陰密将とハーフエルフと報告
「あ、アルトゥー、ファミィ……た、助かったぞ……ごほっ」
危うく発泡酒で溺れ死ぬところだったギャレマスは、ローブの袖で泡だらけの口元を拭きながら、命の恩人のふたりに絶え絶えの声で感謝を告げる。
そんな彼に苦笑しながら、ファミィは軽く頷いた。
「大丈夫か、魔王? ……って、顔中が泡塗れじゃないか。まったく……」
ファミィはそう言いながら、上着の隠しからレースのハンカチを取り出し、発泡酒の泡が付いたギャレマスの顔に近付ける。
「ほら……拭いてやるから、ちょっとこっちを向け」
「あ、いや……だ、大丈夫だ」
ギャレマスは、ドギマギして頬を赤くしながら、慌てて頭を振った。
「か、顔を拭くくらい、自分で出来るから、どうぞお構いなく……」
「何を遠慮しているんだ? 顔を拭くくらいの事で――」
「「ちょ、ちょっと待ったぁ!」」
キョトンとした顔をしながら、ギャレマスの顔を拭こうとするファミィを制止する上ずった声がハモる。
「だ、ダメだ! た、たとえ相手が王であっても、男に対してそんな風に優しく接して、疚しい気持ちでも抱かれたらどうするんだ……! というか……優しくするのは己にだけで……」
「や、やめてよね、ファミィ! 陛下のお世話をするのは、あたしだけなの!」
「あ……そ、そうだな……うん。わ、悪かった……ふたりとも」
血相を変えて訴えるアルトゥーとスウィッシュに気圧されたファミィは、目をパチクリさせながら手を引っ込めた。
「ありがと、ファミィ!」
そんな彼女に手短に礼を言ったスウィッシュは、ポケットから自分のハンカチを取り出し、ギャレマスにニッコリと微笑みかける。
「さ、陛下。スウィッシュがお顔をキレイにいたします!」
「ぶふぅ? あ、い、いや……だから、自分で拭け……モガモガ……!」
スウィッシュの申し出も断ろうとしたギャレマスだったが、言い終わる前にハンカチを顔面に押し付けられ、抗う暇もなくされるがままにされた。
一方、さりげなくファミィの傍らに立ったアルトゥーは、彼にしては珍しく緊張した面持ちを浮かべる。
そして、そそくさと居住まいを正し、ゴホンと咳払いをしてから、おずおずとギャレマスに切り出す。
「と、ところで……王よ……」
「もごも……ん?」
スウィッシュに顔面を乾布摩擦のように擦られていたギャレマスは、アルトゥーの声に緊張の響きを感じ取り、訝しげに訊き返した。
「どうした、アルトゥーよ?」
「あの……実は、ひとつ、王に許しをもらいたい事があって……その……」
アルトゥーは、彼らしくもない歯切れの悪さで、たどたどしく言葉を紡ぐ。
「ええと……も、もしかすると、薄々察しているかもしれないが……あの、己と……こ、ここにいる……ふぁ……」
「…………アルトゥー」
みるみる顔を紅潮させながら激しくどもるアルトゥーを見かねたように、ファミィがそっと彼の袖を引いた。
「もしアレなら、私から話そうか?」
「あ、いや……大丈夫だ。己から話す……話させてくれ」
だが、アルトゥーは心配げなファミィに小さく首を左右に振ると、意を決した様子で言う。
「王よ……どうか、己とファミィが結婚する事を許してほしい」
「……!」
アルトゥーの言葉を聞いたギャレマスは僅かに目を見開いた。
そんな彼の顔を真っ直ぐに見据えながら、アルトゥーは言葉を続ける。
「……己とファミィは種族が違うし、何より、“魔王国四天王”と“伝説の四勇士”という敵同士の間柄だ。本来なら、結ばれる事など到底許されるものではないのかもしれんが……それでも、己は彼女と一緒になりたい」
