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理(ことわり)を綴り直す無能  作者: 最後に残った形
後日談

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第1章 第4話:理(ことわり)のいらない空


 アイギスの街から「奇跡」が消えて、五年の月日が流れた。

 かつて管理局の塔が天を突いていた場所には、今では巨大な風車が並び、不格好ながらも力強く、街に新しいエネルギーを送っている。


「カイルさん、この揚水ポンプ、また機嫌が悪くてね。見てくれないか」

「ああ、すぐ行くよ。……これはバルブの噛み合わせが甘いだけだ。魔法なら一瞬だが、油を差すには少し手間がかかるぞ」


 カイル・ヴァン・クロムウェルは、使い込まれた工具箱を手に、近隣住民に笑顔で応えていた。

 彼の指先には、かつてのロゴスを描いた神威の残滓など微塵もない。代わりに、固くなったタコと、落ちない機械油の汚れが、彼がこの五年、一歩一歩「人間」として歩んできた証を刻んでいた。


 仕事を終え、カイルが家に戻ると、そこにはすっかり背の伸びたリナがいた。

 彼女は今、街に新設された工学学院に通っている。机の上には、魔法の呪文ではなく、複雑な歯車の設計図が広げられていた。


「パパ、見て。この計算なら、魔法を使わなくても水を高いところまで運べるはずなの」

「……素晴らしいな。パパが昔使っていたことわりよりも、ずっと緻密で、美しい数式だ」


 カイルはリナの頭を優しく撫でた。

 かつて、この子の魔力を守るために世界を敵に回した。だが今、リナは自らの知恵と努力で、自らの足元を照らす術を手に入れている。魔法という「全能の毒」を、この子に継がせずに済んだ。その事実だけで、カイルの戦いは報われていた。


 その日の夕暮れ。

 カイルは、街外れの丘の上に立っていた。

 そこには、長らく空室だった二〇四号室の住人……レイスが待っていた。


「……やはり、ここに来ましたか。記録官としての私の最後の一行には、この景色が必要だと思っていました」


 レイスは手に持っていた古い革の手帳を閉じた。

 その表紙には、『ことわりを綴り直す無能・完結録』と記されている。


「レイス。……街を去るのか」


「ええ。アイギスの記録は完了しました。人々はもう、過去の魔法を懐かしむのをやめ、不自由な現実を愛し始めている。……私が監視し、記録すべき『バグ』は、もうこの街には存在しません」


 レイスはカイルの横に並び、沈みゆく太陽を見つめた。

 「カイルさん。……あなたは今、幸せですか?」


 カイルは少しだけ考え、それから晴れやかに笑った。

「ああ。指先は痛むし、税金は高いし、腰も少し重い。……だが、最高に幸せだよ。魔法で書き換える必要のない、本物の毎日だからね」


「……左様ですか」

 レイスは満足げに頷き、帽子を深く被り直した。

「記録には、こう記しておきましょう。『一人の無能な男が、世界を救い、そして世界から忘れ去られた。彼は今、どこにでもいる幸せな父親として、静かにその生涯を綴っている』……と」


 レイスの影が、黄金色の坂道の向こうへ消えていく。

 カイルは、彼の去った後の空を仰いだ。

 そこには、何の数式も、因果の歪みもない、ただの澄み渡った空が広がっていた。


「……さて、帰ろうか」


 カイルは工具箱を揺らし、家路につく。

 ドアを開ければ、エレンの「おかえりなさい」が待っている。

 ことわりのいらない、愛おしい不完全な世界。


 彼が綴った物語の、これが本当の、最後の一行。


(後日談・完)

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