奮起
結局、ソフィア嬢が教えてくれた店も全滅でとうとう私は打ちひしがれていた。父に相談したら、怒りを通り越して呆れていた。明らかに度を越えている上に、バーニーの行動を容認しているとはもはやどうしようもない家だと父は嘆いた。いくらリュイと懇意にしているからといって、センシール家は気が大きくなり過ぎである。
「まったく、見積もり段階でこんなことをするとは…。お前もよく王都中回ったな。こんなこと、あんまり大事にしたくないが…店が気の毒だしな…。お前のドレスも無いと困るし」
父はぶつぶつと「どうするかな…」と呟いている。私だって「同級生のわがまま」で迷惑を被っているなんて、恥ずかしくてあまり騒ぎ立てたくない。できれば内々で解決したいが、センシール家が取り合うかどうかが問題だ。
一番簡単なのはバーニーに心を入れ替えてもらうことだが、どうやって?ひとつだけ、頭に浮かぶアイデアはあるものの、自信が持てない。もはや次期王妃でもない私は、個人的にバーニーに対抗できる力があるだろうか?そもそも、私が何か言ったところでバーニーの意思がどうして変わるだろう。私のことを見下しているというのに。
私も父も、卒業までに時間がないことを案じた。何せ、ドレスを仕立てるのには時間がかかる。王都の仕立て屋は今繁忙期だし、ドレスが仕立てられる腕のいいお針子も限られている。
「ヴァン君にも、相談してみます」
「そうだな…あまり手荒なことは避けて欲しいが…」
「ヴァリエール・ド・ランジットは休み、だな」
教師は全く動じずにヴァン君の欠席を確認した。何ということだ、今日に限って休みなんて。朝一で相談しようと思って早く登校して待っていたのに。いや、昼休みになったら来るかもしれない。授業にはいないこともあったけれど、昼食には絶対来ていたし。
私は早く午前の授業が終わらないかと、そわそわして過ごした。
(やっと午前終わり!!)
長い長い午前の授業が終わると、私は教室の入り口を見つめてヴァン君を待った。
(あれ…?嘘…)
しかし、20分経っても彼は現れない。クラスメートたちも、この時間にまだ一人でいる私を珍しそうに見ている。おかしいな、本当にお休みなの?何かあったのだろうか、体調が悪いとか、お家で問題があったとか?
初めての事態に、急にヴァン君のことが心配になった。自分の相談事は頭から抜け落ち、ヴァン君のことばかり考えていた。早退してしまおうかとも思ったが、ふらりと現れる可能性も捨てきれず、午後も教室で授業を聞きながら彼を待った。
常に空席の隣の席を気にして過ごしたが、終にヴァン君の顔を見ることなく終礼の鐘が鳴った。
私は急いで荷物をまとめて学園を飛び出した。馬車に飛び乗ると、ヴァン君の家に向かうように馬丁のジェフに指示した。
「こんにちはー!!!ヴァン君いますかー!!???」
私はご迷惑も顧みず、ヴァン君の屋敷のドアをダンダンと叩いた。中から焦っている執事さんの声が聞こえた。
何事かと驚きながら執事さんはドアを開け、私を認めると「おやサレナ様」と不思議そうな顔をした。
「あの、ヴァン君はいますか?今日学園に来ていなくて、もしかして体調不良とか」
執事さんはいよいよ「変だな」と言ったように首を傾げた。
「ヴァリエール様からお聞きになっておられませんか」
私が「何をだ」と顔を歪ませると、執事さんは「やれやれ」と言いながら自身の額に手を当てた。
「昨日お帰りになると『少し出かけるからあとは頼む』と言ってすぐに屋敷を出られております。急いでいらした様子でしたが、まさかまた誰にも言わずに行ってしまうとは」
執事さんは二年前のことを思い出しているのだろう。事後で留学という形にされたが、その時も急にいなくなったと聞いている。私は大きな不安に襲われた。
(このタイミングで?誰にも言わずに?どうして?私を置いてどこかに行ってしまったの?いつ帰ってくるのかも分からないの?)
