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深層にいたのは、伝説の初代探索者


「来い。坊主」


八雲玄舟は、俺の返事を待たなかった。


ランタンの光を背負って、闇の中へ歩き出す。足音が均一だ。暗闇を歩き慣れた人間の足音。迷いがない。恐れもない。何十年もこの闇を歩いてきた人間だけが持つ、異常な確信。


俺は一歩遅れてついていく。


遅れたら死ぬ。直感じゃない。《構造看破》がそう言っている。玄舟の歩くルートだけ、壁と床の構造線が微かに「整って」いる。獣道みたいなものだ。この線の上を外れたら、何が起きるか分からない。


闇の中の構造線が、玄舟の周りだけ異様に濃い。人間の輪郭というより、ダンジョンの装置の一部みたいだ。この人は、ここに住んでいるんじゃない。ここに「組み込まれて」いる。


「……どこへ」


声が掠れた。喉が乾いている。空気が重い。吸うたびに、魔力の粒が気管を焼く。


玄舟は振り返らずに言った。


「生き残る場所だ」


即答だった。説明はない。説明がないのに、嘘じゃないと分かる声だ。この人の声には、余計なものが何もない。飾りがない。含みがない。言葉が、そのまま言葉の意味しか持っていない。


天城の声は、常に二重だった。言葉の裏に別の意図がある。優しさの下に支配がある。笑顔の下に計算がある。三年間、ずっとそれを聞いてきた。


この人の声には、裏がない。

だからこそ、駆け引きが効かない。――読めない。


それでも、不思議と息が少しだけ楽になった。


歩く。


壁の線。床の線。天井の線。そのどれもが、地上のダンジョンとは桁が違う。岩盤の厚さが数百メートル単位。魔力の流れが河川ではなく海流。構造看破の視界が処理しきれず、端のほうがちらつく。


世界が、押し潰す側にいる。


遠くで、低い鳴き声がまた響いた。


さっき聞いた声と同じだ。地鳴りみたいな、重い声。距離が分からない。方向も曖昧だ。音が空気を介さず、岩盤そのものを振動させて伝わってくる。


俺の足が、止まりかけた。


玄舟が、あっさり言う。


「止まるな。音に耳を貸すな」


「……来てるのか」


「来る」


それだけ。


来るなら急げ――と普通はなる。でも玄舟の歩幅は変わらない。急がない。焦らない。焦らないこと自体が、ここでの生存戦略みたいだった。走れば音が出る。音が出れば捕まる。だから歩く。何十年も、歩いてきたのだろう。


数分歩いたところで、玄舟が手を上げた。


「伏せろ」


声の温度が変わった。命令ではなく、警告。この人が声色を変えるのは、本当に危ないときだけだ。それを、出会って十分で理解した。


俺は反射で伏せた。胸が床の石に叩きつけられる。冷たい。


次の瞬間、頭上を「何か」が通った。


風圧が来た。髪が引っ張られる。肌が切れるかと思った。実際には切れていない。でも右腕が痺れた。空気の壁に叩かれたように、肘から先の感覚が消える。


構造看破が、頭上の存在を捉えた。


爪。四本。壁面の岩盤より硬い。魔力の循環が閉じている――外殻で完結した系。つまり、外からの魔法攻撃は構造的に到達しない。


一瞬で見えた情報を、脳が勝手に処理する。極限状態でも鑑定を止めない。止められない。鑑定士の目は、見えるものを見てしまう。死にかけていても。


視界の端で、HP表示が動いた。


312から304。


掠められただけだ。直撃していたら――考えない。考えたら、足が止まる。


俺が息を殺すと、玄舟は立ったまま小さく笑った。


「鑑定士は、息の止め方だけは上手いな」


馬鹿にしている声音じゃない。そしてお世辞でもない。「事実を確認した」という、乾いた声。


玄舟は振り返らずに言った。


「坊主。今のやつ、何が見えた」


試されている。


息が上がっている。右腕の感覚がまだ戻らない。HPが削れた恐怖が、胃の底で暴れている。でも――答えなければ、ここで終わる。この人は「使えない」と判断したら、本当に捨てる。さっき自分でそう言った。言う人間は、やる。


