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番外編(サレナとヴァリエールの国巡り)

私とヴァン君が王都を出てから2週間が経った。どこに向かっているのかと訊けば「国境だ」と言われた。気温が下がり、道がごつごつしてきたことから予想するに、山側に行こうとしているのだろう。


あれ程皆にきつく言われたにも関わらず、ヴァン君の馬の走らせ方はいつも通り上手いと言うべきか、速いと言うべきか。傍から見たら何かから逃げているように見えはしないか。そんな馬の激しさと車輪の衝撃で私は一度御者席から落下しかけた。あの時は本当に肝が冷えた。ヴァン君がすかさず腕を掴んでくれたのと、座席を支える金具を咄嗟に反対の手で掴めたおかげで地面に放り出されることは免れた。


ヴァン君は「車中にいろ」と怖い顔をしたけれど、隣に居たい乙女心を分かって欲しい。それにお客様状態は嫌だ…。私はヴァン君の脇下に隠れるようにポジションを取り直した。ヴァン君が手綱を引きやすいように、身を屈めて彼の胴体にしがみつく。


「これで大丈夫」

「いいから中にいろ」

「くっついていれば寒くないし一石二鳥だね」

「………そうだな」


ヴァン君は何か考えながらも、渋々了承してくれた。それから馬の脚が急激に緩やかになった。


(あ、向かい風が来ない)


文字通り風を切るように進んでいた時に感じていた寒さが軽減される。私はヴァン君の無言の優しさにホコホコと心が温かくなった。


ちなみに、今回は野宿と獣道とは無縁である。




「あ、ヴァン君この街言語が変わったね。ここはどこ?国境あたりなのは分かるけど…」


私は辿り着いた街の看板を眺めて気が付いた。この国の母語クレッシュ語と、隣の国の主言語のタムニ語が混じっている。ヴァン君は「ガザルニだ。一応まだ越境していないが、クレッシュ語が使われているのは看板くらいだと思っておけ。街の言語は殆どタムニ語だ」


タムニ語は隣国の地方言語と言っても過言ではない。ガザルニは領主がおらず、自治領だったはずだ。王都や大きな町から離れているし、隣国の街とのやり取りが主なのだろう。街の向こうの険しい山を越えれば、もう違う国である。街の景色や建物の雰囲気は王都とはかけ離れていて、色んなものが珍しく見える。ここに来たのは、自然や地方色の強いところが好きなヴァン君の意向に違いない。


「タムニ語か…私ちょっとしか分からないけど大丈夫かな」


街の人が珍しそうに私達の方を眺めていく。見慣れない人間は目立つのだろう。言語の壁は中々ハードルが高いけれど、いざとなったら身振り手振りで乗り切るしかない。


一人で気合を入れていると、ヴァン君は荷物を持ってスタスタと歩き出す。私は慌てて後を追った。歩いている内に、私は違和感を覚えた。ヴァン君がどう見ても初めて来た土地を歩く様子ではない。私は彼がガザルニに来たのが初めてではないと確信した。


「着いたぞ」とサラッと連れて来られたのは良く言えば老舗、もうちょっとアレな言い方をすれば崩れそうな宿だった。看板の宿名は文字が経年劣化で剥がれているし、今朝少し降ったのであろう雨が、雨どいからポタポタと漏れている。これは怯む。私は思わず一歩後ずさった。


ヴァン君はそんな私に振り返ると、「着いたぞ」ともう一度言った。私は強張った顔で頷いた。



「わあ…!」


勇気を奮って中に入ると、色鮮やかな薄い幕のようなもので飾られたエントランスに感嘆の声が漏れた。ピカピカに磨かれた調度品、経年のなせる木のツルツルした輝きが素敵な柱や机が目を引いた。ランジット領とは違う異国の情緒が漂っていた。見たことのない模様の織物を見るだけで違う文化を感じる。細く煙を巻いている小さな木が金属の入れ物に入れられて置かれているのを見つけた。王都では嗅いだことのない不思議な匂いがした。


私がキョロキョロとあらゆるものに興味を引かれていると、奥から若い男の人が現れた。お兄さんは「いらっしゃいませ」的なことを言いながら非常に人当たりの良い笑顔を私達に向けた。


すると、彼はヴァン君を見て驚き、親しい人に向ける笑顔でヴァン君に抱き着いた。


(なるほど…ヴァン君のご贔屓の宿なのね)


