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百合の波動を観測します ~限界OL隅野ミキの命がけ報告書~  作者: 抵抗する拳
戦場の裏側――観測対象: ジャンヌ 、ディアドラ
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世界がのぞんだ終焉と、私たちが選んだ始まり④


 逃避行が始まってから、どれほどの月日が経ったものか。

 二人の旅路は唐突にそして必然的に終わりを迎えた。


 世界の果て「嘆きの岬」。

 断崖絶壁の先には、どこまでも広がる鉛色の海と水平線に沈みゆく赤黒い太陽だけがあった。

 行き止まりだ。もう、これ以上進む道はない。


 そして二人の背後には世界そのものが迫っていた。


 ザッ、ザッ、ザッ、ザッ⋯⋯。


 地平線を埋め尽くすのは人類最強の聖騎士団。

 空を覆うのは無機質な翼を広げた天界の調律者たち。

 大地を震わせるのは魔王の制御を失い暴走した魔獣の群れ。

 数万、いや数十万。

 世界のシステムが、たった二人の「バグ」を消去するために動員した、過剰すぎるほどの戦力だった。


 逃げ場はない。

 二人の魔力はとうに底をつき身体はボロボロで立つことさえままならない。

 なのに。

 

(⋯⋯ああ。なんて綺麗な顔なの)


