番外編 昨日も同じ言葉を聞いた
三番機の右履帯は、三回目の試験でも〇・二秒遅れた。
整備区画の床にしゃがみ込んだダニエルは、診断端末に並ぶ数値を見て眉を寄せた。目の前では六台ある子機のうち三番機だけが点検用の台に載せられ、左右の履帯を床から浮かせている。外した右側のカバーと工具が、その周囲に半円を描くように散らばっていた。
「もう一回」
『同じ結果になる可能性が高い』
「それを見るためにやるんだよ。右と左、同時に回せ」
短い電子音のあと、三番機の左右の履帯が回転を始めた。左側が先に動き、右側がわずかに遅れて追いつく。
大型のM421は少し離れた整備位置に停止していた。装甲上部に並ぶセンサーを三番機へ向けたまま、ルークが測定値を返す。
『右側、〇・二一秒遅延』
「さっきより悪くなってるじゃねえか」
『〇・〇一秒増加した』
ダニエルは診断端末から顔を上げた。
「そこを正確に言われても嬉しくねえよ」
『君が数値を要求した』
「したけどさ。悪くなった時くらい、もう少し言い方ってもんがあるだろ」
三番機の駆動を止め、ダニエルは右履帯へ手を掛けた。張りを確かめてからローラーを一つずつ手で回していくが、抵抗にばらつきはなく、異物も見当たらない。さっき調整した張りも規定範囲の中央に入っており、念のためもう一度テンションを測っても数字は変わらなかった。
『機械的な抵抗は検出されていない』
「俺も今それを見てる」
『確認しただけだ』
「俺が確認してる最中に同じこと言うから腹立つんだよ」
ダニエルは右側の駆動部へ手を伸ばし、コネクターを外して端子を確認した。汚れも焼けもない。配線を軽く引いて固定に緩みがないことを確かめ、コネクターを接続し直す。
ルークが診断値を更新した。
『右駆動モーター、異常なし。温度、電流値とも許容範囲内』
「じゃあ何で遅れるんだよ」
『現時点では不明だ』
「便利な答えだな」
『不明なものを推測で確定するより正確だ』
その言い方に反論できず、ダニエルは鼻から息を吐いた。ソケットを交換しようと工具箱を覗いたが、十三ミリがない。箱の中を二度見してから、足元に散らばった工具へ目を移す。
『右側の作業台。診断端末の後ろだ』
ダニエルは顔を上げた。言われた場所を見ると、端末の陰からソケットの銀色の端が覗いている。
「何でそこにあるんだよ」
『君が置いた』
「俺が?」
『四分十二秒前だ』
ソケットを取ったダニエルは、ルークのセンサーへ嫌そうな顔を向けた。
「いちいち時間まで覚えてんのか」
『必要なら提示できる』
「必要ない。場所だけでいい」
『なら最初から元の位置へ戻せ』
「作業中なんだよ。どこに何があるかは分かってる」
『今、探していた』
そこでダニエルは少しだけ黙った。
「たまたまだ」
『記録上、今夜だけで三回目だ』
ダニエルは何か言い返しかけたが、結局ソケットをラチェットへ付け直す方を選んだ。
それから三番機の右駆動部へ手を戻し、固定部と配線をもう一度確認した。見える範囲には問題がなく、組み直して試験すると、今度は左右がほぼ同時に動いた。
「ほら見ろ。直ったじゃねえか」
『一回正常だっただけだ』
「お前と整備してると達成感が長続きしないな」
ルークは答えず、三番機の診断を続けていた。
ダニエルは立ち上がって固まった腰を伸ばした。三番機の駆動部が冷えるまで少し時間を置くことにして、今度はM421本体へ向かう。小さな三番機を見たあとでは、低く幅の広い車体がいつも以上に大きく見えた。
「待ってる間にお前も見るぞ。前、開ける」
『前部装甲区画だ』
ダニエルは足を止めずに返した。
「意味通じてるだろ。整備するの俺なんだから、俺に通じればいいんだよ」
『その理屈で工具の位置も管理しているのか』
「まだ引っ張るのかよ」
前部装甲区画の固定を外す前に、ダニエルは端末で整備モードを確認した。人格系、センサー、自己診断は生かしたまま、作業に関係するマニピュレーターと前部側の駆動系をロックする。
「マニピュレーター、左右ともロック入ってるな?」
『両方とも駆動ロック済みだ』
ダニエルは表示を確認してから、装甲板のラッチへ手を掛けた。
「よし。俺が中に手を入れてる間は絶対動かすなよ」
『君の腕が内部にある状態で動かす予定はない』
「予定の話じゃねえよ」
『整備ロックを解除しない限り動かない』
「それを先に言え」
『先に言った。君が聞いていなかっただけだ』
「聞いてたよ。念のためもう一回言わせたかっただけだ」
『最初からそう言え、は私の台詞だ』
装甲板を開くと、その奥に配線と各種ユニットが並んでいた。ダニエルはライトを差し込み、固定具を順番に確認しながら左側の光学系へ回ると、外からでは見えにくい固定部へ手を伸ばした。
