伊集院圭司 承
きれいな静流。
優しい静流。
静流と過ごす毎日は、楽しくて仕方がなかった。
いつの間にか彼の身長を追い越していたことに気づいたときには、なぜだか飛び上がりたいほど嬉しかった。
自分や周囲の少年たちはどんどん逞しく大きくなっていくのに、静流だけは変わらずきれいなままだ。
……違う。
静流は、どんどんきれいになっていく。
ふとこちらに気づいて振り返り、穏やかな微笑を浮かべる唇が驚くほど美しく形よく、ふっくらと甘そうな色をしていることに気がついて――そんなことが気になる自分に愕然とする。
何をバカな、と思った。
いくらきれいでも、静流は自分と同じ少年だ。
そんなふうに思う自分にひどく動揺していたとき、ふと友人が漏らした「伊佐木って、下手な女よかずっと美人だよなー。たまにビビるっつーか、あの顔は本気で心臓に悪い」というぼやきに、ひどく腹が立った。
オレの親友をヘンな目で見てんじゃねえ、とかなり本気で頭をどつくと素直に謝罪してきたけれど、本当は静流の姿に胸が騒ぐのが自分だけではなかった事実に安堵していた。
だけど――
「圭司さん? どうなさいましたか?」
いつ頃からか、静流が訝しげにそう問いかけてくることが増えて、圭司は自分が彼の姿から目を離すのが難しくなってきているのだと知る。
すらりとした静流の体は、相変わらず細く柔らかそうなままだ。
身長こそ百七十センチ近くまで伸びているけれど、きっと体重なんてそこらの女子より軽いだろう。白く小さな顔は、やっぱりガラス細工のように繊細に美しく整っていて、いつだって穏やかに紡がれる声は細く柔らかい。
静流は本当にきれいで――はじめて友人たちと親には見せられない雑誌を鑑賞した晩、夢に出てきたグラマラスな肢体の女性が彼の顔をしていたときには、冗談抜きに死にたくなった。
中等部に上がってからはじめたバスケットでいくら健全な汗を流しても、夜になって不健全な夢を見るたび圭司を甘く誘惑してくるのは、静流の顔をした女性だった。
自分はひょっとしてゲイだったのか、と悩んだりもした。
だが、ほかの男連中がそんな夢に出てきたら、なんて想像しただけで脳が破壊されそうになったので、そういうわけでもないのだと思う。
静流がきれいすぎるのが悪い、なんてわけのわからない八つ当たりまでしたくなって、悶々とする日々の中、しばらく彼と距離を置いたり、我慢できなくなってどうでもいいような理由をつけてそばに行ったり、ということを何度も繰り返した。
……静流はいつだって、きれいに穏やかに笑っている。
その笑顔を見るたび、あんな夢を見て彼を穢している自分がひどく醜く、浅ましいもののような気がした。
あまりの自己嫌悪に駆られて、ふと遠いどこかへ旅立ちたくなる。
圭司は基本的に、思い立ったらすぐ実行に移すタイプだ。
パスポートと各種サバイバルキット、寝袋を装備して「さて、どこへ行こうかな」と玄関を出たところで、連絡を受けて飛んできた兄に見事なウエスタンラリアットを極められ、泣く泣く断念した。とても首が痛かった。
ちょっぴり旅立ちたくなった理由なんて、もちろん誰にも言えるわけがない。
圭司がそれなりに悩み倒していることは執事の杉崎からも聞いていたらしい家族に勧められて、それから時間の許す限り鎌倉の禅寺に通うことになった。
そこで出会った温和そうな顔をした老師は、「ふぉっふぉっふぉ、せーしゅんじゃのー」なんぞと実に楽しげに言ってくれて、かなりイラッとした。
とはいえ、勉強・部活に禅寺通いという生活を続けていれば、さすがにおかしな妄想が湧いて出てくることも……以前に比べれば格段に減った。
禅はすごい。
ひとに言えない悩みごとを抱えている人間には、心の底からオススメできる。
ただ少し腹立たしかったのは、どこから広まったものなのやら、友人たちとつきあいの悪くなった圭司が毎晩のように夜の街で派手に遊んでいるらしい、という噂がまことしやかに囁かれていることだった。
