魔王と無責任と確信
「でも……本当に良かったです……お目覚めになって」
大慌てでヴァートスの股座の間から跳ね起きたギャレマスにそう声をかけたのは、彼の胸に抱きついていたスウィッシュだった。
彼女は、涙が滲む紫瞳でギャレマスの顔を真っ直ぐに見つめながら、声を震わせる。
「本当に心配していたんですよ、ずっとお目覚めにならないから……。てっきり、エラルティスの“怠慢陰険法術”の解除が間に合わなかったのかと――」
「だーかーらっ、“対魔完滅法術”だと何度も言っているでしょうがッ! いつになったらちゃんと覚えますの、この鶏頭魔族がッ!」
スウィッシュの言葉に憤慨の声を上げたのは、仏頂面で突っ立っていたエラルティスだった。
眉間に深い皺を寄せた彼女は、ギャレマスの事を苦々しげに見下ろしながら、いかにも残念そうに嘆息する。
「はぁ~……わらわとしては、あのまま消滅してくれても一向に構わなかったんですけどねぇ……。しぶといですわさすが魔王しぶとい」
「ちょ! このクソ聖女! なにしれっと陛下の事をゴキブリ呼ばわりしてんのよ!」
敬愛する主を悪し様に言われ、激昂するスウィッシュ。
――その時、
「――言わせておけ、スウィッシュ。こやつの憎まれ口は今に始まった事では無いからな」
と、ギャレマスが、小さく首を横に振りながら口を挟んだ。
そして、彼の制止に思わず不満そうな表情を浮かべたスウィッシュの肩を軽く叩いて宥めると、「そんな事より――」と、不安げに周りを見回す。
「無事なのか、サリアたちは……?」
「あ……」
「……!」
ギャレマスの問いかけに、スウィッシュとエラルティスの表情が曇った。
それを見た彼の顔色がみるみる青ざめる。
「ま……まさか……間に合わな――」
「……いいえ」
ギャレマスの上ずった声に応えたのは、エラルティスだった。
彼女は、不安げな表情を浮かべる魔王に向かって、淡々と言う。
「貴方が聖光鎖を力づくで引き千切ってくれやがったおかげで、対魔完滅法術は成立の寸前で破られました。ですから……あの天然ボケ娘は浄滅していない――はずですわ」
「……“はず”だと?」
エラルティスの言葉の語尾に引っかかりを感じたギャレマスは、訝しげに訊き返した。
「どういう意味だ、“はず”とは?」
「……」
「……姫が、まだ目覚めないのだ」
言いづらそうなエラルティスに代わって答えたのは、アルトゥーだった。
「今、聖女が説明した通り、姫の魂は浄滅を免れた。……だが、魔族の身体には猛毒な聖光を浴び続けたせいで、既に姫の精神が壊れてしまっているという可能性が……」
「……未だ目を覚まさないのは、そのせいだ……と?」
「……」
微かに震えるギャレマスの問いかけに、アルトゥーは無言のままで微かに頷く。
――と、
「……それだけではない」
アルトゥーに続くように、ヴァートスも重い口を開く。
「もうひとりの方……転生者のお嬢ちゃんの方の魂がどうなったかは、まだ分からん。勇者の兄ちゃんがチート能力でお嬢ちゃんを見ても、今世のお嬢ちゃんの方しか情報が見えんらしい……」
そう言ったヴァートスは、彼らしからぬ深刻な表情を浮かべ、落ち着かぬ様子で白髯を擦りながら、「じゃからな……」と言葉を継いだ。
「転生者のお嬢ちゃんの魂は、姫のお嬢ちゃんの身代わりになって浄滅してしまったのかもしれんのう……」
「そ……そんな事ありませんっ!」
ヴァートスの沈んだ声を、スウィッシュの上ずった絶叫が遮る。
彼女は、今にも泣き出しそうな顔をしながら、それでも断固とした態度で頭を振った。
「あんなに陛下が……いいえ! あたしたちみんなが頑張っていたのに、サリア様が助からなかったり、ツカサがいなくなったり……そんな事、ある訳がないです! きっと……きっとふたりとも大丈夫です、絶対に!」
「氷牙将……」
半ば自分に信じ込ませようとするかのように断言するスウィッシュに、アルトゥーが沈痛な表情を浮かべる。
ヴァートスも、アルトゥーと同じような顔をしながら、慰めるようにスウィッシュに声をかけた。
「氷のお姐ちゃんや……お前さんがそう信じたいのは痛いほど判る。……じゃが、今のお嬢ちゃんの状況を客観的に見る限り――」
――その時、
「いや」
と、老エルフの言葉を途中で遮ったのは――ギャレマスだった。
小さく頭を振った彼は、スウィッシュの頬を伝う涙を指でそっと拭ってやりながら、優しい声で言葉を継ぐ。
「スウィッシュ……お主の言う通りだ。サリアとツカサ……ふたりとも無事に違いないぞ」
「ほ……本当ですか……?」
「ああ」
縋るような目で問い返すスウィッシュに、ギャレマスは力強く頷いてみせた。
……だが、
「おい……ギャレの字……」
そんな彼に、ヴァートスが険しい声を上げる。
「あまり無責任な事を言ってぬか喜びさせるものでは無いぞ」
「無責任な事では無いさ」
咎めるようなヴァートスの声に、ギャレマスは微笑みながら言い切ってみせた。
そんな彼の言葉に、ヴァートスは戸惑いながら問いを重ねる。
「無責任ではない……じゃと? じゃあ……なぜ、お前さんはふたりのお嬢ちゃんが無事だと、そこまで断言できるんじゃ?」
「……あのふたりには、あやつがついていてくれるからな」
老エルフの問いかけに、そうギャレマスは答え、呪祭拝堂の天井に開いた大穴から見える星空を見上げた。
そして、その向こうにいるであろう最愛の女性の顔を思い浮かべながら、こっそりと呟く。
「ルコーナが……な」
「え……?」
彼の一番近くでその呟きを耳にしたスウィッシュが、思わず目を丸くした。
「る、ルコーナ様が……ふたりを?」
「――さて!」
驚いているスウィッシュをよそに、ギャレマスは気を取り直すように明るい声を上げる。
「では、そろそろ起こしに行ってやるとしようか。寝坊助なふたりの娘を……な!」
そう言いながら、彼はおもむろに立ち上がろうとした――次の瞬間、
――ごきりっ
「あっ……ががががっががががぁっ!」
不意に腰のあたりから鳴った音に既視感を覚える間も無かった。
「ぐ、ぐががが……! わ、忘れ……忘れておったぁぁぁっ! こ、腰がアアアガガガガアァっ!」
ついさっき再発してそのままだったギックリ腰の激痛に再び襲われた彼は、真っ青な顔になってその場に崩れ落ちると、断末魔の如き苦鳴を上げながら悶絶するのだった――。
 




