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兆候

軍人の妻という立場は、想像以上に過酷だ。

軍人の娘という立場の比ではない程に。

父の言っていた『覚悟』とは、こういう事だったのかと、結婚してから気付いた。


念願叶って、ランドルフ様を婿に迎えたが、この時、既に、彼は近衛兵団の幹部級の職務に就いていた。

20代にして、兵団内に、彼より上の役職は、片手で数える程しかいない。

この事実だけで、彼がどれ程、優秀な軍人なのかが分かる。

更に、巷で彼は、"不死身の軍神"と呼ばれており、その名声は、既に、私の父を超えたと言っても過言ではない。

彼の部下の殆んどは、彼より歳上にも関わらず、皆、戦場では、彼の命令に従うという。

生まれ持った素養というものだろうか、人を惹き付ける何かが、彼にはあるようだ。


彼が、"軍神"かどうかは分からないが、"不死身"であって欲しいとは思う。

平時においても、帰って来ない日も多く、彼の身体を心配する程だが、戦場に向かう時程、心配な事はない。

結婚後、初めて彼が出征した時は、心配で気が狂いそうだった。

やつれた状態で、無事に帰還した夫を迎える羽目になり、彼に、多大な心配を掛けてしまった。

彼の方も、怪我を負って帰って来る事がある。

それが又、私の心配の種を増やす事に繋がってしまう。

そんな事を何度か繰り返す内に、軍人の妻という立場にも、多少、慣れてきたが、こんな事に慣れたくはない。

そんな私の心を、彼は知ってか知らずか、「死ぬ時は、お前の傍で死ぬから心配するな」と、縁起でもない事を言う。

父の時は、自分の保身を考えるかの如くだったが、夫の場合は、ただただ、その身の無事を祈るだけだ。

彼を信じて待つ事しか出来ない自分自身が歯痒いが、夫と結婚した事を後悔した事はない。

後悔などしたら、罰が当たってしまう。



* * *



「これはこれは、フェリス様ではないですか!貴女が、こういった場に姿を見せるのは珍しいのでは?」


軍人の妻という立場の他に、私には、公爵家の名代という立場がある。

結婚前は、全て父に任せていたが、「婿殿の代になった時に困らぬよう、今から慣れておけ」と父に言われ、最近は、忙しい夫に代わり、公の場に顔を出さなければならない。

こういった場は、苦手なのだが仕方がない。

そして、毎回、貴族令嬢や御夫人方に珍しがられる始末だ。


「私も結婚致しましたので、これからは、ちょくちょく、こういった場にも参りますよ。」


「聞きましたよ!フェリス様の婿殿は、王国で、一、二を争う軍人だそうで!」


「私は、彼をお見かけした事が、何度もありますよ!」


「他の軍人とは違う雰囲気をお持ちの御方なので、私も、前々から興味がありました!」


「私も、あの凛々しいお姿に、心をときめかせておりました!ご結婚なされたと伺って、残念に思っておりましたが…。あっ、勿論、フェリス様に嫉妬している訳ではございませんよ。非常にお似合いのお二人でございますから、心よりお祝い申し上げます。」


