001 引退
「私と立ち合え。魔王を倒した剣とやらを見せてもらうぞ、ロイ」
銀髪の女騎士は言った。
俺も男だ。
美女からの誘いは悪い気はしない。
だが相手はアステリア王国にその名も高い、女騎士レティシアだ。
鼻歌交じりにあしらう、というわけにはいかないだろう。
「最近、王都の警備隊長になったそうだな、レティシア。昇進祝いが欲しいのか?」
「ふざけたことを!せっかく陛下が、どこの馬の骨とも知れぬ冒険者のお前を召し抱えてやろうというのに。それを無礼にも断りおって」
「俺は誰にも仕えない。レオンもイザベルもシェンも死んだ。幸運団も終わりさ。平凡な酒場の親父になって、余生を過ごすよ」
「世迷言を!その自堕落な性根を叩き直してやる!」
「俺は結構、料理には自信があるんだけどな」
俺は彼女の背後にいる兵士たちに視線を向ける。
あるものは興味なさげにそっぽを向き、あるものは面白そうにこちらを見ていた。
無視して背を向け、立ち去るべきだったかもしれない。
だが彼女の青い瞳の中にある真剣な光が、俺をその場に立ち止まらせた。
かつての俺もこんな風に、純粋に強さを求め、前だけを見て生きていた。
あの頃は、歳を重ねればそれだけ良い未来が開けるだろうと、無邪気に信じていたのだと思う。
「いいぜ」
短く返答すると、俺とレティシアに向かって、木剣が投げられる。
用意のいいことだ。
俺は肩をすくめると剣を構える。
周囲には魔術師達もいた。
即死を防ぐ結界が張られる。
俺はもちろん、レティシアだって、殺すつもりはないだろう。
だが不測の事態というのは、いつだっておこるものだ。
レティシアは当然魔法も使える。
だが今回は剣のみの勝負だろう、おそらくは。
俺は通常の魔法は使えないが、【気】によって己を強化できる。
俺の師は魔力と言わず【気】と呼んでいたので、俺もそれに倣っていた。
その【気】による強化も、今回は使わないつもりだった。
俺たちはルールの打ち合わせもしなかった。
どうなれば勝ちで、どうなれば負けか。
そんな話し合いは無駄だ。
実戦にルールはない。
どのような勝負になるのか、始まってみなければわからない。
相手が何を得意とし、どのような戦術を使うのか。
前もって情報が得られなければ、その場で判断するしかない。
いつどこで戦うのか。
いつ始まっていつ終わるのか。
それすらわからないのが実戦だ。
俺の考えていることは、無意識に彼女も感じとっていたのだろう。
レティシアは何もいわずに、距離をとって剣を構える。
勝敗は互いの胸の内にあった。
「はじめ!」
それでも試合開始の合図が、周囲の騎士からとぶ。
女といえど、レティシアはおそらく俺より十以上は若い。
体力勝負となったら、俺の勝ちはない。
その時俺の左手が、急に熱を帯びる。
(おい、今は出てこなくていいぞ)
俺は左手の魔剣にむかって、心の中で話しかける。
魂を吸う魔剣、伝説の古代遺物、などと呼ばれている。
普段は小さくなって俺の左手の中に収納されており、他の人間からは見えない。
俺とレティシアの勝負の結果はあっけなかった。
俺は呼吸をととのえ、殺気を消し、ただゆっくりと前へ歩いた。
俺のあまりに無造作で自然な動きに、レティシアは反応できない。
彼女が気づいた時には、既に距離が縮まっている。
とっさにレティシアが剣を振ろうとしたその瞬間を俺はとらえる。
俺の剣が彼女の剣に接触し、絡めとる。
剣はレティシアの手から滑り落ちた。
「もういいだろう」
呆然と座り込むレティシアに、俺はなるべく穏やかに話しかける。
何が起こったか。
彼女にはわかっている。
千変万化の剣の攻撃の全てを防ぐのは、困難である。
だがそれに付き合わなければいい。
相手が攻撃動作に移る直前。
その最も無防備な瞬間をとらえ、制する。
そうすれば、相手がどんな技をもっていようが、どんな攻撃が得意だろうが関係ない。
どんな相手だろうが、必ず勝つことができる。
言葉にすれば単純である。
だが圧倒的な才能と修練と、力量差がないとできない。
『前へ出て、切れ』
実戦の心得を尋ねた時、かつての剣の師が言ったのはそれだけだった。
当時は雲をつかむような話だったが、今ならわかる。
結局、その感覚は自分でつかむしかないのだ。
「待て!」
立ち去ろうとした俺の背にレティシアの叫びが届く。
「何だ?」
俺はゆっくりと振り向いた。
「幻影騎士を知っているだろう?」
「幻影騎士、幻影騎士、と。さて、聞いた事はあるようだが」
「とぼけるな!お前たち幸運団と一緒にいたのを見た者がいる。魔大戦で最も多くの戦功をあげた伝説の騎士のことだ」
「そういや、そんな奴もいたな。まぁ、伝説とは膨れ上がるものさ。大方どこかでのたれ死んだんだろうよ」
とりつくしまもない俺の返事に、それ以上言葉を続けようもなかったのか、彼女は押し黙った。
後ろにいる兵士たちも、騒ぎ立てもしない。
俺のような一介の中年冒険者の行く末など、どうでもいいのだろう。
俺は一つ肩をすくめると、その場を立ち去った。
これからやる事は決まっている。
冒険者を引退し、ただの酒場の親父として生きる。
死んだレオンとの約束だった。
『父が実家の酒場を継げとうるさくて。しかも宿屋に雑貨屋に……事業を勝手に広げて困ってるんです。ロイさん、この戦いが終わったら、手伝ってくれませんか?』
『そうだな、レオン。それも悪くないな』
この戦いが終わったらどうするか。
時に真剣に、時に冗談交じりに、レオンやイザベルやシェンと何度も話したものだ。
千の目を持つ光明神レナスの申し子と言われた、賢者レオン。
魔族すら凌ぐ超魔術の使い手、大魔導師イザベル
千変万化の剣と多彩な剣魔法の使い手、魔剣士シェン。
彼らは俺よりもずっと若く、俺よりも遥かに輝かしい未来が開けているはずだった。
だがいくら悔やんでも、死んだ者は黄泉がえりはしない。
生きのこったものにはやらなければならない事があった。
俺は繋いでおいた馬に乗ると、王都の下町へと向かう。
魔国連邦と、アステリア王国を中心とした神聖同盟による魔大戦は、二年に及んだ。
それは街に様々な傷跡を残していた。
あちこちに焼け焦げた木々や塀や、崩れた道路が見える。
王宮や主要施設、上下水道の大半は無事だったらしいが、人も大勢死んだようだ。
戦争は終わった。
とはいえ、全ての出来事にかたがついたわけではない。
魔国の残党、魔国内部の抗争、行方のしれない暗殺教団、魔大戦では中立を保った国。
アステリア王国に関する事だけでも、王と貴族の対立、商業ルートの復活、諸外国との軋轢や関係修復。
様々な問題が立ちはだかる。
だが王都は復興するだろう、必ず。
俺は時々馬を止めて辺りを見渡しながら、石畳の道を進む。
吹き渡る風はまだ冷たいが、春の訪れを感じさせる。
しばらくすると、目的の施設に到着した。
看板には『聖アントワーヌ孤児院』とある。
この国ではよくある、レナス教の教会と併設されている施設だった。
俺は呼び鈴を鳴らす。
しばらくすると、一人の女性が出てきた。




