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3話 毒と悪

 あれだけ空を覆っていた雲は一体どこに行ってしまったのか。台風一過とはまさにこのこととばかりの青空が、頭上一杯に広がっている。日が差せばまだまだ暑い日もあるが、遠くまで澄んで見える空の鮮やかな青は、季節が秋に変わっていることを明確に主張しているようだった。

 これぞまさに七輪日和である。

「では皆さん、そろそろ七輪の方も温まってきた頃合だと思いますので、これより焼きキノコパーティを始めたいと思います」

「いよっ、待ってました!」

 斉藤さんから歓声が上がる。七十を過ぎているとは思えないほどのはしゃぎようだ。いくつになっても美味しいものを食べる喜びに変わりはないのかもしれない。

 いやむしろ、歳を取ったらそれくらいしか残らなくなるのか?

「飲み物はお茶やお酒をご用意させていただきましたので、お好きなものを選んでいただくとして、本来ならお好みのキノコをご自身で思う存分焼いていただきたいところなのですが――」

 ハヅキさんに視線を移しながら、続ける。

「今回、最初だけは全員で同じキノコを味わっていただこうと思っています」

「ほほう、まぁ新人さんもおるし、その方がええかもなぁ」

 元親分さんだと思うと、ミシマさんの眼光は余計に鋭く感じられる。でも逆に有名な食通の人じゃなかったというのは少しガッカリだ。この料理を作ったのは誰だぁとか、一度くらい言われたかったなぁ。

「そんなワケで皆さんには、コレを焼いて食べていただきます」

 そう言いつつ取り出したのは、浅めの籠に並べたカラフルなキノコである。かつてとある配管工が食べて巨大化を果たし愛しの姫を救ったという伝説を持つとさえ言われる、一般人が想像するところの代表的な毒キノコである。実際、洋の東西を問わずに毒キノコと認知されている有名なキノコだ。

「ベニテングタケだね。美味そうだ」

 ミシマさんの発言は至極真っ当なのだが、それは一般人の感覚からは激しくズレている。事実、恐らくはこのキノコを初めて目にしたであろうハヅキさんの顔は、不安と嫌悪に満ちていた。

 それは何と言うか、子供が気ままに着色したサンプル食品を実際に食卓に並べたりしたら見られそうな顔だ。

「それ、食べられるものなんですか?」

 間違いなく彼には、これが自然にニョキニョキと生えていることすら信じられないに違いない。まぁ、私も子供の頃はピーマンがプラスチックだと信じて食べなかったクチだから、その言い分はわかる。

「もちろん食べられますよ。とりあえず焼いて、少しだけ醤油を垂らして食べてみてください」

 不安そうな顔で赤地に白い斑点の毒々しいキノコを眺めるハヅキさんとは対照的に、既に何度も食べたことのある他の面々は楽しそうに焼き始めている。すぐに湯気と煙が上がり、甘みのある芳しい匂いを放ち始めた。

 その香ばしい匂いを嗅いで少し安心したのか、ハヅキさんも目の前の七輪で怪しいキノコを焼き始めることにしたようだ。

「世の中に毒キノコと呼ばれるモノは多数ありますが、その中でもこのベニテングタケは見た目の印象から最もそれらしいキノコの一つだと思われています。一説には『派手なキノコは危ない』という風説を作り上げたキノコだとも言われています」

「あれ、実際そうじゃないの?」

 ベニテングタケを箸で転がしながら、秋風さんがキョトンとした顔を上げる。

「必ずしも的確ではありませんね。見た目が地味でも危険なキノコは山ほどありますし、派手で食べられるキノコも少なくはないです」

「でも、さすがにコレは毒なんですよね?」

 いい匂いを鼻腔に収めても、否収めているからこそ見た目とのギャップに戸惑っているハヅキさんの質問に、私は大きく頷いた。

「もちろんです。ここは毒キノコを食べるためのキノコパーティですから」

「まぁ、ベニテングタケはそんなに危険なキノコじゃないがな」

「え、そうなんですかっ。こんなに毒々しいのに……」

 ミシマさんの言葉にハヅキさんは本気で驚いているようだ。

「実際、ベニテングタケは昔から食べられてきたキノコです。特に山に詳しい人達の間では珍味として重宝されてきたと言われています。塩に漬けて毒抜きをする地方もありますが、そのまま食べる人達も多かったようですね」

