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百合の波動を観測します ~限界OL隅野ミキの命がけ報告書~  作者: 抵抗する拳
戦場の裏側――観測対象: ジャンヌ 、ディアドラ
12/14

世界がのぞんだ終焉と、私たちが選んだ始まり②


 金属と魔力が衝突する轟音が、幾重にも重なって広間を揺らす。

 互いの全霊を賭した攻防は、すでに数百合を超えていた。

 勇者の神速と魔王の魔技。

 本来なら拮抗するはずの両者の力は、しかし残酷なまでに「世界の意志」によって傾けられていく。

 勇者には「加護」があり、魔王には「滅び」が運命づけられているからだ。


 パキィィィィン――――!!


 高い、硬質な音が、玉座の間に響き渡った。

 それはディアドラが手にした魔剣が根元から砕け散った音だった。

 砕かれた刃の破片がスローモーションのように宙を舞い、煌めきながら石畳へと降り注ぐ。


「⋯⋯っ!」


 ディアドラが体勢を崩す。

 その一瞬の隙を勇者の本能が見逃すはずもなかった。

 銀閃――ジャンヌが踏み込み、聖剣を突き出す。

 切っ先がディアドラの喉元、皮膚一枚手前で静止した。


 勝負あり。

 静寂が轟音の後の耳鳴りのように戻ってきた。


 ディアドラは喉元に突きつけられた冷たい刃を見下ろし、ふぅ、と小さく息を吐いた。

 悔しさも、恐怖もない。

 まるで長い長い演劇の千秋楽を終えた役者のような清々しい表情だった。


「⋯⋯見事だ、勇者よ」


 ディアドラは抵抗の意志を捨て、その場に膝をつくことはせず凛と背筋を伸ばしたまま目を閉じた。


「私の負けだ。⋯⋯さあ、そのまま突き刺すがいい」


 彼女は微笑んでいた。それは挑発ではなく慈愛に満ちた笑みだった。


「お前の聖剣で私の心臓を貫けば魔王の魔力は霧散し、世界は浄化される。⋯⋯お前の長く苦しい旅も、ようやく終わるのだ」


 促すような声。

 彼女は最期の瞬間まで「魔王」という役割を全うしようとしていた。

 自らの死をもって勇者を「完成」させようとしているのだ。


 ジャンヌの手には確かな感触がある。あと数センチ、腕を押し出す、たったそれだけの動作で彼女は伝説になる。

 故郷の村人たちの歓声。王都のパレード。人々からの称賛。

 幼い頃から叩き込まれてきた「使命」が、今まさに達成されようとしている。

 脳裏に平和になった世界の光景がフラッシュバックする。

 青い空。笑う子供たち。誰もが勇者を讃える未来。


 ――だけど。


 ジャンヌの瞳に映るその「平和な未来」は、なぜか灰色に塗りつぶされていた。

 歓声はノイズのように耳障りで、称賛の言葉は空虚な記号の羅列にしか聞こえない。


 なぜなら、その未来には「彼女」がいないからだ。


 カチリ。

 ジャンヌの手が震え、聖剣が微かな音を立てた。


(⋯⋯殺すのか?)


 自問する。目の前にいるのは世界の敵だ。殺さなければ世界に平和は訪れない。

 一方でこの広大な世界で唯一、自分と同じ「孤独」という言語を理解する者だ。

 勇者という仮面の下にある、ただの少女の魂に触れてくれた、たった一人の理解者だ。


 彼女を殺して手に入れる未来とは、それは本当に「平和」なのだろうか?

 理解者を自らの手で葬り、再びあの孤独な台座に戻り、人々の勝手な期待という檻の中で、死ぬまで「勇者」を演じ続けること。

 それが私の望んだ結末なのか?


(⋯⋯違う)


 ジャンヌの奥底で何かが砕ける音がした。

 それは世界への忠誠心か、あるいは勇者としての枷か。


 彼女はディアドラが待つ死を与えなかった。


 チャリ⋯⋯。


 聖剣が下ろされた。

 殺意の矛先が地面へと向けられる。


「⋯⋯な?」


 死の訪れが遅いことに違和感を覚え、ディアドラが薄く目を開ける。

 そこには剣を下ろし、苦悶の表情で立ち尽くす勇者の姿があった。

 ディアドラの紫の瞳が驚愕に見開かれる。


「⋯⋯何を、している。なぜ殺さない? 迷うな、勇者! 今ここで私を殺さなければ、お前は世界を裏切ることになるのだぞ!」


 ディアドラが叱咤する。

 その声は自分を殺してくれと懇願するようでもあった。

 しかし、ジャンヌは首を横に振った。

 ゆっくりと、けれど確かな意思を持って。


「⋯⋯お前を殺して手に入る平和に、何の価値がある。そう思ってしまった」


 その声は掠れていたが、玉座の間の冷たい空気を震わせるほどの熱を帯びていた。


「え⋯⋯?」


「私は見た。お前の瞳の中に私と同じ孤独を。⋯⋯お前がいなくなれば、私は本当の意味で独りになる。世界中の人間に囲まれながら、誰とも言葉が通じないまま、勇者という偶像として死んでいく」