なんとなくそんな気がしていたが、間違いない。ヴァン君はきっと留学中にここに来ていたのだ。


宿のお兄さんは早口でヴァン君に何かを言っている。恐らく「久しぶりだな!」という類のことを言っているのだろうが、こうなると私はもう着いていけなかった。にこにこのお兄さんと、面倒くさそうな顔のヴァン君を眺めていると、お兄さんはこちらを振り向いた。


お兄さんはヴァン君から離れると、今度は私の手を取った。どうしよう、何か話しかけられているけれど、何て言っているのか分からない。私は困ってヴァン君を見上げた。ヴァン君は背を丸めて私の耳元で「こう言ってやれ」と囁いた。ヴァン君が教えてくれた言葉もよく分からなかったが、そのまま言うしかない。


『汚い手を放せこの野郎』


『!!!!!』


お兄さんは青ざめてバッと私の手を放した。もの凄い顔で私とヴァン君を見比べている。


(何???私何て言ったの?)


もしや、と思いヴァン君を睨むと彼は「よくやった」とにやにや笑っていた。もう!!!





「ヴァリエールのヨメさんなの!」


お兄さんはカタコトながらも、クレッシュ語ができた。私は胸を撫で下ろす。


「ええと、お兄さんは…」

「あ、ごめんネ!この宿のアトトリ息子のネロだよ!」

「……」

「ヴァン君何を笑っているの!」

「いや、何でもない」

『僕のクレッシュ語が変だって言いたいんだろ』

『酷くかわいい話し方になってるぞ』

『ほっとけ!!!』


二人の聞き取れない会話を挟みつつ、私は無事に先の謝罪と私達の事情説明を終えた。新婚旅行中だと聞くと、ネロさんは「ゆっくりしていってネ!」と嬉しそうに言った。ヴァン君は「そのつもりだ」と答え、私達は1週間ほど滞在することになった。



案内された部屋は、広くて日当たりのいい素敵な部屋だった。バスルームや寛ぐための部屋もついており、二人で過ごすには広すぎるくらいだ。寝室の二つ並ぶベッドに掛けられた織物は民族的な模様で、「欲しい」と思った。窓に近寄ると、街の外にそびえる山が見えた。私は王都から遠くにやってきたことを改めて実感した。


「ヴァン君!素敵なところだね!!」

「飯がうまい」

「そっか!楽しみだね!」


浮かれる私の頭をヴァン君はどことなく嬉しそうに撫でた。ヴァン君が嬉しそうで私も嬉しい。





ヴァン君の言う通り、確かに宿のご飯は美味しかった。キノコやお肉がこっくりと煮込まれたシチューが個人的には最高だった。いくらでも食べられる、と料理に夢中になっているとネロさんが私達の様子を見にやって来た。葡萄酒の瓶を机に置き、彼はそのまま私達のテーブルに腰を落ち着け、街のおすすめスポットや特産品等、色んなことを教えてくれた。いつの間にか話題はヴァン君のことになり、私は興味津々でここに滞在中の彼の様子を尋ねた。ヴァン君は我関せずという態度で黙々と料理を食べている。


「ヴァリエールが来たのは三年くらい前だネ。半年くらいいた?」

「どのような様子でした?」

「すごいの!ふらふらふらふらしてネ!アブナイから行っちゃだめだヨ!って言ったのに山にも行っちゃうし!」

(ふ、ふらふら……)

「あんまりふらふらふらふらしてるから、僕オシゴトあげたネ!」

「お、お仕事!?」

「ヴァリエール、言いくるめるのが上手だったから、知り合いのお店屋さんに貸してあげたよ!」


ネロさんの表現が少し変だが、どうやらヴァン君はこの街でお仕事をしていたらしい。何かを取引したり、そういうことだろうか。私はヴァン君の姿を想像して不思議な気持ちになった。



お腹いっぱいになった私達は、街を回るのは明日にしてベッドに転がった。もの凄い量を食べていたヴァン君は相当満足したのだろう。仰向けになってダラダラしている。私はネロさんから聞いて気になったことを尋ねてみた。


「ヴァン君は、この街で何をしていたの?」


ヴァン君は眠たそうに「明日な……」と言うと、そのまま眠ってしまったようだった。いくら丈夫なヴァン君でも、冷える山の空気は寒かろう。私はやれやれと、長い体が収まるように掛け布団をかけた。無防備な寝顔が無性に可愛く思えて、にやにやしてしまう。