高等部に上がった頃にはすっかり体格のできあがっていた圭司は、派手な髪の色とやはり曾祖母譲りの甘ったるい顔立ちのせいで、ますます周囲の視線が集まるようになっている。
それに関しては、少し鬱陶しいな、と思うだけだった。
けれど、部活仲間からけらけら笑いながら「おまえって、女に関しては来る者拒まずの、めちゃくちゃ下半身のだらしないヤローだって言われているらしーぞ?」と言われたときには、危うく「自分はガキの頃から一緒の親友に欲情している変態ですが何か!?」と叫びそうになった。危ない。
……静流は高校生になっても、やっぱりきれいだった。
冗談が通じないのも相変わらずで、高等部の三年に上がったある朝、ほんの軽口に真顔で淡々と返されたときには少しだけ拗ねたくなった。
とはいえ、静流が言うには男が拗ねても可愛くないそうだし、自分とて彼にそう思ってもらいたいわけでもない。
あくびを噛み殺しながら車から降りようとしたとき、何やら素っ頓狂な大声が聞こえた。
何事か、と驚いて顔を上げた圭司の足元に、静流が持って出た鞄が投げ入れられる。同時に、車の扉が閉められた――と思ったときには、運転手がアクセルを踏んでいた。
「おい!? 何やってんだよ! 静流!?」
すでに届くはずもない声を張り上げた圭司の視線の先で、静流に向かってとんでもない勢いで突っこんでくる人影が見える。
それを確認する間もなく、車は静流から離れてしまう。運転手を怒鳴りつけても、「圭司さまの安全が最優先ですから」と鼻を木で括ったような答えしか返ってこない。
圭司はそこでようやく、静流が運転手と同じように『圭司の安全を最優先』にして逃がしたのだと気づく。
あんなに細くて、事故の後遺症で体育の授業すら受けられない体の彼に、庇われた。
(なんで、だよ……!)
がつ、と車の窓を殴りつける。
静流が圭司のために、そんな危険を冒す必要なんてない。
自分はただ、静流が笑っていてくれればよかった。
――それだけで、よかったのに。
午前中の授業は、いらいらしっぱなしでまるで頭に入らなかった。
仲間たちの昼食を食べに行こうという誘いを断り、苛立ちのままに静流の教室へ向かう。
自分を庇った彼を怒鳴りつけるような真似なんてしたくなかったけれど、どうしても言葉がきつくなってしまう。
静流は少し驚いた顔をして、それでも自分が圭司に責められるようなことをしたとはまるで思っていないようだった。
子どもの頃、圭司が静流の関心を引きたくて言ったわがままに、どんなふうに応えようかと少しだけ困っていたときと同じ顔をしている。
それと今回とは違うだろう、と圭司が更に言い募ろうとしたとき、再び素っ頓狂な声が辺りに響き渡る。
「姐御――っ!!」
それを聞いた静流が、珍しく呆然とした顔をしたかと思うと力なく机に突っ伏した。
一体何事かと思っていると、足音も騒々しく教室に飛びこんできたのは、やたらと小柄で童顔な新入生だ。
静流が疲れきった顔をのろのろと上げて、口を開く。
「きみは……」
「ハイッ、今年入学した愛川美春っす! 姐御!」
ぴょこん、と幼稚園児のように飛びはねながら、元気よく右手を挙げて少女が名乗る。
聞き覚えのあるその名に、圭司は思わず眉を寄せた。
このところ、学園内でそんな名前の新入生に関するおかしな噂が流れていなかっただろうか。
周囲で目を丸くしていた静流のクラスメイトたちも、「え、あの?」といったふうに驚いた顔を見合わせている。
物静かで他人の噂話になどまるで興味のない静流は、その名前を知らなかったらしい。ただ単純に、このおかしな少女をどうしたものかと困っているように見える。
続けてへらっと笑った少女が口にした言葉に、圭司は心臓が止まりそうになった。
「あー……やっぱ美人っすねー。や、その男装もおれ的にはかなーりどストライクなんすけど! やっぱ可愛い女の子は、可愛いカッコをすべきだと思うんすよ!」
(……は?)
