勇者と姫と頑固親父
「……」
ジェレミィアの言葉を聞いたシュータは、逡巡するように目線を泳がせてから、思案するように目を瞑った。
そして、気持ちを落ち着かせるように大きく深呼吸してから、「……よし」と、自分を鼓舞するように声を上げ、ポルンの腹にもたれかかっていたサリアの身体を抱き起こす。
「ちょ! ちょっと待て、シュータッ!」
だが、そんな彼を、ギャレマスが強い口調で制した。
魔王は、ギックリ腰の痛みで脂汗を滲ませた顔に怒気を漲らせながら、勇者に問い質す。
「な、なにが『よし』なのだっ? お主、サリアに何をするつもりだッ?」
「……今までの話を聞いてれば解るだろ?」
詰め寄るギャレマスに、シュータは少し頬を染めながら、ぶっきらぼうに答えた。
「サリアとツカサを起こすんだよ。俺が……その……キ、キ……アレして――」
「赦さあああああんっ!」
シュータの答えに、ギャレマスは激しく取り乱しながら怒声を上げる。
「絶対に赦さんぞっ! お主が……いや、何人たりとも、我が娘の純潔を奪う事など、余の目が黒いうちは絶対にッ!」
「いや、“純潔”とか……大袈裟だなぁ、魔王さん」
激昂する魔王に思わず苦笑いを浮かべたのは、ジェレミィアだ。
「別に、そんな大した事じゃないじゃん。キスくらいさ」
「大した事あるわっ!」
ジェレミィアの呆れ声に、ギャレマスは激しく頭を振った。
「さ、サリアは、まだ齢五十にも満たぬほんの子どもだぞ! そ、それなのに、男とディ……ディープなキッスを交わすなど、まだ早すぎる!」
「ディ、ディープキスまではしねえよボケ!」
ギャレマスの絶叫を聞いたシュータが、顔を真っ赤にして怒鳴り返す。
「か、軽く唇を付けるだけだっつーのっ! つか、そもそも、キス自体のやり方も良く分かんねえんだよッ! なのに、いきなりディープキスなんてレベルマックスな真似が出来る訳ねえだろうがッ!」
「ひょ? まさか……お前さん、あんなにイキッておいて、実はまだ童……」
「言うなッ!」
驚くヴァートスの声をやや上ずった怒声で遮ったシュータは、こんな騒がしい状況の中でも相変わらず昏々と眠り続けているサリアの唇を指さした。
「と、とにかくっ! 今回の事は、そういうあ……愛だ恋だのみたいな特別な感情がどうのとか関係無しの……いわば、救命措置……そう! 人工呼吸に近いアレであってだな……」
「か、感情も理由も関係無いわ!」
下心を屁理屈でもっともらしく正当化する非モテ童貞特有のムーブをかますシュータに、ギャレマスは更に声を荒げる。
「と、とにかく! 余は、サリアの父親として、不順異性交遊は断固として認めぬ! 特にシュータとは!」
「いや、今どき不純異性交遊って……昭和のトラディショナル雷親父か、オノレは」
頑として態度を和らげないギャレマスに、ヴァートスが呆れ声で言った。
「確か、お嬢ちゃんは五十足らずと言うておったな? じゃったら、もうボチボチ嫁ぐ娘も出てくる年頃じゃし、結婚せずとも、大抵はキスくらいならとっくに済ませておるのが大半じゃぞい?」
「ぐ……だ、だが……!」
ヴァートスの正論に対し、返す言葉に窮するギャレマスだったが、それでもなお頑迷に首を左右に振る。
そして、ハッとした顔をして叫んだ。
「そ、それに! そもそも、キスした程度でサリアたちが目を覚ますと決まった訳では――」
「……『愛する人によるキスで目覚める設定は本当だよー』と、創造主はおっしゃっておられますね」
薄く目を瞑り、皆には聴こえぬ声に耳を傾けながら、ギャレマスの言葉を遮ったのは、エラルティスである。
そして、翠色の髪を櫛で梳きながら、不機嫌そうに眉を顰めた。
「もう、どうでもいいからさっさと終わらせて下さいませんこと? さっきから、身体と髪の毛が埃と汗まみれで気持ち悪くてしょうがないんですの。一刻も早く熱いお風呂に浸かって、穢れた体を浄めないとたまりませんわ」
「だ、ダメだダメだ! たとえ、そうだとしても、サリアの唇を汚すうわなにをするやめ――!」
エラルティスの言葉になおも抗うギャレマスだったが、彼の声は唐突に途切れる。
「やれやれ……いい加減に観念せんかい、ギャレの字」
腰を痛めて満足に動けない魔王の身体の上に圧し掛かったヴァートスは、他の者たちに向けて手招きした。
「ほれ、他の者も手伝え。ギャレの字が邪魔をせぬように押さえ込むんじゃ」
「……すまん、王。だが、己も御老体の言う通りだと……」
「あ、アルトゥー……お主もか……ぁ!」
男ふたりの力で石床に圧しつけられたギャレマスは、必死で抗いながら、自分の一番の腹心に助けを求める。
「す……スウィッシュ……! た、頼む……お、お主が余の代わりにシュータを止め――」
「……申し訳ございません、陛下……」
だが、魔王の言葉に対し、すまなさそうに頭を振ったスウィッシュは、シュータの腕に抱えられたサリアの寝顔に目を落としながら、小さな声で続けた。
「クズ聖女が受けた神のお告げ通り、確実にサリア様が目を覚ますのなら……この際、シュータに任せるのも一つの手かと……」
「す、スウィッシュ? な、何を言って……」
「大丈夫です。き、キスの一つくらい、野良鬣犬に顔を舐められるのと同じようなものですから……今は何卒ご寛恕を……!」
「……誰がハイエナだ、ボケ」
歯に衣着せぬスウィッシュの言葉を聞いて、不満げに息を吐きながら顔を顰めたシュータは、緊張した面持ちになると、安らかな寝息を立てているサリアの顔に自分の顔を近付ける。
「や……」
ギャレマスは、そんなふたりを石床に身体を圧しつけられたまま凝視しながら、必死で叫んだ。
「やめろ……やめろおおおお――っ!」
「……」
だが、そんな魔王の絶叫を完無視したシュータは、無言で自分の顔をサリアに近付ける。
ふたりの唇の距離がどんどん縮んでいく――。
……と、唇が接触する寸前のところで、シュータはふと動きを止めた。
そして、目の前に迫ったサリアの寝顔をじっと見つめると、
「…………おい」
と、彼女に向かって低い声を上げる。
「……お前……ホントは起きてんだろ?」
「…………ぐう……ぐう……」
「……わざとらしいイビキでごまかすな。バレバレだアホ」
そう呆れ声で言いながら、シュータは彼女のおでこをデコピンで軽く弾いた。
「痛っ……!」
と、ペチンという乾いた音と同時に小さな声を上げた赤髪の少女は、シュータの指に弾かれてほんのり赤くなったおでこを撫でながら、薄っすらと目を開ける。
そして、紅玉のような瞳をいたずらっぽく輝かせながら、照れたようにペロリと舌を出した。
「えへへ……バレちゃった?」