ランドルフ・ミューゼル改め、ランドルフ・フランツは、意外な程、貴族令嬢達に評判が良かった。

いや、意外でも何でも無いのかも知れない。

私ですら、心をときめかせたのだから、他の令嬢方にとっては比べるべきもない事なのか。

私は、偶々、接する機会を持てたから、結婚まで至ったに過ぎないが、この中の誰かが、彼と結婚していても不思議はない事だろう。

私に訪れた偶然には、感謝しなければならない。


「あの御方は、若かりし頃の王太子妃殿下ですら…あっ、失礼、何でもありません…。」


ある貴族令嬢が、聞き捨てならない言葉を、うっかり滑らせた事があった。

彼女を問い詰め、事の真相を問い質すと、王太子妃殿下は、ご成婚前、私の夫と恋仲であったと言う。

しかも、貴族令嬢達の間で、知らぬ者はいない程、有名な話だそうだ。

『知らぬ者はいない』というのは、明らかに誇大表現だろう。

私は、知らなかったのだし、そんなに有名なら、街中、その噂で溢れ、私の耳にも入って来るはずだ。

そうではないという事は、真偽の程が怪しい、根も葉も無い噂という事だ。

仮に事実であっても、私には関係無い気もする。

今の夫は、間違いなく、私を愛してくれているという自信があるからだ。

しかし、万が一、この噂が広まってしまうと、夫の立場が危くなる。

それを心配して、その貴族令嬢に、あくまで噂に過ぎず、くれぐれも、下手な噂を広めないよう、きつく言い渡したつもりだった。

しかし、その令嬢は、「フェリス様でも、嫉妬なさるのですね。心配なさらなくても、昔の話でございますよ。」などと、的外れな事を宣う。

まるで分かっていないこの令嬢に、とても貴族の夫人がしてはいけないような言動で、脅して置かずにはいられなかった。

昔、夫と王太子妃殿下の間に何があったか、私には関係ないが、夫の立場を危うくするものは、排除しなければならない。

彼には、私の傍で、天寿を全うして貰うと決めているからだ。

根も葉もない噂等で、夫の首が飛んだら、悔やんでも悔やみ切れない。



* * *



「俺も、そろそろ引退して、孫と余生を過ごしたいものだ。」


「そのお歳で、もう引退なさるおつもりですか?お父様は、まだまだ、元気ではございませんか?それに近衛兵団は、どうなさるおつもりですか?」


「もう、俺は若くない。それに、兵団には婿殿が居るから、何も心配はいらん。もうすぐ、副長の座が空くのだが、婿殿は、その席に座る事になるだろう。既に、俺の実力と名声では、太刀打ち出来ないぐらいの大物になっているから、嫉妬する輩は、ごく少数だろう。」


「それでは、ランドルフ様が、更に忙しくなってしまいますね…。」


「お前の不満は、分からないでもない。しかし、軍隊に限らずだが、組織というものは、何時までも年寄りが蓋をしていると、若い芽が出て来なくなってしまう。婿殿は、早い内に蓋を取れば、何処まで伸びるやら知れない男なのだ。それに、フェリスには以前、『それなりの覚悟を致せ』と、申したであろう?まあ、俺が、早く孫と遊びたいというのも否定はしない。その日は、まだか?」


「その日は、何れ来ると思いますが…。」


ただでさえ、忙しい夫が、これ以上、忙しくなったら、子供どころではなくなる。

その機会は、限られているにも関わらず、夫は私を、出来る限り、愛してくれる。

好きでもない男に抱かれていたかも知れない身としては、彼に抱かれる事は、この上ない喜びなのだが…。

子供を授かるかどうかは運もある。

しかし、孫を抱きたいという父の思いに負けず、私も、我が子をこの手に抱きたいという思いは強かった。

そんな中、待ち望んだ兆候が現れたのは、結婚して二年が経ち、夫が25歳、私が27歳の時だった。



* * *



「こら、フェリス!じっとしておれ!そんな事は、ジェニーにやらせよ。俺を使っても構わん。お前は、今、どういう立場か分かっておるのか?」


夫に懐妊を告げた時、彼は、理解するのに時間を要した。

告げた時は、「そうか」の一言で終わり、酷く不安にさせられた。

彼は望んでいなかったのかとさえ、思った。

しかし、翌日からは、人が変わったかのように、「何時、産まれるのだ?」、「あと、何日で産まれるのだ?」、「俺はどうしていたらいいのだ?」、「名前は俺が決めても良いのか?」などと、少々、気の早い質問を、矢継ぎ早にされた為、私は胸を撫で下ろした。

