第4話 突然のログアウト
1889年。失恋のトラウマと故郷での大炎上から逃れるように、エドヴァルド・ムンクはついに極寒のノルウェーを脱出した。
国からの奨学金を何とかむしり取り、彼が降り立ったのは、芸術家たちの憧れの地、花の都パリである。
おりしもこの年のパリは、フランス革命百周年を記念する万国博覧会の真っ最中であった。完成したばかりの巨大なエッフェル塔がそびえ立ち、夜になれば最新技術のガス灯や電飾が街中を眩く照らし出す。街を行き交う人々は華やかなドレスやスーツに身を包み、カフェではシャンパンの泡と陽気な笑い声が弾けている。まさに絢爛豪華、世界最大級の「陽キャ空間」の極みであった。
「……目が、目がァァ!! 明るすぎる!!」
パリの駅に降り立ったエドくんは、あまりのまぶしさに両手で顔を覆った。
無理もない。一年の半分が雪と氷に閉ざされ、薄暗いフィヨルドの風に吹かれながら、暗い部屋で「死」や「地獄」の絵ばかり描いていた北欧のネガティブ・ボーイにとって、パリの陽気な喧騒は、もはや物理的な凶器であった。
「なんなんだこの街は……。みんなどうしてこんなにヘラヘラ笑っているんだ。いつか死ぬのに。人間はみんな等しく土に還ってウジ虫の餌食になるのに、なんでそんなに楽しそうにバゲットを囓れるんだ……!」
エドくんは街角のカフェから聞こえるアコーディオンの音色にすら怯えながら、逃げるように画塾へと向かった。
奨学生としてパリに来たからには、ちゃんとした先生のもとで学ばなければならない。彼が門を叩いたのは、レオン・ボナというフランス画壇の重鎮のアトリエであった。
このレオン・ボナ先生、極めて厳格な伝統的様式の守護者であり、対象の骨格や筋肉を正確無比に写し取ることを生徒に叩き込む、超・スパルタ教師である。
「さあ、今日も裸婦のデッサンだ! 筋肉の隆起を、肌の美しい滑らかさを、見たままに正確にキャンバスに定着させるのだ!」
ボナ先生の号令のもと、生徒たちが一斉に木炭や絵の具を動かす。
しかし、エドくんのキャンバスだけは、異様なオーラを放っていた。
「……できた」
「よし、北欧から来たムンクとやら、見せてみ……ヒッ!?」
ボナ先生が覗き込むと、そこにはモデルの美しい肌色ではなく、緑やドス黒い紫が混ざり合った、まるで腐乱死体のような不気味な肉塊が描かれていた。
「き、貴様! 目の前にいるのは若く美しいモデルだぞ! なぜ死後三週間が経過した水死体のように描くのだ!!」
「ちがうんです先生。人間の肉体の内側にある『原罪』と、やがて訪れる『死の腐敗』を表現するには、このドス黒い緑色が必要不可欠で……」
「屁理屈をこねるな! 対象をありのままに描け! お前の目は腐っているのか! デッサンからやり直せ!!」
ボナ先生の雷が落ち、エドくんはまたしてもアトリエの隅で膝を抱えることになった。
当時のパリは、ルノワールやモネといった印象派の画家たちが、光に満ちた明るい風景や、木漏れ日の下でピクニックをする楽しい人々を描いて大流行していた時代である。
そんな「キラキラした光の芸術」のど真ん中で、「いや、人間の本質はドロドロの闇と死の恐怖だ!」と主張するエドくんは、完全に浮きまくっていた。
「……やっぱり、パリでも誰も僕を理解してくれない。ボナ先生の言う通りに描けば、ただの写真みたいな退屈な絵になっちゃう。でも、僕の心の中のダークネスを出すと怒られる……」
パリの華やかさにすっかり精神をすり減らしたエドくんは、喧騒を逃れるため、秋になるとパリ郊外のサン=クルーという静かな街に引っ越した。
セーヌ川のほとりにある、安くて薄暗い下宿部屋。ここなら、パリの陽キャどもに怯えることなく、一人で静かに絵を描くことができる。
しかし、彼がサン=クルーの冷たい部屋で一人孤独を噛み締めていた十一月の終わりのことである。
故郷ノルウェーから、一通の分厚い手紙が届いた。
差出人は、愛するカレンおばさん。しかし、その封筒の縁には、不吉な『黒い枠』が引かれていた。
「……えっ」
エドくんは震える手でペーパーナイフを入れ、便箋を開いた。
そこに書かれていたのは、あまりにも唐突で、信じがたい内容だった。
『親愛なるエドヴァルド。心を強く持って聞いてちょうだい。あなたの父、クリスチャンが昨日、脳卒中で急死しました』