 ジャンヌは聖剣を床に突き刺した。

 そして空いた右手を呆然とする魔王へと差し出した。


「そんな未来なら、私は要らない」

「勇者、お前⋯⋯正気か? 世界を敵に回すことになるのだぞ。積み上げてきた栄光も、使命も、全てを捨てることになる! その意味が分かっているのか!」


「⋯⋯分かっている。それで構わない⋯⋯お前がいない世界で死んだように生きるくらいなら、私は世界を敵に回してでもお前と生きる道を選ぶ」


 ジャンヌの瞳から氷のような冷たさが消えていた。

 そこに宿っているのは一人の人間としての熱く、燃えるようなエゴイズム。


「一緒に行こう、ディアドラ。⋯⋯魔王でも勇者でもない。ただの『私たち』になれる場所へ」


 差し出された手――それは世界への反逆への招待状だった。

 ディアドラは震える唇を引き結び、ジャンヌの顔を凝視した。

 その瞳に迷いは一切ない。

 計算も、打算もない。ただ純粋に自分という存在を求めている。

 悪としての魔王ではなく、ディアドラという魂を。


 ディアドラの目から一筋の涙が零れ落ちた。

 それは彼女が生まれて初めて流した、役割から解放された「個」としての涙だった。


「⋯⋯馬鹿な女だ。本当に、大馬鹿者だ⋯⋯きっと後悔するぞ⋯⋯」

 悪態をつきながらディアドラはその手を取った。


「しないさ。私がさせない」

 白い手と黒い手袋に包まれた手が固く結ばれる。

 強く、痛いほどに強く。


 その瞬間、玉座の間を満たしていた空気が劇的に変質した。


 ズズズズズズッ⋯⋯!!


 私の脳内で鳴り響いていたレクイエムが転調した。

 悲痛な短調から荒々しく、しかし力強い「産声」のような旋律へ。

 ブラックホールのように全てを飲み込んでいた闇色の波動が、一気に収束し、まばゆい光の奔流となって吹き上がる。


 これは、恋ではない。

 これは、愛という言葉でも軽すぎる。

 これは――『契約』だ。

 世界という巨大なシステムを敵に回してでも、たった一人の「貴女」を選ぶという、魂の契約。


 キスも、抱擁も、甘い言葉もない。

 ただ、手を取り合ったその事実だけで二人はこの瞬間、世界で最も孤独で、そして最も幸福な「共犯者」となったのだ。



        * * *



(⋯⋯あぁ、なんて⋯⋯)


 観測空間の中で私は震える身体を抱きしめ、滂沱の涙を流していた。

 タオルなど役に立たない。溢れ出る感情が止まらない。


 私は知っている。

 この選択の先に待っているのがハッピーエンドの凱旋パレードなどではないことを。

 世界はバグを起こした異物(ふたり)をけっして許さないだろう。


 かつての仲間たちが、天使たちが、あるいは世界の理そのものが牙を剥いて二人を排除しに来る。

 地獄のような逃避行が始まるのだ。

 それでもなお、二人が手を取り合ったこの瞬間の輝きは何者にも穢せない。


 私は震える指で脳内のログを刻んだ。これは分析ではない。

 彼女たちの魂への、せめてもの手向けとしての記録だ。


【観測報告書 No.129(中間報告)】


対象:勇者ジャンヌ、魔王ディアドラ

判定:SSクラス(特異点観測・因果律崩壊)

備考:

Q. なぜこの二人は逃避行を選んだのか?

A. それは「孤独の共有」である。

 世界中から崇められる勇者と畏れられる魔王。

 光と闇、対極に位置するように見える二人は実のところ鏡合わせの双子だった。

 どちらも「個」として見られることはなく「機能システム」として生きることを強制されていた被害者だ。

 

 広大な世界の中で相手だけが自分と同じ「重圧」と「虚しさ」を知っている。

 その絶対的な共感が敵対関係という壁を超えて、魂の結びつきを生んだのだ。


Q. なぜ世界より互いを選べたのか?

A. ジャンヌにとっての世界平和は、他者から押し付けられた「義務」に過ぎなかった。

 しかしディアドラという存在は、彼女が生まれて初めて自分の意志で見つけた「真実」だったからだ。

 「世界のために自己を殺す」という自己犠牲よりも「貴女のために生きたい」という強烈なエゴイズムが勝った瞬間、彼女は勇者という記号の器を割り「ジャンヌという人間」として新生したのである。



 今、二人は世界の敵となった。

 でも、その手の中にだけは確かな世界ぬくもりがある。


(⋯⋯行け、ジャンヌ。行け、ディアドラ。

 世界の果てまで。あなたたちが、ただの「私たち」になれる場所まで)


 玉座の間が光に包まれ人類軍が城門を突破する音が聞こえる。

 そこに二人の姿はもうない。

 ステンドグラスを突き破り、二つの流星が夜空へと消えていくのを私はただ祈るように見送った。

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