2-1 仲間づくりの始まり 1
俺は、3校目の転校をしたときも不安の方が強かった、だが、すぐに仲の良い友達ができた。近所に住む池田裕一郎君と徳永孝子さんだった。裕一郎君は身長が高く、礼儀正しく、正義感があり、クラスの人気者でとても親切で優しかった。俺が転校したときも、登校の通路が同じだからという理由で一緒に登校してくれた。俺はそんな裕一郎君に憧れた。やっと大切な友達ができたと思った。
俺は裕一郎君の両親とお姉さんには、とてもかわいがってもらった。夏は、裕一郎君のお父さんの軽トラックの荷台に乗り、近くの川で投網をして、獲れた魚を御馳走になった。俺にとって初めての経験で、嬉しかった。俺が今でも釣りやアウトドアの経験が好きなのは、この出来事が要因になっているような気がする。
俺は毎日のように裕一郎君の家に遊びに出かけた。俺は2羽目の手乗り文鳥を飼っており、「チュン太」と名付けた。文鳥図鑑を買って、その本を読みながら、チュン太が逃げ出さないように羽をカットした。そして、自慢気に肩に乗せて裕一郎君の自宅へ遊びに行った。
裕一郎君のお姉さんがチュン太を見て、とても可愛がってくれた。俺はそれがとても嬉しかった。俺は、裕一郎君のお姉さんをひと目見ただけで、「ああ、この人の笑顔は優しい」と直感した。裕一郎君のお父さんも褒めてくれたし、お母さんも可愛がってくれた。俺が心の中で「チュン太を褒めてもらいたい。」という気持ちをもっていることを察したかのように、チュン太を可愛がってくれた。それがとても嬉しかった。
裕一郎君は、水泳が得意で市で一番になるほどの実力をもっていた。裕一郎君は、スケッチ大会で優秀賞を取るほど絵も上手かった。俺はそんな友達が傍にいることがとても誇らしかった。こんな感覚をもつのは初めての経験だった。
裕一郎君と仲良くしていたおかげで、ソフトボールチームをつくり、他の学校のソフトボールチームとの試合に参加させてもらった。グローブとバットを持って、学級の仲の良い男子と一緒にチームをつくり試合に参加することができて、とても嬉しかった。ソフトボールの試合も定期的にするようになり、俺の楽しみの一つになっていた。俺は「世の中には、こんなに仲の良い友達やクラスもあるんだ。」と心の中で実感していた。
そして、もう一人の友達である徳永孝子さんは、毎日のように綺麗な柴犬を連れて私の家の前を散歩していた。私は、元気で明るく、チャーミングで学級でも人気者の孝子さんと話をするのが好きだった。孝子さんはいつも大声で笑う人だった。だから、徳永孝子さんの周りには女子だけでなく男子も明るく親切な人が集まって来た。孝子さんはあまり男子を意識しないのか、話をするときの間合いが男子と同じような感覚で自然に近くなるので、俺はいつも内心ドキドキしていた。シャンプーとリンスの香りに「ああ、これが女の子なんだ。」と感じた。
ある日、孝子さんが綺麗な柴犬を連れて俺の借家の前を散歩しているとき、俺は勇気を振り絞って、孝子さんに声を掛けた。
「孝子さん!」
「あっ、晶人君!」
「柴犬を触っていいかな?」
「うん。触りにおいでよ。」
俺は、家のウッドデッキからスリッパで降りて、孝子さんの柴犬を触らせてもらった。普通の柴犬は警戒心が強く、人が触ろうとすると必ず噛んでくる。でも、孝子さんの柴犬は人懐っこくて、耳や尻尾をさわっても噛もうとはせず、俺の腕をペロペロと舐めてくれた。
俺は内心、「ハンサムな柴犬だなあ。」と思った。しばらくの間、孝子さんとクラスの友達の話をしながら孝子さんの柴犬を触っていた。何の話をしたのか記憶にないが、孝子さんが大声で「ゲラゲラ」笑っていたのを今でも覚えている。笑顔の可愛いチャーミングで素敵な女の子だった。あれほど人懐っこい女の子は初めての経験だった。多分、5年1組の雰囲気があれだけ賑やかで和気あいあいとした雰囲気になっていたのは徳永孝子さんの影響力があるからだと思い、内心、子ども心で敬意を抱いていたことを覚えている。
俺は孝子さんの影響を強く受け、柴犬が好きになり、父の承諾を得て、ペットショップで雌の柴犬を飼うことにした。名前は「フジ」。とても賢くて頭が良かった。リードを離しても俺の後をついて来る。フジは、家族にはとても優しい柴犬だったが、決して家族以外の人には懐こうとはしなかった。2匹目は雄の元気な柴犬を飼った。名前は「五朗」。五朗もフジと同じで家族以外の人には懐かなかった。孝子さんの犬はいつも人懐っこくて噛まない。やっぱり飼い主に似るのかなあと思った。
俺は、5年生の1学期に転校して、待江という人の悪口を機関銃のように言ってくる奴から、からかいやいじめにも遭ったが、待江が暴力を振るってきたときには必ず警告して、鉄棒の芝生の上まで連れて行き、ジークンドーの一撃で倒すと、大声で長時間も泣きじゃくり、みっともない奴だと思った。それ以来俺を「晶人君」と呼ぶようになり、私のことをからかったり、嫌がらせをしたりする奴はいなくなった。
俺は、兄からジークンドーの指導を受け、初めて自分の拳の皮が爆ぜる経験をしたり、両腕の右指と左指の関節だけを使って、腕立て伏せの経験を積み重ねたりしながら拳を潰してきた。鉄棒の懸垂もできなかった私が10回、20回と出来る間に、手首もかなり強くなっていた。そして、俺が習得した打撃の破壊力は凄かった。そうやって、血の滲む思いで、ジークンドーの修業をしてきて本当に良かったと確信した。
俺は、池田裕一郎君と徳永孝子さんというかけがえのない友達ができたのに、父が新築の家を隣町に建てたため、2学期の終業式では「さようなら。」だった。俺は悔しくて寂しくて人知れず泣いた。家の隣にある神社の境内の裏で泣いた。裕一郎君と孝子さんと分かれるのが辛くて泣いた。これまでは、やっといじめからやっと解放されるという「清々する気持ち」だったが、心を通わせた友達との別れがこれほど辛い気持ちになることを初めて知った。
そして、俺は5年生の3学期に隣町の小学校へ転校した。私はその小学校で人生が一変したのだ。私が今まで転校してきた学校とは、子供たちの雰囲気や態度がまったく違うのだ。私は、その学校で初めて数々の衝撃を受け、善きにつけ悪しきにつけ人生観ががらっと変わってしまった。
俺が転校した初日、ホームルームが終わると、3,4人の友達が私の傍へ寄ってきて、いきなり私の肩を抱いてくる奴がいた。
本章に書かれてある内容に、意義や大切さを感じましたら、お友達やご友人、知人、先輩、後輩の方々にご紹介下されば幸いです。