第7話 筋肉は戦いを変える
魔王軍前線拠点。
血と鉄の匂いが、壁にも床にも染みついている。
何度も戦いが繰り返されてきた場所。
その中心で――
一人の男が、楽しそうに笑っていた。
ポウセン。
魔王軍四天王の一人。
切り込み隊長として、常に最前線を駆け続けてきた男。
その拳は、数多の命と戦場を沈めてきた。
純粋な“戦い”を愛する男。
「筋肉の勇者、ねぇ……」
部下からの報告書を片手に、鼻で笑う。
紙をくしゃりと握り潰す。
「噂だけで持ち上げられる奴ほど、叩くと脆い」
立ち上がる。
関節を鳴らす。
ゴキ、と鈍い音が響く。
「確かめてやる」
その目には――
純粋な興味と、わずかな期待があった。
*
街道。
乾いた土の上に、緊張が張り詰めていた。
魔王軍の先遣隊。
それを迎え撃つ冒険者たち。
互いに一歩も引かない空気。
だが――
その最前線に立つ男が、すべてを支配していた。
ポウセン。
その背後に控える魔王軍の兵たち。
だが、誰も前に出ない。
出る必要がない。
「下がってろ」
低い声。
だが絶対の命令。
「俺一人で足りる」
兵たちは一歩下がる。
疑いはない。
この男が前に立つなら、それで戦場は成立する。
それが当たり前だった。
*
「行くぞ!!」
冒険者たちが踏み込む。
剣が唸る。
魔法が放たれる。
連携は完璧。
隙はない。
本来なら、崩れるはずのない布陣。
だが――
「遅い」
ポウセンが動いた。
踏み込み。
地面が沈む。
次の瞬間には、もう懐にいる。
「なっ――!?」
一撃。
剣ごと叩き落とす。
金属が軋み、砕ける。
「ぐっ……!?」
二撃。
詠唱中の魔術師の腹に拳がめり込む。
呼吸が止まる。
「ま、まだ――」
三撃。
そのまま地面へ叩きつける。
土煙が上がる。
「がはっ……!」
終わりだった。
数秒。
それだけで。
前線は壊滅した。
静寂。
「つ、強すぎる……」
「何だ……こいつ……」
「近づけない……!」
冒険者たちが後退る。
無意識に距離を取る。
足が止まる。
体が、拒否している。
ポウセンはゆっくり拳を鳴らした。
「これが現実だ」
一歩、踏み出す。
それだけで、さらに距離が開く。
「鍛え方が足りねぇ」
その背後で。
魔王軍の兵たちが、静かに頷いていた。
誇り。
信頼。
そして――絶対。
*
その時だった。
「下がれ」
低い声。
だが。
今までとは違う重さを持った声。
戦場の空気が、変わる。
竹助が歩いてきた。
ゆっくりと。
一歩一歩、地面を踏みしめる。
焦りはない。
だが――
確かな“圧”がある。
セリアーナが小さく呟く。
「……強敵ですね」
フィオナが剣を握り直す。
「ここからが本番だ」
シエルは黙って見ていた。
ポウセンを。
そして竹助を。
ポウセンが、口角を上げる。
「……お前か」
竹助
「いかにも」
一拍。
「通りすがりの筋肉だ」
セリアーナ
「もういいですそれ!!」
ポウセンは笑った。
心底楽しそうに。
「いいな」
「嫌いじゃねぇ」
構える。
拳をゆっくり上げる。
「だがな」
「戦いは筋肉の量じゃねぇ」
竹助は頷く。
「知っている」
一拍。
「使い方だ」
その言葉に。
ポウセンの笑みが深くなる。
「分かってんじゃねぇか」
次の瞬間。
踏み込んだ。
*
速い。
目で追えない。
風圧が遅れて届く。
拳が振り抜かれる。
だが――
当たらない。
「……は?」
確かに、そこにいる。
だが。
触れられない。
距離がズレる。
位置が揺れる。
視界が追いつかない。
「何人いる……?」
*
竹助は動いていた。
反復横飛び。
ただそれだけ。
だが――
異常。
踏み込み。
切り返し。
筋肉の収縮だけで生まれる速度。
残像が、分身のように揺れる。
セリアーナ
「分身……!?」
カイシン
「……分からぬ」
一拍。
「だが筋肉じゃな」
セリアーナ
「説明になってません!!」
*
ポウセンが歯を食いしばる。
血が滲む。
「舐めるなぁ!!」
全力。
これまでで最速の一撃。
拳を振り抜く。
その瞬間――
竹助が止まった。
静止。
重心が落ちる。
拳を引く。
そして。
寸止めで突く。
*
――ズンッ!!!!
空気が、爆ぜた。
衝撃が遅れて押し寄せる。
風が裂ける。
ポウセンの頬に、赤い線が走る。
彼はゆっくり振り返る。
後方。
そこにあったはずの小山が――
跡形もなく消えていた。
音もなく。
ただ、削り取られている。
沈黙。
*
竹助が拳を下ろす。
「今のは、当てていない」
一拍。
「プロテインも足りていない」
ポウセンは動かない。
ただ。
理解した。
勝てない。
理屈ではない。
経験でもない。
本能が告げている。
――格が違う。
ゆっくりと、拳を解いた。
*
「……魔王様」
空を仰ぐ。
どこか、晴れた顔。
「申し訳ありません」
そして。
はっきりと言った。
「田舎に帰らせていただきます」
沈黙。
「……え?」
「た、隊長……?」
魔王軍の兵たちが動揺する。
だがポウセンは振り返らない。
「安心しろ」
「逃げるんじゃねぇ」
一歩、踏み出す。
「強くなるために帰るだけだ」
その言葉に。
部下たちは口を閉じる。
やがて。
一人が、深く頭を下げた。
「……必ず、お戻りください」
ポウセンは笑う。
「ああ」
*
セリアーナ
「帰るって……」
フィオナ
「……敗北ではないな」
シエル
「……納得したんだ」
竹助は頷く。
「それでいい」
*
ポウセンが立ち止まる。
振り返る。
「次に会う時はよ」
笑う。
「もう一回、やろうぜ」
竹助
「構わん」
一拍。
「筋肉は、逃げない」
ポウセンは笑った。
その背中は――
敗者ではなかった。
前へ進む者の背中だった。
*
彼は去る。
魔王軍も去る。
戦場に、静寂が戻る。
セリアーナがぽつりと言う。
「……すごい人でしたね」
フィオナも頷く。
「敵ながら、見事だ」
カイシンが腕を組む。
「……分からぬ」
セリアーナ
「え!?」
カイシン
「だが」
頷く。
「筋肉じゃな」
セリアーナ
「納得しないでください!!」
竹助は静かに言った。
「筋肉は、裏切らない」
その言葉だけが――
戦場に残った。




