第5話 聖女レイナ4歳編 笑い蘭と魔法の子守唄
レイナが4歳になった春、小さな王国に新しい風が吹き始めた。
それは花びらの香りと、子供の笑い声を運ぶ、優しい風だった。
王城の温室では、トーマスが額に汗を光らせながら、珍しい蘭の世話をしていた。
かつての農夫の手は、今では王立温室の責任者として、土を慈しむように扱っていた。
「パパ、これなあに?」
突然、金色の巻き毛が揺れ、レイナが温室に現れた。
彼女の後ろには、いつものように侍女が2人、息を切らして追いかけてきた。
「レイナ様、お昼寝の時間ですよ!」
「でも、お花が呼んでたんだもん」
トーマスは笑いながら、娘を抱き上げた。
「これはね、遠い南の国から来た『笑い蘭』って言うんだ。触ると、くすぐったい香りがするよ」
レイナは慎重に指を伸ばし、淡い紫色の花びらに触れた。
その瞬間、蘭は微かに震え、ほんのり甘くスパイシーな香りを放った。
そして驚くべきことに、温室中の花が一斉に咲き誇り、色とりどりの花びらが舞い上がった。
「わあ! お花たち、ダンスしてる!」
侍女たちは呆然とし、トーマスは目を丸くした。
「え? こんなこと、今まで一度も……」
実はトーマスも知らなかったのだ。
この蘭は子供の純粋な笑い声に反応して、周りの花を咲かせる力を持っていたのだ。
一方、王城の東棟では、エラが侍女たちに新しい刺繍の技法を教えていた。
彼女の指先から生まれる模様は、かつて田舎で培った素朴な美しさと、王城で学んだ優雅さが見事に調和していた。
「ママ!」
レイナが温室から駆け出し、エラのスカートにしがみついた。
彼女の小さな手には、色とりどりの花びらが握られていた。
頭の上には、トーマスが飾った小さな花の冠が、少し斜めになって乗っている。
「見て! パパがくれた!」
エラは娘を抱き上げ、花びらで彼女の髪をもっと飾った。
「きれいね。でもレイナ、お昼寝の時間よ」
「でも、レイナ、眠くないもん。ねえ、お話して!」
こうして、レイナを膝の上に座らせ、エラの「お昼寝拒否対策」が始まった。
彼女が語るのは、かつて田舎で聞いた昔話や、自分で作り出したおとぎ話だった。
今日の話は「踊るナスビと歌うトマト」という、野菜たちが夜中にパーティーを開くというもの。
「……そしてトマトが『私は真っ赤で恥ずかしいわ!』と言うと、ナスビが『でも僕は紫色でクールだぜ!』と返したの」
レイナはクスクス笑った。
不思議なことに、エラの話を聞いていると、レイナは必ず10分で眠りについた。
侍女の一人が小声で言った。
「エラ様の魔法の子守唄、今日も効きましたね」
エラは微笑みながら、眠る娘を見下ろした。
「魔法なんかじゃないわ。ただ……彼女が好きな話をしているだけ」
しかし、侍女たちは知っていた。
エラの物語には、本当に何か特別なものがあることを。
王城の誰もが、レイナをあんなに早く眠らせることはできなかった。
ある夕方、トーマスが温室の片付けを終えて東棟にやってくると、エラがレイナの寝室の前で待っていた。
「また、物語で寝かしつけたの?」
トーマスが尋ねた。
エラはうなずき、ドアの隙間から眠る娘を見つめた。
「彼女が生まれた日、私は誓ったの。この子には、魔法のような毎日をあげようって」
トーマスは妻の手を握った。
「君の物語が本当に魔法みたいなんだよ。私だって、聞いていたら眠くなってくるから」
「それはただの退屈な話ってことじゃない?」
エラはいたずらっぽく笑った。
「違うよ! だって昨日の『迷子の子ウサギ』の話、聞きながら温室でうたた寝しちゃって、水やり忘れちゃったんだから」
2人は静かに笑い合った。
その夜、トーマスは温室に戻り、笑い蘭の前に立った。
「君も魔法を持ってるみたいだな。うちの娘を笑わせて、花を咲かせてくれてありがとう」
すると蘭は微かに揺れ、またあの甘くスパイシーな香りを放った。
まるで「どういたしまして」と言っているようだった。
次の日、レイナはまた温室にやってきて、トーマスに言った。
「パパ、今日はママに、笑い蘭がパパとおしゃべりするお話をしてもらうね!」
トーマスは目を丸くした。
「え? それ、どうやって知ったの?」
「蘭さんが教えてくれたんだよ。夢の中でね!」
レイナはそう言うと、また笑い蘭に触れ、温室中を花びらでいっぱいにした。
侍女たちはあきれながらも笑い、トーマスは頭をかきながらエラを見た。
「どうやら、うちの家族には魔法がいっぱいあるみたいだ」
エラは微笑んで答えた。
「魔法なんかじゃないわ。ただ……愛がいっぱいなだけよ」
そして王国中に、また新しい笑い声が響き渡ったのであった。