 私は観測空間の中で涙で滲む視界を必死に拭いながら、その光景を見つめていた。

 絶体絶命の窮地だというのに崖の端に立つ二人の顔には、絶望の色など微塵もなかったのだ。

 むしろ長い長い憑き物が落ちたように晴れやかで、穏やかだった。


 カラン、と乾いた音が響いた。

 ジャンヌが手にしていたボロボロの聖剣を無造作に放り投げた音だった。

 それは彼女が「勇者」であることを辞めた合図。


 続いてカタリ――ディアドラもまた、杖代わりにしてきた折れた魔剣を地面に落とした。

 それは彼女が「魔王」であることを辞めた合図。


 二人は示し合わせたように崖の端に腰を下ろした。

 背後に迫る数万の敵になど目もくれず、ただ沈みゆく夕日だけを見つめて。


「⋯⋯ふぅ」


 ディアドラが深く息を吐き出す。

 海風が彼女の短くなった黒髪とジャンヌの汚れた銀髪を揺らす。


「⋯⋯短かったな。私たちの『人生』は」


 ディアドラがぽつりと呟く。

 勇者と出会い、手を取り合ってからの逃避行。

 それはわずか一ヶ月足らずの時間だった。長い時を生きた魔王にとって、それは瞬きするほどの刹那に過ぎないはずだ。

 だがその言葉には数十年分の重みよりも遥かに深い実感が込められていた。


 ジャンヌは隣に座るディアドラの横顔を見つめ、静かに頷いた。


「ああ。⋯⋯本当に、あっという間だった」


 彼女は遠くを見つめる。

 勇者として生きてきた。来る日も来る日も剣を振るい、称賛を浴び、孤独に耐え続けた日々。

 それは確かに長かったが今思い返せば、それは色のないモノクロームの記録映像のように無機質だと思える。


 それに比べてこの一ヶ月はどうだ。

 泥水をすすり、寒さに震え、傷を舐め合った日々。

 初めて知った古びたパンの味、人の肌の温もり、誰かと眠る安らぎ。

 その全てが鮮烈な色彩を持って記憶に焼き付いている。


「でもな、ディアドラ。⋯⋯勇者として生きた人生よりも、お前と逃げたこの一ヶ月の方がずっと人間らしかった」


 ジャンヌの言葉にディアドラが目を見張る。

 そして、くしゃりと顔を歪め泣き笑いのような表情を浮かべた。


「⋯⋯馬鹿者め。最期まで、お前は⋯⋯」


 ディアドラが、そっと手を伸ばした。

 ジャンヌの手の甲にディアドラの手が重なる。

 どちらの手も傷だらけで泥だらけで、そして小刻みに震えていた。

 それは死への恐怖ではない。

 ただ、この愛しい温もりを手放したくないという魂の震えだ。


 ジャンヌはその手を下から強く握り返した。

 指と指を絡ませる。もう二度と誰にもほどけないように。


「⋯⋯なぁ、ジャンヌ」

 ディアドラが沈む夕日に照らされながら、夢を見るように語りかける。


「もしも⋯⋯もしも、次があるのなら」

「ああ」

「生まれ変わったら。⋯⋯今度は、剣も魔法もない世界がいい。勇者も魔王もいない、ただの⋯⋯平和で、退屈な世界がいい」


 ディアドラの声が詰まる。

 魔王としての威厳など、もうどこにもない。

 そこにはただ幸せになりたかった一人の少女がいるだけだ。


「そこで、ただの⋯⋯普通の人間としてお前と出会いたい。⋯⋯殺し合うためじゃなく、愛し合うためだけに」


 その切実な願いは夕凪の海に吸い込まれていく。

 世界の理によって否定された願い、それをジャンヌは強く肯定した。


「ああ、約束だ」

 ジャンヌはディアドラの瞳を真っ直ぐに見つめ返す。


「次は、二人で学校へ行こう」

「⋯⋯学校?」


「ああ。昔読んだことがある異界の知識だ。そこでは同い年の子供たちが戦い方ではなく、生き方を学ぶ場所なんだという」

 ジャンヌは、まだ見ぬ未来を空想するように言葉を紡ぐ。


「制服を着て、鞄を持って。⋯⋯放課後には寄り道をして。クレープという甘い菓子を食べて、くだらない話をして⋯⋯」

 ジャンヌは、握りしめた手に力を込めた。


「そして、恋をしよう。⋯⋯誰にも邪魔されず、誰にも呪われず。ただ当たり前に、お前を愛したい」


 ディアドラの瞳から、大粒の涙が溢れ出した。

 それは夕日に照らされて宝石のように輝きながら頬を伝う。


「⋯⋯うん。うん⋯⋯。約束だ。⋯⋯絶対だぞ、ジャンヌ」

「ああ。魂に刻んでおく。⋯⋯何があっても、必ずお前を見つけ出す」


 ヒュンッ――風を切る音がした。

 背後で数万の弓が一斉に引き絞られた音だ。

 魔力充填の光が世界を白く染め上げようとしている。

 処刑の時間は来た。

 世界はもう、これ以上のバグを見逃してはくれない。


 二人は振り返らなかった。迫りくる死など、どうでもいいというように。

 大切なのは今ここに「貴女」がいること。

 そして、未来への約束が交わされたこと。

 それだけで、この人生は「勝利」で飾られるのだから。


「⋯⋯愛している、ディアドラ」

「⋯⋯私もだ。愛している、私の勇者」


 二人は互いの体を抱きしめ合った。

 無数の矢が放たれ極大魔法が発動する。

 世界を揺るがす轟音が二人を飲み込もうと迫る。


 その刹那――二人の唇が重なった。

 それは情欲の口づけではない。

 魂と魂を繋ぎ止め、次の輪廻へ渡るための絶対不可侵の契約。


 カッ――――――――!!


