そのまま私に銃口を向けて、引き金をひいてください。
「少佐! 目を覚ましてください!」
誰かに揺れ動かされるのを感じ、テオは目を覚ました。
乱れた銀色の髪が見える。土で汚れ、満身創痍な表情のマルタだった。
だがその顔に絶望は滲んでいない。
ずいぶん疲れている様子だったが、どこかほっとしたような目だった。
「少佐、あまりすぐに動かないでください。今腕の手当てをしています」
ジルの顔も見えた。下から見上げたせいで、いつも前髪で隠れているその目がはっきり見える。さっきまで泣いていたようで、真っ赤に充血している。
「よかった。二人とも石化が解けたんだね」
テオはうまく声が出せず、芯のないかすれた音を発した。
「石化が解けたということは、どういうことだかわかるね。ザイフリート君」
大召喚術師レオンの弱々しい声が聞こえた。近くの古ぼけたベンチに座り、ぐったりしている。テオが知るどんな男よりも死に近そうな顔だった。
「メデューサは死にました」
ステンノーの細く幼い声が聞こえた。
彼女はそばで目を閉じ浅く息をしているレナエラに寄り添っている。レナエラは右手に血に染まった布を巻いていた。石化したときにメデューサに折られたところだ。だがステンノーに抱かれ、ほっとした表情をしていた。
「ステンノー、きみのおかげだ。クンツェンドルフは魔族を作戦の要にすえることについてかなり抵抗していたが、この結果を知ればきみに勲章だって与えるだろう」
ステンノーはわずかに涙目になっている。
「メデューサは嫌いです。レナエラにも、みんなにも酷いことをしました。役に立てて、よかったです。でも、ステンノーはなんだか落ち着きません。殺したってかまわないと思っていたのに、なんだか悲しいです」
「姉妹だったんだもん」レナエラは優しく言う。「悲しくなるのは当たり前だよ。でも感情を整理する方法はある。ステンノーちゃんはこれからもっといろいろな言葉を知って、今の気持ちを『悲しい』以外で表現できるようになれる。そうすれば、気持ちも落ち着くから」
ステンノーはレナエラの胸に顔を埋めた。
メデューサは死んだ。
封印ではなく、この世界からいなくなった。
テオはゆっくりと息を吸い込む。
鳥や虫の鳴き声が聞こえる。辺りにはまだまだ深い夜が居座っているが、ずっと遠くの空がうっすらと白み始めている。
時間さえ経過すれば、またこの世界は朝を迎えることができる。
メデューサが死んだことにより、魔族の指揮権はとどめを刺したテオに移った。ただテオは召喚術師ではないため、目的を失った魔族たちが大量に国内に残るだろう。首都への侵攻は食い止められたが、依然として魔族の討伐は軍の役割になる。統率が取れていない魔族とはいえ、骨の折れる仕事だ。
テオはフォルトゥナのことを考えた。最初は反乱軍の戦力として召喚された魔族が、少し先の未来で起こしたこの事件を、彼はどう考えるのだろうか。それを知っていたとしても、やはり国家奪還のために、同じことをしたのだろうか。
「ん? そういえば中尉はどこだ?」
スズが見当たらない。
一瞬、そのあたりに落ちている石の破片がそうなのではないかと疑ったが、石化は解かれているはずだ。そんなはずはない。
「ああ、中尉なら――」
マルタが言いかけたそのとき、突然爆発が起こった。
ブラウワーの屋敷跡のほうだ。爆発によって瓦礫がいくらか吹き飛び、一陣の風がテオのところまで届いた。
「見つけましたよ! 地下へと続く階段です! あ、少佐! やっと起きたんですね。さあさあ急いでください! ここへ来た目的をよもや忘れたわけではないでしょうね? 寝ている暇はないですよ!」
「あのとおり、早くあなたに撃ち殺されたくてうずうずしているようです」
「元気だな、まったく」
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
スズとテオ、それにレオンの三人は、エウリュアレが言っていた屋敷の地下にあるという「祭壇」へ向かった。
螺旋状の階段がかなり下まで続いている。スズはまるで蜜をたっぷり吸った直後の蝶のように、ひらひらと飛び跳ねて降りていく。テオとレオンは足を引きずり、一歩一歩に苦痛を感じながら、階段を下っていった。
マルタとジルは少し迷っていたが、結局、地上でお別れを告げた。「同世界転生」が成功することを祈り、涙を堪えて笑顔でスズを見送った。
「ここが最下層かな」
レオンがぜいぜいと息をしながら言う。
階段が途切れ、円形の部屋にたどり着いた。屋敷のエントランスはつるりとした大理石でできていたが、ここはまるで雰囲気が違う。本当に同じ建物の地下なのかと疑うくらいだ。
「加工されていない石を適当に積み上げただけみたいな壁だ。ずいぶん埃っぽいし……本当にここなのか?」と、テオが疑る。
「地下へと続く階段はここだけでした。ドフェール郷、なにかわかりますか?」
レオンは中心部に歩いて行いき、床に描かれた模様を観察する。
「たしかに召喚術の魔法陣だ。見たこともない構築術式だが――うむ、かなり複雑な演算が必要みたいだね」
「いけますか?」
レオンは目を釣り上げて笑った。「僕を誰だと思っているんだい? 愚問だ」
「そうでしたね。失礼しました。じゃあさっそく」
スズはスタスタと部屋の中心部に歩いて行き、テオのほうを振り向き、両手を広げる。
