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29―1 晶人の日記Ⅶ 絶望的な荒野を生き抜くための考え方

 ソフィアが今夜も、俺が過去に書いた日記が読みたいと申し出てきたため、ソフィアに日記を読ませた。ソフィアに俺が書いた日記を毎晩、寝る前に読ませるのは習慣になってきたようだ。ソフィアは賢い。何かを学ぶために読みたいのだろう。俺の日記がソフィアのためになるのなら読ませてあげたいと思う。


 だが、俺は今までソフィアに内緒にしてきたことがあった。それは、俺の病気のことだった。でも、いつかソフィアには正直に話すつもりでいた。ただ、言葉では伝えることができなかった。だから、誤解を恐れず敢えてソフィアに俺の病気に関する日記を読ませることにした。


「ソフィア、じゃあ、今夜はここのページを読んでね。」


「はい、分かりました。」


 そう言って、ソフィアは俺が書いた日記を読み始めた。





-絶望的な荒野を生き抜くための考え方-


 生きていくにはあまりにも生きづらい社会になってしまいましたね。私は膨大な量の仕事と、しかも、質の高い仕事を任されているうちに、体に異変が起こりました。手足の先がしびれたり、朝、起きられなくなったり、廊下を歩いているときに左側に寄り過ぎて真っすぐ歩けなくなったり、唇の周りがしびれたりするという前兆が3年程続きました。


 それでも、責任感の壁と闘いながら、カウンセリングの仕事と教師たちへの講義と全国初となる無料版の子供の学校適応感を調べる心理システム「学校楽たのしぃーと」を開発しました。全国初の偉業でした。今でも、鹿児島県は小学校1年生から高校3年生までが「学校楽たのしぃーと」を受けて、不登校や暴力事件、いじめなどの未然防止に役立てています。


 しかし、私の体はボロボロでした。ボロ雑巾のようでした。体は鉛のように重く、様々な病院で検査を受けましたが、異常はありませんでした。心が病んでいるのではないかという両親の勧めで、心療内科で診察をしたところ、ストレス障害でした。でも、肝心な脳のMRI検査をしなかったのです。これが致命的でした。首の後ろを通る右椎骨動脈は、動脈ですから周囲の血管よりは太いのです。それが、職場でのストレスと過労によって、血管が徐々に切り裂かれていた状態が始まっていたのです。


 ついに、右椎骨動脈は破裂しました。生死を彷徨いました。延髄は心臓と肺を動かしているところなので、心肺停止となり、臨死体験を経験しました。まばゆい光が天から降ってきます。走馬灯の映像を見ます。どれも楽しい豊かな思い出ばかりです。その映像の3m上から自分が自分を見ているのです。声を掛けようとしたり、さわろうとしたりしてもできませんでした。私の走馬灯は、豊かな思い出ばかりでした。楽しいシーンばかりでした。そして、最後に、眩い光の中から、母の顔がその中心に大きく映し出されます。父と兄、妻、4人の子供たち、ぼっけもんずの仲間たちの顔、親戚の顔が浮かんでは消えていくのです。


 心の中で叫びました。「死にたくない、死にたくない、母ちゃん、死にたくないよ。」これまで味わったことのない絶望的な淋しさや孤独感を味わいました。とてもつない淋しさと孤独感です。私が今まで生きていたことが、私のかけがえのない大切な人たちの記憶から徐々に忘れ去られていくという現実を想起すると、心の奥から湧き出してくる猛烈な淋しさを味わいました。




-死後の世界の「無」の記憶と中枢性疼痛という難病の発症-


 その後の記憶はありません。一切、ありません。その2分後にAEDで生き返るのですが、私と言う意識はなくなり、何も覚えていないのです。意識がないので私が私であることさえ記憶に留めておくことが不可能なのです。つまり、「無」の世界です。読者の皆さんは、生まれてくる前の記憶がありますか?私はありません。つまり、人間は、誕生する前の世界と死後の世界を、「ほら、ごらんないさい。これが死後の世界ですよ。」と実態を示して説明することができないのです。つまり、誕生と死は、「無」の世界から降り立ってきて、「無」の世界に戻っていくとしか言いようがないのです、私の場合は。私のこの体験は、普遍性があるとは思っていません。人によって違うのかもしれません。ただし、誰も証明できないのです。


