謁見
「眠っている間、昔の夢を見ていたよ。」
熱も下がり、起き上がれる状態になった夫が呟いた。
「どんな夢でしたか?」
「若かりし頃の俺が、どこぞの貴族令嬢に、『貴方の役目は何ですか!』と怒鳴られていた。」
そう言って、ニヤリと笑う夫。
「わ、私は怒鳴ってなどおりません!」
「誰もフェリスの事だとは言っていないぞ。それとも、フェリスには心当たりでもあるのか?」
夫にからかわれ、顔を真っ赤にして俯くしかない。
彼は、戦争に向かう前や帰還直後、冗舌になる事がある。
恐らく、気分が高揚しているからだろう。
私は、そんな彼を見て、無事の帰還を祈り、そして、無事の帰還を実感する。
「そういえば俺も、奥方様に怒鳴られましたよ。『貴方の役目は何ですか!』と。その剣幕は、中々、恐ろしくて…。」
私達夫婦のやり取りを、側で聞いていたキースリングが口を挟む。
やはりこの男は、思慮が足りない。
「キースリング!貴方、何時まで、この家で遊んでいるのですか!貴方のお役目はいいのですか?」
「あ、遊んでいる訳では…。公爵家で雑用をこなすよう、命令を受けておりまして…。新たな命令も受けておりませんので…。」
「それなら、ジェニーの手伝いをしてきなさい!」
「はいっ!申し訳ありません!」
私とキースリングのやり取りを聞いていた夫は、必死に笑いを堪えていた。
私は、又、やってしまったようだ…。
* * *
『"軍神"倒れる』という話は、ごく一部の者しか知らない。
王国の象徴が倒れては、王国の威信に関わり兼ねない話なのだ。
夫が意識を取り戻すと、そのごく一部の者が、夫の元にやって来た。
近衛兵団副長ヘッセンリンクや、団長付主席副官ブルックスなどの他に、王弟ミュラー殿下も我が家にやって来た。
「これはこれは公爵夫人フェリス様。大人の色気が増し、更にお美しくなられましたな。」
ミュラー殿下は、私を見掛ける度に、毎回、心にもないお世辞を吐く。
「私は夫に愛されておれますので、そう見えるのでしょう。勿論、愛され続ける為に、努力を惜しんでおりませんが。独り身の殿下には、理解し難い事でしょうけど。」
私は、毎回、皮肉を返す。
この御方が嫌いではないのだが、若かりし頃から、挨拶の一部になっている。
「私も、好き好んで独りな訳ではありませんよ。王弟ともなれば、色々と難しい立場ですから。」
確かに難しい立場ではあるだろうが、数々の女性と浮き名を流す人物の言葉とは思えない。
いかつい風貌で、一体、どのように女性を口説くのか興味はあるが、私は口説かれたいと思わない。
夫になら、何度でも口説かれたいが。
殿下は、夫の様子を見に来たのは勿論、国王陛下の伝言を伝えに来た。
「国王陛下から、夫妻で来るようにと、仰せ付かっている。王妃陛下が、是非、夫人と話がしたいそうだ。」
「承知致しました。明日にでも、王宮に参りましょう。」
陛下が、戦勝の祝いと労いの御言葉を、夫にお掛け下さるとの事だった。
何故、私まで呼ばれたのかは、不思議だったが。
* * *
「キースリング!先程から、何をキョロキョロしている!落ち着け!」
「申し訳ありません…。」
夫妻で王宮に参内するにあたり、私の供は、勿論、ジェニーで、夫の供をするのは、キースリング。
本来なら、夫の供は、主席副官であるブルックスの役目だが、現在、団長不在の近衛兵団に於いて、副長のヘッセンリンク共々、仕事が山積みだそうだ。
昨日、ブルックスは、「いっそのこと、お前は公爵家で働いたらどうだ?軍人より、使用人の方が、お前にお似合いのようだ。」などと、キースリングに厭味を吐いて帰って行った。
そして、公爵家の使用人と化し始めているキースリングは、勝手知ったる他人の家にも関わらず、落ち着き無く、辺りを見回していた為、夫に一喝された。
「ジェニーなら、着替えている最中ですよ。」
