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4-2 晶人の臨死体験 2

 人はどうやって死んでいくのか?実際に心肺停止と臨死体験と死後の世界を経験した者から話を聴いていた方が良いと思われます。知らないより知っていた方がいい。


 今のうちに知っていた方が、あなたの「命」と「生き方」は充実するでしょう。

 本小説の流れから逸れてしまうのだが、誤解を恐れず敢えて2度目の心肺停止と臨死体験と死後の世界を追記しておきたい。


 2度目の心肺停止と臨死体験と死後の体験は、4、5年に渡る時間を経て、積み重なった過労と強いストレスによって首の右椎骨動脈が浸潤し少しずつ切り取られていき、遂には切り裂かれた状態になり、破裂した。この状態像を解離カイリという。それが結果的に延髄梗塞を引き起こしたのだ。延髄は心肺機能を司る重要な臓器だ。2度目の心肺停止と臨死体験と死後の世界の体験は、1度目とまったく同じだった。脳の中で「あっ、目が見えない。声が聴こえない。息が、息ができない、苦しい、苦しい、苦しい、苦しい。一度目の体験の時と全く同じだ、もしかして、今度こそ俺は死ぬのか?」


 人間にとって、息ができずに死ぬ苦しみは計り知れない。息ができない苦しみは、「絶望的な苦しみ」としか表現のしようがない。いや、「地獄の苦しみ」だ。その後、1度目と同じように奇跡が起きた。「地獄の苦しみ」からすっと解放されるのだ。自分の頭の中で、いろいろな情報が錯綜サクソウする。俺は、「息ができないということは、つまり心肺停止なんだ。今回はどうなるんだ?今度こそ死ぬのか?」とヒドく混乱した。一度目の臨死体験から、17年の時を経て、医療はかなり進化していた。心電図やAEDや緊急用の手術の機材がCCUの部屋には並んでいた。一流の医師と看護師が揃っている○○○医療センターだったため、蘇生の時間は、一度目の蘇生の時間より30秒も速かった。心配が停止してからの臨死体験は1度目の臨死体験と非常によく似ていた。そのことが俺の知的好奇心に強い影響を与えた。


 2度の心肺停止と臨死体験と死後の世界を体験し、蘇生したことのある俺はマレに見る強運だと思った。


 そこで、知的好奇心の旺盛な俺は、大学院で心理学を専攻していた時期があり、そのノウハウを用いて、大学の図書館にある臨死体験に関する論文を読み漁った。臨死体験の先行研究の論文数は圧倒的にイギリスとアメリカが多かった。


 俺は、論文を次々に読み漁った。すると、俺の臨死体験と共通する部分がたくさん記載されていることに気付き、驚愕キョウガクした。俺は海外の学術論文を読み、人間が死に際して普遍的フヘンテキな共通性があることに気付いたのだ。


 まず、「心肺停止になると、当然、息ができなくなるため、血液中の酸素濃度が下がり、1分間以上、息ができない生き地獄のような苦しみを味わわされる。目も見えなくなり、音も聞こえなくなる。」と記述されていた。そして、「息ができない苦しみにアエいでいると、突然、苦しみから解放される。これは脳内にあるβ(ベータ)エンドルフィンという麻薬のような物質が脳に放出され、息ができない苦しみを取り除いてくれる働きがあるからだ。」ということを多くの脳神経細胞学の学者が明らかにしていた。また「βエンドルフィンは、普遍的な共通性のある事象であり、国を問わず、性差を問わず、老若男女問わない」ことが数々の研究論文で明らかにされていた。


 俺もまさに、息ができない生き地獄の苦しみを味わわされた後、突然、息のできない苦しみから解放されたのは、俺の脳に在るβエンドルフィンが脳内に放出されたからだと確信した。この「突然、息のできない苦しみから解放された」という体験は、俺が2度体験した臨死体験の内容と合致する。


 その後、俺の場合だとLEDよりもまばゆい光が天から降ってきた。アメリカやイギリスなどのキリスト教文化圏では、多くの人々は、まばゆい光のトンネルを通ることが明らかにされていた。だが、俺の場合、天からまばゆい光が降ってきた。




