第七話
ウエストレイクの町に着いてすぐ、俺とユーリの二人は何とか安くて空きのある宿を取ることができた。ユーリから旅費はギルドの経費で落ちると聞いてちょっぴり感動を覚えた。
そこを拠点に日の登るうちは町のNPC相手に聞き込みである。
NPCといっても、VR空間の彼らは人工知能により65535パターンの思考パターンと二億種類以上の言葉をその時の状況に応じて操る。何も知らない者から見れば最早、意思を持つと言っても過言ではないので見る者によってはある種、彼らは人間より人間らしいとさえ感じるだろう。
つまり、一昔前の決まった定型文を棒読みするだけのNPCはもう存在しないのだ。
他のVRゲーム内で、NPCと結婚したという話もそう珍しくない。既に、彼らと現実の人間にそれほど差異は無いのかもしれない。
「あの、この辺で黒い竜を見ませんでしたか?」
「竜?そんなの見たらみんなとっくに逃げ出してるよ」
それを聞いて、ユーリはまたしても肩をがくりと落とした。これで振られたのは何人目だろうか、十を超えて数えるのをやめた。
なかなか有益な情報を得られないまま、俺達は徒に時間を過ごしていた。
「エルドさん、もうやめましょうか」
「驚いたよ。俺も言おうとしたとこ」
ユーリの提案はもっともだ。この方向はシロだろう。これ以上続けても体力と時間とを無益に浪費するだけだと彼女も気付いたようだ。
となると、リシィが心配だが、あいつは俺よりずっと強いし、何より一人で勝てない戦いはしないはずだ。それにユーリを無碍にも出来ない。今は余計な心配をしないようにする。
「それで、ここからはクエストを消化しようと思うんです」
賛成。俺は首を縦に振った。
「どんなクエストなんだ?」
「どうやらリーダーから言われているのはスローター系のクエストみたいですね。特定のモンスターを規定数狩るみたいです」
なるほど。レベル上げにはうってつけだというわけか。俺はさらに詳細の説明をユーリに求めた。
「内容としては、ウエストレイク付近に近頃彷徨いている……え?」
途中でユーリの顔がみるみる青ざめていくのが分かった。一体どうしたというのだ。
俺が怪訝そうに見ていると、いきなりユーリに手を握られた。
「ちょ、うちのリーダーは何考えてるんでしょう!今回のターゲットモンスターのランク、全然私達の推奨レベルを上回ってますよ!」
「落ち着けユーリ。相手はどんなのだ?」
「レートB、グランドタイラントという人型のモンスターです。私も実際に見た事はありませんが、物理属性完全無効の鉄壁に加えて、攻撃力は同ランク帯最強クラスの化物ですよ!」
何故か興奮状態のユーリ。俺は落ち着かせるために彼女の頭をポンポンと叩く。
「ひゃ!?」
「魔法は効くんだろ。なら好都合じゃないか、魔導師様」
ユーリは俯きがちに首を振った。
「でも、私が戦えるのは守ってくれる人がいる時で」
俺は彼女に示すように自分を指さした。
「俺はそこらの前衛職よりしぶといぞ」
「だ、ダメです。危険過ぎますよっ!もし、エルドさんに何かあったら、リーダーやリシィさんに合わせる顔が……」
それはユーリも同じ事だ。だからこそ、彼女一人を危険に晒さないためにも、俺は元よりどうなるつもりも無い。
「つーか、うちの妹の場合、か弱い女の子を見捨てて逃げた方が怒るだろうな」
実際、リシィはそういう奴だ。昔から負けん気が一人歩きしてるみたいな性格は変わらない。
俺が冗談ぽく言うと、ユーリは人差し指を合わせてもじもじしだした。それから俯いて、
「……そこまで言うなら、分かりました。じゃあエルドさん、私のこと、守ってくださいね」
まさかの上目遣いで言ってきた。そんな風に言われてはむしろこちらからお願いして一生守ってあげたいくらいだ。
「お、おう。コホン」
なんて本音をぶちまけてはドン引かれるのは目に見えているので、俺はそっと返事するのでした。
俺達は早速、グランドタイラント狩りの
ために、ウエストレイクの大広場に来ていた。
クエストを受ける流れとしては、このように町にある掲示板から受注するタイプと、特定のNPCとの会話イベントによって発生するタイプがある。
今回は前者で、依頼主は町長。ウエストレイクは本来、湖と花の美しい町で、地方交易の中心となる町でもある。
それが突如発生した強力なモンスターが交易路の支障となっており困っている……という設定である。
所詮ゲームの設定ではあるが、今の俺達にとってそれは現実と何ら変わりないし、実際にこのクエストを放置すれば町はみるみる衰退していき、モンスター達は繁殖して危険な一個集団となるようだ。情報は全てユーリの受け売りだが、とにかく放っておけないのは間違いない。
「では、エルドさん行きますよ」
クエストを開始すれば強制的に狩場へと転移する。俺は深呼吸を一つして頷いた。
「頼む」
「あっ、そんな」
転移の瞬間、視界が光に覆われると同時にユーリの間の抜けた声が聞こえた気がしたが、悪い予感から目を背けるように俺は聞こえないふりをした。
「ユーリ、これは一体……」
「ご、ごめんなさいエルドさんっ!」
転移が終わり、意識がはっきりしてきたところで目の前もはっきりしてくるはずなのだが、それはユーリが俺の上に覆い被さるように倒れていて順調にいかなかった。
いや、いいんだが別に。
「ユーリ、お前の勝ちだ」
「え?何がですか?」
詳細を説明すると妹の逆鱗に触れかねないので割愛。
「って、そんな場合じゃなさそうだな」
周りを見ると、背の低い草木が広がる湿地に、こちらを睨む影が一つ。早くもお出ましのようだ。
「エルドさん、三十秒下さい……っ!」
既にユーリは詠唱に入っていた。一撃で決めるつもりらしく、唱えるのに時間のかかる強力な魔法らしい。
当然、目の前の敵がそれをみすみす見逃す訳もなく、その強靭な四肢を持ってユーリに飛び掛ってくる。
……というのを当然俺が看過するはずも無い。敵の操る細身の剣と俺の新しい金属杖がぶつかり火花を散らせた。やっぱ杖は硬いに限る。
近くで見ると敵は筋骨隆々とした鳥人の姿をしていた。身体は人間だが手足の先端は鷹のような爪。加えて背には二枚の翼。鋭い眼光を備える頭部は、獲物を引き千切るのに特化した嘴を蓄えていた。
「こんのッ!」
俺は鍔競合いから一歩引いて、鳥人の体重が前屈みになったところに蹴りを放つ。それは脇腹を打ち、鈍い音と共に俺の足先に振動と衝撃を連れてくる。
効いたかどうかは反応を見れば一目瞭然だ。鳥人はハエでも止まったかのように俺の足を指先で払うと、勢いそのままに剣をこちらに振りかざす。やばい、体制を崩されて避けられない……!
