けど、もう少し前戯が欲しかったですね。
城郭都市パシュケブルグでは、人間と魔族の戦いにより、見渡すかぎり黒く濁った煙が立ち込めていた。それは行手を阻む巨大な海洋生物のように、本来そこにあるはずの空を覆っている。
アイスナー少将はパイプの煙を深く吐き出しながら望楼に立ち、黒い空を睨みつけていた。
「判断のときだよクンツェンドルフ。なにを生かし、なにを殺すかだ」
クンツェンドルフ中将は目を瞑る。
「メデューサは明日の正午、実質的に首都を制圧する」アイスナー少将は無表情で続けた。「キューパーが死に、大型魔族はどちらにせよ首都に到達。アーベントロートがいくらコレクションを披露したって、夜のうちにゃ攻め込まれる。前線のシャルクホルツ、バラデュールだって無尽蔵に戦えない。それにだ――」
彼女はパイプの先を軽く下に振り、壁の下にあるなにかを指し示した。
「私らだってそう長くないだろうに」
パシュケブルグの城郭のすぐ外には、少しずつ魔族が集まり始めていた。街の警護にあたっている魔導銃師たちが壁まで到達した魔族を逐一狙撃している。だが、どこからともなく現れる魔族たちには焼け石に水だった。ゆっくりと近づいてくる無数の黒い点が、遠くの地平線まで確認できた。
「討伐班は今ごろ、敵の本拠地に辿り着いているだろう。作戦立案から詳細の指示まで、ラングハイムから助言をもらいながら全て私の責任で行った。修正はしない。ザイフリートたちがしくじらなければ、問題はない」
「随分な自信と信頼じゃないか。その作戦とやらを立てるとき、私は蚊帳の外だったんだがね。私を安心させられる説明をしてほしいもんだ。このまま魔族の餌は嫌だよ」
「アイスナー、君はジェフリー・ブラウワーの著書を読んだことは?」
「ないね。イオニクの哲学者だろ? 学問の中で私がいちばん碌でもないと思ってるのが哲学だ。真実が頭の中にあると思っている連中だからね」
「彼は生前、イオニクの反乱軍に属していた。大召喚術師フォルトゥナとも交友があり、いわゆる『転生』についても、知識が豊富だ。なにせ彼自身が転生者だと、書籍の中でご丁寧に自己紹介している」
アイスナー少将は露骨に不機嫌そうな顔をした。「――それがどうしたってんだい?」
クンツェンドルフ中将は深い声で淡々と続けた。「彼の書籍の中でいちばん無名なエッセイがある。『渦』というタイトルだ。その中で、彼は一度魔族と対峙しそして撃退したというエピソードを綴っている。どうやったと思う?」
「さてね――ブラウワーが召喚術を学んでいれば、返戻しちまうのが手っ取り早いと思うが」
「私もそう思ったが、他の召喚術師が召喚した魔族を返戻するのは、そうとうな技量が必要らしい。彼は確かにフォルトゥナから召喚術を学んでいたが、そこまでは出来なかった」
「この話、落ちはあるんだろうね?」
クンツェンドルフ中将はその太い眉を軽くなぜた。「あるとも。彼はやったのは返戻ではない。召喚だ。その魔族と同じ種類の、しかしより強い魔族――つまり上位互換にあたる個体を召喚し、戦わせた」
ちょうど直下に迫っていたサイクロプスを、三人の魔導銃師が狙撃し始めた。悲痛な叫びをあげて暴れ回るサイクロプスを、アイスナー少将は無表情で見つめていた。
「メデューサ・ゴーゴンにとって、上位互換の魔族とは。これを判断するのに少し時間がかかった。だが、時間をかけただけの結論を導き出せたはずだ」
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
「ドフェール卿が石にされてしまった今、少佐の魔導銃だけがメデューサを葬ることができます」
そう言うと、スズは着ていたローブの袖を引きちぎり、目を覆うようにして頭に巻きつけた。そしてメデューサの前に進み出る。
「目隠しプレイは初めですが」