4-3 晶人の臨死体験 3


 そして、俺は2回の心肺停止後の臨死体験とも同じ内容の走馬灯を見た。これもまた万国共通の普遍的な共通事象であることが多くの学術研究で明らかにされていた。酸素の血中濃度が低下していくなかで、脳に残されたわずかな酸素を使って映像を見せるのだ。俺の走馬灯は、普段見たこともない映像ばかりであり夢でさえも見たことがない映像ばかりだった。俺の主な走馬灯の主な内容は、


➀俺は、斜め3mほど上空から映像を見ていることに気付かされた。ある転勤先の自宅の裏には1m30cm程度のブロック塀で囲まれており、当時、幼稚園児であった俺は、父に手を引かれ、そのブロック塀を恐る恐る歩いている。最後まで歩いたら父が合図を送ったので、父に飛びつき、父が抱きしめて地面に降ろしてくれた映像だった。


「よく最後まで頑張ったねえ、晶人。偉かったね。」


 俺は父に褒められたことが嬉しくて、ぴょんぴょん跳ね回っている。俺は3m上空から幼稚園児の自分の姿を見ており、幼い自分と父に触ろうとするのだが触れないのだ。勿論、声も出せない。


②父と母と従兄と兄と俺の5人で菜の花畑にシートを広げて、お弁当を食べている姿を見ていた。みんな笑顔でお弁当を食べていた。俺の大好きな卵焼きが入っていた。父と母や二人でおしゃべりをして笑っていた。それがなぜかとても嬉しかった。この映像もまた私は3m上空から自分の姿を見ており、父と母と兄を触ろうとするのだが触れない。ここで、触れない、声がかけられないことへの虚しさを味わわされた。


③俺が小学校の低学年の頃、兄と二人でカブトムシとクワガタを取りに行った。兄は

木の高い所からカブトムシとクワガタを取り、ビニール袋に入れて、木の下で待っている私に落としてくれた。俺は直ぐにビニール袋からカブトムシとクワガタを取り、

虫かごに入れた。私はカブトムシとクワガタをゲットした喜びで、ぴょんぴょん跳ねていた。この映像もまた私は3m上空から自分の姿を見ており、触ろうとするのだが触れないのだ。言葉をかけようとしたが、声が出せなかった。


④家族みんなで夏祭りの踊りや花火を見に行った。綿飴も食べたし、金魚すくいもした。俺が眠くなってふらふら歩いていると父がおんぶをしてくれて、俺は父の背中で寝たまま家に帰った姿も思い出した。


⑤俺が2歳ぐらいの頃、母がバセドウ病になり入退院を繰り返していた。叔母と祖母が私の面倒を見てくれたが、寂しくて声を出して泣いた。それ以来、俺は母が帰宅してからは、母が突然いなくなるような心配な気持ちになり、いつも母の姿を探して追いかけた。母の話では、トイレまで追いかけていたので、トイレのドアでいつも待っていたという。そして、毎晩、母と一緒に寝るようになった。子どもの心理的発達段階の観点から考えると、ちょうど母性を求める時期と重なる。


 笑われるかもしれないが、その後、俺は小学校6年生まで母と一緒に寝た。母の手を握らないと不安だったのだ。母性を求めている時期に母性がもらえなかったため、その埋め合わせをするように俺は小学校6年生まで母と一緒に寝た。母の手を握りしめながら寝ている自分の映像を上から見るだけだった。


 俺が見た走馬灯は、全て心のあたたまる豊かな思い出ばかりであった。一つ一つの映像に強い絆を感じ、その時その時の私の魂が投影されたものばかりであった。


 過去の思い出とは、永遠にそのままの姿でいるのだろうか?俺はそうとばかりは言えないことを直感した。心のあたたまる豊かな思い出は、運命を感じさえすれば、過去の思い出は、豊かな彩りを取り戻し、新しい意味が付与され、走馬灯として生まれ変わるものだと感じた。豊かな思い出は、死の刹那にまで影響を及ぼし、俺に感謝の念と笑顔を与えてくれると思った。だから、死後硬直の始まっている刹那に走馬灯で見た映像が心豊かなものであれば、笑顔であの世へ逝ける。一方で、そうでない場合の死に顔は苦渋に満ちた表情であの世へ逝くことになると感じた。


