名前覚えるの早いね。僕はそこには住んでないんだ」
「名前はね、リスナーの名前をすぐ覚えないと伸びないから仕事みたいなもん。……井上さんは居ないのか。でも一人も不安だし、避難しようかな」
「うん、それがいいと思うよ」
そんな話をしていると、ドアがノックされ原口が現れた。
「警察署の原口です」
「どうも、ご苦労様です!」
彼女は満面の笑みを浮かべて挨拶した。
「えっとですね、備蓄が多かったらしく体調不良ではなさそうで、避難を希望されています」
僕が状況を説明すると、原口は静かに頷いた。
「ご苦労様。後は俺が面談するから、少し外で待っていてくれないか?」
「えっ?」
てっきり、すぐに避難を希望している彼女を連れて行くのかと思っていたので、意外に感じた。
「君は警官の資格を持っていないだろ? だから改めて俺が話を聞く」
「……分かりました」
そういうものなのだろうか、と思いながら僕は部屋を出て、廊下で外を警戒しながら待つことにした。
駐車場のゾンビはまだ戻ってきていない。今までの経験上、なぜかゾンビは一時的に散らしても元いた場所に戻ってくる習性があるため、油断なく駐車場を見下ろしていた。
原口の聞き取りは思いのほか長引いている。手暇潰しに、このマンションに立て籠もった場合のシミュレーションなどを頭の中で巡らせていた。
しばらくすると、玄関のドアが開いて原口が出てきた。
「彼女はそのまま、ここに留まることになったよ」
「そうなんですか……」
少し意外だったが、本人の意思なら仕方がない。
「それじゃ、行こうか」
「はい」
原口に促されるように廊下を歩き出すと、後ろから声がかかった。
「井上さん! よろしくお願いしますね!」
振り返ると、ひかまるがドアの隙間から手を振っていた。
「ん? 何をですか?」
「ちゃんと私から話しておきますから!」
首をかしげる僕を余所に、原口が代わりに声を返していた。
「お願いしまーす! バイバイ!」
ひかまるが手を振るので、僕も軽く振り返しておいた。
「原口さん、何かあったんですか?」
「帰って上の者と話してから伝えるよ」
原口はそう言うだけだった。どこか引っかかる違和感があったが、それほど大したことではないだろうと、僕は自分に言い聞かせていた。