「お、奥方様!べ、別に、ジェニーを探している訳では…。」
自信は無かったが、私の勘は当たりのようだ。
「成る程、そういう事か。」
「だ、団長まで!」
「俺は、ジェニーの父親に、ジェニーの夫となるべき男を見定めるよう、頼まれている。今日から、そちらの方も、査定せねばならんようだな。」
夫にからかわれたキースリングは、尚も、否定していたが、「お待たせ致しました」と、ジェニーが部屋に入って来ると、その姿に見惚れていた事から、確信を得るに至る。
何時もより、小綺麗な格好をした彼女は、殿方の心を掴むのには、充分な姿だった。
何時も、このような格好をしていれば、キースリングのような小物ではなく、もっと大物を射止める事も容易だろう。
* * *
国王陛下との謁見の間に、王妃陛下は同席して居らず、謁見の間を辞した後、私だけが王妃陛下の私室に呼ばれた。
夫は、ミュラー殿下の所に寄り、その後、兵団本部に顔を出すとの事だった。
仕事は溜まっているようなので、今夜は、帰って来るかどうか微妙だろう。
私とジェニーの迎えに、キースリングを来させると夫は言い残し、私とジェニーは、王妃陛下の私室へ、夫とキースリングは、ミュラー殿下の元へ向かった。
「これはこれは、公爵夫人。大人の色気が増し、益々、お美しくなられましたな、ヒッヒッ、ゲホッ、ゲホッ、ゴホッ。」
「宰相閣下は、あの世からのお迎えが、そろそろ近いようですね。」
途中、感じの悪い笑みを浮かべた老人に出くわした。
その顔を見ただけで、寒気がして、鳥肌が立つ。
ミュラー殿下と同じような言葉を吐いているのに、何故こうも、受け取る印象が違うのか…。
「ヒッヒッ、相変わらず連れないご返事ですな。フランツ公は、今回も生き残ったようで残念極まりない。」
「生憎、夫は『不死身』なもので。」
「不死身な人間など、居るはずもない。フランツ公に万が一の事態あらば、このワシが貴女の身をお引き受け致しますので、ご安心下さい、ヒッヒッ。」
「そんな日は、永遠にまいりません。」
「歴代の近衛兵団長が、どのような最期を迎えたか、貴女も知らぬ訳では無いでしょう?」
「先代の団長は、未だ元気に過ごして居りますが?」
「相変わらず気の強い女子じゃ。だが、それが良い、ヒッヒッ。ところで、夫人の後ろに控えている令嬢は、夫人の妹君かな?しかし、フランツ公爵家は一人娘ではなかったか?」
「こちらは、私の身の回りの世話をしてくれている、ジェニーと申します。」
「そなたが、フランツ公が引き取ったという女子か…。そこらの貴族令嬢に、引けを取らぬ器量じゃな…。歳は幾つだ?」
「20歳ですが!」
先程より、宰相閣下と私のやり取りを、傍で聞いていたジェニーは、既に、喧嘩腰だ。
「ジェニーとやら、そなたの夫は、このワシが見繕ってやろう。」
「結構です!自分の夫は、自分で見つけますから!」
「ふん!主従揃って気が強い。では、失礼、ゴホッ、ゴホッ。」
「何ですか、あのジジイは!」という、ジェニーの言葉を嗜める余裕は、私には無い。
全く同感だからだ。
王国宰相ブラウミッツ侯爵は、70にもなろうかというご老体。
私の夫は、切れ者で私利私欲のない人物と、宰相閣下を評する。
その点に関しては、夫の目が曇っていると言わざるを得ない。
私が若い頃、この老人から、後妻に望まれた事もあるが、父は、その話を一蹴している。
その理由は、私の気持ちを尊重してではなく、父に思うところがあったからのようだが。
父と宰相閣下の利害が一致していれば、私は今頃、宰相夫人という、考えたくもない可能性がある。
しかし、貴族令嬢とは、所詮、そんなものだ。
その点に関して、私は、かなり恵まれているのだろう。
* * *
「以前より、貴女とは一度、話をしてみたいと思っていたのです。しかし、貴女は、貴族令嬢の集まりなどには、顔を出さない御方だった為、今日まで機会がありませんでした。お見掛けした事は、何度もありましたが。」
