第10話 古傷
今日になって『いいね』をいただいている事に気が付きました。
ありがとうございます!
オーナーさんが自宅の鍵を開けて、部屋の中まで、そっと背中を押してくれる。
初めて蘭の自宅の中に入った。
泣きそうだった感情が静かに沈んでいって、それから、新しい刺激と好奇心が気分を一新させた。
「なんか、落ち着きますね。この部屋」
「あ~そうだろう? 時計がないから時間を忘れられる。TVがないから静かな空間になってる。要らない物をどんどん取り除いたら、こんな部屋になった」
玄関から入った左手前奥にキッチンがあって、ここはローテーブルのある居間だ。
「食後のコーヒーを持ってくるから、ここで休憩していてくれるかな?」
「はい。ありがとうございます」
オーナーさんが店に戻ったので、俺は床の間の反対側、ローテーブルの下座に座った。
その位置から、床の間のとなりに仏壇が見える。
玄関の方からは、まだ人の気配はしない。
そこで、仏壇の所へ行き、扉を開けた。
オーナーさんの伴侶だったであろう女性の写真と、その奥に位牌が置いてある。
それほど古い位牌には見えないので、4~5年前なのかもしれない。
少し拝ませてもらおう。
オーナーさんが戻って来たので席に戻ると、コーヒーと8分の1カットのリンゴがローテーブルの中央に置かれた。
仏壇の扉を開けたままだったせいで気づいたのか、仏壇に振り向いて
「家内が亡くなったのは5年前でね。ちょうど杏子が…娘がマイクと再婚する直前だったんだ。せめて結婚式の写真だけでも見せてやりたかったんだが…」
「ご病気だったんですか?」
「うむ。それでも良く持った方だと医者は言ってくれたがね…」
「それにしてもお経が読めるとは思わなかったよ。ありがとう」
「いいえ、両親の離婚協議の間、お寺に1年ほど預けられまして、毎日のお勤めで覚えました」
「災い転じて福となす…か」
「本当に、山寺の生活は、今の自分の基礎になっています。感謝しかありません」
コーヒーを飲んで、リンゴも頂いた。
「ごちそうさまでした」
「すまないね、今日は。 励ますつもりが、逆に嫌な事を思い出させてしまった」
「とんでもないです。3年生より前の事は、なぜか覚えてなくて…思い出すと悲しい事ばかりみたいで…なんか自分で封印している気がします」
「それに今日は、家には誰もいないので、本当に助かりました。店に戻って彼女に謝りたいんですけど、いいですか?」
「あぁ、そうしてくれ」
店の裏口から店内に戻ると、土曜日のせいか、お客さんがいっぱい居て、予約席は片付けられていた。
「こっち」
蘭は、カウンター席に座っていた。
隣の座りにくい椅子に、頑張ってお尻を乗せた。
「さっきはごめん。時々、感情がこみ上げて来て、自分では制御できなくなるんだ」
「そっか…」
「それと、ごちそうさま。おいしかったよ。今日は家に誰もいないから助かったよ」
「えっ?お父さんは?」
「デートだね。祖母は紅葉を見に行った」
「デートか~ 再婚するつもりなの?」
「うまく行けばそうなるかもね。って、お爺さんから俺の事を聞いた?」
「うん。お互いに誤解があるといけないからって…」
「子供は親を選べないからね…仕方ないさ。ところで塾の方はどうなの?」
「うん、いまの調子なら大丈夫だって」
「良かったね。それと、お婆さんの仏壇にお経をあげた」
「ほんとうに?」
「あぁ、山寺で覚えたんだけど、寺に預けられたことは、本当にラッキーだったと思ってる。いろんな経験が出来て、今の俺の基礎になってるから… でも、それより前のことには触れないでほしい。自分でもまだ思い出したくないみたいだから…」
「分かった、ごめんね」
「いや、蘭が悪いんじゃない。今日のことは本当に感謝してるんだ。ただ、ママについては自分の中でまだ決着がついてなくて…」
「………」
「一緒の中学に行けること、期待してるから」
「わたしも…」
それからしばらくは、LINEの交流だけにしていた。
今の時期、受験を控えている人達はみんな必死で耐えているから。
インターネットで株価の上昇銘柄を探るのも、日経平均が下降トレンドの今は判断が難しい。
こんな状況での変動のきっかけは、意外と単なるうわさから始まる事もある。
内部情報がリークした場合もあれば、わざとリークさせる場合もある。
単なる連想、想像からの場合もある。
そんな検索作業中に、中学受験に関連した話題にヒットする時もある。
『最近の難関中学の過去問を解いてみると、容易には解けないように工夫がされ、難易度が高い』とあった。
それって、単に振り落とすために難易度を上げているだけで、必要な知識、必要な技巧を求めている訳ではない。
そんな難関中学の入試問題に腹が立つ。
もしかして、裏で学習塾と繋がっているのか…などと考えてしまう。
合気道道場に行くと、さすがに6年生の生徒は少なくなっていた。
来年は一般コースになるのだが、いまのところ、続けていけると思っている。
中学校と道場とは、自宅を挟んで反対方向にある代わりに、開始時間が1時間遅くなるからだ。
夕食時に、祖母が喫茶店に行って、オーナーに挨拶をしてきたと報告があった。
お互いの孫の話で盛り上がったらしい。
ま~ いいんだけど。
お読みいただいた皆さんに、いいことがありますように。
(本気でお祈りしています)