俺は構造看破が捉えた情報を、そのまま出した。


「爪。四本。硬度は壁の岩盤より上。魔力の循環が閉じてる。外殻で完結した系……外からの魔法攻撃は通らない構造」


玄舟が黙った。


三秒。


長い三秒だった。闇の中で、自分の心臓の音だけが聞こえる。


「……見えてるな。しかも“読めて”いる」


玄舟の声の密度が、わずかに上がった。冷たいまま。でも、確かに手応えのある声。


「死にかけてるのに鑑定が止まらないやつは、初めてだ」


俺は答えなかった。答える余裕がなかった。右腕の痺れが引いて、代わりに痛みが来ている。


玄舟が壁に手を伸ばし、指で二回叩いた。乾いた音。短い。正確。


すると頭上の「何か」が、別方向へ滑っていく。まるで誘導されたみたいに。


俺は壁を見た。構造看破が、壁面の文様を解析する。


ただの模様じゃない。音の伝達を制御する構造。特定の周波数の振動を増幅し、方向を歪ませる。叩く位置と回数で、深層の生物の感覚を撹乱させる仕組み。


「……罠か」


「罠じゃない。道具だ」


玄舟は歩き出す。


「覚えろ。ここでは“戦う”より“通す”ほうが大事だ」


短い。でも、百時間の講義より刺さった。


戦闘力ゼロの鑑定士が深層で生きるための方法。戦わずに、通す。避けて、読んで、道を作る。


俺がやってきたことと、同じだ。


三年間、ギルドの中で。

戦わず、読んで、やり過ごしてきた。


ただし――やり過ごした先に待っていたのは、奈落だった。


ここでは、どうなる。


---


さらに歩く。


闇が、少しだけ薄くなる。空気の質が変わる。魔力の濃度が下がったのではない。「整えられている」のだ。自然の闇と、管理された闇は、構造看破で見ると線の並び方が違う。


前方に、構造線が「整っている」場所が見えた。


人工物の線。床が平ら。壁の角が直角。天井の高さが均一。ここだけ、世界が「作られて」いる。


玄舟が扉の前で止まった。


扉は石だ。でも石なのに、蝶番の線がある。閉じ方に意図がある。何かを守るために作られた扉。何かを――あるいは、誰かを。


玄舟が掌を当てると、扉が静かに開いた。


中は、狭い部屋だった。天井は低い。四畳半くらい。


だが、空気が違う。


圧が薄い。息が吸える。肺が久しぶりに本来の仕事をした感覚。喉の奥の焼けるような痛みが、少しだけ引く。


壁際に水袋。乾いた食料。粗い布。魔力灯。ランタンよりも安定した淡い光が、部屋全体を均一に照らしている。


そして――壁に、刃物で刻んだ線が並んでいた。


五本ずつ束になった正の字。壁の一面を埋め尽くしている。数える気にならないほど多い。一本が一日なら、この人はここで何千日を過ごしたことになる。


正の字の列が、途中で止まっていた。


数えるのをやめた日がある。日数を記録することに意味を見出せなくなった日。帰る場所がないと確信した日。


俺はその壁から目を逸らせなかった。


千日。二千日。それ以上。この暗闘の中で、たった一人で。


「ここが……生き残る場所」


俺が言うと、玄舟は頷いた。


「俺の巣だ」


巣。言い方が獣のそれだった。家ではない。住居でもない。巣。生き延びるためだけの場所。


玄舟は壁際に腰を下ろした。


その動作の途中で、一瞬だけ呼吸が止まった。わずかな硬直。すぐに動き出す。何事もなかったように。


でも俺の《構造看破》は、すでに勝手に立ち上がっていた。


玄舟の身体の構造線が視界に重なり、情報が多すぎて処理が追いつかない。神話級の遺物をスキャンしたときと同じ症状。


それでも、一つだけ“違和感”が読めた。


魔力の循環。回っている。だが、細い。

川だったものが、糸になっている。


――何かが、限界に近い。そう“見えた”。


俺は焦点をずらした。壁を見る。床を見る。玄舟の身体から目を外す。