窓の外には静寂と暗闇、美しく光る星が佇んでいた。この街に私の知らないヴァン君が居た。明日が待ち遠しく、そっとカーテンを閉めて部屋の明かりを消し、私もベッドに潜り込んだ。




街には隣国と行き来する行商の人々が生活に必要な物を売りに出していた。露店には隣国から入って来た食べ物や織物、器が並ぶ。舗装されていない地面に大きな布を敷いて、ずらりと売り物を並べている光景がとても新鮮で、心が躍る。


「お前…あいつと色々回っていたんじゃないのか」


私が心惹かれるままに歩いて行かないように、私の手を握るとヴァン君は呆れたように言った。あいつとはリュイのことだろうか。


「確かに回っていたけど、毎年一回一か所だし…王都からこんなに離れた街には来たことが無いの。それにもっと大きくて、国にとって主要な拠点を回っていたから。ここは国というより、土地の人々の暮らしをメインにした交易の街でしょう?」


「そうか。ならよく見ておくといい」


ヴァン君は薄く笑った。心なしか、ご機嫌のようだった。



手を繋いで気になるものをアレコレ見ながら、私達は泊っている宿くらい年季の入った建物の前にやって来た。ヴァン君にここは何かと尋ねると、街の役所のようなところとのこと。ヴァン君は何の遠慮も無しに入り口のドアを開けた。


中に居た人々は怪訝な顔をしてこちらを見る。ヴァン君はそんな彼らにお構いなく、『パージはいるか』と尋ねた。返ってきた返事は『山に行ってます』とのことで、ヴァン君の訪問はどうやら空振りに終わったようだった。私達は仕方なく事務所を出る。


「パージさんとは」

「…一緒に仕事をした奴だ。顔を見せてやろうと思ったが」

「山に居るって言ってたよ?」

「そうだな…」


ヴァン君は私の足元をじろりと眺め、後頭部をガリガリと掻きながら「まあいいか」と呟いた。





「ま、待って…」


ゼエゼエと切れる息を吐きながら、私はヴァン君に声をかけた。ヴァン君はくるりと振り返る。


「やっぱりだめか」

「………」



パージさんという人に会うために、私達は山を登っていた。どうやら山の中にも事務所があるらしく、彼はそこに居るとのことだった。ところが道中は急こう配の山道。何とか中間位までは来られたが、私の体力は尽きかけていた。また降りることを考えると絶望的な気持ちになる。ヴァン君は「思ったより歩けたな」と言いながら私の両腕を掴み、そのままくるりと進行方向に向いた。


突然の行動に面食らっていると、ヴァン君はよっこらせと屈んで私をおぶった。ぐんと体を引かれる勢いと、急に高くなった視界に「ひえええ!」と私から情けない声が出た。ヴァン君はそのままザカザカと歩き出す。どうやらこのまま行くつもりらしい。


「重いから!」という私の遠慮は完全に無視された。痩せよう…体力をつけよう…。私はせめてヴァン君が余計な力を使わないようにと、しっかり彼に掴まった。回復したらすぐ降りよう。



「どうしてこんな山奥に事務所があるの?」

「関所を横道からくぐり抜ける奴がいるからな、そういうのを見つけては取り締まっている」


ガザルニの関所には一応兵士と役人が駐在している。そこを避けるということは…。


「検閲で引っかかるものを運ぶ人がいるってこと?」

「まあな。盗品だったり、規制のかかっている物だったり。ああ、一回機密文書の持ち出しを捕まえたことがあるな」

「今何と」



私は耳を疑った。捕まえた?え?ヴァン君が?何をしていたの、商人に貸し出されて取引のお手伝いしていたんじゃないの?



「ヴァン君、昨日も聞いたけど…ヴァン君ここで何してたの?」

「………街に逗留していたら、ネロが職をやろうと言ってきて、無理矢理商人のところに連れて行かれた。そいつが気の弱い奴で客に良いようにやられていたから発破をかけてやった」


ヴァン君の話だと、その商人は薬や香辛料を扱う人だったらしい。仕入れの量を鑑みるとどうしても値が張ってしまうのだが、何とかまけてもらおうと客が色々ごねては安く買っていたそうだ。明らかに商品の価値と釣り合わない売買を見かねたヴァン君は商人にも客にもビシッと言ってやったと言うが…。


