第89章 触れられない距離で、信じるということ
水晶の向こうに、淡い光が揺れていた。
それは通信用の魔導具。
直接会うことは叶わないが、声と表情だけは伝えられる。
——今は、それで十分だと判断された。
王族専用区画の静かな部屋で、
カリックスとフローラは並んで水晶を見つめていた。
⸻
「……状況は、確かに変わってきています」
水晶の向こうで、リュシアがそう報告する。
表情は落ち着いている。
だが、ほんのわずかに張り詰めた気配が伝わってくる。
カリックスは、拳を軽く握った。
(直接、話したい)
それが本音だった。
だが——
「今は、だめね」
フローラが、静かに言う。
「あなたも、私も」
「不用意に近づけば、また“象徴”にされる」
第二のユリアンを、生まないために。
それは苦渋の判断だった。
リュシア自身が、誰かの視線や憧れ、嫉妬の中心になることが、
どれほど危険か——
二人は、嫌というほど理解していた。
「だから、今は距離を取る」
カリックスは、低く言った。
「それでも」
「信じていないわけじゃない」
⸻
通信を終えると、水晶の光は静かに消えた。
部屋に残るのは、沈黙。
フローラは、一歩窓際に寄り、外を見下ろす。
「……父上には、もう伝えました」
振り返らずに言う。
「校長と副校長は」
「確かに、動き出すのが遅かった」
それは事実だった。
「でも、動いてからは迅速だった」
「今も、最善を尽くしている」
フローラは、はっきりとそう言い切った。
「だから」
「“遅れたこと”だけで、切り捨てないでほしいと」
カリックスは、黙って聞いている。
「そして——」
フローラは、ようやくこちらを向いた。
「禁忌魔法の使用許可」
「できるだけ早く下りるよう、要請しました」
それが意味する重さを、二人とも理解している。
過去を覗く魔法。
真実を暴く代わりに、心を傷つける可能性のある術。
それでも——
「必要よ」
フローラは、迷いなく言った。
「誰かが“正しい”と信じてやったことが」
「どれだけの犠牲を生んだのか」
「曖昧なままには、できない」
⸻
カリックスは、深く息を吐いた。
「……彼女は、強いな」
ぽつりと漏れた言葉。
フローラは、微笑んだ。
「ええ」
「でも」
「一人で立たせるには、強すぎる子でもある」
だからこそ。
今は、触れない。
守らない。
前に出ない。
ただ、後ろから——
道が塞がれないように、整える。
「事件が終わるまでは」
カリックスは、決意を込めて言う。
「距離を保つ」
「それが、今の最善だ」
フローラは、静かに頷いた。
二人の視線は、再び水晶があった場所へ向けられる。
そこに映るはずだった少女の姿を、
確かに胸に焼き付けながら。
信じるという選択を、
王族としてではなく——
“同じ時代を生きる者”として、選び取っていた。