静流が美人であることは、誰がどこからどう見たって百パーセント揺るぎようのないただの事実だ。そこに異論を差し挟むつもりなど毛頭ない。
だが、男装というのは普通女が男の格好をすることを指すのではないだろうか、と思ったとき、静流が乱暴な仕草で机を叩く。
「……何を、勘違いしているのかは知らないが。おれには、女子の制服を着るシュミはない」
今まで圭司が聞いたことのない、低く怒りを孕んだ声で言いながら、氷のような眼差しで少女を睨みつける。
静流が怒ったところなんてはじめて見た。普段穏やかな人間ほど怒ると恐ろしいというのは、どうやら本当の話らしい。
想定外の迫力に若干戦慄していた圭司の前で、少女はまたわけのわからないことをわめいた。
そしてすかさず自ら静流の机に強烈なヘッドバッドをかまし、当然ながら即座に敗北していた。痛そうだ。
「……なんなんだ、この騒がしいのは」
思わずつぶやくと、床にへたりこんでいた少女が、間の抜けた声を零してこちらを見る。その途端、昼間から幽霊でも見たかのように青ざめて絶叫した。
「うっぎゃああああああ!? 寄るなあっちいけ、この来る者拒まずの女ったらしで夜の帝王なんていう恥ずかしい称号持ちの遊び人ヤローっっ!!」
圭司は、固まった。一拍置いて、脳内で少女に負けず劣らず力一杯絶叫する。
(おいいいいいっ! ちょっと待てーっ!? 何よりによって静流の前で、そんな最上級にこっ恥ずかしくて、教えられた本人がしばらく気分的に地面にめり込んだまましばらく戻ってこられなくなったネタを、大声で披露してくれてんだおまえ!?)
こんな恥ずかしすぎる上に本人に対するメンタルダメージがハンパない噂話なんて、いつもきれいに穏やかに笑っている静流にだけは知られたくなかった。
まさか信じたりしないだろうな、いやでも静流は冗談の通じない真面目っ子だからうっかり信じたりしたらどうしよう、とひとり圭司がぐるぐるしている間に、いつの間にか静流と少女の姿は消えていた。
一体どこへ、と圭司は慌てる。そんな彼に、去年同じクラスだった友人の清水が、込み上げる笑いを噛み殺しきれないような顔をして声をかけてくる。
「よ……よう。相っ変わらず愉快な噂だな?」
「オレは何もしてないっ!」
ぎゃあ、と噛みつくと、清水はくっくっと肩を揺らしながら片手を挙げる。
「わーってるって。そんな派手なナリして、中身はてんでオコチャマなお坊ちゃんだもんなー。おまえ」
「やかましいわ!」
相手の脳天目掛けて振り下ろした手刀は、見事な真剣白刃取りに受け止められた。ぺっと圭司の手を払った清水は、何やら不思議そうな顔をする。
「しっかし、あのちみっこ一年があちこちでつるっと漏らしまくってるイケメン情報ってのは、かなり正確だって話だったんだけどなー? なんでおまえの情報だけ……。あー、おまえが見た目だけの残念なイケメンだからか。納得」
「んなことで納得してんじゃねえぇーっ!」
うんうんとうなずく清水の鳩尾に一発入れてやりたい気もしたけれど、防御用の鉄板が仕込まれていたらイヤなのでやめておく。この学園にはおかしなネタに全力を注ぐ人間が多すぎて、ときどき疲れる。
深々と嘆息していた圭司だったが、そこでふと清水が首を傾げた。
「……けど、伊佐木は普通に残念でもなんでもないイケメンだよな。ってことはー、アイツが女だってのはマジだったりしてな!」
あははー、と笑った清水は楽しげにうなずく。
「っし! これはひとつ確かめてみねばなるまい! 伊佐木が戻ってきたら、ちょいと胸を触らせて――きゅっ」
(あ、しまった)
清水があまりにもおばかなことを言うものだから、つい交差させた手を伸ばして相手の襟を掴み、きゅっとシメてしまった。
圭司は一通り護身術を習得しているのだが、執事の杉崎からは絶対に一般人に対して使ってはイケマセンよ、と言われていたのに――バレたら叱られるから黙っておこう。
そうしていそいそと『きゅっ』となってしまった清水を元通り椅子に座らせていると、どこに行っていたものやら、静流が教室に戻ってきた。
その姿を見た途端、圭司は反射的に彼に駆け寄る。背後で何か鈍い音とともに「ごふっ」という声が聞こえた気がしたけれど、きっと空耳だ。
静流が不思議そうな顔をして見上げてくる。
「なんです? 何か――」
言いかけた彼の胸に、圭司はほとんど無意識に手を伸ばした。
予想通りの固く真っ平らな感触を、ついつい撫で回してしまう。何を期待していたわけでもないが、やっぱり何かが寂しかった。
「……圭司さん。一体、何をされているんですか」
「……いや。最近あの一年のチビガキが、うちの連中の妙な情報をダダ漏らしているっつーから。おまえがマジで女だったらどうしようかと思って」
うっかりぽろっと口にしてからしまった、と思ったけれどもう遅い。
覆水盆に返らず。
……顔を引きつらせた静流の、ものすごく残念なモノを見る目が、とっても痛かった。