「手順としては少佐が私を撃ち殺して、それで死んだら今度はドフェール郷が同時に召喚術を行う。ええと、流れあってます?」
「メデューサの討伐に必死で、あまりこの辺のことを打ち合わせしてこなかったな」
テオが包帯を巻いた左手で頭を掻く。
「そうだね……ラングハイム中尉。使用する魔鉱石は『ナーキッド』でいいんだね?」と、レオンが再確認する。
「ええ、お願いします」
「ザイフリート君は彼女を確実に殺さなければならない。出力をじゅうぶんに。戦いのあとで、辛いだろうが」
「あと一発で手がもげそうだ。できれば出直したいところなんだが」
「ちょっと少佐! そんな消極的な気持ちじゃあ成功するものもしませんよ! シャキッとしてもらわないと」
スズは頬を膨らませる。
「中尉。それともうひとつ」と、レオン。
「なんですか?」
「前にも言ったが、転生は死にたがりにはできない」
その世界になにか心残りがなければならない。
満ち足りた死ではいけない。
それが転生のいちばんの条件だ。
「それがないと、きみはただの無駄死にで終わる……この件、解決はしたのかい?」
スズはなんとも複雑な表情をした。
「正直、わかりません。もう少しだけこの世界の未来を見てみたい気持ちもゼロではないですが、いっぽうでじゅうぶんに生きて、満ち足りているといえば満ち足りている。微妙ですね」
五分五分というところか。
テオは考えを巡らせた。
スズがこの世界にもう少しだけいたいと思わせる、なにか決定的なものはないだろうか。
だが、五百年も生きてきた不死身の魔女にいったいどんなものが響くのだろう。
思えば昨年の十月。少し肌寒いと感じ始めたルーンクトブルグの首都マルシュタット。
寂れたパブでまずいビールを飲んでいるテオところに、彼女はやってきた。
そういえばあの日に連れられた店のビールはかなりよかった。バルバラという赤毛の女店主がやっている、なかなか雰囲気のいい店だ。スズはあの店の常連で――
テオはたった今頭に降ってきた思いつきを、とりあえずしゃべることにした。
「そうだ中尉。結婚する」
スズとレオンがテオを見る。
沈黙が訪れる。
「はい?」
スズが気の抜けたリアクションを返す。
「いやだから結婚するんだ」
「いやだから誰が?」
「おれとニコル――ああ、フィルツ大尉が」
パッと目を丸くしたスズはしばらく固まっていた。
だがみるみるうちに口が横に広がり、にたにたと笑みを浮かべた。
「あははは! そうでしたか! ケルニオス生誕祭を一緒に過ごしたと聞いていましたので、まあなにもないわけはないと思っていましたが、まさかゴールインとは。しかしわかりやすいですね、お二人は。なにはともあれ、おめでとうございます」
レオンが戸惑いを含んだ唸り声を出した。
「ザイフリート君。まずはおめでとう。大変めでたいことだ。だがなんというか、今はそういう場合では……」
「すまない。中尉が死ぬ前にひとこと断っておこうと思ってな」
「断るってなにをです? 結婚くらい勝手にすればいいんですよ?」
「そうじゃない。前に連れていってもらったバルバラの店で、ちょっとした祝いの席を設けさせてもらおうと思っているんだ。そうだな、うちの部隊の連中やレナエラさんやステンノー、ユージーンやエルナも呼んで、せっかくだからここはひとつ盛大にいこうかと。ああ、もちろんドフェール卿も、忙しいと思うがぜひ来てほしい」
レオンはポカンとしていたが、一呼吸おいてなにかを理解した。
「ザイフリート君の祝いの席であれば、もちろん喜んで。これでも召喚主だからね。しかし楽しい宴になりそうだ。参加しないと損だろうな」
スズの目が泳ぎ始めた。
「いやでも中尉は無理しなくていい」テオは畳みかけた。「この世界に特段心残りがないのであれば、強制参加にするのはちょっと酷かなと思うし。ただな、初夏になるとまたいい大麦が市場に出回る。夏には最高のビールが思うぞんぶん飲めると思うんだ。おれは今から楽しみでしょうがない」
「くそっ……こんな……こんなことでこの世界に未練が……ぐぬぬ……」
スズは魔法陣の中心で地団駄を踏んだ。
べつに意地を張るようなことでもないと思う。
「本当にこれで転生が成功へ傾けば、召喚術の学術会に激震が走る」
レオンが驚きとも呆れともとれる口調でぼそりと言った。
「いいでしょう。ひと思いにやってください。少佐、お願いします。そのまま私に銃口を向けて、引き金をひいてください。まあできたら、ちょっとくらい祈りを込めてもらえると嬉しいですかね」
スズは改めて両手を広げる。レオンが頷く。
準備は整った。
整ったのか? いや、正直なところわからない。
だが少なくとも、テオには確信があった。
スズはこれまで、少女の姿から成長しないがために、同じ人物と同じ時間を歩むことができなかった。
〈私は、ここに通い始めてもうすぐ三年が経ちます。三年は、私からすればそう長い時間ではありません。ですが、バルバラにとっても、この店に通う常連客たちにとっても、三年というのはそれなりの年月と言えます。そのあいだ私は、ずっとこの姿のままです。ずっと、十四歳の小娘の姿のままです――〉
バルバラの店で飲んだとき、スズは言った。
彼女は真剣に欲しがっていた。
人と共有できる時間を。
同世界転生が成功すれば、それが叶う。
「スズ・ラングハイム中尉。すぐにまた会おう」
テオは引き金をひいた。




