第36話 レイナ12歳編 呼び名の大事件
レイナが12歳になった春の朝、城の広間はいつも以上に緊張感に包まれていた。
「陛下、おはようございます」
レイナは金色の巻き毛を整え、玉座に向かって完璧な礼儀作法で挨拶をした。
アルドリック王は持っていた書類を落としそうになった。
「な、なんだって?『陛下』だと?」
「はい、陛下」
レイナは真剣な表情で言った。
「私はもう12歳です。立派な年齢ですから、正式な呼び方をするべきだと思いました。ママは『お母さん』、パパは『お父さん』に変えました。ですから、王様も『陛下』と呼ぶのが適切だと……」
「待て待て待て!」
王は慌てて立ち上がり、レイナの前に歩み寄った。
「レイナよ、お前はわしにとって孫娘のように思っている。『おじいちゃん王様』でいい。いや、むしろそれ以外の呼び方では困る!」
その時、ちょうど広間に入ってきたエラとトーマスが、陛下とレイナの対決を目撃した。
「あらまあ」
エラは手を顔に当てた。
「レイナ、昨日からずっと『お母さん』『お父さん』って呼ばれて、なんだか変な感じだったのよ」
トーマスは苦笑いしながら言った。
「確かに、『パパ』って呼ばれる方が自然だな」
レイナは首をかしげた。
「でも、私はもう子供じゃありません。聖女としての自覚を持たなければ……」
「自覚は別のところで持て!」
王は思わず声を荒げたが、すぐにトーンを下げた。
「つまりな、レイナ。お前がどんなに成長しても、わしにとってはいつまでも可愛い孫娘だと思っている。『おじいちゃん王様』と呼んでくれるだけで、わしは十分幸せなんだよ」
その言葉に、レイナの決意が少し揺らぎ始めた。
「でも……でも……」
「何か問題でも?」
ローレンス騎士団長が現れ、状況を把握しようとした。
「ああ、ローレンスよ、ちょうど良かった」
王は騎士団長を呼び寄せた。
「レイナがわしを『陛下』と呼び始めようとしている。どう思う?」
ローレンスは一瞬考え込み、厳格な表情で言った。
「レイナ様の成長は喜ばしいことですが……私個人としては、『おじいちゃん王様』と呼ばれる陛下の方が、何倍も柔和でいらっしゃいます」
「ほら見ろ!」
王は勝利の表情を浮かべた。
その時、厨房から料理長が走ってきた。
「大変です!レイナ様が『おじいちゃん王様』と呼ぶのをやめたと聞いて、厨房がパニックです!」
「え?どうして?」
レイナは驚いた。
「だって、レイナ様が『おじいちゃん王様』と呼ぶとき、陛下は必ずご機嫌になられます。陛下がご機嫌だと、新しい料理の予算が通りやすく、厨房の設備更新も……あっ!」
料理長は口を押さえたが、もう遅かった。
王は目を細めた。
「なるほど、そういうことか」
「違います!違いますよ陛下!」
料理長は慌てて否定した。
「ただ……ただ、レイナ様のあの呼び方には、城全体を幸せにする魔法があるんです!」
その言葉に、レイナはハッとした。
「魔法……?」
「そうだよ、レイナ」
エラが娘の肩に手を置いた。
「あなたが『おじいちゃん王様』って呼ぶとき、陛下は本当に嬉しそうな顔をするの。それを見て、城のみんなも自然に笑顔になるのよ」
トーマスも頷いた。
「『パパ』って呼ばれると、父としての責任を改めて感じるんだ。『お父さん』だと、なんだか距離を感じちゃって……」
レイナは周囲を見回した。
広間には、いつの間にか廷臣や使用人たちが集まっていた。
皆、心配そうな表情でレイナを見つめている。
老庭師が前に出て言った。
「レイナ様……わたくしめは、毎週水曜のお茶会で、レイナ様が『おじいちゃん王様』と笑いながら走り回る話をいつもしています。それが、わたくしめたちの最高の楽しみなんです」
若い侍女も勇気を出して言った。
「私も……レイナ様が『おじいちゃん王様』って甘える声を聞くと、故郷の妹を思い出して、ほっこりするんです」
レイナの目に涙が浮かんだ。
「みんな……私の呼び方で、そんなに……」
王はレイナの前にしゃがみ込み、レイナの目を真っ直ぐ見つめた。
「レイナよ、呼び方なんて形式じゃない。お前の心がこもっていれば、それでいいんだ。わしは、お前が心から『おじいちゃん王様』と呼んでくれることが、何よりも嬉しい」
レイナは一瞬沈黙し、そして突然、これまで以上に明るい笑顔を浮かべた。
「わかった!おじいちゃん王様!」
その瞬間、城全体が安堵のため息と笑顔に包まれた。
「よかった……」
料理長は胸を撫で下ろした。
「これで来期のオーブン予算も……」
「聞こえてるぞ」
王は睨みつけたが、目尻の皺は笑っていた。
ローレンス騎士団長が咳払いをした。
「では、これにて一件落着ということで……」
「待って!」
レイナが手を挙げた。
「私は成長したんですから、時と場合によって呼び方を変えてもいいですか?正式な場では『陛下』って呼んで、普段は『おじいちゃん王様』って」
王は考え込むふりをした。
「ふむ……では、テストしてみよう。今からわしに三通りの呼び方をしてみよ」
レイナは背筋を伸ばし、まず厳粛な表情で言った。
「アルドリック陛下、本日の議題についてご審議ください」
「うん、悪くない」
王は満足そうにうなずいた。
次にレイナは、少し甘えた声で言った。
「おじいちゃん王様、今日のおやつはイチゴタルトがいいな」
「よし、これも良し!」
王の顔がほころんだ。
最後にレイナは、いたずらっぽい笑みを浮かべて言った。
「ねえ、じーじ、こっそり厨房からケーキ持ってこようか?」
広間中に爆笑が起こった。
「『じーじ』は初めてだ!」
王も大笑いした。
「でも、これで決まりだな。時と場合に応じて、自由に呼び方を変えていい」
その日から、レイナの呼び方は城の楽しみの一つになった。
公式行事では「陛下」、プライベートの時は「おじいちゃん王様」、いたずらを企てるときは「じーじ」。
それぞれの呼び方に、城の人々はレイナの気分や意図を読み取り、対応を楽しんだ。
レイナが12歳になって学んだことは、成長とは形式を変えることではなく、自分の大切なものを守りながら、新たな責任を担っていくことだった。
そして、成人しても、時折「おじいちゃん王様」と呼びながら、アルドリック王のほほえむ顔を見ることを、何よりも幸せに思うだろう。
エラとトーマスは、レイナが「ママ」「パパ」と呼ぶこともあれば、「お母さん」「お父さん」と呼ぶこともある柔軟な関係を楽しんでいた。
城の庭では花びらが舞い、レイナの笑い声が風に乗って広がっていた。すべてが、ちょうどいい調和で進んでいく春の日だった。