「それだと、結構犠牲者が多いんじゃ?」

「いえいえ、このベニテングタケでの死亡例は記録に残っている範囲では十件に満たないと言われています。年間じゃないですよ。記録されるようになって以来という意味です」

「そんなに少ないんですかっ?」

 さすがにこの数字を見た時は自分も驚いたものだ。このベニテングタケは先々代の頃から積極的に出していたから存在自体は知っていたものの、やはりそのままでは危険なキノコだろうという印象はあったから。人もキノコも、見た目の印象というのは軽視できない。

 イケメンでイイ奴とか、都市伝説であるべきだ。

「そろそろ焼けたかなー?」

 焦げ目がついていることを見極めてから、斉藤さんは皿に取って醤油を垂らす。ジュッという音を立てて醤油の焼ける匂いが立ち上った。その匂いだけで腹が鳴りそうである。

「うん、美味いっ!」

 笑顔と共に放たれるシンプルな言葉が、全てを物語っている。他の面々もつられるようにして皿に取り上げ、競うように頬張った。

 そして歓声が上がる。その声にはもちろん、ハヅキさんも含まれていた。

「ハヅキさんはグルタミン酸を知っていますか?」

「えっと、聞いたことはありますけど、何でしたっけ? 旨みか何かでしたか」

「そう、味の素と言えばわかりやすいでしょうかね。旨み成分です。このベニテングタケには複数の毒成分が混在しているのですが、その中にイボテン酸というものがありまして、これがグルタミン酸と類似の構造を持っているんですよ」

「へぇ……この甘いような美味しさはそのせいなんですか」

「しかもこのイボテン酸というのは、グルタミン酸よりも旨みを感じる最低濃度が低い――すなわちより強い旨みを感じるんです。約十倍と言われていますね。食べたことのある人がシイタケやシメジより美味いと口にするのは、当然の話なワケです」

「なるほど……これは確かに毒でも食べようって人がいるワケですね」

「まぁ、食べる目的は味だけじゃないんですけどね」

「え、どういうことですか?」

「これはグルタミン酸にもある効果なのですが、興奮作用があるんですよ。しかもイボテン酸の興奮作用はグルタミン酸の数倍以上と言われていますからね。毒というよりは酒や麻薬に近い印象かもしれません。昔は戦闘の前に食べたとか、そんな話も残ってますよ」

「なるほど、ドーピングですか」

 宇宙開拓時代を経た現代において、ドーピングはそれほど悪いことという認識はない。

「もっとも、テングタケ属のキノコにはイボテン酸だけでなくムッシモールやムスカリンなどの神経系に作用する毒物も含まれているので複雑な中毒症状を見せますけどね。食べ過ぎると幻覚とか見えるらしいですよ」

「そこまで行くとまさしく麻薬ですね」

 やはり刑事としては気になるところなのだろう。食べるのをやめるつもりはないようだが。

「さてと、では皆さん、今の一本を踏まえてもう一本、続けて焼いてみてください」

 そう言って用意したのは、形こそそっくりだが灰褐色の傘に白い斑点のキノコだ。特に毒々しいというイメージではない。シイタケなどと並べられたら食べられそうでもある。

「ほほぅ、これは……」

 既にわかっているミシマさんが口元をニヤつかせる。コマガワさんは涎でも垂れたのか口元を拭い、ハヅキさんの反応を想像してか斉藤さんはやけに楽しそうだ。そして秋風さんは生のまま――

「ちょっと待ったー! 秋風さん、せめて焼いてください!」

「えー、一回生でかじってみたい」

「いや、構わないですけどね。多分、さすがに美味しくないですよ?」

「……じゃあ焼く」

 危なかった。アラフォー女子が生のキノコを頬張るとか、放送コードに引っかかるどころか纏めて切断するレベルの大事故だ。

「こっちのキノコは、一見すると普通に食べられそうですけど」

「まぁ形はベニテングタケと一緒ですから知っている人間ならそれなりに見分けのつくキノコではありますがね」

「確かに。ということは、仲間ですか?」

 頷きを返すと、ハヅキさんは笑みを浮かべた。ベニテングタケの味は気に入ってもらえたらしい。

「これは上に何もつかないテングタケです。死亡例はそう多くありませんが、ベニテングタケに比べれば危険なキノコですよ。特にアマトキシン類の成分が危険ですね。テングタケにはα‐アマニチンという毒成分が含まれています」