「左近距離、まだちょっと見づらいか?」
『死角は変わっていない。近接時は子機側の映像で補完している』
「そこ、もう少し何とかならなかったのかね」
『私に言うな。設計したのは私ではない』
「メーカーの愚痴くらい一緒に言ってくれよ」
『改善要求なら提出済みだ』
「お前、俺よりちゃんとしてるな」
『比較対象が君なら難しくない』
「今のは余計だ」
ダニエルは光学系の固定を確認してから、さらに奥へ手を入れた。耐衝撃区画の固定具を順番どおり確かめ、コネクターに緩みがないことを指先で確認する。何度もやっている作業なので、手順を考える必要はなかった。
最後の固定具へ触れたところで、ルークが言った。
『そこは前回増し締めしている』
「分かってる。だから緩んでないか見るんだろ」
『緩みは検出していない』
「お前の診断と、俺が触って確かめるのは別だ」
『診断値を信用していないのか』
「信用してるよ。でも手が届くなら見る」
ダニエルは固定を指先で押さえ、緩みがないのを見てから手を抜いた。
「よし。ここは問題なし」
『診断どおりだ』
「じゃあ俺の五分返せ」
『君が自分で確認すると言った』
「そうだったな」
装甲区画を閉じてロックを戻し、端末から整備ロックを解除する。ルークはマニピュレーターをゆっくり動かして作動確認を行った。
『右マニピュレーター、正常。左も正常』
「よし。次はセンサーのログだけ保存しとけ」
『すでに保存した。君が装甲を閉じている間に終わった』
ダニエルは端末へ目をやってから、少し笑った。
「俺が手を使ってる間に済ませてくれるのは助かるな」
『手が塞がっていない時も、私は役に立っている』
「自分で言うか」
『事実だ』
ダニエルは笑いながら三番機のところへ戻った。駆動部の温度は十分下がっている。台の横へしゃがみ、診断端末を膝の上へ置いた。
「三番、もう一回いくぞ」
ルークが子機へ指示を送り、左右の履帯が回り始めた。一回目は正常、二回目も左右の差は測定誤差の範囲で、三回目にも問題は出なかった。
ダニエルは少し得意そうに端末をルークの方へ向けた。
「これで直ったんじゃないか?」
『まだ試験回数が少ない』
「何回やれば満足するんだよ」
『異常が再現しなくなるまでだ』
「それじゃ終わらねえだろ」
『異常が存在するなら終えるべきではない』
ダニエルは肩を落としながら、もう一度試験を開始した。
四回目、左履帯が回った直後、ほんの少し遅れて右側が動いた。ダニエルの顔から得意げな表情が消える。
『〇・一九秒』
ダニエルは動き終えた右履帯を見たまま、顔をしかめた。
「……まだ出るな。やっぱり張りじゃなさそうだ」
『張りの可能性は低い』
ダニエルは膝の上の端末に目を落とし、ログを開いた。駆動命令が出てから右側の動きが検出されるまでに、確かに遅れがある。しかし、これだけでは遅延が発生している箇所までは特定できない。履帯の張りやローラーに異常が見つからない以上、次は制御信号やセンサーの応答を調べる必要がありそうだった。
「制御側か、センサー側か」
『現時点では切り分け不能だ』
ダニエルはログをもう一度確認してから、端末から顔を上げた。
「今日はここまでだな」
『明日は早い』
「だから切り上げるんだよ」
ダニエルはログを保存し、三番機の点検記録へ追記した。ルークのセンサーは、まだ三番機へ向いたままになっている。
『三番機の右履帯は監視を継続する』
「分かってる。明日また出たら、帰ってから制御側まで見るよ」
『記録した』
それだけ返すと、ルークは三番機への診断接続を終了した。
ダニエルも端末を閉じ、床へ広げていた工具を片づけ始める。ラチェット、トルクレンチ、ドライバーを順番に工具箱へ戻し、次のソケットを確認しようと目を動かした。
『十三ミリなら、点検台の右だ』
ダニエルはまだ手を伸ばしていなかった。
「まだ探してない」
『探すところだった』
「勝手に決めるなよ」
『君がさっきそこへ置いた』
点検台の横を見ると、本当に十三ミリのソケットが転がっている。ダニエルはそれを拾い上げ、工具箱へ戻した。
「お前が覚えてるなら、別にどこ置いても困らないだろ」
『私が困る』
「何でだよ」
『君が工具を探している間、作業が止まる』
「それくらい待てよ」
『元の位置へ戻せば待つ必要がない』
ダニエルはソケットを工具箱の決められた場所へ押し込んだ。
「細かいな」
『君が雑なんだ』
「明日からちゃんと戻すよ」
『それも記録しておく』
ダニエルは工具箱の蓋を閉めながら、嫌そうにルークを見た。
「それは記録しなくていい」
『もうした』