「不正取引をしていると役人に突き出すぞと双方に言ったらまともになった」

「……左様ですか」



きっと「こいつならやりかねない。何なら当人から制裁を食らいそうだ」と思ったに違いない。ヴァン君が凄んで何か言うと、何故だか迫力があるのだ。というか非常に怖い。しかし被害を受けていた商人の方にもビシッと言うとは流石と言うべきか何と言うべきか。



「じゃあその後はその商人さんのお手伝いをしていたの?」

「いや…そいつが今後は劣悪な商品がどこからか入ってきて安く売られているらしいと言うから」

「突き止めに行ったんだね…」



確かにお客さん相手に品物を売ったりするよりは、ヴァン君の気乗りのしそうな仕事だ。いや本人仕事だと思っていたかは分からないけど。ヴァン君は山に分け入り、怪しい人間を見つけては役所に連行していたそうだ。パージさんとはそこで知り合い、そのままヴァン君は彼と共に違法に出入りする人間を探すようになったとか。


「ネロは俺がずっと商人のところに行っていたと思っている」

「言ってあげなよ……」

「そう続けるつもりもなかったからな」

「でも半年居たんでしょ?」

「ああ。思ったより長くなったな」

「…楽しかったの?」



ヴァン君は私の問いにしばらく間を置いてから「そうかもな」と答えた。ヴァン君はぶっきらぼうだけど、自分の懐に入れると人一倍大事にする。私は切なくなって胸がぎゅっとなった。ならばどうしてこの街を離れたのだろう。気に入るものが少ない人がせっかく見つけた大事な場所なのに。


「取り締まる必要が無くなった。潮時だと思って街を出た」

「必要が無くなっても別に居ていいんじゃないの?」

「…パージも居ろと言ったが、性に合わん」


難しい人だ。その割にはこうして会いに来る程気に入っていると言うのに。それにしても留学中の二年間、本当に色んなところを放浪していたのだなと感心した。


「もう王都に帰るつもりは無かったし、ひと所に留まる気も無かった」


ヴァン君は真っ直ぐ前を向いて言う。それでも戻ってきてくれたのだ。私の婚約破棄を知って。この気持ちをどうしたらいいだろう。たまらなくヴァン君が愛おしい。もしかしたら二度と会えなかったのかもしれない。そう考えると嫌でも泣きたくなる。私は思いの丈を込めてヴァン君にしがみつく。自分より太い首筋に顔を埋めると、ヴァン君は薄く笑って首を後ろに回し、私の額に自身の額をくっつけた。





『戻ってきやがったなこの野郎!』


山の中の事務所は山小屋のようなところだった。パージさんは私達よりもはるかに年上で、呼び捨てにしているヴァン君を小突き回したくなった。どうやらとても気のいいおじ様で、ヴァン君が私を紹介するとそれはそれは嬉しそうにしていた。残念ながら私との間には言語の壁が立ちはだかっておりあまり綿密なやり取りはできなかったが、私は知っている単語の限りを使ってご挨拶やヴァン君がお世話になったお礼を言った。



『かわいい嫁さん貰いやがって』

『…何か変わりはないか』

『ごまかすんじゃねえよ』

『山に詰めるような問題があるのか?』

『鋭い奴だなあ。気にするな。また少し増えてるだけだ』

『そうか…』


私は置いてけぼりを大人しく受け入れており、山小屋の中を観察していた。二人は久しぶりの再会だ。積もる話もあるだろう。邪魔しちゃいけない。取り締まるとはどういうお仕事なのだろうかと、小屋に置いてあるものを眺める。人に使うのか、獣に使うのか銃が数丁置いてあった。あまり危険と無縁な仕事とは言えなさそうである。


お茶を頂き、しばらくして私達はお暇するために腰を上げた。『またおいで』とパージさんは私に優しく手を振り、笑いながらヴァン君の背中にきつめの一発をお見舞いした。



帰り道は気を着けなければ転がり落ちそうな下り坂で、登る時よりも時間がかかった。宿に着いた頃には陽が傾き、底から冷えあがるような冷たさが忍び寄っていた。私達は暖かい部屋に入り、ホッと息をつく。


私はいそいそとノートを取りだした。これに旅の記録をつけている。場所、王都からの距離、風土、街の店、食べ物、人等々。新鮮な感覚を忘れないうちに私は今日感じた街の様子や見聞きしたことをせっせと書き記した。すると背後からヴァン君がぬっと覗き込んできた。