「アマニチンは怖いですよねぇ」

 そう言葉を挟んできたのはコマガワさんだ。恐らくだが、自身で使ったこともあるのだろう。他人にこんな危険物を摂取させるとか、外道の極みである。

「このα‐アマニチンというのは熱に対して強い遅効性の毒素でして、細胞組織を壊死させてしまうという恐ろしい力を持っています。肝機能や腎機能がやられるので、単に死亡するだけでなく後遺症が残ることも多いという厄介な毒物なんですよ。しかも、基本的に吸収させないことが最良の対処法なんですが、遅効性であることで初期症状が遅れるので対処も遅れがちになるのが恐ろしいところです」

「……えっと、食べない方がいいのでは?」

「普通の人ならそうです。でも、ハヅキさんはぜひ食べてみてください」

 別に死ねと言っているのではない。

「そこまで言うならまぁ、わかりました。じゃあ、少しだけ」

 呟くようにそう言ったハヅキさんは、遠慮がちな箸運びで裂かれたテングタケを摘み、自分の皿に載せる。そこに醤油を僅かに垂らして立ち上る風味に唾を呑み込むと、その勢いのまま茶色い傘を口の中に放り込んだ。

「これは……美味しい……」

 感嘆の溜め息と共に言葉が漏れる。その反応に周囲の面子も満足したような笑顔を浮かべた。

「そうでしょう。テングタケはテングタケ属の中でもイボテン酸を最も多く含んでいます。ベニテングタケの十倍と言われていますね。濃厚な旨みはそのためです」

「なるほど……美味いワケですね」

「それで、どうです?」

「どう、とは?」

 ハヅキさんは首を傾げた。

「美味しい毒も、世の中にはあるんですよ」

「そうですね。確かに美味しい」

 そう言ってテングタケを更に頬張る。

「あの人が、コマガワさんが毒そのものかどうかはまだわかりませんが、こういう毒なら、あるいは誰かに求められても不思議じゃないのかもしれません」

「コマガワさんは、毒がどんなものなのかを良く知っています。もちろん、その悪い部分も含めての話です。自分のことを危険だとわかっている毒なら、付き合いようはあると思うんですよ。問題なのは毒のクセに美味い、こういう厄介な奴です。こういうのがいるから、毒に惹かれる者が後を絶たない」

「ははっ、辛辣ですね、館長さんは」

「正直なだけですよ」

 いや、そうではないのかもしれない。

「……先程イボテン酸とグルタミン酸の構造が似ているとお話ししましたが、それがどうしてなのかわかりますか?」

「どうして? 何か理由があるんですか?」

「ええ、脱炭酸という化学反応がありまして、二酸化炭素が抜け落ちるというものなんですが、グルタミン酸がそれを起こすとトリコロミン酸という物質になります。これも旨みの強い成分でハエトリシメジの美味しさはこちらだと言われていますね」

「けったいな名前の割に美味しいというのも意外ですね」

「ちなみにですが、テングタケにもハエトリタケという別名がありますよ。割いて置いておくとハエが寄ってきて、舐めると動けなくなってコロリと落ちるんだそうです。このトリコロミン酸が脱炭酸したものがイボテン酸になります。更にこのイボテン酸が脱炭酸を起こすとムッシモールという幻覚作用を起こす毒成分へと変化します」

「つまり、親戚みたいなものですか」

「そうです。繋がっているんですよ。そもそも毒かどうかの線引きは人間が自分達の都合で勝手にしているものです。グルタミン酸にも致死量があるんですよ。塩だって水だって、グルタミン酸だってイボテン酸だって、テトロドトキシンだってアコニチンだって、微量であれば何ともないし過剰なら毒になるんです」

「でも、イモガイの毒は塩や水のように必要不可欠なものじゃありません。過剰に強い毒の存在を許す必要はありますかね?」

「私もそう思ってましたよ」

 だからいつも、疑問に思っていた。どうしてこの人達は、自ら進んで毒を食べようと思うのか、と。

「でも、その毒を克服したからこそ、そのテングタケは美味しいんじゃありませんか。危険だからと単に排除するのではなく、存在することを許容することこそ、人の英知と技術の成せる業だと思いますけどね」

 ハヅキさんは少しだけ考えこむように俯いてから、不意に顔を上げてテングタケを頬張った。醤油の香りに乗った甘い芳香が、それだけで食欲をそそる。

「舌に乗せただけでダイレクトに美味しいと思う食べ物なんて、初めてですよ。シャキシャキした歯応えと醤油の風味が、何と言うかこう……人って、こんな簡単に幸せになれるものなんですね」

