4 未来へ……
この話で完結です。
それから数千年後。私の感性ではもう……何年間ここにいたのか判らなくなったときに、私は再び陸の上に出た。正確には海が干上がり、茶色く乾いた緑もない海底跡が正解だったか。懐かしい太陽の光が私の目を眩ませた。
だがもう、視界に映る景色は私の知るものではなかった。何処までも土と岩が広がる荒れた大地。人間のいた痕跡すら……見当たらない不毛の世界。どうやら私が海の中にいた間に、世界は破滅したらしかった。
でも私は、それでも消えることが出来ない。魔法でこの姿に……つなぎ止められているから。世界が消滅しない限り、ずっとこのまま。いつになったら、私はこの苦しみから……開放されるのか。
そんなときだった。
突然、空に青い稲妻が走ったのだ。玄関に飾られていた長い期間もこんなものを見たことがなかった。その為に私は注意深く観察することに決める。他にもう……何もないから。
稲妻は何処にも落ちることなくすぐに消える。だが走った空をじっと凝視すると、光った空に羽ばたく黒い影が見えた。そして影はこちらへと徐々に近付いてくる。その姿は決して鳥ではない。
まさかそんな……。
私は驚きを隠せなかった。あり得ない生き物だったからだ。かつて生みの親が想像した作品である私と同じ姿をした……竜。それが今、翼を羽ばたかせ私の前へと降り立ったのだ。決して夢ではない、本物の竜が。
その竜は私以上に綺麗だった。とても人間の手では再現出来ない、艶やかな深い青の鱗。背中から生えて直線的に後ろへ反った、私に似ているけれども、曲線がより自然な棘。翼には深い青の原色に溶け込むような藍と、紫の斑紋。鋭角な頭から生えた二本の角と鼻先の……三日月を模したような刃。そして……こちらを見つめるブルーの瞳。私はその姿に思わず見とれてしまう。
竜は何処か哀れむような視線で、破滅した大地を見渡すと土に半ば埋もれる私に近付く。私は人を悠々と見下ろせる程に大きく創られていた為に、相手の竜と体長は変わらなかった。だから、視線は不思議な程に交錯する。
「竜の像……?じゃあここに……人間が住んでいたんだ……」
竜は私を好奇心のつもりか、土に汚れた身体をじろじろと観察するとそんなことを呟く。その声はまだ若い、男のものだった。どうやらここに来たのは……始めてらしい。
「でも……この像だけどうして……?」
魔法で絶対に錆びないし壊れないのよ。だからこうして……独りでいるの。
私はそう言い返したかった。でも私は像。動くことも出来なければ、話すことも出来ない。それが……今でもボロボロになった私の心を蝕んだ。本物の竜が……目の前にいるのに。私の……仲間が。
「この像は、どんな竜だったんだろう……?」
向こうはまた呟くと今度は少し後ろに下がり、四肢で地面を踏ん張りながら息を吸い込む。一体何をしようというのだろうか?竜について知らない私は、その行動を不思議に思った。
次に竜は私に向かって息を吐く。だがその息はただの息ではなかった。
えっ……!?
彼の口から出たのは青い炎。そして私が驚く間もなく身体を包み込み……焼いた。視界も青い膜が覆い、見えなくなる。自分は知らなかったのだ。竜が……炎を吐けることを。
始めて触れる炎。それは熱かった。だが今まで冷めていた心が溶けていき、不思議と気持ちが軽くなっていくような感覚がある。何故なのかは……判らないが。
しばらくして炎は収まり、私は改めて自分の姿を彼の目を通して見た。最初は焦げ跡がついているだろうと思っていたが、実際は違った。
あっ……!!
その瞳から見えたのは、自分がかつて人間を見守っていたときの、黄金色に輝く姿だった。常に人々を見下ろし、流れ行く日々を楽しんでいた……懐かしいあの場所の……。
竜はくすんだ自分の姿を、元に戻してくれたのだ。ありのままの姿に。私という存在が……忘れられないように……。冷たい金属の胸が、急に熱を帯びていくのを感じた。まるで……私を創ってくれた彼と、一緒にいたときのように。
だが竜は……元に戻った私の姿を見届けると、満足したようにこちらへ背を向け、去ろうとしていた。その瞬間、私の中で曖昧だった感情が急速に形を成し始める。
待って!!
私は遠ざかる竜の背中に向かって叫んだ。だが声は届かない。自分は……ただの像だから。でももう、一人にされたくなかった。誰かの……傍に居たい。離れたくない。孤独に佇むのはもう……嫌。
胸が苦しくなり、私は必死に竜に向かって叫ぶ。この想いが届いて欲しいことを願って。
待って……お願い……。私を……一人にしないで……。
泣きながら自分は懇願した。その間にも竜は飛び立とうと再び翼を広げてしまう。こちらの声など聞こえないのだから。
でも私は……私は……!!動けない……竜の……!!
心が壊れそうになる。あの竜が去ったらもう、元には戻れないくらいに。最後のチャンスのように自分は思った。
私は……ずっと像として“動けなかった”。だから創ってくれた彼と“一言も”言葉を交わせずに別れた。人々が行き交う様を……見守ること“しか”出来なかった。街が滅んでいく様子をただ“眺める”ことしか出来なかった。そして彼を……救えなかった。全部……動けなかったせいで……。
自分の中にあった何かにヒビが入る。そして中から強い感情が……願いが……想いが込み上げてくるのを感じた。自分を長年包んできた魔法が、その形を変えて……別のものへと変質していくことも。
動かなければ……何も起こらない。止まっていても……何も……変えられない……!!
私の黄金色の身体に亀裂が走る。初めはゆっくりと。そしてそれは徐々に全身へと広がり、銀製の殻が金属音を響かせて地面へと落ちてゆく。自分を縛っていた“見えない”枷が外れて、全てが自由になっていく……。
それは……私の……願い。
今まで感じたことのない感覚が……冴え渡る。包んでいる銀の硬さが……漂うピリッとした竜の匂いが……吹き荒れる風の音、冷たさが……そしてはっきりとした、銀白色の瞳に映るあの竜の姿が……!!
「待って!!」
私は始めて発する自分の高く、澄んだ叫び声に驚愕しつつも、慣れない四肢を動かし飛び立とうとする竜に向かって飛び出した。途端に今までの私“だった”殻が全て割れ、生まれ変わった自分の姿が露になる。私は自由を手にしたことに歓喜し、またあの竜を呼び止めようと焦った。
もう動けない竜の像ではない。ちゃんと生きて……本物の竜になっている。もう一人には……ならない!!
竜は自分の声に気付いたのか、飛び立つのを止めてこちらを振り返る。そのブルーの眼は驚きに満ちていた。だが……それでも私は走るのを止めない。止めたくない。
私は必死に走り、竜に向かって前脚を伸ばした。自分の前に現れた希望を掴む為に、何千年も続いたこの悲しい物語を終わらせる為に……。
そして私は、その竜の胸の中へ……飛び込み……抱きついた。二度と離さないように、強く。
やっと……やっと私は……救われた。
竜の胸の中で私は泣いた。涙を流して……声を上げて……。傷付いた心が癒され、安心感が身体中に広がった。
生まれて初めて流す涙はとても熱く、また自分の声は親に再開出来た子供のように悲痛に、求めるように静かな大地に響き渡る。
もうこの希望は……離さない。絶対に……。
fin
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