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小さな事件


 だが、良くないことは続くもので、数日後にまた事件だ。

 木曜の夜、俺は自宅の自室でテレビを見ていると、スマホに電話だ。花菜さんからなので喜んで出ると、なんと、向こうは大パニック中だった。

「あっ、花菜ちゃん」

『龍輝くん、どうしよう。グスン。大変なことになっちゃったよ。グスン。どうしよう』

 明らかに花菜さんは泣いている。かなり動揺もしているようだ。俺は、リモコンでテレビの電源を切った。

「どうしたの? 救急車呼ぼうか?」

『違うの。私は大丈夫だけど、新しいお父さんが戻ってこないの! グッスン。夕方、お母さんと新しいお父さんが喧嘩して、お父さん出て行っちゃったの! グスン。もう、お父さんがいなくなるのは嫌だよ。グスン』

「落ち着いて。俺は何があっても花菜ちゃんの味方だから。それで、話せる範囲で何があったか教えて」

『だから、お母さんと新しいお父さんが喧嘩して、新しいお父さんが出て行ってしまって帰ってこないの! グスン。あっ、待って』

「どうしたの」

『夏美ちゃんから電話。夏美ちゃんと話すから一度切るね。グスン』

「えっ、でも」

『先に夏美ちゃんに相談したのよ』

 まぁそうだな。こういう問題は、恋人より先に友達に相談するな。俺でも。

「うん、電話待ってる」

 電話が切れた。

 十分ほどして、花菜さんからまた電話があった。

「あっ、花菜ちゃん?」

『どうしよう。グッスン。私のせいで新しいお父さんが出て行っちゃったんだ。どうしよう。グッスン』

 花菜ちゃんは、まだ泣いていた。理由はわからないが、さっきより事態がややこしくなっている。

「あの、どういうこと? あと、大丈夫?」

『四日くらい前にね、新しいお父さんに『キモい』って言っちゃったんだよ。グスン。どうしよう。たぶんそれで、新しいお父さん出て行っちゃったんだ。グスン』

「事情、話せる?」

『私が、洗い終わった洗濯物を、グスン、新しいお父さんに持って行ったの。グスン。そうしたら、新しいお父さん『どうだ、いい匂いだろう。柔軟剤を変えたんだよ』って言ったの。グスン。それで私、思わず『キモい』って言っちゃったの。グッスン、グッスン』

「それくらい普通だと思うけど。妹も(おや)()によく『キモい』って言ってるし」

『それは本当のお父さんでしょ! グスン。私のは新しいお父さんなの。新しいお父さんに『キモい』って言ったから出て行っちゃったんだぁ~。グスン』

「考えすぎのような。それで、俺に出来ることある?」

『あるよ~。グスン。私とお話しすることだよ~』

 俺と花菜さんは、しばらくのあいだ話をしていた。俺は、主に聞き手に回った。話の内容は、新しいお父さんについてが九割だった。

『グスン。あっ、待って。車の音がする』

 スマホから窓を開ける音が聞こえた。俺は、しばらく待った。

『新しいお父さん帰ってきた』

 花菜さんの声が明るくなった。

「良かったね」

『新しいお父さんに謝ってくる。グスン。一度電話切るね』

「また電話してね」

『もちろん』

 電話が切れた。

 それからしばらく、俺は地獄を味わうことになった。花菜さんからなかなか電話がかかって来ないのだ。

 俺は部屋で待機した。

 花菜さんに電話を掛けようか何度も迷ったが、新しいお父さんが帰ってきた以上、今は待つのが得策と思った。

 彼女の家に行こうかとも考えたが、こんな夜更けに訪ねたら、俺は『ストーカーさん二号』になってしまう。どうしよう。

 テレビの電源を入れるが、番組の内容が頭に入ってこない。すぐにテレビの電源を消した。

 ノックの音だ。妹の()()()が部屋に入ってきた。友加里は中学三年生だ。

「龍くん、お母さんが早くお風呂に入れってさ」

「今、大事な電話を待ってる」

「……彼女さん?」

「なぁ、友加里、お前が困ってるとき、それも夜なんだけど、そういう時って恋人に来て欲しいもんか?」

「はっ? キモい質問すんな! ググれカス! ……そうだな。まぁ、親密度と状況次第だな。気をつけろよ」

 妹は部屋を出て行った。

 親密度と状況次第か。

 やはり、俺は電話を待つことにした。

 待っている間、悪友の貴史に相談すべきだろうか、「花菜ちゃんを泣かせるな」と葉山夏美さんに言われたが、これは俺が泣かせたことになるのだろうか、などとつらつら考えていた。