見なかったことにする。


でも、見てしまった事実は消えない。


「座れ。死にたくないなら、まず息を戻せ」


玄舟が言った。何も気づいていない声。あるいは、気づかれたことに気づいていて、何も言わない声。どちらか分からない。


俺は座った。


膝が笑った。遅れて震えが来る。番犬の風圧。HPの減少。暗闇の行軍。全部が時間差で身体に請求書を送ってくる。


それでも倒れなかったのは、意地じゃない。生存本能だ。倒れたら、この人に「使えない」と判断される。判断されたら、終わる。


「事情を言え」


玄舟が短く言った。


逃げ道のない言葉。でも圧ではなかった。天城の「事情を聞かせろ」とは違う。天城は事情を聞いて弱みを探す。この人は事情を聞いて状況を測る。


俺は答えた。


「冤罪。神話級を見つけた。発見ログを回した。凍結された。隔離と言われて――ここに落とされた」


言葉にすると短い。三年間の集大成が二行で終わる。


玄舟は表情を変えなかった。


「誰に」


「天城迅。ギルド《エクレール》のリーダー。スポンサー担当と運営窓口が共犯」


「三人か」


「三人。金と、名声と、制度で動いてる」


玄舟の目が、微かに動いた。


「……知ってる構造だ」


知ってる。この人が、知ってる。


俺は訊いた。


「あんたも、同じことをされたのか」


玄舟は答えなかった。代わりに、別のことを言った。


「神話級。見たのか」


その単語だけ、反応の密度が違った。声が変わったわけじゃない。でも部屋の空気が少しだけ詰まる。


「布越しに。《価値算出》で、等級だけ」


「中身は」


「見えなかった。構造看破が処理落ちした」


玄舟が、小さく頷いた。


「……そうか」


それだけ。でも、その言葉に何かが含まれている。安堵なのか、確認なのか――読めない。


玄舟は俺の顔をじっと見た。嘘を測る目じゃない。「どこまで見える目か」を測る目。計測の目だ。


「構造看破。どこまで見える」


「……勝手に起動する。ここでは止められないくらい、周りの情報が強い」


「番犬の構造は見えたか」


「見えた。外殻閉鎖系。魔法無効の構造」


「この部屋は」


俺は構造看破を壁に向けた。


「……壁の内部に魔力の減圧層がある。外の濃度を遮断して、内部の濃度を人間が生存できるレベルまで下げてる。天井と床にも同じ構造。つまりこの部屋自体が、深層の中に作られたシェルター」


玄舟が黙った。


五秒。


「いい」


その一言で、試験が終わった。


玄舟は立ち上がった。灯りが、背中の影を大きくする。壁の正の字が影に飲まれて消える。


「坊主。お前は一つだけ覚えろ」


指を一本立てた。


「ここで手に入るものは、地上の“ルール”より強い」


地上のルール。規約。契約。運営の裁定。BAN。ライセンス停止。天城が握っている武器の全部。


それより、強い。


「……何がある」


俺の声が、自分で思ったより前のめりだった。身体が先に反応していた。鑑定士の本能が、「価値のあるもの」の気配を嗅ぎ取っている。


玄舟は答えなかった。


代わりに、床を指差した。


部屋の隅。石畳の一枚が、他と微かに色が違う。構造看破で見ると、その石の下に別の層がある。


古い石板が、床に埋まっていた。


文様。幾何学模様。霞門の隠し部屋で見た印と同じ体系だ。あの台座の上の印と、この石板の印は、同じ言語で書かれている。


俺の《価値算出》が勝手に反応した。


視界の端で、表示が弾ける。


```

[Relic Fragment]

Type: Authority Key (Partial)

Condition: Locked

Note: Requires "Appraiser Sight"

