10000人レース ー54
「ネコババに1票」
「ポッケナイナイに1票」
「この世界の法律なんてあってないようなものだし、魔法袋の以前の持ち主の荷物もあるけど、この世界を知る手がかりは多い方がいいし貰ってしまおう」
祐也の言葉に彩乃が尋ねる。
「法律がないの?」
「あるよ。女神の基礎知識によると、法律はあるけど権力次第で有罪にも無罪にもなる微妙なものだから。極端な話、貴族が平民を殺しても罪にはならないし、貴族は平民に対して人権なんて配慮はほぼしない」
「だったら、自衛は大事よね。きちんと届けたりすると下手をすれば冤罪をかけられて、というパターンもあると思うし。私の友達が拾った財布を届けたら内のお金を抜き取っただろう、って相手からイチャモンをつけられて。日本でもそういうことがあるし、なおさらね」
3人による3人のための満場一致でこっそり着服することを決定をすると、3人はいそいそと魔法袋に木箱や樽などを入れる。
「中身は何かしら? 本とかあれば嬉しいわ」
「ドームホームに帰ってからゆっくりと調べようぜ」
「きっと森の結界の外で、これらの所有者たぶん盗賊か密輸業者か、まぁ、まともな人間の隠し財産ってことは100パーセントないだろうから、苛立って癇癪を起こしているだろうな」
洞窟内に置かれていたマントには血がこびりついていた。武器と、破かれた女性の衣服も。
「酒盛り中に何をしていたのか想像がつくだけに、レース後を考えると暗鬱になるよ」
「まぁね、でも日本だって良い人間もいれば悪い人間もいたもの。逆にどちらかしかいない世界なんて、ちょっと怖いわよ。私たちは千人いれば千人が少しずつ違う思想を持つ世界で育ったのだから」
「とにかくさ、ここにいた盗賊じゃない人が森から排出されたことによって、助かってくれていればいいなぁ、と俺は思うよ」
「「同感」」
「この後は滝壺に潜るだろう?」
しんみりとした空気を振り払うように高広は明るい声を出して、レインコートを脱いだ。これから水に入るのだからもう必要はない。陽気に話題を変える。
「今晩はスペアリブだって理々が言っていたから楽しみ。早く滝壺を片付けてドームホームに帰ろうぜ」
「理々のスペアリブは玉ねぎとじゃがいもを一緒に煮込むから、それが絶品なのよね。玉ねぎもじゃがいもも柔らかくて味がしみこんで美味しくて」
「日本にいた時に食べた理々のスペアリブも極上品だったけど、きっと今夜のスペアリブはもっともっと旨いはず」
彩乃と高広が手を取り合い、期待に胸を膨らませた。気持ちはスペアリブに一直線である。基礎代謝が高いお年頃、つまり食欲旺盛な16歳の高広と彩乃と祐也は、理々の美味しい料理に首ったけなのだ。
ふふふ、と彩乃が思い出し笑いをする。
「理々にクッキーを教えてもらった時のこと、覚えている?」
「あれはショックだった」
「忘れられないよ」
「悲惨だったわよね。1回目は岩のようにガチガチに固く焼けちゃって」
「だから食べやすくしようと理々にナイショでバターを多めにしたら、俺のクッキーはオーブンから出したらドロドロに溶けていて」
「僕のクッキーはダークマターみたいウニョっとしていた。異次元トリップした潰れたスライムみたいだった」
「私のクッキーはほぼ消失していたわ。主成分をバター80パーセントにしたのが失敗だったわ」
「「「理々がいなくて3人だけだったら、この世界でメシマズの呪いで泣いていた」」」
一致する意見に3人は大きく頷いたのだった。
滝壺の底から見上げる水面は、太陽が砕けて硝子の破片のようにキラキラと輝いていた。森の木漏れ日のような光の帯が幾筋も水中を、オーロラみたいにユラユラと揺らめいている。
祐也と高広と彩乃の3人は透明な水の美しさに感嘆の息をもらし、毬藻のようにトプンと沈んでゆるやかに泳いでいた。
背後からの気配に真っ先に気づいたのは高広だった。
高広は振返様に剣を繰り出す。反動のついた斬撃は1メートルはある大きな魚の腹部にたたきこまれた。少し遅れて祐也と彩乃の槍が違う怪魚に突き刺さった。
3人の頭上に、水面からの光を遮って影が落ちる。
新たな怪魚が牙を剥いて襲いかかってきた。
祐也が魔法を発動させ、頭部を打つ。ドン! ドン! ドン! 破裂するように怪魚が粉々になった。
高広の剣が、別の怪魚を貫き引き裂く。
彩乃も魔法と槍で怪魚に応戦する。
3人は怪魚の群れに囲まれたが、お互いの背中を守り合う陣をとり、1匹残らず殲滅したのだった。
「疲れた」
濡れた身体で川岸にあがり、3人は着ていたジャージを絞る。
彩乃は髪を拭きながら、以前から疑問に思っていたことを祐也に尋ねた。
「ねぇ、祐也。どうして理々はスライムちゃんや水蒸気ちゃんに名前をつけないの?」
彩乃が問うと、祐也は手で顔の水を拭って苦笑をもらした。
「理々は万が一を考えているみたいだよ。小説とかであるだろう、名前に縛られる、みたいな事が。名前の候補を教えてくれたけど、レースが終わるまではつけないと決めているんだよ、理々は。もし自分が死んで名前が邪魔になれば従魔たちが困るかも、て」
祐也の声は氷のように冷たい。
口は弧を描いて、双眸は細められていても、目の奥は少しも笑っていない。
「僕が理々を死なすなんて、そんなこと許すはずはないのにね」
理々は過去2回も、祐也の目の前で殺されかけた。
1回目は叔父に首を絞められて。
2回目は川の底で魔物に腹を裂かれて。
「3回目はない、絶対に。理々の安全のために従魔の存在も腹立たしいが目をつぶったし、僕も死に物狂いでレベルアップしているんだから」
冷気を纏う祐也の肩に手を置いて、高広が朗らかな声を発した。
「スペアリブを食べたいから早く帰ろうぜ」
高広は気配や殺気には鋭く反応をするが、それ以外には無神経である。例外は彩乃だけで、彩乃に対しては機敏にアンテナを立てるが、祐也の機嫌と食欲ならば食欲が勝つ。
「理々の絶品スペアリブが俺を待っている!」
快活な高広に祐也は肩の力を抜いて笑った。
「そうだな。理々が帰りを待ってくれている」
祐也は、水の匂いがする澄んだ空気を胸いっぱいに吸った。ゆっくりと身体に沁み込む。
「早く帰ろう」
ただいま、と言うと理々が、おかえりなさい、と言ってくれるドームホームに。
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