 延髄梗塞後、中枢性疼痛という難病を発症しました。右顔面は複数の包丁で切り刻まれ、左下肢はガスバーナーで燃やされるという、知覚異常と温痛覚異常という障害が残りました。痛いという言葉では、片付かないのです。右目の眼球も切り刻まれるとしか言いようがない。天気や気圧や湿度に大きな影響を受けるため、痛みの激しい時は、手ぬぐいを歯で噛みながら、医療用ベッドで横になります。


 右喉に嚥下障害があり、嘔吐物が右肺に入り込み急性肺炎で死にかけたこともあり、医療用ベッドを起こして、角度をつけなければ、肺に唾液が入り込むのです。中枢性疼痛になった有名な女流作家さんは、「顔面と脚を斧で切り落としてほしい!」と泣き叫んだ経験があるという記事を読みました。まさに、そんな感じです。


 台風が来たり、低気圧が来たりすると、激しい痛みの生き地獄の中を耐え続けます。すると、心のエネルギーを使い果たして、心のバッテリーは空っぽになるのです。精神医学では、心のバッテリーのことを「心的エネルギーの法則」といいます。したがって、うつ病や双極性障害、適応障害、統合失調症、パニック障害、人格性障害の人たちは、とてつもない悩みに心のバッテリーを吸い取られてしまうため、気力が湧いてこないのです。つまり、その原因は、とても強いストレスを長期間にわたって受け続けてきたからです。そして、脳の神経細胞にダメージを受けているのです、私自身もそうです。


 毎日私が服用している薬の量は30種類に及ぶのです。延髄梗塞の再発を防ぐ薬と中枢性疼痛を少しでも和らげる薬と外因性うつ病によって吸い取られる心的エネルギーを補充するための薬を飲みます。また、かなり強い睡眠薬を複数服用しなくてはなりません。寝ているときだけ、中枢性疼痛を感じないからです。強い睡眠薬によって、脳を強制終了させるのです。


 薬の内容を紹介するのは割愛させてください。精神的にしんどいので。


 絶望が長く続いた人間は、「この現実を生きるのはあまりにも辛すぎる。もう死ぬしか方法が見つからない。」と思うのは正常な反応なんです。


 手前味噌な話で恐縮ですが、大学院で心理学をかじった者として読者の皆さんに、知識を還元する使命感があります。精神医学や臨床心理学、とりわけカウンセリング理論と演習、認知心理学のゼミはみっちり学んだつもりです。


 その立場に立って伝えたいのは、もはやこのような状態になると、人間は視野狭窄に陥り、希死念慮の渦の中にのみ込まれて、その遠心力から長期間逃れられない状態像に陥ります。そうなると、「死にたい」と思うのは正常な反応なんですよ。


 一般的・社会的に健常な人の視座で考えると、「死にたい」と思うのはタブー視されがちであり、また、「そんなことを言うな」となりますが、そうじゃないんです。うつ病や双極性障害、適応障害、全般性不安障害、統合失調症、人格性障害、パニック障害など心の病気を抱えた人は経験があると思うんです。そのような病気の状態に追い込まれるほど強いストレスを、辛く悲しい苦悩を、耐え難い苦しみを長期間味わわされると、「この現実を生きるのはあまりにも辛すぎる。もう死ぬしか方法が見つからない。」と思うのは正常な反応なんです。逆に、耐え難いと思えるほどのストレスを長期間にわたって味わわされて、ヘラヘラ笑ったり、ニコニコしてキャンプに出掛けたりする方が、私に言わせれば危ないんです。


 何を言いたいのかというと、「死にたい」というのは、それほどの強い強烈なストレスに苛まれて、言葉では表現しがたいほどの苦しみと悲しみを味わった果てに出てくる言葉なんです。もちろん、心の底から「死にたい」と願い人なんかいません。「死にたい」という言葉は社会的に一般化された言葉であるがゆえに、私自身も心の中で「死にたい」とつぶやきますが、本質はそうではない。


