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書家北条鷹虎の恋の誘惑
「——というわけで、君たち付き合ったらどうだい?」
肩より長い髪は若干白いものが混じり始めているが、大柄で体格もよく背が高いのが座っていてもわかる。見た目は40ほどで独身。若さを失っても顔の端麗さは失わないどころか、年を重ねるごとに重厚感を纏って人を惹きつける男、笙音書道会総師範、北条鷹虎。灰色の着物を着崩し、畳の上で片膝をついている。裸足の足が色っぽい。そしてさも素晴らしい思い付きだとばかりに、芝居がかった様子で大仰に着物の袖を広げた。
「先生、ふざけないで下さい」
ぴしゃりと言ったのは鷹虎の甥で若くして師範代を務める北条千尋だ。薄茶色の髪にマッシュカット、ゆったりとしたシルエットの服装が若者らしい。客間のテーブルを挟んで鷹虎の向かいに座っている。
そしてその隣に座っているのが一門下生の涼宮藤乃だ。黒髪はまっすぐなストレートだが今日はお稽古の日だと思っていたので、ポニーテールだ。小柄で動きやすいトップスとストレッチデニム。総師範に呼び出されるのは完全に想定外だったのだ。
千尋は「はぁ」と小さくため息をついた。
千尋が藤乃のことを思って断ってくれたのはよくわかっているが、女性として魅力がないと言われたようで藤乃は少しモヤモヤする。もちろん顔には出さないけれど。
藤乃はこの日の胡散臭い高虎の笑顔を忘れないだろうと思った。
藤乃がこの笙音書道会総本家に召集されたのは一年前だ。本家では総師範代の高虎こと「笙楽」と千尋からプロの書家として活動するための指導から補佐を受けられる上、笙音書道会から個展補助がでるのだ。笙音書道会で書家を目指すものが憧れ、目標にするのが笙楽本家。
選出は各教室の講師からの推薦状と本人の師範資格と作品だけ。面接などはない。年に数人受かればいい方で、ずっと受からないまま書家として活動する門下生もいれば、自ら教室を開くものもいる。それがスタンダードなのだ。
鷹虎つまり笙楽は世界的に評価を受けている書道アーティストで、千尋もまた様々な賞を取っている書家である。本の世界でいうベストセラー作家に添削を受ける、ミリオンセラー歌手に歌唱指導を受けるようなものだ。
藤乃は5回の推薦で入れたのだから僥倖だろう。藤乃はそのチャンスに一も二もなく飛びついて、仕事もやめ、遠い実家からはすぐに引っ越してきた。両親はあきれ顔だったが止めはしなかった。それだけ藤乃はずっと書家として活動したかったのだ。




