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ムンクの赫い絶叫  作者: てっぺい


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6/10

第6話 ベルリン最速打ち切り伝説

 1892年。北欧のネガティブ・ボーイ、エドヴァルド・ムンクは、ドイツの首都ベルリンに降り立った。


 彼を招待してくれたのは、由緒正しき「ベルリン芸術家協会」。彼らはムンクのことを、「極寒のノルウェーからやって来た、美しいフィヨルドや雪景色を描く有望な若手風景画家」だと完全に勘違いして呼んでしまったのである。


 しかし、エドくんがベルリンの展示室に持ち込んだのは、綺麗な風景画などでは断じてなかった。血のように赤い夕焼け、病の床で絶望する少女、嫉妬に歪む男の顔といった、己のトラウマをキャンバスにぶちまけた「不幸のパッケージ(生命のフリーズ構想)」五十数点であった。


 開幕日。

 会場に足を踏み入れたドイツの保守的なおじいちゃん画家や重鎮の批評家たちは、絵を見た瞬間、泡を吹いて卒倒そっとうしそうになった。


「なんだこの絵の具の吐瀉物としゃぶつは!」


「未完成の落書きだ! 対象の正確なデッサンが一つもない! これは神聖なる芸術に対する侮辱だ!」


「こんなものを展示したら、ベルリンの善良な市民の精神が崩壊するぞ! ただちに撤去しろ!」


 阿鼻叫喚あびきょうかんのパニックである。

 なんと、この展覧会は開幕からわずか一週間で「強制打ち切り」という、前代未聞の事態に発展してしまったのである。のちに西洋美術史において『ムンク事件』と呼ばれる、特大の爆弾スキャンダルだ。


 普通ならここで「ヒョエエエ!! また炎上したァァァ!! パパごめんなさァァァい!!」と泣き崩れてノルウェーに逃げ帰るところだが、今回ばかりはエドくんの反応が少し違っていた。


(……あれ? ちょっと待てよ……。一週間で打ち切られたことで、逆に新聞の連日の一面トップになってるぞ……?)


 そう、炎上マーケティングの完全なる大勝利である。

 「協会がそこまで隠したがるヤバい絵って、一体どんなに過激なんだ!?」と、ベルリン中の血の気を持て余した若手画家や学生たちが猛烈な興味を持ったのだ。


 さらには、協会内でも「ムンクの新しい表現を擁護ようごする若手派」と「ムンクを追放しろという保守派」が真っ二つに割れ、大乱闘が勃発ぼっぱつ。(※これがのちに、ドイツ美術界を揺るがす「ベルリン分離派」結成の引き金となる)。


「……えへへ。なんか僕、何もしてないのにものすごく有名人になっちゃった」


 国をまたいだ大炎上という名の強烈なスポットライトを浴び、エドくんは少しだけ調子に乗った。


 そんな「時の人(炎上王)」となったエドくんにいち早く目をつけたのが、ベルリンの地下でうごめく、ヤバい知識人たちのグループであった。


 彼らの溜まり場は、ウンター・デン・リンデン通りに近い小さな居酒屋。あまりにも薄暗く、黒魔術でもやっていそうなオカルトチックな雰囲気から、彼らはその店を『黒仔豚亭くろこぶたてい』と名付けていた。


 ギィィ……とエドくんが『黒仔豚亭』の重いドアを開けると、そこは故郷クリスチャニアの不良グループすら可愛く思えるほどの、ガチの魔境であった。


「おお! 来たな、お堅いベルリンを炎上させた北欧の狂人よ!」


 店の最も奥のテーブルで、強い酒をあおりながら立ち上がったのは、スウェーデンの誇る天才劇作家、アウグスト・ストリンドベリであった。


 彼は文学の天才であったが、同時に「極度の女性嫌悪ミソジニー」であり、おまけに「錬金術で本気で金を作れると信じている」という、エドくんとは別のベクトルの重篤じゅうとくな精神的バグを抱える男であった。