「……」
「もし……許されぬというのなら、四天王の職を辞して野に下ってでも――」
「ふ……」
必死に訴えるアルトゥーを前に、ギャレマスはフッと相好を崩し、大きく頷いた。
「見くびるなよ、アルトゥー。余が許さぬとでも思うたか?」
「王――」
「魔王……!」
「当然、許すさ」
目を見開くふたりの顔を見回しながら、ギャレマスは満面の笑みを浮かべてみせる。
「アルトゥーよ。いつぞや、お主に申したであろう。『余も我が国も、互いに愛し合っている男女の仲を裂くほど、無粋でも狭量でもない』と。忘れたか?」
「い、いや……忘れてはいないが、本当に……?」
「もちろん。魔王に二言は無い」
おずおずと訊き返すアルトゥーに、ギャレマスは胸を張りながら答えた。
「もしも、お主らの結婚にケチを付けたり陰口を叩くような不心得者が居ったならば、遠慮なく余に伝えるが良い。余が直々にその者に言って聞かせるゆえな」
「魔王……!」
ギャレマスの言葉を聞いたファミィが、感激で目を潤ませながら声を上ずらせる。
――と、魔王は首を巡らし、円卓の対面に座る男に声をかけた。
「……という訳で、魔王側はふたりの結婚を祝福するつもりだが、勇者側はどうだ?」
「……あの時、言っただろ?」
ギャレマスの問いかけに、シュータは骨付き肉の脂が付いた指を舐めながら素っ気なく答える。
「『俺以外の男に惚れた奴は無条件で戦力外』ってよ。あの時点でそいつは自由契約選手なんだから、どこの球団と再契約しようが、国境を渡ってメジャー挑戦しようが知ったこっちゃねえよ」
「……」
「……まあ」
……と、
そこで、手元のスープを銀製のスプーンでかき混ぜながら、シュータは少しぶっきらぼうに付け加えた。
「ここまで、短くない間を一緒に過ごしてきた間柄だからな。『おめでとう』ぐらいは言ってやるよ、ファミィ」
「シュータ様……!」
シュータの祝福の言葉を聞いたファミィは、驚きと感動が入り混じった様子で言葉を詰まらせる。
そんな彼女に、目から大粒の涙を流したジェレミィアが抱きついた。
「おめでとぉぉぉぉーっ!」
「わっ! な、何だジェレミィア! いきなり……」
「ファミっちが幸せになれて、アタシもホントに嬉しいよぉ。良かったねぇ!」
「……うん」
ジェレミィアの豊満な胸の間に埋もれながら、ファミィは彼女からの率直な祝福に涙ぐみながら頷く。
「ありがとう……ジェレミィア」
「……一応、わらわからもお祝いの言葉をかけさせてもらいますわね、ファミィさん」
ひとり、出された料理に手を付けずに、退屈そうに頬杖をついていたエラルティスが、ぼそりと言った。
「わらわ個人としては、穢れた魔族とつがいになろうなんて神経を疑うところですけど、まあ……ヒトの好みはヒトそれぞれですからね。せいぜい、後悔しないで済むようお祈り申し上げますわ」
「このクズ聖女……! 憎まれ口しか話せんのかい……」
エラルティスの言い草に苦虫を嚙み潰したような表情を浮かべたスウィッシュだったが、気を取り直すように息を吐いてから、アルトゥーとファミィに満面の笑みを向ける。
「アル……それに、ファミィ! 本当におめでとう! ふたりが結ばれて、あたしも自分の事みたいに嬉しい!」
「スウィッシュ、ありがとう」
「ああ……ありがとう、氷牙将」
スウィッシュから送られた心よりの祝福の言葉に、ふたりもニッコリと微笑むのだった。
――そんな三人の嬉しそうな姿を横で眺めていたギャレマスは、
「……」
ふと思いつめたような表情を浮かべながら、人知れず円卓の下の掌をぐっと握るのだった――。




