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実らぬ恋の皮算用  作者: 空腹原夢路


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第35話 理沙の居場所

対バンライブまで、あと三週間。


練習は順調だった。三人の息もぴったりで、新しい振り付けもすぐに覚えていく。JIFを経験してから、三人のパフォーマンスは明らかにレベルアップしていた。


でも、ふたばの様子が、少しだけ変わっていた。


保育園のボランティアを続けているふたばは、以前より笑顔が増えた。練習の前には必ず保育園での出来事を話してくれる。子どもたちがどんなに可愛かったか、どんな歌を喜んでくれたか。目を輝かせながら話すふたばを見ていると、こちらまで嬉しくなってくる。


でも、その笑顔の奥に、何か考え込んでいるようなものが見え隠れしていた。ふとした瞬間、遠くを見ているような表情をする。練習中でも、時々ぼんやりとしている時がある。


片桐さんも、それに気づいているようだった。でも、何も言わずに見守っている。


練習が終わって、狸狸亭の二階に座っていた時だった。


いつものように、烏龍茶を飲みながら、次のライブの打ち合わせをしていた。セットリストの順番、MCの内容、衣装の確認。マネージャーとして、僕が一つ一つ確認していく。


「ねえ、理沙ちゃん」


ふたばが、唐突に尋ねた。打ち合わせの途中で、急に話題を変えるように。


「理沙ちゃんって、アイドル続けたい?」


その質問に、片桐さんが少しだけ驚いた顔をした。僕も、手を止めてふたばを見た。何か、ふたばの声に切実なものが混じっていた。


「……どうしたの、急に」


片桐さんが尋ねると、ふたばは少しだけ俯いた。


「ううん、なんとなく。理沙ちゃん、いつも冷静だから、何考えてるのかわからなくて。アイドル、楽しい?それとも、他にやりたいこととかある?」


ふたばの声が、少しだけ震えていた。まるで、自分自身に問いかけているような、そんな声だった。


理沙は、少しだけ考えてから答えた。いつものように、静かに、でも丁寧に言葉を選びながら。


「私は……どこでもいいよ」


「え?」


ふたばが、目を丸くした。


「アイドルでも、他のことでも。私は、どこにいても大丈夫。狸として生まれて、人間社会で生きて。どこにいても、それなりに馴染める」


理沙の声は、いつものように静かだった。感情が読み取りにくい、淡々とした口調。でも、その言葉には、どこか寂しさが滲んでいるようにも聞こえた。


「そっか……」


ふたばが、少しだけ寂しそうに笑った。期待していた答えと違ったのかもしれない。


でも、理沙は続けた。


「……でも」


「うん?」


ふたばが、顔を上げた。


「今は、ここがいいかな」


その言葉に、ふたばが目を見開いた。片桐さんも、理沙を見つめている。僕も、思わず理沙を見た。


「片桐さんと、ふたばと、清水くんと。今は、この場所が一番いい」


理沙は、少しだけ笑った。普段は見せない、柔らかい笑顔だった。その笑顔を見たのは、初めてかもしれない。


「アイドルをやってて、初めて思った。ここにいていいんだって。自分の居場所がある気がする。だから、今はここにいたい。それだけ」


その言葉が、部屋に静かに響いた。


ふたばが、涙を拭いた。


「理沙ちゃん……」


「泣かないでよ。柄にもないこと言っただけだから」


理沙が、少しだけ照れくさそうに言った。でも、その顔は優しかった。


片桐さんも、笑っていた。でも、その目は少しだけ潤んでいた。


「理沙ちゃん、そんなこと考えてたんだ」


「うん。でも、私言葉にするの苦手だから」


理沙が、小さく笑った。


僕は、その様子を見ながら、胸が温かくなるのを感じた。理沙が、こんなにも素直に気持ちを話すなんて。それだけで、ぽんぽこ♡トリオが理沙にとって特別な場所なんだと分かった。


その夜、練習が終わって帰る時。


理沙が、僕に声をかけてきた。片桐さんとふたばが先に帰った後、狸狸亭の二階で荷物をまとめていた時だった。


「清水くん、ちょっといい?」


「はい」


二人で、狸狸亭の外に出た。秋の夜風が、少しだけ冷たい。日が落ちるのも早くなって、もう真っ暗だった。


「さっきの話、本当だよ」


理沙が、静かに言った。街灯の光が、理沙の横顔を照らしている。


「私は、どこにいても大丈夫。昔からそうだった。狸の社会でも、人間の社会でも、どちらにも完全には馴染めなかったけど、どちらでもそれなりにやっていける」


「……そうなんですか?」


「うん。器用貧乏っていうのかな。何でもそれなりにできるけど、これだっていう得意なものがない。どこにいても、そこそこ馴染めるけど、本当の居場所って感じがしない」


理沙は、空を見上げた。月が、雲の向こうに隠れている。


「でも、ぽんぽこ♡トリオで活動するようになってから、少しだけ変わった」


「変わった……?」


「ここにいていいんだって、初めて思えた。片桐さんと、ふたばと、清水くんと一緒にいると、居場所がある気がする。何でもそれなりにできる自分じゃなくて、ここにいる自分でいいんだって」