「そんなに書くことがあったか」


私は「あったよ!」と大きな声を出す。ヴァン君が好きな街や人を私に案内してくれている。二年間の空白を埋めるように。それを必死に書き留めているのに、一行や二行で終わるはずがない。


ヴァン君は「フーン」と言って窓際へ寄り、すっかり暗くなった外を眺めた。いつもは「気だるげ」に見える姿が、今は「物憂げ」に見えた。


「どうしたの?」

「…ここの連中はあの山の向うの街が無くては生活できない。それを分かっているから舐めてかかられる。…またモグラが出てきたらしい」



成程。さっき話し込んでいたのはこのことか、と私は見当をつける。


(何とかできないかな…)


私は彼の横顔を見ながら考えた。そして自然とある結論に辿り着く。ヴァン君はまた私のことを「真面目病」と言うかもしれない。ひと月仕事はしないと宣言もされている。でも私の頭は否応にも働いてしまう。


「…最初のお仕事、ここにしようか」


ヴァン君は目を見開いた。


「うちの儲けにはあまりならないと思うけど…。山向こうの街が「自分のところだけではない」と気が付けば、多少は良くなるんじゃない?それに街の人たちも確実な物流のルートがあれば非常時も安心だし。ここの物を他に流通させるのも街の収入になるかなって」


灰色の目がパチパチと瞬く。


「あの織物って素敵だし人気出ると思うんだ。あ、私今日欲しいのがあったんだった…買ってもいいかな?荷物になるからダメ?あとあの香木?あれも…」


私がまだ話している途中で、ヴァン君は突然笑い出した。今度は私が目を瞬かせる番だった。


「な、何…?」

「来い」


ヴァン君は私に歩み寄ると、私を抱き上げた。またしても私は情けない声を上げる。こうも簡単に持ち上げられると、自分が軽いと勘違いしそうになる。ヴァン君は私をガッシリと左手で抱えた。私は落ちないようにヴァン君の頭部に抱き着く。


「落ちる、落ちる…!頼むからやるなら両手で…!」

「落とすか」


彼の空いている手が私の鼻をぎゅっと摘まんだ。そのまま頭や顔をよしよしと撫でられる。自分の顔にじわじわと熱が集まるのが分かった。


彼が何を言いたいのか。言葉の少ない彼の考えを読むのはとても難しい。難しいし、非常に分かりづらいが、今回は明らかに。


(と、とてつもなく喜んでる…?)


直視したら「ボン」と赤面せずにはいられない微笑みが、これでもかと彼の心を伝えてくれていた。




「ひと月仕事をしない」という宣言通り、ヴァン君は私の意見には大賛成ながらも残りの二週間は何もさせてくれなかった。その間、極めて新婚らしく、私は自分でも目も当てられないくらい甘やかされた。あまりの照れ臭さに「もうやめて!」と泣いて逃げ出す程だった。おかしそうに笑うヴァン君を、赤い顔で何度恨めしく睨んだことか。



そして二週間経った頃。ヴァン君が「ランジット家」だと名乗っていなかったと発覚し、私もそういう紹介はされていなかったと気が付いたのは、「あのう我々ランジット家はですね」と話し始めてからのパージさんやネロさんの反応を見た時だった。


街の人は私達の申し出を戸惑いながらも前向きに考えてくれるようだ。遠く離れた土地でも「ランジット」のネームバリューが利くのはご先祖様たちのおかげだろう。これが私達の初仕事。何としても成功させたい。街の人のため、そしてヴァン君のために。


私は「よおし」と気合を入れて王都への「定期報告」1通目に着手した。







数年後、国のいたるところに設けられたランジットの直通経路。今や国の主要の物流と言えるだろう。ランジットは沿岸部の交易業に加え、国内流通も独自の発展を遂げた。私は机の上に広げた地図の上から道をなぞっては思い浮かべる。それぞれに詰まっているヴァン君との思い出を。


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― 新着の感想 ―
[良い点] 先生の作品は(完結済しか読んでませんが)設定とか内容にひねりがあって、とってもどの作品も新鮮で面白いです、ヒロインの性格が良くて好きです。
[一言]  一通り読ませていただきました。  総合的におもしろかったです。  作者様 お疲れ様です、ありがとうございました。
[良い点] 読み易く楽しめました。 無駄が無くテンポが良いですね。 [気になる点] 王子が公の場で婚約破棄をした事を王家はもっと焦って撤回するべきじゃないですか? 十年以上続けた契約をなんの瑕疵もなく…
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