脈が荒くなり、耳の奥で拍動の音が聞こえてきた。
「サレナ様」
執事さんがゆっくり、はっきり私の名前を呼んだ。私は縋る思いで執事さんを見た。
「どうしましょう、以前と同じかしら…あのときも誰にも言わずに…」
「落ち着いてください。大丈夫です。あの方は……サレナ様を大層大事に思っていらっしゃいます。あなたを置いて行かれることはありません」
執事さんは確信めいた口調で言った。その口ぶりは、私とヴァン君の関係を把握しているかのようだった。誰よりもヴァン君の面倒を見ていた彼だ。言わなくとも分かるのだろう。
私は執事さんの言葉にいくらか元気づけられた。
「…ありがとうございます。どうして急にいなくなったのか分からないのはとても不安ですが、ヴァン君を信じて待ってみます」
老紳士は、にっこりと笑うと私を屋敷に入れ、温かい紅茶を振舞ってくれた。
ドレス問題に加えてヴァン君の不在。私は今多大なストレスを抱えていた。なんとなく不安になって屋敷の中をウロウロする。どうしよう?どこか店を一件買い取っちゃえばいいんじゃない?なかなか乱暴なやり方だけど、バーニーよりはましな気がする。
ロゼに「どう思う?」と訊いてみたが、「そんなお金と権力にものを言わせる手段では、あちらのお嬢さんと変わらないと思いますけど」と冷静に返された。
「大分お疲れですねえ」とロゼも心配してくれる。私は「くうう」と頭を抱えた。どうにかしたくて色々と考えるが、どうにもできない現実がもどかしい。
鬱々と登校し、学園のエントランスに着いた時私に向かってソフィア嬢が一直線に向かってきた。人目も憚らず、燃えるような目をして。
私の正面に来ると、開口一番「聞きましてよ!!」と強い口調で叫ぶように言った。
私と周りにいた生徒は何事かと目をぱちくりさせた。
動揺する私にお構いなく、ソフィア嬢はガシッと私の両肩を掴むと、ぐいと私の耳元に顔を近づけた。
「バーニーが、くだらないことをなさっているそうではありませんか」
「どこでそれ…!」
「ご紹介した仕立て屋に契約のお話をしに伺いまして、『偶然』耳にしましたの」
あの店主か、とすぐにピンときた。センシール家に単騎で向かったあの人に違いない。あちらもさぞ腹に据えかねているのだろう…。
「あなたがお見積もりをご依頼できたかどうか、心配で尋ねてみましたのよ」
ソフィア嬢の目は「なぜ黙っていた」と言うが如く、瞬きもせずにジッと私を見つめていた。両肩は未だ掴まれたままだ。
「ご、ごめんなさい…」
私は震える声で謝った。
「待ってください待ってください」
私はズンズンと歩みを進めるソフィア嬢を追いかけた。彼女が向かうはバーニーとリュイの教室だ。私の制止も空しく、彼女の足は止まらない。
「な、なんて言うのですか!というか、当事者でもないあなたにご迷惑はかけられません!それにもしもお家にご迷惑が」
ソフィア嬢はピタッととまり、勢いよく私に振り向いた。
「全店舗へ自身の言ったことを彼女に撤回させます。あと、『あなたのお友達』として私は怒っているのです。家なんて、むしろ使った方が効果があるかもしれませんわ。同じ侯爵家として恥ずかしい!」
言うや否や、ソフィア嬢はまた前を向いて歩きだした。私は彼女の言葉を反芻する。『お友達として』今まで一度も言われたことが無い衝撃の言葉だった。
(私が後ろをついていてはだめだわ…!)
私は腹を括ると、ソフィア嬢の隣へと走った。
バーニーはリュイと共に教室にいた。以前彼女が得意げに侍らせていた取り巻きは、リュイによって解散させられたと聞いている。その代わり、リュイ自身が常にバーニーの傍にいるようになった。
彼らは私たちに気が付いた。リュイは静かな目で私たちを観察し、バーニーは一瞬眉間に皺を寄せるとプイとそっぽを向いた。「何だ」と口を開いたのはリュイだった。
ソルジャーが如く、勇敢に一歩進み出ようとするソフィア嬢の袖を私はキュッと掴んだ。
確かに胃は猛烈に痛い。そもそも争いごとは嫌い。できるなら頭を低くして嵐が通り過ぎるのを待ちたい。自分という個人が誰かに対抗できる程強い人間ではないと思っていた。でもそれは、『一人』だったからだ。大事にすれば一人で立ち向かわなくてはならない。そして争いには勝たなくてはならない立場だった。
人を傷つけるのも、自分が傷つくのも嫌で、いつの間にか私は自然と明らかな悪意と戦うことまでも避けるようになってしまっていたのだと気が付いた。
しかし、今はどうだろう。自分のために立ち上がってくれる人がいるのに、自分が座ったままではいられない。
私はバーニーとリュイに向かって一歩前へ踏み出した。
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