そして、父はというと、案の定である…。


「お父様!心配し過ぎです!少しは動かないと良くないのですよ!」


「しかしだな…。お前は子供の頃より、そそっかしいところがあるから心配なのだ。」


突然、過保護な父親に変身した為、欝陶しい事、この上ない。

近衛兵団の業務を部下に任せ、家で私の傍を離れない。

残念ながら、傍に居て欲しいのは、この人ではない。

本当に傍に居て欲しいのは、理不尽な上官に仕事を押し付けられ、益々、忙しくなってしまった夫なのだから。


「いい加減にして下さい!本当に私の事を思うなら、ちゃんと仕事に戻って下さい!そして、ランドルフ様の仕事を、お父様がして来て下さい!そうすれば、ランドルフ様は、毎晩、私の傍に居てくれます。それが、お腹の子には最適な環境です。」


そして、父は、渋々、近衛兵団長の業務に戻る羽目になる。

私に一喝されたからではなく、暫く安定していた国境の情勢が、又、不安定になって来たからだ。

国王陛下が病に伏せってしまい、これ幸いとばかりに、隣国が戦の準備を始めたとの情報がもたらされた為だ。

既に、夫が、次期兵団長に内定しており、引退を決めている父にとっては、恐らく、最後の出征になるはずだ。



* * *



「今回も、必ず戻る。今回は、今まで以上に死ねない。死にそうになっても、なりふり構わず逃げて帰って来るからな。」


「あまりにみっともない真似をなさいますと、次期近衛兵団長の座が危うくなりますよ。」


「そんな事は、どうでも良い。お前と、産まれて来る子の為なら、俺はどんな汚名を着ても構わない覚悟を持っているのだ。」


「その言葉を聞き、安心して出産を迎える事が出来そうです。どうか、ご無事で。」


「出産の場に立ち会う事が出来ないのが、心底、残念でならない。敵も、何故、こんな時期に…。」


「相手側にも都合というものがあり、守るべき家族がいるのです。私達夫婦の都合など、関係ありませんよ。でも、早く終わらせて帰って来て下されば、出産に間に合うかも知れませんよ。」


「この俺が父親になるなど…、今でも時々、信じられない事がある。俺は今まで、敵だけではなく、多くの味方を死なせて来た。大量殺戮者である俺が、人並みの幸せを掴む事など許されないと思っていた。戦場に散って行った者達同様、俺も戦場に散るのが、せめてもの供養になると思っていた。それを、フェリスが、フェリス様が、こんな俺の考えを改めさせてくれた。何処の馬の骨とも分からない俺を、大切だと言ってくれた。愛しいと言ってくれた。生きて帰って来てと言ってくれた。その言葉に、心の底から救われた。『お前は、死ぬのが怖くないのか?』などと言われる事もあった俺が、お前の居ない場所で死ぬかも知れない恐怖を感じるようになった。勿論、死ぬのは以前も怖かったが、それを運命として、受け入れようとしていた。そんな俺は、人間として欠けている部分があるのではと悩みもした。しかし、今の俺は、お前の為なら、どんな汚名でも、どんな悪名でも、受け止めて生きる覚悟がある。傲慢かも知れないが、お前を泣かせない為に、他者を泣かせても仕方がないと割り切る事が出来る。俺は、お前の為に必ず戻る。だから、お前も、俺の為に無事で居てくれ。そして、丈夫な子を産んでくれ。愛しているよ、フェリス。」


思いも掛けない、夫からの愛の言葉に、涙が止まらなかった。

強く抱き締められ、交わした口づけは、今までで一番、深い愛を感じた。

私やお腹の中に居る子は、彼が生きる上での、光になる事が出来るようだ。

今まで、彼を、懸命に支えて来たつもりだったが、彼の言葉は、私のやって来た事が、間違いでは無かったと証明してくれた。


しかし、今までに無い幸福感は、これから起こる凶事の兆候ではないのかという考えが、頭の片隅を過った。






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