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境界に立つ者たち  作者: 麻婆豆腐


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第19章 神の言葉が沈黙した日

第19章 神の言葉が沈黙した日

神殿の地下には、

外の光が一切届かない部屋がある。


処刑場ではない。

だが、祈りの場でもない。


「……もう一度、言いなさい」


大神官の声は、低く、冷たかった。


石壁に囲まれた中央で、

一人の男が縛られ、膝をついている。


名は、サルヴィオス。


かつて聖別工程を預かり、

神の言葉をそのまま人に伝える役目にあった神官だ。


「私は……」


喉を鳴らし、言葉を探す。


「神の御心に、従っただけです」


その言葉に、

周囲の下級神官たちは沈黙した。


否定できない。

この国では、神託は絶対だ。


判断は神のもの。

人は、それを実行する器にすぎない。


「……だから?」


大神官は、一歩近づいた。


「だから、お前は“見なかった”」


「だから、お前は“止めなかった”」


サルヴィオスは、顔を上げた。


「それの、何が罪なのですか」


声は震えていない。

本心だった。


「私は、命じられたことを――」


「違う」


大神官は即座に遮った。


「神は、命じていない」


空気が、張り詰める。


「お前は、命じられていないことを

“しなかった”だけだ」


サルヴィオスの眉が、わずかに動く。


「……意味が、分かりません」


大神官は、低く告げた。


「お前が見た子どもだ」


「倉庫裏で、膝を抱えていた少年だ」


その言葉に、

サルヴィオスの喉が詰まった。


「聖別工程の“対象外”だと分かった瞬間、

お前は視線を逸らした」


「泣いていたな」


「声を上げる元気もなく」


「だが――生きていた」


サルヴィオスの呼吸が、乱れる。


「……規定では」


「対象外の者に、関与してはならない」


「私は、規定を――」


「規定は、手を縛るためにある」


大神官は、静かに言った。


「だが、目を閉じるためのものではない」


「お前は、

『あの子を外へ出す』

『水を与える』

『誰かを呼ぶ』

そのどれもしなかった」


「それは、神託ではない」


「“怠慢”だ」


サルヴィオスの唇が、歪む。


その時、

扉の奥から、衣擦れの音がした。


「……そこまでにしましょう」


柔らかな声。


白い衣を纏った巫女が、

静かに歩み出る。


この神殿で、

最も神に近い存在。


誰もが、無意識に頭を垂れた。


「サルヴィオス」


巫女は、名を呼ぶ。


責める響きはなかった。


「あなたは、神を信じていました」


「それは、疑いようのない事実です」


サルヴィオスの喉が鳴る。


「……ならば」


「なぜ、私は――」


巫女は、首を横に振った。


「神は、“正しい”とは言っていません」


「ただ、“見ている”だけです」


その瞬間。


サルヴィオスの目に、

初めて迷いが浮かんだ。


「神は」


「人が、迷うことを許しています」


「だからこそ」


「あなたが

“見なかったことにした行為”も」


「神ではなく、

あなた自身のものです」


言葉は、刃ではない。

だが、確実に刺さる。


サルヴィオスの肩が、震えた。


「……私は」


声が、かすれる。


「見ていたのに」


「手を伸ばせたのに」


「“仕事ではない”と、

自分に言い聞かせました」


巫女は、ゆっくり頷いた。


「ええ」


「それが、あなたの罪です」


沈黙。


涙が、

石の床に落ちる。


「――裁きは?」


サルヴィオスが、かすれた声で問う。


大神官が答える。


「神官位は剥奪する」


「二度と、

聖別工程には関われない」


「だが――」


一拍置く。


「処刑はしない」


ざわめきが起きかけるが、

巫女が手を上げて制した。


「罰とは、命を奪うことではありません」


「“考え続ける場所”へ戻すことです」


サルヴィオスは、

深く頭を下げた。


「……ありがとうございます」


それが、

彼の最後の神官としての言葉だった。



その日の夕刻。


境界の宿。


エリアスは、

エルマスから静かに話を聞いていた。


「……そう、でしたか」


拳を握りかけて、

力を抜く。


「裁かれた」


「でも、

殺されたわけじゃない」


エルマスは、頷く。


「神殿は、

神の名で“終わらせる”ことを

選びませんでした」


「今回は――」


少し言葉を探す。


「人に、返したのです」


エリアスは、俯いた。


(……重いな)


神に任せれば、楽だった。

考えなくて済む。


だが――


(それじゃ、同じことが起きる)


顔を上げる。


夜の境界は、静かだった。


「……俺」


ぽつりと、言う。


「見なかったことに、したくないです」


エルマスは、何も言わなかった。

否定もしない。


ただ、

それでいいとでも言うように、

そっと視線を外した。


神の言葉は、

もう沈黙している。


だが――


その沈黙に、

どう応えるかは、

人の側に残されたままだった。

 

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