「そうだったのですか。気軽にお声をお掛け下さって、構いませんでしたのに。」
「私は、貴女のように強くなく、心の弱い人間ですので、見ず知らずの人にお声をお掛けするのには、勇気がいるのです…。」
御歳28の王妃陛下は、どこか儚げで、物静かな美人。
30歳になったというのに、未だに落ち着きが無い私とは、正反対の人物だ。
「私とて、強くはございませんよ。夫の出征中は、心配で夜も眠れない程ですから。」
「しかし、その立場に耐えていらっしゃる。私にはとても、軍人の妻という立場は耐えられません…。」
彼女と私の間には、因縁めいた物がある。
現国王陛下が、まだ王太子だった頃、私達は、お妃候補だった事があるのだ。
結果は、現在の立場が示す通りで、王妃の器ではない私は、王国随一と言われる軍人の妻になっているし、軍人の妻が耐えられないと言う彼女は、王妃陛下になっている。
しかし、一歩間違えば、全く逆の立場であってもおかしくないのだ。
彼女は、ランドルフ・ミューゼルと名乗っていた頃の夫の、恋人だった事がある…らしい。
確信が無いのは、王妃陛下はともかくとして、夫にも確かめた事が無いし、貴族令嬢の間での、尾鰭を付けた噂に過ぎないからだ。
私と出会う前、夫に恋人がいようがいまいが、大した問題ではない。
二人の間に、何があったか知らないし、興味もない。
ただ、それを後悔しているとなると、話は別だ。
夫を渡さないよう、私は闘う。
適材適所に収まっているものを覆す事は、決して許されないし、決して許さない。
例え、どんな身分の御方であっても。
「王太子殿下は、お幾つになられましたか?」
私は、話題を逸らそうと試みた。
闘うと誓った側から、早速、逃げの一手なのだが…。
「手強い相手からは、一度、逃げるのが得策です。」と、ある軍人に、昔、教えて貰った事がある。
「王太子は5歳になりました。下の王子は2歳になったところです。」
「お二人共、さぞや立派な王子になられるでしょうね。国王陛下と、ミュラー殿下のような。」
「戦の神と言われる近衛兵団長と、貴女との間に生まれるお子様の方が、より立派な人物になると思いますよ。その御予定は無いのですか?ご結婚なされてから、大分、経つのでしょう?」
「今のところ…、その予定は…。運も必要な事のようで…。」
どうやら私は、逃げる道を間違えてしまったようだ。
此処が戦場なら、私は真っ先に死ぬだろう。
王妃陛下に、悪気が無いのは分かっている。
何故なら、知らないのだから。
ただ、現実を突き付けられると、胸が締め付けられる。
私と夫の間に、子供が生まれる事は、恐らく無い…。
我が子を、この腕に抱く日は、永遠に来ない…。
誰が相手でも闘うと誓ったが、夫が跡継ぎを望むなら、私は潔く身を退く。
私は、その期待には応えられないのだから…。
「どうかされましたか?」
怪訝そうな顔で、王妃陛下が、私の顔色を伺う。
「い、いえ…。慣れない場所なもので、少々、疲れてしまったようです…。」
「それは申し訳ありません!すっかり、長居を強要してしまったようで!この立場にいると、同年代の友人が居ないものですから、つい楽しくて…。又、話し相手になって下さいね、公爵夫人。いえ、フェリスさん。」
「私などで良ければ、いつでも。」
この女性は孤独なのだ。
それなのに、王宮という戦場で、一人、闘っている。
私などより、余程、強い女性だ。
私には、ジェニーという友人も居れば、父もすぐ側に居る。
夫が、側に居てくれる事が少ないのは共通しているが、自ら望んでその立場になった私と、そうではない彼女とでは、比べるべきもない。
子供を産めない事が何だ!
私は、遥かに恵まれているではないか!
そう自分に言い聞かせながら、家路についた。