「本能ですからね、人間の」

 あぁ、そうだ。私はやはり羨ましいんだ。死に至る毒を口にして美味いと口にする彼らが、たまらなく妬ましいのだ。

「もう一度話してみますよ、コマガワさんと」

「そうしてあげてください。あと、ウチの旅館にも気を遣ってもらえると嬉しいです」

「善処します」

 笑顔のままに、ハヅキさんはコマガワさんへと歩み寄った。

 作戦は成功だ。説明した通り、イボテン酸というのは興奮作用が、ムッシモールには幻覚作用がある。高揚した気分で冷静さを失った今の状況なら、ちょっとくらいグレーな取引でも成立するかもしれない。

 グッジョブ、テングタケ!

「館長さんも色々大変ですなぁ」

 ハヅキさんを見送って振り返ると、そこにミシマさんがいた。

「いえいえ、大したことじゃありません」

 自分のためです。

「彼、刑事か探偵かってとこかね?」

「あぁ、気付いてましたか」

「ひょっとしてですが、コマガワさん関連のことですかな?」

「……全部知ってて聞いてます?」

「さて、それはどうかなぁ」

 薄くなった頭をポンポンと叩きながらホホホと笑うミシマさん。やはり底の知れない人だ。一番敵に回したくないのはこの人だな。鉄砲玉とか送り込まれても困るし。

「まぁお互い、ここでは毒を愛する同士の一人に過ぎないからねぇ。ここがなくなると困るのは、何も館長さんばかりではないってことですよ」

「ありがたい話ですが、危険な密談は外でやってくださいね」

「心がけましょう。とはいえ、呉越同舟となれば話さないワケにもいきますまい。これからもどうぞよしなに、船頭さん」

「酷い丸投げに聞こえるんですけど……」

「ならば、一緒に酔ってはいかがかな?」

 ミシマさんの言いたいことはわかる。自分でも考えたことがないワケではない。身体にメスをいれるのにはもちろん抵抗があるが、美味いとわかっているものを目の前にして食べられず、しかも味見すら満足にできないという状況が、やはりもどかしい。作る側としても食べる側としても、毒料理は頭の痛い存在だ。

 そしてそれを、この先何年も続けていかなくてはならないのかと思うと、いっそ吐きそうである。食べてもいないのに。

「船頭が酔ってもいいものなんでしょうかね?」

「酔ってみなければ見えない景色というのもあると思うんですよ、私は。恥を忍んで告白するとね、昔撃たれたことがありまして。運悪く肝臓をやっちまいました。あの時は苦しかったなぁ。いやホント死ぬと思ったもんだ」

 もしその時に死んでいたら、そもそもこんなトラブルは起こっていなかったのかもしれない。いや待て、それだと今までの売り上げもなくなるということだからマズい。

「何か、映画か何かの話みたいですね」

「そんないいもんじゃないさね。ただ撃たれる前は、肝臓を失うことでこんなに美味しい思いができるなんて考えもしなかったことだ。いや全く、生きる道というのは不思議なものだ」

「つまり、お前も撃たれるべきだってことですか?」

「それで美味しいモノが作れるようになるのなら協力するがね?」

「いえ、遠慮します」

 イカン、シャレにならん。

「館長さんの料理の腕は本物だ。今のままでも十分に美味しいですよ、もちろん。だが、酔う楽しみを憶えた館長さんには、もっと美味い毒料理を追求できると思っているんだがね、私は」

 さすがは人の上に何十年も立っていた器だけのことはある。その言葉には素直に引かれた。今なら万引きくらいはできそうな気がする。

「ミシマさんは、そうやって何人を悪い道に引き込んだんですか?」

「そんなつもりはなかったが。やれやれ、まぁ確かにそう言われては返す言葉もあらんわな。でもなぁ館長さん、上から見下ろす王のような存在にしか見えない景色があるように、地べたに這いつくばってしか拝めない景色というものも、確かにあるのだよ」

「……そうですね」

 なるほど、万引きじゃなくて覗きという悪事もアリか。だとしたらパンツとか太股とかだな。しかし上から見下ろす谷間というのも捨てがたいのではあるまいか。

「立場の正反対な二人が同じ価値観を持つ、それは有意義なことではないかね。そのためにもここは、毒を愛する人間達の楽園であって欲しいのだよ。まぁ、一人の客のワガママでしかないが」

「楽園、ですか。これはまた過大な評価をいただいたものです。でも、そうですね。仮に敵対する方達であったとしても、毒が好きであるなら快く迎え入れる、そんな節操のな――じゃなくて分け隔てない旅館を作っていけたらいいなと素直に思いますね」

 主に売り上げ的な意味で。

「うむ、それはまさしく理想だな」

「きっと大丈夫です。なれますよ、今の彼らのように!」

 そう言って持ち上げた視線の先では、二人の男が言い争っていた。

 うん、あれ?