 ひと通り、走馬灯を見終わると、天からもっとまばゆい光が差してきた。すると、俺を心から大切にしてくれる人々の顔が天井に映し出された。母の顔や父の顔、兄、爺ちゃんや婆ちゃん、叔母、仲間たち皆の顔。そして、みんなの顔の中央には、とても大きな母の顔が映し出された。


 2度の心肺停止と臨死体験の最後に、今まで体験したこともない途轍トテツもない淋しさを味わわされた。俺がこのまま死んだら、いつかきっと、みんなに忘れ去られてしまうのだと思うと、表現しようのない途轍もないむなしさを味わわされた。この心情を本当の意味での「未練」というのだと思った。


 2度の臨死体験とも「俺が生きてきた人生がまるで夢のようだった」かのような心情になったことをはっきりと覚えている。「今まで生きてきた人生が幻だった。」という心境になるのだ。


 そして最後に、母の顔に向かって、


「母ちゃん、母ちゃん、死にたくないよ。死にたくない。母ちゃん、助けて!母ちゃん、母ちゃん、俺が死んでも母ちゃんの肩にいるから毎日話しかけて下さい。何の反応もないだろうけれど、毎日、話しかけて下さい、でも母ちゃん、母ちゃん、死にたくないよお、助けて!母ちゃん、助けて!」


 と叫んだあと、突然、真っ黒な暗闇になり「俺」という意識や記憶や感覚がなくなった。その後の記憶は何もないのだ。まるでテレビの画面がプツンと消えたように意識や感覚が無くなってしまった。そうなった瞬間だけは覚えているのだが、その後は何も記憶がないし、何も意識がない。後で思ったが、これが「死後の世界」だと確信した。


 それから3~4分して、蘇生するのだが、突然真っ黒な暗闇の世界での記憶は全く覚えていない。2度目の臨死体験の後も暗闇の世界だった。突然、暗闇になったのは覚えているが、その後のことは何も覚えていない。つまり、死後の世界とは「私」という意識や記憶、感覚のない「無」の世界なのだと悟った。


 一度目の心肺停止と臨死体験と死後の体験の後、私は4分半頃に息を吹き返して蘇生した。二度目の心肺停止と臨死体験と死後の体験の後、俺は3分半頃に蘇生した。俺は蘇生したが、臨死体験後の死後の世界のことは何も覚えてはいないし、「俺」という意識も感覚も覚えていなかった。つまり、「無」の世界の住人になったのだと自分に言い聞かせた。これが本当の「死」なんだと。



本章に書かれてある内容に、意義や大切さを感じましたら、お友達やご友人、知人、先輩、後輩の方々にご紹介下されば幸いです。

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 筆者は、少年期の酷いいじめの経験と青年期の二度の心肺停止と臨死体験と死後の世界を経験しました。世界で起きている侵略戦争に対して、強い憤りの念をもつ筆者が、せめて異世界の小説の中だけは、侵略戦争を食い止め、勧善懲悪を貫き通す武士道精神をもった薩摩武士の生き様を描きたいという強い思い入れがあり、せめて異世界ものの小説は絶対的な「善」が存在し、絶対的な「悪」を懲らしめるといったストーリーを軸足に据え、筆者の実体験を基にしながら、主人公が数々の危機を乗り越えながら予定調和的な結末に落ち着くことで、現在起こっている侵略戦争に対するアンチテーゼを提案したいと考えています。 #男主人公 #超能力 #侵略戦争 #臨死体験 #心肺停止 #薩摩示現流 #コスモサイコキネシス #勧善懲悪 #ロマンス #心理学 #大量虐殺 #武士道精神 #命の尊さ #転移 #薩摩隼人
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