 待つこと七十四分(CDと同じ時間だ、なんて長さだ!)、ついに電話が来た。

「あっ、花菜ちゃん。大丈夫?」

『大丈夫。もう大丈夫だよ』

 喜びに満ちあふれた、俺の彼女の声だ。どうやら問題は解決したらしい。

 花菜さんによれば、こういうことだった。新しいお父さんが、お母さんと喧嘩してしまった。お母さんと仲直りするために、新しいお父さんはケーキを買いに自動車で出かけた。喧嘩した夫婦がケーキで元通り、というのをネットで見たのだそうだ。ところが、もう夜更けでなかなか開いているケーキ屋が見つからない。一時間ほど自動車で走って、ようやく開いているケーキ屋を見つけ、誕生日ケーキのような大きなケーキを買って帰ってきたのだそうだ。もちろん、お母さんと新しいお父さんは仲直りした。

 義理の娘から『キモい』と言われたことは、あまり気にしていなかったようだ。

『めでたしめでたし、だよ』

「うんそうだね。良かったね」

 俺は一息置いた。

「でも花菜ちゃん……。言いたくないけど、あと三十分は早く電話できたんじゃないかな。俺は心配してたんだよ」

『お母さんと新しいお父さんと一緒に、ケーキを食べてたんだよ』

「なるほど、そうだね。家族は大事だね。でも、あと二十分は早く電話できたんじゃないかな」

『歯を磨いてたんだよ』

「わかった、そうだよね。歯は大事だよね。虫歯になったら(おお)(ごと)だからね。でも、あと十分は早く電話できたんじゃないかな」

『先に夏美ちゃんに報告してたんだよ』

「そうか……。今度から、先に俺に電話してくれるかな」

『夏美ちゃんに先に電話するよ』

「いや、俺に先に電話して」

『だから、夏美ちゃんに先に電話するよ』

「いやいや、俺のほうを先にして」

『夏美ちゃんが先だよ』

「俺が先だよ」

『夏美ちゃんが先だって』

「俺が先だってば!」

『夏美ちゃんが先だってば!』

 しばらくして、俺と花菜ちゃんは笑い出してしまい、それがなかなか止まらなかった。

『考えておくよ』

 花菜さんの優しい声が聞こえた。

「ありがとう。また明日」

『またね』

 電話が切れた。


 俺が書いている小説『幽閉された炎の魔女』のラスボスは、悪い魔術師のドゴンだった。だが、現実のラスボスは、ただの『()()()』だった。終わってみれば、案外、悪いラスボスではなかった。みんなが笑顔になったからね。

 二週間後、長谷部花菜さんは名字が変わり、本田花菜さんになった。もちろん、彼女のお母さんが再婚したのだ。

 俺と本田花菜さんの交際は、今のところ順調だ。ときどき、俺のことを『先生』って呼んでくるのには参るが。

 十二月に、彼女と一緒にDVDを見た。花菜さんが一緒に見て欲しいというので、彼女の家に行って一緒に見たのだ。映画のタイトルは『ストーカー』。なるほど、これはひとりでは見られないな。ところがこの映画、不思議なことにいつまで待ってもストーカーする悪い人が出てこない。「ゾーン」がどうしたこうしたっていう難解な映画だった。ラストは覚えていない。睡魔を呼び寄せる作風の映画だったので、ふたりとも、前半で眠ってしまったのだ。

 もちろん、花菜さんを俺の家に呼んだりもした。


 そうそう、これは余談なんだが、うちの高校、来年から、ハロウィンは男子が告白する日になるんだそうだ。

 なんでも、生徒会が、俺と花菜さんの噂を聞きつけて、「ハロウィンに男子が告白、いいじゃない。女子にはバレンタインデーがあるんだしさ」ということで議題に上がったそうだ。俺が告白したときにはハロウィンは終わっていたが、これは大した問題ではなかったようだ。

 生徒会の会議では議論百出、なかなか結論に至らなかったので、最後は会長と副会長が腕相撲をして、「ハロウィンは男子が告白する日」に決まったそうだ。もちろん、女子が告白してもかまわない。あくまでも男子が優先というだけだ。

 確かうちの高校は、生徒会長は女子で副会長は男子だったはずだが、どっちが勝ったのかは、今のところ公表されていない。


 年末には、『幽閉された炎の魔女』下巻が脱稿し、オンデマンド印刷が終わった。書いた自分で言うのもなんだが、魔法比べのシーンには自信がある。体験に基づいているからね。もちろん、結末はハッピーエンドだ。

 一ページ目を捲ると、こう印刷されている。


『この本を、友達以上のKさんに捧げます』


 もちろん、感想欄は十ページある。


 三学期の初日の放課後、俺と花菜さんは、『幽閉された炎の魔女』の下巻を置くために、ふたりで図書室に向かった。実はこのとき、木村貴史と葉山夏美さんにファンタジーコーナーで待ち伏せされていたのだが、それはまた別のお話だ。




おわり





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