 「死にたい」の本質は、それほどまでに「生きてゆくのがあまりにも辛すぎる、苦しすぎる」という気持ちなんです。だから、以前のブログでも書きましたが、そういう想いを抱いて毎日の生活を過ごしている人には、共感的に肯定的にその人の本音を聴いてあげなきゃならないんです。そこに、一般常識を持ち出して、「そんな風に考えちゃダメ」とか「でもね、それは〇〇〇」なんて言葉は一切口に出してはいけません。


 そして、肝心なことはつながりなんです。そういう想いを抱いている人と繋がっていなければならないんです。SNSは仮想空間の世界だとかぬかす人がいますが、アホか!を言いたい。SNSは現実世界なんですよ。現実に繋がっているからこそ、人の言葉で喜怒哀楽を感じたり、承認欲求が満たされたり、自己肯定感が高まったり、共有できたという意識が芽生えるんです。何も、育まれるのは自己肯定感だけじゃないんです。自己存在感や自尊感情も育まれていきます。また、人と人との認め合いによって、他者肯定感を与える存在に自分自身がなり得るんです。


 言葉には、人に生きる気力を与える作用と、人から生きる気力を削ぐ作用があります。だから、決して誹謗中傷はダメなんです。肝心なことは、「あなたのことを見ているからね、味方だからね」というあたたかいまなざしと繋がりなんです。繋がりは絆です。あたたかい血の通った絆なんです。そして、何よりそうやって築き上げていく「仲間」づくりなんです。


 実際に会ったことがないから、実際に話したことがないから、実際にどんな人か分からないから・・・

 こういう考え方は大人として成熟しているとは言えません。


 自分の涙の重力の分からない人には、他者の涙の重力なんで分かるわけがない。

 一方で、自分の涙の重力が分かる人には、他者の涙の重力が伝わってくる。


 人は、自分の全てを一切否定せず、肯定的に共感しながら話を聴いてくれる人にこそ心を開く存在なんです。


 人って、そんなに強い存在じゃありません。支え合ってこその人です。人は人との豊かな相互作用によってこそ、生きていく希望を見出す存在なんです。


 だから、繋がりましょう・・・、繋がっていましょう。


 絶望的な荒野を生き抜くためには繋がりが必要なんです。繋がりさえあれば、絶望的なところから再出発することができる。途中で、スタート地点に戻ったとしても、繋がりさえあれば何度だって再出発することができると確信します。




「ウ、ウ、ウエエエーン!ウエエエーン!ウエエエーン!」


「ソフィア、今までずっと内緒にしてごめんよ。」


「ソフィアには伝えたかったんだけど、無理だった、できなかった。だから、日記で伝えた。辛い思いをさせてごめんよ。」


 するとソフィアは、泣いたままの状態で私を抱きしめ、頭と背中をゆっくりとゆっくりとさすってくれた。何も言わず、ずっと俺を泣いたままの状態で抱きしめてくれた。俺はそれが嬉しかった。


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 筆者は、少年期の酷いいじめの経験と青年期の二度の心肺停止と臨死体験と死後の世界を経験しました。世界で起きている侵略戦争に対して、強い憤りの念をもつ筆者が、せめて異世界の小説の中だけは、侵略戦争を食い止め、勧善懲悪を貫き通す武士道精神をもった薩摩武士の生き様を描きたいという強い思い入れがあり、せめて異世界ものの小説は絶対的な「善」が存在し、絶対的な「悪」を懲らしめるといったストーリーを軸足に据え、筆者の実体験を基にしながら、主人公が数々の危機を乗り越えながら予定調和的な結末に落ち着くことで、現在起こっている侵略戦争に対するアンチテーゼを提案したいと考えています。 #男主人公 #超能力 #侵略戦争 #臨死体験 #心肺停止 #薩摩示現流 #コスモサイコキネシス #勧善懲悪 #ロマンス #心理学 #大量虐殺 #武士道精神 #命の尊さ #転移 #薩摩隼人
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