EP 2
『ルナミス皇帝の密命と、情報統制局の切り札』
「マルクス陛下。例の『エージェント・キュララ』が、無事ポポロ村への潜入を完了いたしました」
ルナミス帝国・帝都の中央にそびえ立つ、豪奢な皇帝執務室。
分厚いペルシャ絨毯の上に直立した内務官オルウェルは、冷たい銀縁眼鏡の奥の瞳を一切笑わせることなく、手元のタブレット型魔導通信石を読み上げた。
窓辺に立ち、初代皇帝・佐藤太郎の遺産である魔導車が行き交う近代的な街並みを見下ろしていたマルクス皇帝は、手にした高級ワインのグラスをゆっくりと回した。
「……ご苦労だった、オルウェル。彼女の調子はどうかね?」
「極めて良好です。すでにゴッドチューブの生配信を開始しており、同時接続数は瞬く間に数百万を突破。対象である『ポポロ村』のゲート前からの映像が、現在全世界の魔導通信石へとリアルタイムで送信されております」
オルウェルがタブレットの画面をスワイプし、空中に巨大なホログラム映像を投影した。
そこには、無駄に装飾の多いド派手な聖騎士の鎧を着込み、背中に小さな天使の羽を揺らしながら、あざといウインクを放つ金髪の少女――キュララの姿が映し出されている。
『はーいみんなーっ! 今日はねー! なんと、今ネットで一番ヤバいって噂の辺境の村に、突撃ロケに来ちゃいましたー!』
画面の中でキャピキャピと飛び跳ねる少女の姿を見て、マルクス皇帝は重々しく頷いた。
「素晴らしい。彼女のその『圧倒的な陽のエネルギー』と『底なしの自己顕示欲』……それこそが、我がルナミス帝国情報統制局が手塩にかけて育て上げた、最恐の心理兵器だ」
マルクス皇帝の顔に、冷徹なリアリストとしての影が落ちる。
現在、ルナミス帝国上層部は、かつてないほどの深刻な危機感に苛まれていた。
三国間の緩衝地帯に過ぎなかったはずの辺境の村、ポポロ村。
そこへ突如として現れた正体不明の『覇王(龍魔呂)』は、瞬く間に亡命した月兎族の姫君キャルル、世界樹の次期女王ルナ、そしてシーラン国の王女リーザまでもを手懐けた。
さらには、あの『主人喰い』として他国の貴族から恐れられる冷酷な人狼の執事リバロンまでもが、嬉々として彼の軍門に降り、村の宰相として辣腕を振るっているというではないか。
「……先の『死蟲軍数万・一撃殲滅事件』の映像は、我が軍の将官たちを絶望の淵に叩き落とした」
マルクス皇帝は、ギリッと奥歯を噛み締めた。
魔導戦車や長距離魔砲を何百門並べようと、あの黄金と赤黒い闘気を纏う覇王の『草刈り鎌』の一振りには及ばない。物理的な武力衝突は、帝国にとって完全な自殺行為だった。
「武力が通じないのであれば、別の手段で奴の帝国(ポポロ村)を内側から崩壊させるしかない。……そうだな、オルウェル」
「御意。物理的破壊が不可能であれば、『世論』と『経済』、そして『監視』によって、奴の正体を暴き、社会的に抹殺するまでです。それを実行するのが、我らがエージェント・キュララ」
オルウェルが眼鏡をクイッと押し上げる。
「彼女を我々が保護したのは、数ヶ月前のことでした」
ホログラム映像が切り替わり、ルナミス帝国の公園に設置された防犯カメラの映像が映し出された。
そこには、ボロボロの衣服を纏ったキュララが、公園のハトと本気の殴り合いをしながら、ハト用の餌(米麦草)を奪い合って貪り食っているという、涙ぐましい(そして酷く底辺な)光景が記録されていた。
「天界から憧れのルナミスに降り立ったものの、初日で財布を落として餓死寸前。あげく、ハトと餌を奪い合っていたところを、我が国の警察が保護しました。……しかし、私は彼女の『異常なまでの図太さ』と『カメラを向けられた際の謎のアイドル性』に目をつけたのです」
オルウェルは彼女を帝国直営のメイド喫茶に叩き込み、徹底的な情報エージェント(ゴッドチューバー)としての教育を施した。
結果として、彼女は持ち前の明るさと「ノーダメージで他人に甘える天賦の才」を開花させ、瞬く間に大陸トップの配信者へと上り詰めたのだ。
「現在、彼女の背後には、我が帝国軍情報部サイバーテロ対策室……通称『特定班』が控えております」
オルウェルが冷酷な笑みを浮かべる。
「エージェント・キュララが対象にカメラを向けた瞬間、特定班が対象の個人情報、裏口座、過去の失言などを一瞬で洗い出し、全世界のネットの海へと『デジタルタトゥー』として刻み込む。さらに、QR決済インフラである『ルナペイ』のアルゴリズムをハックし、熱狂的なリスナーからの投げ銭(資金)を彼女に集中させる……完璧な情報洗脳システムです」
「うむ。そして今、彼女はその矛先を、あの忌まわしきポポロ村の覇王へと向けたわけだ」
マルクス皇帝は、再びホログラムの生配信映像へと視線を戻した。
『そう! ここが噂の、ポポロ村でーす! 今からこの村の村長さんの家に行って、美味しいご飯おごってもらいに行っちゃうよー☆ みんな、応援よろしくねっ!』
画面の中で、キュララは悪びれもせず「タダ飯を食いに行く」と宣言し、ポポロ村のゲートを堂々と潜り抜けていく。
「……見事だ。実に見事な潜入工作(トロイの木馬)だ」
マルクスは、感嘆の息を漏らした。
他国の軍勢が近づけば即座に消し炭にされるであろう悪魔の巣窟に、あえて『無力で図々しいアホな少女』を装って単身乗り込む。
これにより、覇王側の警戒心を完全に削ぎ落とし、内部の機密情報(軍事施設や兵站ライン)を、生配信という形で白日の下に晒す気なのだ。
「彼女のあの『美味しいご飯おごってもらいに行っちゃうよ!』という気の抜けた声……あれもすべて、敵の隙を誘うための高度なブラフ。腹の底では、帝国のエージェントとしての冷徹な計算が働いているのだろうな」
「ええ。彼女はプロです。決して、ただ飯が食いたいだけの底抜けの阿呆などではありません。すべては、帝国の勝利のため」
ルナミス帝国のトップ二人は、完全にベクトルが明後日の方向に向かったシリアスな深読み(勘違い)を展開し、勝手に感極まっていた。
しかし、彼らは知らない。
エージェント・キュララの頭の中には、帝国の密命など一ミリも存在せず、ただ純粋に「あの村に行けば、ヤバいくらい美味しいタダ飯が食えるらしいじゃん! ラッキー☆」という、ハトと餌を争っていた頃から一切成長していない、本物の強欲しか詰まっていないという事実を。
「……フッ。勝負あったな」
マルクス皇帝は、手元のワイングラスを掲げ、ホログラムのキュララに向かって祝杯を挙げた。
「覇王よ。我が帝国の誇る、最恐の『目』から逃れられると思うな。貴様の化けの皮をひっぺがし、その首を大衆の世論というギロチンにかけてやる」
帝国の命運を懸けた、完璧にして最悪のスパイ計画。
だが、その『無敵の情報兵器』が、これからたった一杯の極道農家の『飯』によっていとも容易く雌豚のように胃袋を調教され、あまつさえ帝国を裏切ってアヘ顔を全世界に晒すことになるなどと……。
この時のマルクス皇帝は、知る由もなかったのである。
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