理沙の声が、少しだけ震えた。普段は感情を表に出さない理沙が、こんなにも素直に話してくれる。それだけで、この言葉の重さが分かった。


「だから、今はここがいいかな。」


その言葉に、僕は何も言えなかった。ただ、頷くことしかできなかった。


理沙は、小さく笑った。


「でもね、清水くん。ふたばは違うと思う」


「……え?」


「ふたばには、もっと明確な居場所がある。地元の保育園、狸の子どもたち。あそこが、ふたばの本当の場所なんだと思う」


理沙の言葉が、胸に刺さった。


「私は、どこでもいい。でも、ふたばは違う。ふたばには、心から『ここがいい』って思える場所がある。それは、すごく幸せなことだと思う」


「理沙さん……」


「だから、ふたばが決めたことを、応援してあげてほしい。マネージャーとして。無理に引き止めたりしないで」


理沙の声が、優しかった。


「……はい」


僕は、頷いた。


理沙は、少しだけ寂しそうに笑った。


「私も、応援するから。ふたばが幸せなら、それでいい」


その言葉が、夜風に溶けていった。


しばらく、二人で黙って立っていた。


夜風が、頬を撫でていく。秋が深まって、冬が近づいている。季節が変わるように、僕たちも変わっていくんだろうか。


「清水くん」


理沙が、静かに言った。


「私、最初はアイドルなんて興味なかった。片桐さんに誘われて、なんとなく始めただけ」


「そうだったんですか」


「うん。どうせどこにいても同じだから、やってみようかなって。でも……」


理沙は、少しだけ笑った。


「やってみたら、楽しかった。片桐さんと、ふたばと、清水くんと一緒に何かを作り上げていくのが、すごく楽しかった」


その言葉に、僕の胸が温かくなった。


「JIFのステージに立った時、初めて思った。ああ、私、ここにいていいんだって。ここが、私の居場所なんだって」


理沙の声が、少しだけ震えた。


「だから、今はここがいい。ずっとここにいたい。でも……」


理沙は、そこで言葉を切った。


「それが、いつまで続くかは分からない。ふたばには他の場所があるし、片桐さんだって、もっと大きなステージを目指したいかもしれない」


「……」


「でも、今は、ここがいい。それだけは、本当」


その言葉が、胸に染みた。


僕は、何も言えなかった。ただ、理沙の横顔を見つめていた。


帰り道、僕は考えていた。


理沙は、「どこでもいい」と言った。


でも、「今はここがいい」とも言った。


それは、理沙にとって、初めて「今」を肯定した瞬間だったんだと思う。どこにいてもそれなりにやっていける理沙が、初めて「ここにいたい」と思えた場所。それが、ぽんぽこ♡トリオだった。


でも、ふたばには、もっと明確な居場所がある。


そして、片桐さんは……?


片桐さんの居場所は、どこなんだろう。もっと大きなステージを目指したいのか、それとも、今のままでいいのか。


ぽんぽこぽん。


心臓が、静かに鳴った。


空を見上げると、月が顔を出していた。雲の切れ間から、静かに光を落としている。


夜風が、頬を撫でていった。


僕は、ただ歩き続けた。


理沙の言葉が、胸に残っていた。


「今は、ここがいい」


その言葉の重さを、僕はまだ完全には理解できていなかった。


でも、それが大切な言葉だということは、分かっていた。


翌日の練習。


理沙は、いつものように淡々と踊っていた。でも、その動きには、少しだけ温かさが宿っているように見えた。昨日の会話を思い出しながら、理沙の姿を見る。


片桐さんが、笑顔で理沙に声をかける。


「理沙ちゃん、今日調子いいね」


「そう?いつもと同じだよ」


理沙が、少しだけ照れくさそうに答えた。


ふたばも、笑っている。三人で、楽しそうに練習している。


三人の姿を見ながら、僕は思った。


(今は、ここがいい)


理沙の言葉が、胸に残っていた。


今は、ここがいい。


でも、「今」はいつまで続くんだろう。


その答えは、まだわからなかった。


でも、今は、この瞬間を大切にしよう。


そう思いながら、僕は三人の練習を見守り続けた。

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