帰還
ここまで来ると、気が気では無かった。馬を出してから一週間。領地からの返事はまだかまだかと今朝もそわそわして屋敷の前をうろついた。
ちゃんと馬は領地に着いただろうか。それでもって、叔父さんたちは力を貸してくれるだろうか。ドレスはもうこの際何も文句は言わない。シュッとしていなくたっていい。シュッとしていると言えば、ヴァン君全然帰っても来ないし、音沙汰もないけれど本当にどうしたのだろう。もし彼の身に何かあったら…。
「次、サレナ・ド・ランジット。Aの地域は」
「ガンシュミット地方」
ああもう!!どうしたらいいんだ!ドレスはもちろん不安だし、ヴァン君のことも心配し過ぎて胃に穴が空きそうだ。
私は授業そっちのけで、地理用のノートに起こりうる問題と対策を思いつくままに書き出していた。
「サレナ様。お昼ですわよ、さあ参りましょ」
ニコニコ顔のソフィア嬢が私を呼びにやって来た。ヴァン君がどこかに行ってしまってから、彼女が私のランチの相手をしてくれている。ヴァン君が欠席した次の日、一人でカフェテリアに座っていたらソフィア嬢が飛んできたのである。
もうそんな時間かと私は重い腰を上げた。何だかあまりお腹も空いていないが、これ以上ソフィア嬢に心配をかけるわけにはいかない。
「お待たせしました。今日のランチは何…」
私が良い終わる前に、教室外の廊下がざわついた。教室の入り口でクラスメートが「あ!!」と驚きの声を上げる。「サレナ嬢!サレナ嬢!」と呼ばれ、私は「もしかして」と入り口に駆け寄った。
ぶつかりそうなタイミングで現れたのは、待っていたその人ヴァン君だった。
「ヴァ、ヴァン君!!!!!」
どこに行っていたの!待っていたよ!!心配したんだから!!!思いの丈をぶつけるように私は彼にしがみついた。周りから「良かったね…」という温かい声が聞こえた。そんなに私が寂しそうに見えたのか、クラスメートたちはよく「大丈夫ですか」とか「はやく戻っていらっしゃるといいですね」とこれまで声をかけてくれていたのだ。
「ちょっと離れろ」
こちらの気も知らず、相変わらずヴァン君は愛想が無かった。持っていた荷物を掲げ、くっついている私が邪魔だとでも言いたげな様子だった。
(ひ、酷い!!!どんな思いで待っていたか…!!)
周りもあんまりな扱いに引いている。ソフィア嬢がつかつかとこちらに近づいてきた。
「ヴァリエール様、彼女がどれだけ大変だったか…」
「ん」
ソフィア嬢の苦言も聞かず、ヴァン君は私に手にしていた大きな包みを事も無げに突き出した。私は自然とそれを受け取ったが…。
「な、なんですか?」
お土産?お菓子?何これ?
ヴァン君は首をぐいと上げ、絶賛混乱中の私に「開けろ」と伝えてきた。いつも思うが、口で言って欲しい。全くいい年して俺様なんだから…と諦めて指示通りガサガサと包みを開ける。
「んん?」
(お菓子じゃない。ん?布…?)
「!!!!!!!!!!」
私は中身が何か分かると、勢いよくヴァン君に振り向いた。彼は無表情で鼻の頭を掻いた。
「まあ!これ…!」
隣に立つソフィア嬢も、中身を見て目を輝かせ感嘆の声を上げた。
それは美しいドレスだった。ふわりと軽い生地はほんのりと金色でキラキラと艶がある。何て素敵な手触りだろう。柔らかくて、さらっとしていて、気持ちがいい。ずっと触っていられる。恐る恐る広げてみると、デコルテ部分は首までの総レース、胸からウエストにかけて、極力派手さを押さえたフリルや小さな真珠、キラキラとした宝石がストライプ状に縫い付けられている。少し盛り上がった控えめなバッスルはスタイルをよく見せてくれそうだ。スカート部分は正面で深いスリットが入っており、動いたらチラチラと中の美しいレースが見え隠れするようになっていた。
決して子供っぽくなく、かつ大人過ぎない。でもとてもエレガント。
周りから「素敵…」、「どこでお求めになったのかしら」と称賛の声が漏れる。
「ど、どうしたのヴァン君これ!!!」
ヴァン君は私を見下ろして得意げに笑った。なんて珍しい…。私がドレスを一目で気に入ったのが分かったのだろう。
「お前に似合うものを探してきた」
「は、は!!!????????」
はしたない声を出し、ボン!と頭が爆発して顔が沸騰した。な、何言ってるの!?公衆の面前で!!!そんなこと、二人のときだって言わないのに!!!