「うぐっ!!」
「エルドさんっ!?」
「馬鹿っ。集中しろ!」
ユーリは頷くと、詠唱の続きに入った。
一太刀食らってしまったが浅い。確かにレート帯最強クラスの攻撃力は伊達じゃないが、俺の防御力も飾りではない。凌ぐだけなら何とかなりそうだ。
それと、もう一つ確認出来た。完全物理無効というのは事実らしい。相当振っている俺の攻撃が通らないとなると近接は無意味だ。前衛系のオートスキルと種族固有装備の両翼『廃空の盾』が防御力を底上げしている。
グランドタイラントは元々、竜族に支配され空を追われた種族であり、翼は飛行能力を失った代わりに強力な盾に進化した。加えて地上で生き抜くために陸戦能力に特化したというモンスターらしい。
「さて、どうするかな」
分かっていた事だが武闘派としては辛い相手である。せめて俺にも別の攻撃手段があれば良いのだが。
とりあえず両者睨み合いといった状況だ。グランドタイラントの意識は完全に俺に向いている。そのままいてくれると好都合なのだが。
「クイックヒール」
俺が回復の魔法を唱えた僅かな隙を狙って鳥人は突進してきた。やっぱ見逃してくれるわけ無いか。
だがこれは読んでいた。奴ならそうしてくるだろうと分かっていた。眼が良過ぎるのも考えものである。
俺は予め後方に身を反らしながら詠唱していたので、敵の剣は寸でのところを掠り、空を切る。
そのまま俺は後方に転がり、攻撃を回避しつつ回復を済ませる…………予定だった。
「あれ?」
自分の体力ゲージを確認する。見間違いかもしれない。
……いや、確かに俺の体力は減っていた。しかも結構ごっそり。既に四分の一を切っている。
何をされた?最初の攻撃ではそんなにダメージは無かったはず。それは間違い無いし、こんなシビアな戦闘の最中でそれを見誤るなんてミスをするはずない。
一体、どのタイミングでこんなにHPを削られたのか。さっきの回復魔法は不発だったのか。
「エルドさん、いつでもいけますよ!」
俺は片手を上げてユーリの声を制す。何かの歯車が嵌りそうで、もう喉元までそれは出かかっているのだ。
「まさか……」
頭の中に、一つの仮説が浮かび上がる。もし、本当にそうだとすれば、俺は……。
「エルドさん危ないっ!」
ユーリの声に呼応して俺のすぐ目の前で炎熱が広がり、それはぎりぎりの所まで迫っていた鳥人を撃退した。
「さ、サンキュー。すまん、ボっとして」
「そんなに無茶して、エルドさん、瀕死じゃないですかっ!」
俺のHPバーに気付いたユーリが心配そうに駆け寄ってくる。何でも無さそうに笑うが実際、こんなに体力が減った記憶は無いので内心焦っていた。ろくすっぽ回復魔法を持ち合わせていないのが辛い。
「ユーリ、なんか回復アイテム持ってないか?」
「エルドさんならビショップなんですからご自分で……っ!?」
どうやら魔法でトドメとまではいかなかったらしい。ユーリの驚いた目に反射して映る影、背後から音すら置き去りにしそうな刃が俺達の喉元を裂かんとしているのが見て取れた。俺との立会ではどこか余裕を残していた鳥人の、手抜き無しの本気の一振り。
俺は振り返らずに、そのまま杖を持たない左腕だけをグランドタイラントにかざして唱えた。
「ヒール」
直後現れた緑色の光を伴う正方形に包まれると、鳥人は勢いを失ってその場で地に落ちた。炎熱に翼をもがれた火傷姿は無惨だが、最後までその手に握った剣は放さなかったようだ。討伐され、光の泡となっていくその様子を、敬服を以って見送った。
「え……?」
何が起こったか理解出来ていないユーリに諭すように話しかける。
「こういう事なんだ。後で返すから、借りてもいいか?」