第六章 25 『少女の温もり』
レナ達は新設された温泉に来ていた。
天然温泉で無いが、入るとたちまち疲れが取れるとの噂だ。どうやらアストルディアでは一般的な温泉らしい。
露天風呂は無いようだが、室内は広く、いくつもの大きな湯船が点在する。
身体を洗い終わると、ルミナは真っ先に一人で浸かりに行った。それを見たアルテミシアはルミナの後を追うように歩いていく。
リア達はそんなアルテミシアに対して気を使ったのか、別の湯船の方へ行くことにした。
「隣失礼するよ、ルミナ」
「ほう……これが人工温泉と言うやつか」
アルテミシアはお湯に浸かりながら確かめるように両手でお湯をすくう。
「私は衛生的で気に入ったなー。シャワーも、レインシャワーって言うらしいけれど、なんか凄かったし。良い匂いの石鹸もたくさん」
「ルミナが気に入ったなら良かった」
暫くの間、湯が静かに揺れる音を聞いていた。
お互いに次にかけるべき言葉が出なかった。
それでも、するべき話の内容はおそらく一致している。
アルテミシアに対して、間違ったことをしてしまったとは思わない。けれど、彼女に出会って以来、あれほど弱った所を見たことがなかった。
だから、私は話をしなければならないと思った。
私の事を、名しか知らぬ少女のことを、伝えなければならないと思った。
「アルテミシア、リリスの事を聞いても良い?」
「ああ、もちろんだ。私も君には聞いて欲しいと思っていた」
それが、ルミナの優しさだと感じとれたアルテミシアは、少し和らげな表情で話し始める。
「リリス・ラティナス。実の所、私はリリス自身の生い立ちは詳しくないんだ。両親を失い、ガーディアンをすることになった。リリスはガーディアンになって直ぐに才覚を示した。私が出会ったのは、そんな彼女がアイズ階級になった時だ」
「ちょっと待って、なぜクラリアスのリリスに家名があるの?」
「……やっぱりそうなんだな。私もそうじゃないかとは思ってたんだ。初めてルミナを見た時、不思議にもリリスを重ねてしまった。クラリアスであるはずのルミナに、なぜリリスの面影を感じるのか。リリスはクラリアスの特徴的な目も、髪も持っていなかった。だから、それが"ただの勘違い"だと、自分に言い聞かせてた。それでも、ルミナのことを知れば知るほど、私の心は"勘違い"ではすまない状態になっていたんだ」
「でも、私をリリスだと決定づけたのはラクリマなんだよね? だとしたら、リリスはクラリアスとして、ラクリマを使いこなしてたということにならない?」
「私自身、ガーディアンとしての経験も知識も浅い、ということもあったが、リリスの顕現する武器がラクリマだと言うことは知らなかった。そもそも、私が今まで出会ってきたクラリアスの中で、ラクリマを顕現することが出来るのは、リアとルミナだけなんだ。リリスは特に変わった異能を使いこなしていたから、それが異能だと、言われて疑いもしなかった」
「確かに、私も完璧にラクリマを顕現できるクラリアスはリア以外で見たことないかな。でも……」
ルミナは言いかける。
アルテミシアの言うことは確かに理解出来た。しかし、クラリアスが自身をクラリアスと偽り、生きていくことが簡単なはずがない。いくらリリスと言う少女が優秀だとしても、親友を騙し続けるのはおそらく不可能だと、クラリアスであるルミナは感じていたのだ。
「言いたいことは分かる。私も本当は、心のどこかでは分かっていた。リリスがクラリアスであることを隠している、ということも。聞かなければならない、いつか必ず聞こう、と決めていた。だが、その日か来ることは無かった」
声は詰まるように細く、表情は悲痛に満ちていた。
ルミナはそんなアルテミシアに身を寄せた。
