第12話 聖女レイナ6歳編 文字を育てる聖女
レイナが6歳になったある日、王宮では新たな「難題」が持ち上がっていた。
「そろそろ、レイナ様に読み書きの基礎を……」
宮廷教師のエルバートが、額の汗をぬぐいながら王に進言した。
「聖女たるもの、教養も必要です。しかし、従来の教育法では……」
王も重臣たちも頭を抱えた。
これまで、レイナに文字を教えようとした試みはすべて失敗に終わっていた。
羊皮紙は「つるつるして気持ちいい」と言って頬にすりすりするし、羽ペンは「鳥さんのはね!」と楽しそうに振り回すだけ。
アルファベットの書かれた板を見せれば、指でなぞるより先に「この『O』って、クッキーみたい!」と一口でかじりかねない。
「無理強いして、彼女のその輝きを曇らせてはならぬ」
王は深いため息をついた。
「しかし、知恵は力の友だ。何か方法はないものか……」
その会話を、廊下を偶然通りかかったレイナの母、エラが小耳に挟んだ。
農夫の妻として、またレイナの母親として、ある閃きが彼女の心に灯った。
「そうだ……文字も、種のように育ててみたら?」
次の日、エラは王の許しを得て、宮廷庭園の一角を借りた。
そこに、夫のトーマスと協力して、小さな「魔法の畑」を作り始めた。
数日後、準備が整ったエラは、レイナを庭園に連れて行った。
「レイナ、今日は特別な遊びをしようか」
レイナの目の前には、宮廷庭師の協力で作られた、整然とした小さな区画が広がっていた。
しかし、そこに植えてあるのは野菜や花ではなく、文字の形をした、ふかふかの土の盛り上がりだった。
「わあ! なにこれ?」
レイナが興味津々に近づくと、エラは微笑んで説明した。
「これはね、『文字の種まき遊び』よ。見てごらん」
エラは、『A』の形に盛られた土の溝を指さした。
溝には、アリッサムの種がまかれている。
「ここに、お水をあげてみて。魔法の言葉をかけながらね」
レイナは目を輝かせ、小さなじょうろを持ち、「A! ぜ・ん・ぶ・は・な・が・さ・く?」と自分で考えた歌のような呪文を唱えながら水をかけた。
次の日、レイナが庭園に駆けつけると、『A』の形に沿って、かわいらしいアリッサムの芽が整列して生えていた。
「すごい! 『A』からお花が生えた!」
こうして、遊びは広がった。
『B』の形の区画には、ブルーベリーの低木が植えられ(「Bは、ブルーベリー!」)、『C』の三日月形の土手には、クローバーの種がまかれた(「Cは、クローバー、しあわせ!」)。
文字を覚えるたびに、レイナはその文字で始まるものを探す冒険に出かけた。
『K』を習った日は、キッチンに突進し、コック長に「Kなもの、ください!」とおねだり。
困ったコック長が冷蔵庫を探し回り、ようやく見つけ、差し出したキウイを頬張りながら、「K、きうい、きいろとみどり!おいしい!」と満足げに歌った。
読みの練習には、宮廷魔術師長マルコムが(少し渋い顔をしながら)協力した。
彼は、大きな絵本の文字に触れると、その単語のイメージがほんのり光って浮かび上がる、簡単な「お楽しみ魔法」をかけた。
本のページを開くと、『Sun』(太陽)の文字にレイナが触れた瞬間、ページから小さな金色の光の粒がぽわんと浮かび、ぽかぽかとした温もりさえ感じるのだった。
「S……U……N…… おひさま!」
レイナは声に出して読み、その感触を楽しんだ。
『Rainbow』(虹)のページでは、七色の光がゆらゆらと舞い上がり、レイナは「きれい!」と叫んで手を伸ばした。
マルコムは思わず笑みを漏らし、「これなら魔法の練習にもなる」とつぶやいた。
ある日の午後、レイナは庭園の『M』の区画(ここにはミントが植わっていた)の前で、突然じっと立ち止まった。
そして、マルコムから「借りた」(と主張する)小さな杖のような枝を手に、土の上になにやら書き始めた。
エラがのぞき込むと、そこには、少しゆがんでいて、ところどころ大きさが不揃いだが、確かに『MAMA』という文字が書かれていた。
「ママ!」
レイナが振り返り、満面の笑みを向けた。
エラの目に涙がにじんだ。
「すごいわ、レイナ! とっても上手!」
その噂はたちまち王宮中に広がり、王自らが見に来た。
レイナは得意げに、今度は『KING』と書いてみせた(『G』が反対向きだったが)。
「おじいちゃん王様!」
王は、レイナの頭をそっとなで、胸が熱くなるのを感じた。
次の日、庭園の『P』の区画に、トーマスがこっそりポテトを植えた。
レイナはそれを見つけ、「Pは、パパ、ポテト!」と叫び、今度は『PAPA』と土に書いた。
トーマスは、娘に抱きつかれながら、目尻を拭った。
こうして、レイナの「読み書き」の勉強は、文字を「育て」、言葉を「感じ」、名前を「書く」喜びに満ちた遊びへと変わっていった。
彼女はまだ、長い手紙を書いたり難しい本を読んだりはできない。
でも、大切な人の名前を土に書いたり、絵本から飛び出す光の単語を追いかけたりする中で、文字が単なる記号ではなく、思いを運び、世界とつながる楽しい「おもちゃ」であることを、身をもって学び始めていた。
賢者マルコムは、銀縁の眼鏡をかけ直し、新しい観察記録にペンを走らせた。
「従来の教育理論を覆す事例……楽しみと実感が、最も効果的な学習を促す。むしろ、我々が彼女から学ぶべきことの方が多いのかもしれぬ」
そしてレイナは、今日も庭園で、『R』の形に植わったラベンダーに水をやりながら、自作の歌を歌っていた。
「Rは、ラベンダー、いいかおり。Rは、レイナ、れいんぼー!」
彼女の頭の中では、文字と、花の香りと、雨上がりの虹の色が、ひとつになって踊っていた。
夕暮れ時、エラが迎えに来ると、レイナは走り寄って言った。
「ママ、明日は『LOVE』を植えよう! Lはレモン、Oは……オレンジ! Vは……ヴァイオリン! Eは……えーっと、たまご!」
エラは娘を抱きしめ、「それ、とっても素敵な計画ね」と囁いた。
その計画をこっそり聞いていた庭師たちは、翌朝までに『V』の形の区画にヴァイオリン型のトレリスを設置し、『E』の区画には卵型の石を配置するという、無茶な準備に追われることとなった。
「ヴァイオリン型のトレリスなんて聞いたことないよ……」
「卵型の石なら、鶏舎から丸い石を集めてくるしか……」
二人の庭師の嘆息が、朝もやの中に消えていった。
王国で一番小さな聖女の、学びの物語は、まだまだ始まったばかりだった。
文字は畑で育ち、言葉は光り、名前は愛を運ぶ──そんな魔法のような毎日が、これからも続いていく。