「女は悪魔だ! 我々男の精気を吸い取る吸血鬼だ! なぁムンク、お前のあのドス黒い絵、最高に気分がいいぜ! 女の恐ろしさと絶望をよくわかっている!」


「あ、はい。僕も初恋の人妻にポイ捨てされて以来、女の人がちょっと怖くて……」


「素晴らしい! これからは我々で、この腐りきった道徳と女どもを芸術で呪ってやろうじゃないか!」


 極度の不安症ムンクと、女性嫌悪のオカルトマニア(ストリンドベリ)。奇跡のマイナス同士の化学反応である。


 彼らはすぐに意気投合し、黒仔豚亭で夜な夜なアブサン(幻覚作用があると言われた緑色の強い酒)を飲みながら、この世の不幸や死、オカルトについて熱く、そしてひどく暗く語り合うようになった。


 しかし、そんなむさ苦しいオタク男たちの「負のオーラ」が充満する黒仔豚亭に、ある日、一人の女性が足を踏み入れたことで、事態は急転直下する。


 彼女の名は、ダグニー・ユール。

 ノルウェー出身の若きピアニストであり、圧倒的な美貌と、男たちを狂わせる破滅的な魔性のオーラをまとう、ガチの運命の女であった。


「あら、エドヴァルド。こんな薄暗いところで何をしているの?」


 彼女は、エドくんの幼馴染でもあった。ベルリンに音楽の勉強に来たついでに、フラリと立ち寄ったのだ。


 その瞬間、黒仔豚亭の空気が凍りついた。いや、正確には「沸騰」したのである。



「……な、なんだあの美しくも罪深き生き物は……!」

「女は悪魔だ! ……だが、あの悪魔になら魂を丸ごと喰われてもいい……!」


「女は吸血鬼だ!」と豪語していたストリンドベリをはじめ、ポーランドの天才作家スタニスワフ・プシビシェフスキなど、そこにいた名だたる知識人たちが、文字通り一瞬にして彼女のとりこになってしまったのだ。


 もちろん、純情でトラウマ持ちのエドくんも例外ではなかった。


「ダ、ダグニー……! 君こそ、僕の新しい芸術の女神だ! 僕のドロドロのキャンバスに、君の美しさを刻み込ませてくれ!」


 だが、ダグニーは特定の男に縛られることを極端に嫌う、真の自由奔放じゆうほんぽうな女性だった。


 彼女はストリンドベリを誘惑して精神を完全に崩壊させ(彼はのちに発狂しかける)、ポーランド人作家のプシビシェフスキと電撃結婚し、それでもなお、エドくんをはじめとする他の男たちをもてあそび続けた。


 黒仔豚亭は、欧州トップクラスの天才男たちが、一人の魔女を取り合って醜く争う、地獄の「恋愛デスゲーム」の会場と化してしまったのである。


「ヒョエエエエ!! やっぱり女は怖い! 僕の心を、男たちの理性を、ズタズタに引き裂いていく悪魔だァァァ!!」


 エドくんの頭の中で、かつて初恋のミリーにポイ捨てされたトラウマがフラッシュバックし、さらに原色となって増幅していく。


 嫉妬、欲望、愛憎、そして死の予感。

 エドくんは、ダグニーという強烈な劇薬を浴びたことで、ついにあの狂気的なまでの傑作群をキャンバスに吐き出し始める。


「描く……! 男の血を吸う女を! ドロドロの嫉妬に狂う男の顔を!! この痛みこそが、僕の芸術の血肉なんだ!」


 彼はダグニーをモデルに、赤い髪を男の体に絡みつかせて生気をすする『吸血鬼』を描き、彼女の神々しさと圧倒的なエロスを融合させた『マドンナ』を描いた。


 愛と死は、常に背中合わせである。ベルリンの地下酒場で繰り広げられた泥沼の愛憎劇は、北欧のネガティブ・ボーイの「不幸のパッケージ」に、最高に強烈なスパイスを追加したのだ。


 自身のトラウマも、他人の狂気も、魔性の女への欲望も、すべてを飲み込んで限界まで膨張していくエドくんの精神。


 そして。

 その張り詰めた精神の糸が、ある日の夕暮れ時、故郷ノルウェーのフィヨルドを歩いていた時の記憶と結びつき、ついに「あの瞬間」を迎えることになる。


 世界で最も有名な「絶叫」が、血のような夕焼け空を震わせるまで、あとわずかであった。

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