「ちげーよ、ホモじゃねーよっ。娘だっているノンケだよ!」

「嘘つけよっ。絶対にオレのケツ狙ってただろ!」

 しかもホモかどうかで言い争っているらしい。不毛にもほどがある言い争いである。そして更に言えば、二人共テンションがかなりおかしい。

「ありゃ完全に酔っとるな」

 そういえば、イボテン酸の興奮作用は怒りっぽくなるらしいと聞いたことがある。アレならむしろ、中毒でぶっ倒れて目を回してくれた方が扱いやすいのではなかろうか。

 ガッデム、テングタケ!

「うむ、仲がよさそうで結構結構」

「え、あれでいいんですかっ?」

「さて、私も少し酔ってくることにするよ。死の天使とダンスの約束があるんでな」

「ははは、どうぞごゆっくり」

 デス・エンジェルというのはドクツルタケの英語圏における別名である。綺麗な純白の天使キノコから繰り出される強烈なポイズンアタックで何人の紳士が昇天したかわからない。ちなみに日本での別名に当たったら死ぬという意味で『テッポウタケ』というものもある。

 ミシマさんはよほど撃たれるのが好きらしい。Mか。

 普通に考えれば、皆で毒を囲んでラリった言葉を吐き合うなど正気の沙汰ではないだろう。狂っていると言っても過言ではない。しかしこんな混乱と混沌の中でも、笑顔が曇ることは最後までなかった。美味しいだけではない魅力が、確かに毒料理にはあるのかもしれない。

 あの中に入ったら、自分にもその景色が見えるのだろうか。

 ちなみに今入ったら、お花畑が見えるというのが悲しい事実だ。

 翌日、チェックアウトの時に斉藤さんを呼び止め、あまり痛くない病院を教えてもらった。



「ようこそお出でくださいました!」

 毒料理を食べられるようになったからといって、何かが劇的に変わるというワケじゃない。ウチは相変わらず細々と、花見や紅葉目当ての客をメインに、時折毒料理を振舞ってやっている。

 ただ、今まで食べられないものが食べられるようになって、食べることが楽しいと思えるようになった。そういえば、子供の頃は嫌いだったピーマンを美味しいと思えてから、好きな料理が格段に増えたっけ。あれが大人になるということなのかもしれない。

「準備は上々です。さぁ逝きましょうか」

 そしてまた、お客様を毒に染めていく。

 今までは、如何にして毒を美味しくするかを考えていた。でも今は、毒の美味しさを如何にして伝えるかと思うようになっている。その苦さも渋さも毒の魅力だ。もちろん、イボテン酸のような例外は薦めるまでもない。これが旅館を預かる者として、もっと言えば人間や生物として正しいことなのか、そんな新しい疑問が湧き上がりつつある。

 しかし、美味しいものは仕方ない。むしろ毒の旨みを知ることは、人類が成熟するためには必要なんじゃないかとさえ思う。それが悪というなら、そう認めた上で最後の一皿まで平らげるべきだ。

「どうぞ、ごゆるりとお楽しみください」

 そうそう、コマガワさんは今刑務所に入っているらしい。先日毒料理を差し入れたミシマさんによると、なかなか毒が食べられなくて淋しいらしい。ちなみに娘さんはミシマさんの屋敷で暮らしているそうだ。

 次にコマガワさんがウチを訪れるのは、娘さんが大人になった頃だろうか。

「ありがとうございました。またお出でくださいませ」

 毒を持つ生き物が数え切れないほど存在するように、それを克服して食べられるようになった生き物も決して少なくはない。毒を食べることは悪ではない――いや、命を狩ることも含めて悪と認めた上で食するべきなのかもしれない。

 この世に食べられないものなどない、今はそんな気がしている。

 そういえば、月や太陽って、食べたらどんな味がするのだろう。月といえば中にクリームが入っているのが定番だし、太陽のフレアなんてワタ飴みたいで少し美味しそうにも見える。

 そんなことを考えるだけで喉が鳴る。腹が鳴る。


 いやはや、人の業は本当に深い。

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