ドサッ。
エドくんの手から、手紙が床に滑り落ちた。
「パ、パパが……? 死んだ……?」
理解が追いつかなかった。
あんなに声が大きくて、僕が風邪をひくたびに「地獄の業火で焼かれるぞ!」と怒鳴り散らしていた、あのエネルギーの塊のようなパパが。
軍医のくせに医学より祈りを信じ、僕が画家になることに猛反対して「お前は悪魔の使いだ!」と大喧嘩をした、あのパパが。
「嘘だ……だって、僕、パパと喧嘩したままだよ……。パリに来る前、仕送りを打ち切られて、あんなにひどい言葉をぶつけて……」
エドくんの脳裏に、パパとの最後の口論がフラッシュバックする。
『お前のような不道徳な絵を描く息子は、もう知らん!』
『パパなんて大嫌いだ! 僕は絶対、僕の芸術で世界を見返してやる!』
それが、親子の永遠の別れの言葉になってしまったのだ。
「ああ……あああああッ!!」
薄暗いサン=クルーの部屋で、エドくんは頭を抱え、床に崩れ落ちた。
パパは狂信的で、怖くて、僕に地獄のトラウマを植え付けた張本人だ。けれど、根底には確かに、不器用すぎるほどの「家族への愛」があった。母さんや姉さんが死んだ時、誰よりも狂ったように神に祈っていたのはパパだった。僕が病気になった時、徹夜で枕元に座り、恐ろしい話をしながらも、決して僕の手を離さなかったのはパパだったのだ。
「ごめんなさい……ごめんなさい、パパ! 僕が親不孝だったから! イェーガーさんみたいな悪い人たちと付き合って、パパを裏切るような真似ばかりしたから、神様が罰を下したんだ!!」
エドくんの極端なネガティブ思考と罪悪感が、最悪の形で暴走を始めた。
パパの死は寿命でも病気でもない。僕が「古い道徳をぶち壊す」なんて調子に乗ったせいだ。僕の存在そのものが罪なのだ。
「僕は地獄に落ちる! いや、もうこの世界そのものが地獄だ!!」
凄まじい呵責と懊悩が、エドくんの精神を完全に打ち砕いた。
彼は部屋の隅でうずくまり、何日も食事をとらず、ただただパパの幻影に向かって泣いて謝り続けた。ひたすらに孤独で、誰にも届かない慟哭であった。
パリの街は万博の熱気で浮かれているのに、彼だけが、果てしない闇の底を彷徨していた。
——それから、数週間が経ったある日のこと。
冷たい冬のセーヌ川を見下ろす窓辺で、ゲッソリと痩せ細ったエドくんは、真っ白なキャンバスの前に座っていた。
パパの死という最大の絶望をくぐり抜け、彼の瞳には、これまでにない異様な、しかし澄み切った光が宿っていた。
「……もう、ごまかすのはやめだ」
エドくんは、静かに絵筆を握った。
パリの画家たちが描くような、日当たりの良い庭で談笑する人々。暖炉の前で本を読んだり、編み物をしたりする優雅なご婦人たち。
そんな綺麗で、平和で、血の通っていない「見せかけの芸術」は、もうウンザリだ。
「僕の心は今、パパを失った悲しみで張り裂けそうだ。人間は皆、孤独に震え、愛に苦しみ、そして死の恐怖に怯えながら生きている。それこそが、隠しようのない『人間の真実』じゃないか!」
エドくんは、窓の外の灰色の空を見つめ、自らの魂に一つの強烈な誓いを立てた。
「もう、室内で本を読んだり編み物をしたりする人々を描くのはやめだ。僕はこれから、呼吸し、感じ、苦しみ、愛する『生きている人間』を描く。人々は僕の絵を見て、教会の祭壇の前にいる時のように、帽子を脱いで畏敬の念を抱くだろう!」
これこそが、のちの美術史において『サン=クルーの宣言』と呼ばれる、エドヴァルド・ムンクの芸術家としての完全なる覚醒の瞬間であった。
ただのビビリで中二病だった青年は、パパの死という最大の痛みを代償にして、人間の根源的な感情(愛、不安、死)をキャンバスに抉り出す「表現主義」のバケモノへと羽化を遂げたのである。
「見ててよパパ。僕、もう逃げない。この絶望も、恐怖も、全部僕の味方にしてやるから」
悲しみを乗り越え(というか、悲しみと同化して)、不敵な笑みを浮かべるエドくん。
ついに本気を出した北欧のネガティブ・ボーイは、この後、自らのトラウマをシリーズ化した『生命のフリーズ』構想をぶち上げ、ヨーロッパの美術界に未曾有のダークネス旋風を巻き起こすことになる。
さあ、いよいよあの「耳を塞いで絶叫する男」が、キャンバスの上に姿を現す時が近づいていた。




