ミゼン‐アビス2
聖堂都市アビス‐‐カペル王国に住んでいて、この町について知らぬものはないだろう。カペル王国を大きな舞台装置と捉えたとき、アビスでの出来事は、間違いなく、王国、いや、世界において、最も重大な舞台なのだから。
アビスはカペル王国南東の都市の中でも最も大きく、エストーラ領ブリュージュに隣接する最後の大都市でもある。この都市が大都市たる所以、それは、この都市がペアリスにも並ぶかそれを凌ぐ王国財源の中心地であることに由来する。しかもそれは、商業や農業、手工業、芸術などの世俗活動の類ではなく、ほぼ半分を「教会」の収入としている点で、他都市と一線を画している。
何故なら、この都市にはアビス教皇庁と呼ばれる、対立教皇が擁立されているからである。この教皇はカペルの王によって建てられた、本来は正式な教会の指導者ではない存在だったが、カペル王国の信仰活動はすべてこの場所に集約され、さらに、四か国戦争によって得た条約により、世俗世界において黙認されていくことになる。これ等の緻密な計画の結果、カペル王国の信仰はこの場所を中心に活動することとなり、それは裏を返せば、「王国の収入に大いに貢献する宗教的かつ世俗的共同体」が形成されたことになる。カペル王国は本来の信仰の世界から脱し、禁欲から蓄財へ、、寄進から徴税へ、、王国の巨大な財源を獲得することに成功した。
アビスは、カペル王国においては、古い時代の宗教的支配の鎖を断つ一つの転換点であり、世界的にみれば王国による神権支配の始まりである。これは、北方の大国ムスコール大公国の教会が、俗語聖典の編纂による「教会主導」の民衆による信仰の始まりや、教会権力の衰退に伴う、絶対王政下のプロアニアにおける科学信仰や、世俗権力と聖職権力による、信仰を巡る争乱などと同様の、重要な社会正義の転換点である。カペル王国には他地域よりも深い信仰が残っているにも拘らず、教会は国王の徴税代理人の地位に甘んじている。その、歴史的に重要な一つの選択が、アビスという都市に象徴されているのである。
さて、そのようなアビスの見どころといえば、やはり「アビス大聖堂」、即ち、アビス司教座教会であり、アビス教皇庁の教皇が座する、カペル王国の信仰における総本山である。その壮麗さは大聖堂の中でも群を抜いており、その巨大さはカペル王国のどの教会をも凌ぐ。礼拝堂の各所に置かれた七つの聖遺物を神秘的に表現する宗教画の数々は、大学の多くにレプリカが残されているほど知名度が高く、各時代の傑作が集められている。
信仰の中心地であると同時に、カペル文化史の資料館でもあると言える。
また、商業の中心地であるエストーラ領ブリュージュに近いことから、商業も盛んになっており、潤沢な資金はここからも齎される。加えて、道中でみたように幾つかの河川へと中継する地点でもあるため、カペル王国南東部の中継交易都市としての役割も大きいだろう。湾口都市マールシャ―へ続く河川が付近にあることから、東方の商品や海上都市国家、海洋国家アーカテニアからの商品もこの都市に自然と集まっていく。市場の賑わいも大変盛況であり、異国の文化が集うカペル王国東の玄関口となっている。
「まさに、俺たちの信仰の総本山に行くんですね」
バニラは自分達の根幹をなすものに思いを馳せる。カペル王国は魔法と信仰の国であるだけに、アビスという地には特別な意味があるように思われた。
「そうだね、やはりアビスといえば大聖堂だ。あとはね、行ってみるとダンドロ銀行の美術館も見ものだよ」
「あぁ、あそこはいいな。ウネッザの芸術が詰まっている」
「アビスは異文化交流の地でもあるからね。どこであれダンドロ商会にはエキゾチックな絵画があるが、アビスの銀行は所蔵品の数も質も群を抜いている。特に、地図は面白いよ」
モーリスは指を立てて楽しそうに語る。バニラはペアリスのダンドロ商会の建物を思い出す。建物自体もドージェ・ピンクと呼ばれるピンク色をした独特の雰囲気を放っている。彼には無縁の建物であるため、入った経験が無かったが、少なからぬ関心を覚え始めた。
「ダンドロ銀行も行きましょう」
「おう!入館料の準備はしとけよ」
クロ―ヴィスがバニラに肩を回す。ルクスがポケットの中から銀貨を取り出して、弾いて見せる。
「コイン一枚くらい、僕のポケットから出せばいいのさ」
「おっ、太っ腹だな」
クロ―ヴィスの言葉に、ルクスは銀貨を見せびらかしながら笑った。
「これも、高貴なる者の責務だよ」
馬車がゆっくりと減速する。速度の変化に気づいたピンギウが、窓の外を横目に眺めると、東の草原に城壁の影が迫っていた。
「そろそろ、着くみたいですよ」
城壁は白く穢れのない清潔なもので、市壁の中心には巨大な鐘楼が建っている。市壁を囲う草原の波の中には、羊飼いたちと羊の群れが関所に向かって歩んでいく。狭間の隙間から覗く神々の立像は、ほの暗い中でも赤い光を放って輝いている。横切る魔術師は神官の衣装を身に纏い、市の門番も鈴を括りつけた教会付僧兵であった。
旅団の群れは、一つ一つ丁寧な信仰の祈りの後に、一台ずつ入場していく。アビスの町は、拒むものもなく、整然とした佇まいで馬車たちを受け入れていった。