 視界が、純白に染まる。

 痛みはない。悲しみもない。

 ただ圧倒的な光の中で、二つの魂が融け合い、螺旋を描いて昇っていく感覚だけがあった。


 プツン。

 私の脳内で何かが焼き切れる音がした。

 強制遮断。

 観測者としての許容量を超えた「尊さ」と「愛」の奔流が、私を現実世界へと弾き飛ばしたのだ。



「はぁッ⋯⋯! はぁ、はぁ⋯⋯ッ!!」


 現実世界、既に土曜日を迎えた早朝。

 ホワイトアウトした視界がゆっくりと色を取り戻すと同時に、私は万年床の上で崩れ落ちるように前屈みになっていた。

 呼吸が荒い。心臓が早鐘を打っている。

 全身が、まるでフルマラソンを完走した直後のように鉛のように重く、そして熱い。


 膝の上に置いていた厚手のタオルは、ぐっしょりと重く濡れていた。

 それが私の流した涙の量だった。


「⋯⋯終わった⋯⋯」


 掠れた声が静まり返った六畳間に吸い込まれる。

 終わったのだ。

 勇者ジャンヌと魔王ディアドラの物語は。

 世界中を敵に回し、それでも手を取り合って駆け抜けた二つの魂は、あの閃光の中で燃え尽き、そして旅立った。


 私は震える手でヘッドギアを外し、天井を見上げた。

 いつものような「尊かったー!」という高揚感はない。

 あるのは巨大な歴史の奔流に立ち会ってしまった者だけが感じる、圧倒的な喪失感と重厚な感動だけだった。


「⋯⋯約束。守れるといいわね」


 私は誰にともなく呟き、グラスの水を一気に飲み干した。

 冷たい水が火照った体に染み渡っても胸の奥に灯った切ない灯火だけは、消えることはなかった。



        * * *



 そして月曜日の朝が来た。

 週末の二日間、私は泥のように眠り夢の中で何度もあの二人の最期を反芻しきりだった。

 おかげで目は腫れぼったく、コンシーラーで隠しても隠しきれないほどの隈ができている。


 鏡に映る自分は相変わらず冴えないOLの顔をしていた。

 世界は何も変わっていない。

 今日も満員電車に揺られ、理不尽な上司に頭を下げ、無機質な数字を追いかける日常が始まるのだ。


「⋯⋯行かなきゃ」


 私は重い身体を引きずり玄関のドアを開けた。

 外は昨夜から降り続いていた雨が上がりかけていた。

 アスファルトが濡れて黒く光り、雲の切れ間から差し込む朝日が水たまりに反射してキラキラと輝いている。


 駅へと向かう通勤路、月曜日の朝ということもあり周囲は気怠げな会社員や、眠そうな学生たちで溢れている。

 私は俯き加減で歩いていた。

 あの二人の、あまりにも鮮烈な「生」を見た後では、この平和すぎる日常が、どこか色褪せた作り物のように感じられて仕方なかったからだ。


 信号待ちの交差点。

 赤信号で足を止める。

 ふと前方から賑やかな声が聞こえてきた。


「もうっ、早くしないと遅刻するよ!」

「待ってよぉ⋯⋯足、速いってば⋯⋯」


 女子高生の二人組が、信号が変わるのを待ちきれない様子で駆け寄ってきた。

 一人は少し癖のある金髪をポニーテールにした、活発そうな少女。

 もう一人は肩まで伸びた栗色の髪を揺らす、少しおっとりとした雰囲気の少女。


 どこにでもいる、ありふれた女子高生たちだ。

 制服を着て、サブバッグを持って、片手には食べかけのクレープを持っている。


 しかし。

 その姿を見た瞬間、私の心臓がドクン、と大きく跳ねた。


 ――まさか。


 私は目を凝らした。

 金髪の少女の意志の強そうな瞳、その横顔。

 栗色の髪の少女の優しげで、どこか理知的な眼差し。


 似ている。いや、他人の空似だ。わかっている。

 ここは異世界ではない。現代の日本だ。剣も魔法もない退屈で平和な世界だ。

 あんな劇的な最期を遂げた二人が、こんな都合よく、私の目の前に現れるはずがない。


 でも!


「ほら、信号変わった! 行くよ!」


 金髪の少女が栗色の少女の手をグイッと引いた。

 その強引さと頼もしさ。


「ああっ、もう! クリーム落ちちゃうよぉ⋯⋯!」


 栗色の少女が文句を言いながらも、嬉しそうにその手を握り返す。


「自業自得でしょ! 誰かさんが寝坊するから、朝ごはんにクレープなんて変なことになるんだから!」

「だってぇ⋯⋯昨日の夜、話し込んで寝かせてくれなかったのは誰ですかー?」

「うっ⋯⋯そ、それは⋯⋯放課後の寄り道の計画、立ててただけだし!」


 その会話が、私の鼓膜を震わせた。


 ――『次は、二人で学校へ行こう』

 ――『放課後には寄り道をして。クレープという甘い菓子を食べて』

 ――『くだらない話をして、恋をしよう』


 私の視界が一瞬にして滲んだ。

 信号が青に変わる。

 二人の少女はしっかりと手を繋いだまま、光の差す方へと走り出した。


 その背中はあの日の夕日の中で見たボロボロの鎧とドレス姿の二人に重なって見えた。

 今の彼女たちに傷も汚れも重すぎる使命もない。

 あるのは清潔な制服と甘いクレープと明日への希望だけ。


 彼女たちは、走っていく。

 世界の敵としてではなく、ただの「私たち」として。

 誰にも追われることなく、誰にも邪魔されることなく。


「⋯⋯あ⋯⋯」


 私の頬を熱いものが伝い落ちた。

 雑踏の中で私は立ち尽くしたまま、その背中が見えなくなるまで見送った。


「⋯⋯やっと、始められたのね」


 声が震えた。

 それは私の妄想かもしれない。ただの偶然かもしれない。

 けれど、それでいい。

 彼女たちが今、笑っている。

 その事実だけで、あの悲痛なレクイエムは祝福のファンファーレへと書き換えられたのだ。


 私は震える手でスマホを取り出し、メモ用の観測ログアプリを起動した。

 指先は新たな「記録開始」ボタンを押さずに最後の報告書を静かに更新する。


【観測報告書 No.129】(決定版)

対象:勇者ジャンヌ、魔王ディアドラ(の魂を受け継ぐ者たち)

判定:SSクラス(完全無欠のハッピーエンド)

備考:

 その波動はあまりに悲痛であまりに美しかった。

 世界という巨大なシステムに抗い、命と引き換えに「個」としての愛を勝ち取った記録。

 彼女たちの肉体は異世界で滅びたが、その魂の軌道は永遠に結ばれた。

 そして今、約束の地で新たな物語が始まっている。


 この観測記録は私の記憶の中にのみ墓標として残す。

 ログの保存は不要。これ以上の観測も不要。

 なぜなら、彼女たちはもう「観測者」など必要としないほどにありふれた、そして最高の幸福の中にいるのだから。


 私は入力画面を閉じ、スマホをポケットにしまった。

 涙を拭う。雨上がりの空はどこまでも高く澄み渡っていた。


「⋯⋯行ってらっしゃい」


 私は誰にともなく呟くと大きく息を吸い込んだ。

 肺の中に満ちるのは雨上がりの土の匂いと微かな甘いお菓子の香り。

 

 さあ、仕事だ。

 相変わらず世界は退屈で理不尽で無機質かもしれない。

 それでもこの世界のどこかで、あの二人が笑っている。

 そう思うだけで私の足取りは羽が生えたように軽かった。


 観測終了。ここから先は観測されない幸福。

 それは誰の目にも触れず誰の記録にも残らないけど間違いなく、この宇宙で一番尊い輝きを放っている。

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