```


権限鍵。


しかも――「鑑定士の目」を要求している。


鑑定士の目。


戦えない目。映えない目。三年間、「便利」と「置物」の間でしか呼ばれなかった目。配信には映らない目。コメント欄で名前すら覚えてもらえなかった目。


その目でなければ、開かない。


指先が震えた。神話級に触れたときと同じ震え。でも質が違う。あのときは恐怖が混ざっていた。今は――違う。


玄舟が言った。


「見えたな」


俺は頷いた。声が出なかった。


「鑑定士でなければ、そこは見えない。見えても読めない。読めても開かない」


玄舟は、俺を見つめた。


「何十年も待った。戦士が落ちてきた。魔法使いが落ちてきた。剣士も、狩人も、錬金術師も。――全員、あの石板を見ることすらできなかった」


俺は石板を見下ろした。


不遇職。替えの利く職。誰でもできると思われている職。


その目だけが、ここで唯一の鍵になる。


「あんた、俺を待ってたのか」


「待ってたわけじゃない」


玄舟は首を振った。


「ここには、たまに落ちてくる。お前みたいなのが。使い捨てにされて、消されて、ここに来る」


落ちてくる。俺みたいなのが。何人も。何十人も。


「だが鑑定士は珍しい。しかも――見えて、読めて、死にかけても止まらない目を持ってるやつは」


玄舟の声が、少しだけ低くなった。


「初めてだ」


沈黙が落ちた。


魔力灯の光が、二人の影を壁に落としている。正の字の刻まれた壁に。何千日分の孤独の上に。


俺は息を吸った。深く。この部屋の空気は、深層の中では奇跡みたいに軽い。吸えることが贅沢だった。


「……教えてくれ」


声が出た。掠れていた。でも、折れてはいなかった。


「俺に何ができるのか。ここで何が手に入るのか」


玄舟は立ち上がった。扉の方へ向かう。


「今日は動くな。番犬が近い」


背中を向けたまま言う。


「明日、生きてたら――お前の目に“本物”を見せる」


扉の前で、玄舟は少しだけ立ち止まった。


振り返らない。でも声だけが残った。


「坊主。復讐したいか」


唐突だった。脈絡がない。

けれど俺の身体が先に答えていた。


拳が、いつの間にか握りしめられていた。指の関節が白い。爪が掌に食い込んでいる。小春が石室で握っていたのと同じ形。


俺は声に出した。


「……したい」


玄舟は振り返らなかった。


「なら、生きろ」


扉が閉じた。


石の扉が重い音を立てて閉まり、部屋に俺一人が残された。


光は残っている。魔力灯の淡い光。その光の中で、俺は石板を見下ろしていた。


権限鍵。部分。鑑定士の目が必要。


指先を石板に近づける。触れてはいない。あと数センチ。


構造看破が、石板の奥にある情報を読み取ろうとして――処理落ちした。また。神話級と同じ。情報量が、俺のレベルを超えている。


だが、代わりに“形”だけが見えた。


解体図が、空間の座標みたいに重なった。

この石板は“扉”だ。

扉の向こうに、何かがある。


四畳半の部屋の床の下に、海みたいな空間が眠っている。


俺は石板から手を離して、壁に背を預けた。


壁の正の字が背中に当たる。一本一本の刻み目が、肩甲骨の間に触れる。玄舟がここで過ごした何千日分の重さ。


天城は今頃、配信で笑っている。

郡司は数字を整理している。

白石は規約の文面を調整している。

小春は――泣いているか、泣くのを我慢しているか。


掲示板では、俺の名前が燃えている。


「死亡扱いでいいだろこんなやつ」


あの書き込みが、頭の中で反響する。


死亡扱い。


そうだ。俺は今、死んでいる。

地上では、鳴海朔は死んだのだ。

逃亡して、行方不明になって、いずれ「死亡認定」が出る。


死んだ人間には、権利がない。

死んだ人間のログは、凍結から無効に変わる。

死んだ人間の名誉は、誰も守らない。


天城の計画は、完璧だ。


完璧だった。


――一つだけ、計算に入っていないものを除いて。


俺は目を閉じた。


暗闇の中で、石板の文様がまだ残光のように残っている。鑑定士の目にだけ残る線。消えない線。


戦えない目。映えない目。三年間、誰にも必要とされなかった目。


その目だけが、ここでは鍵になる。


(手順でいく)


一回目は希望だった。

二回目は抵抗だった。

三回目は絶望の底で握りしめた空っぽの言葉だった。


四回目は――予告だ。


石板の文様が、瞼の裏にかすかに残る。

閉じても消えない。


そのことを、天城は知らない。


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