メデューサはニタリと笑う。「思い出に残る初体験にしてあげるわ」
スズは腕を水平に振り、風属性の魔法を広範囲に展開した。鋭利な空気の刃がメデューサの周囲に滞留し、行動範囲を狭める。次に地面を蹴り出すようにして、土属性の魔法を発動する。メデューサを中心にまばゆい光が円を描くように走り、大地が隆起した。
地面から切り出された破片がメデューサに向かって降り注ぐ。
彼女は両手を前に突き出し短くなにかを唱える。すると一瞬にして黒い球体にメデューサは包まれ、そこから無数の蛇の頭が生え始めた。空をかじり、地面を擦り、互いに絡まり合いながらうねる。それらは襲ってくる大地の刃を迎え撃つ。あるものは口でそれを受け噛み砕き、あるものは首元を切り刻まれる。
「押してるぞ中尉!」とテオが叫ぶ。
「解説どうも!」
あたりは断末魔と土と砂の煙幕、そして蛇たちから流れる黒々とした血液で惨状と化していった。
そのとき、一際大きい頭を持つ蛇がメデューサを包む球体の上部から出現した。それは重戦車を丸呑みできるほどの大きさになり、まるで龍のように天へと昇っていく。上空に複雑な文字を描き、急降下してくる。
危険を察知し、スズは防御魔法を張りながらメデューサから退避する。
スズの土属性の魔法はその大蛇により無効化されてしまったようだった。隆起した大地はそれ以上動かない。
「大きなペットですね。そのぶん狙いやすい」
スズは事前に展開した風属性の魔法を再起動する。
ひとつひとつは小さかった風の刃が、魔力を得てより大きく、鋭く、激しい風をまとっていく。それは大蛇の目や口、鱗で覆われた皮膚を容赦なく切りつける。
大蛇は叫び、のたうち回る。大量の黒い血を吐き出し、苦しみの断末魔をあげる。そのうち尻尾の先から焦げたように黒く変色し、火を点けた導火線のようにみるみる小さくなっていく。
スズはすぐさまメデューサの魔力を再度感知しようとした。
だが、元の黒い球体の中からはなにも感じない。
「また同じ手を――!」
そして次の瞬間、奈落の底のようなおぞましい魔力を背後に感じた。
同時にスズは髪を乱暴に掴まれ、引っ張り上げられる。
「まだ楽しませてくれるかしら?」
メデューサがスズを持ち上げ、ニタリと笑った。彼女の身体のあらゆるところから蛇が這い出てきて、スズの腕や脚を縛り付ける。
「まだです大佐!」
スズはテオに向かって叫んだ。
ノヴァは魔力の充填が済んでいる。
撃てる。
あとは集中力とタイミング。
そして覚悟だ。
メデューサはスズを地面にねじ伏せ、目を隠している布切れを引きちぎり、無理やりそのまぶたをこじ開ける。
そして、ほとんどキスでもしそうなほど彼女は顔を近づけ、スズの瞳をじかに見つめた。
「不死身の子が私の手によって石になる。官能的だと思わない?」
「それには同意します。けど、もう少し前戯が欲しかったですね」
まばたきひとつするかしないか。
ほんの一瞬で、スズは石になる。
メデューサの目が見開かれる。
そして彼女は血を吐く。
それは蛇たちのとは違う。
新鮮なワインみたいに真っ赤な血。
「ずいぶん上手に魔力を隠したわね。お姉ちゃん」
メデューサ・ゴーゴンにとって、上位互換の魔族とは。
最上位の魔族であるメデューサの上位互換は存在しない。
研究者のあいだでは、ほとんどそう結論づけられている。
その姉妹を除けば。
巨大なこうもり、ステンノー・ゴーゴンがメデューサの胴体を噛み砕いた。
テオはすでに走り出していた。
メデューサの血まみれの胴体がステンノーの牙から離れる。テオはそれに馬乗りになって、構えていられないほど熱を帯びている魔導銃を突き出した。
「お前は塵ひとつ残らない。おれは『不死身殺し』だ」
メデューサは白い顔で笑った。
「――そう。ダサい二つ名ね」
まばゆい閃光がメデューサを貫いた。