「依頼は、リセレンテシア近郊の東の土地、カルドハイラルのどこかに存在するレリックの探索だった。アイズ階級二人、私とリリスのコンビであれば当たり前にこなせる依頼のはずだった。遭遇したのは人形のゼノン。……咎人ではなかったと思う。確かに手強かったが、私達二人なら十分に戦えた。そんな最中、私が最高強度の結界を張り、リリスが持つ最強の異能を行使する時間を稼いでいた。リリスは私の結界を完全に信頼してくれて、詠唱に専念していた。その間、私の結界は、人形のゼノンの攻撃を完璧に防いでいたんだ。だが、それは、リリスの詠唱が丁度終わる頃。──私の結界は音もなくいきなり消失した。結界を解いたわけでも、魔力が切れたわけでもない。いきなり消失したんだ。そして、攻撃はリリスの腹部を穿いた。その後、私は何をしたと思う? その場から逃げたんだ、私は。理解出来ないことが起きて、リリスを失い、思考は逃げることに染まった。私は……リリスを殺して逃げたんだよ」
俯くアルテミシアの前にルミナは移動すると、顔を上げるように促し、しっかりと目を合わせた。
「……分かったようなことは言えないけれど、もし、それがリリスを殺したことになるのなら、私は今までに150人……いや、厳密には覚えてすらいないや……それほどの仲間を殺したことになる」
「なに……を」
「リリスがクラリアスであることを隠してた理由も、カーディガンとしてどんな境遇にあったのかも私には分からない。けれど、私達クラリアスはね、消費される戦力だ。アルテミシアにだって分かるでしょ、私達にだって心はあるんだよ。でもね、クラリアス以外とクラリアスであれば、死んでも良いと思われるのはクラリアスなんだ。それは誰にも止めることはできない。いくら仲良くなっても、いくらその人のことが好きでも、死んでしまったら放置するか、一緒に死を選ぶか二つに一つ。いくら望んでも望んだ存在に私達はなれない」
「……そんな……それではリリスは、クラリアスはどうすれば……」
「はは……難しいことを聞くね……私にもよく分からないよ。けれど、私は今幸せだよ。リアの一番近くにいれて、アルテミシア達とも楽しく過ごせている。だからこそ、なのかな、アルテミシアの気持ちも多分今の私には分かる。仲間を失う怖さ。それは私の中にある感情で恐らく最も暗く、強い感情になると思う。多分、幸せって言うのはそういうことなんだと思う。幸せであればあるほど、失った時の痛みは強くなる。これは必然だよ。でも、一つだけ言えることがある」
「──私はもし明日死んだとしても、幸せだったと、胸を張って死んでいける。リアは悲しむだろうね、きっとアルテミシア達も悲しんでくれる。それについてはごめんって思う。けれど、悲しんでくれる人がいるだけ、私は幸せだった、ということなんじゃないかな。だからさ、断言出来る。悲しいよ、悲しくて当然だよ。それでも、リリスはアルテミシアを想っている。アルテミシアがいたから幸せだった、と思う」
アルテミシアの頬を大粒の涙が伝う。
ルミナの言葉が、自分より小さな少女の両手が、私の心身共に温もりを与えた。
「……私の方が先輩のはずなんだがな……ルミナに慰められてばかりだな……」
「別に良いじゃん。年齢なんて関係ないよ。それに、私は……っつ!!」
ルミナはバシャリと音を立てて、アルテミシアから離れる。顔を引き攣らせ、頭を抑えていた。
「どうした?!」
「あ、うう……大丈夫。やっぱりだめっぽいね。リリスのことなんだけれど。なぜアルテミシアが私をリリスだと思ったかの理由に関わること。実はクラリアスの秘密に関わることでさ、なんか言える気で話そうとしたんだけれど、ダメみたい。ごめんね。今度ティシュトリアに会ったら殴ってでも話せるようにさせるから」
ティシュトリアの名を語るルミナは微笑みながらも、少しキレているようにも見えた。空気を読め、とも言いたげな表情である。
「ティシュトリア? ああ、大丈夫だ。ルミナに話を聞いてもらえただけで、救われたよ。本当にありがとう、ルミナ」
アルテミシアは水面をゆっくりと揺らすように、ずいっとルミナに寄る。
「全然、だいじょ──……っん」
ルミナの言葉を塞いだのはアルテミシアの言葉……では無く、唇だった。
「……っん……んんっ、!!!!」
顔を真っ赤に染めたルミナは慌てて離れる。
「ちょっと、、!! 何すんのさ!!!! あ、えっ、ああぁっ──」
ふらふらとよろけるルミナは、──バシャンッと大きな音を立てて湯に倒れ込む。
「あ、えっと、すまん……」
のぼせて倒れたのか、キスされて倒れたのか、定かではないが、アルテミシアはルミナを抱えて脱衣場の方へ出ていった。