私の熱が誘爆したのか、周りにいた生徒は女子男子を問わず皆顔を赤くしていた。
恥ずかしいやら嬉しいやら。私はドレスの包みで必死に赤くなる顔を隠した。しかしそんな私にお構いなく、ヴァン君はさっさと私の手からドレスを回収すると、「家に届けてくる」と言ってそのまま帰ってしまった。当然、驚いて声も出ない。
現実かと疑う程、嵐のように来て去って行った。残される私は戸惑うばかりだ。
「な、何しに来たの…?」
彼が去った方を呆然と眺める。
「そんなの!!サレナ様に早く見せたくて持っていらしたのよ!!!」
「あんなに素敵な方でしたっけ!」
「うらやましいわ!!」
「あ、兄貴…!流石兄貴…」
ソフィア嬢を含め、その場にいた人々に一斉に取り囲まれた。
「どういうご関係なの!?」「ただのご親戚のお兄様ではなかったの!?」と乙女たちに詰問されたが、私は必死でごまかした。
(ヴァン君!!!帰ったら色々話してもらうから!!!!)
もう帰れば彼に会える。そう思うと、ホッとして、気を緩めれば泣いてしまいそうだった。
学園を飛び出すや否や、私はヴァン君の屋敷に向かった。いつもの通り激しくドアを叩くと、執事さんが出てきた。
「一回戻られましたが…そのあと出て行かれたきり…」
「戻ってないのね!!」
「お気をつけて~」と手を振る執事さんを背に、私は門の方へ走って戻った。
バアン!と私は息を弾ませて自分の部屋のドアを開けた。するとそこにはまるで自分の部屋のように寛ぐヴァン君が待っていた。もう!!!!!
私はヴァン君に突進するかのように抱き着いた。ヴァン君は「はは」とふざけるように笑いながら、私を抱き返して頭をぐしゃぐしゃと撫でた。
「急にいなくなるなんて!」
「急いでいたからな。アイツには言っておいただろう」
アイツとはヴァン君のところの執事さんのことである。あれで言付けたつもりかと思うとぞっとする。
心配したと散々言い連ね、もう二度と無言で消えないことを約束させた。自由は尊重したいが、「行ってきます」くらいないと私の心臓が持たない。
ヴァン君にお小言も言い尽くし、私の髪がしっちゃかめっちゃかになると、私はようやくヴァン君から体を離した。
ヴァン君が私のベッドに置いておいたドレスを指さし、「着てみろ」と言った。あの素敵なドレス。もしかしなくても、ヴァン君はアレのためにいなくなっていたのだ。改めてドレスを広げてみるとやっぱりとても素敵だった。そっかそっかこれがヴァン君の言う『シュッとしたやつ』か…。私がリンを連れて回ったときに想像していたのとはやっぱりちょっと違った。お色気お姉さん路線かと思った。
本当にヴァン君はいつも私を助けてくれる。こんなにきれいなドレスなら、卒業パーティでも宮殿の社交界でも着て行ける。
一度ヴァン君を部屋から閉め出し、ドレスに袖を通してみた。ヴァン君に「もういいよ」と声をかけると、すぐにドアが開いた。
「……」
「ど、どうかしら…?」
「…」
無言…。どうしよう何も言わない。その代わり、じろじろと視線が私の体を這う。何だかすごく変な気分で、あまりの居心地の悪さに私はこそこそと部屋の隅に移動しようとした。
ヴァン君はそんな私の手を捕らえた。
「ひえ!」
「いいな、よく似合う」
「―――!!!」
その笑顔は、まるで少年のようだった。私は何も言えなかった。どうしよう、嬉しい。彼が私のためにドレスを探しに行ってくれたこと。似合うと喜んでくれたこと。それ以上に、そんな顔を見せてくれるのは私だけだという確信が、事実として私の目に焼き付いたことがこの上なく幸せだった。
「悪かったな、悩ませて」
ヴァン君は私をふわりと抱きしめると、何かを謝った。
「???」
(何のこと?さっきプチ家出のことならもう謝ってもらったし…。あ、だめだ。分からない)
何だかよしよしと優しくされているので凄くもったいないが「あ、あの…」と私は聞き返した。
「…な、何が?」
へへ、と半笑いで尋ねると、ヴァン君は「ドレスがなかなかないと言っていただろう」と私の頬をむに、と軽く摘まんだ。
(ああそうか…。ヴァン君はバーニーのこと知る前に居なくなったんだ)
私はじわじわと愛おしさが込み上げてきた。てっきり、王都の状況を把握して動いていたのかと思った。私がドレスを買えないから、ドレスを探しに行ったのではなく…。ヴァン君が『シュッとしたやつ』って言ったがために私がドレスを選べていないと思ったから…。それで何日も…。
「ありがとう」
私はヴァン君をぎゅっと力を込めて抱きしめた。ヴァン君は一瞬驚いたようだが、「ふっ」と薄く笑うと、私以上の力で抱きしめ返してくれた。
間違いない、彼好みのドレス。これだけは、大事に何回でも着ようと心に誓った。
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