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お葬式

前回からの続きです

やあ(AA略


 おっさんの記憶が薄れてしまわないうちに祖母のお通夜と葬式の様子を書きとめておくよ。

 おっさんの備忘録みたいなものだからこの文章に価値なんてあるのかどうかわからない。

 けど、この話を開いてくれた人には、ありがとう。



 前回の話で土曜日の夜遅くに祖母が亡くなって日曜日にもろもろ打ち合わせってとこまで書いたはず。うん、いま読み返してきたから間違いない。


 で、その後の流れを書いていこうと思う。

月曜日が一日空いて火曜日に納棺~通夜の予定になったんだ。


 おっさんはとある工事の責任者という立場に任命されてしまっていて、月曜日は以前から役所に打ち合わせに行くということが決まっていたんだ。だから、お通夜が火曜日に決まって正直ホッとした。

 翌日、役所の打ち合わせを終えてデスクワークをしていたら珍しく父から電話がかかってきた。

 気温が高くて祖母の身体が腐りそうだから、一日早いけど納棺の儀を行うとのこと。


 うん、そうだよな。消化管の中には消化酵素があって、死んだことによって身体の機能が失われても酵素の働きが止まるわけじゃないから自己消化が始まるんだよな。酵素の働きは温度に依存するからドライアイスで冷やすんだよな。なんて、おっさんはいちおう理系の端くれだからそのぐらいは理屈で理解していた。

 けど、親しい人の身体が腐っていくというのは感情では納得できない部分もあった。

 気持ちのどこかに「子供の自分」というのがあって、ちびっこ目線では親はいつまでも若いし、じじばばはいつまでも元気なはず…なのになんで腐っちゃうんだよ。というような。


 いろいろ端折って火曜日。おっさんは祖母が自宅から通夜会場に出発する時間に間に合うように家を出た…のだが、高速に乗ってからクリティカルな忘れ物に気がついて高速道路の一区間を往復。時間をロスしたので少し急ぎ目に走ってどうにかこうにか出発に間に合った。

 屋敷の門の脇に自分の車を停めて、車を降りたところで祖母が乗ったリムジンが屋敷から出てきた。おっさんは頭を下げて車を見送った。


 そして、自分の両親とともに通夜会場に移動して葬儀社と軽く打ち合わせ。といっても会場の入口で弔問客を出迎えるのは故人の子供と内孫だけなので、おっさんは他の近い親族と控え室でおしゃべりしたり、跡取り従弟の婚約者が孤立しないように軽くフォローしてやったりと、まあ、責任のない立場で揉め事・モヤモヤのないように立ち振る舞うようにするだけだった。


 そんで、通夜式。真言宗のお坊さんが来て真言・お経・歌とやってくださった。

 おっさんは中二の頃に厨二で、某孔雀の王様みたいな漫画が大好きだったから真言は一回聞いておぼえた。けど、改めて調べてみたら、やたらと口にしたり書いたりするものじゃないとあったので割愛。

 お経は観音経の25番らしい。

 おっさんの心に残ったのはお坊さんが歌ったいろは歌だった。


いろは歌はみんな知ってるよね。


  いろはにほへと ちりぬるを

  わかよたれそ  つねならむ

  うゐのおくやま けふこえて

  あさきゆめみし ゑいもせす


これ。漢字まじりにすると、こう


  色は匂えど  散りぬるを

  我が世たれぞ 常ならむ

  有為の奥山  今日越えて

  浅き夢見し  酔いもせず


おっさんが解釈すると、こう


  色鮮やかに、芳しく匂いたつ花もいつかは散る

  この世が自分のものと思うぐらい栄えたものもずっと栄えたままというわけではない

  事象の地平を今日越えて(つまり亡くなるということ)

  酔ってもいないのに浅い夢を見るような存在に(この世のものではなくなるということ)


 「色は匂えど、散りぬるを」

 お坊さんがこのフレーズを繰り返していて、この世の無常観を歌った歌だということはわかった。


  無情じゃないよ、無常だよ。シッタカ○ッタも言ってるよ。


 形あるものはいつか崩れる。

 命あるものはいつか死ぬ。


 そういうことを言っているんだなあ、当たり前なんだけど、こういう機会でもないと自分の内面を掘り下げることもできないしなあ、と。



 通夜式の後の線香番で、式場に残っていようかと考えていたけど線香は渦巻香があるし、跡取りの叔父さんと従弟の二人だけが残るから大丈夫だよと言われ、まあその二人じゃいろいろ話もあるのかもなと思って

「そうですか」

と、いったん実家に戻った。


 おっさんは寝つきがあまり良くないから戻ってからもすぐに寝付けるわけもなく、書道が好きだった祖母の供養の一つとして般若心経を写経したりした。でも、まあ、おっさんの付け焼刃の毛筆がそんなに上手なわけはなく、

「まったく、お前は勉強はできるのに字はヘタクソなんだから」

と、ぼやく祖母が脳裏に浮かんだりした。


 で、さらに明けて翌日。告別式。弔問客を出迎えるのは子供一同と内孫なので、式が始まるまでは手持ち無沙汰。

 告別式が始まったのだが、今回はもう3ヶ月も前から心の準備をする事ができたので気持ちが乱れることはなかった。お経が長いな。とか、さすが田舎地主の家だけあって弔問客が多いな。なんて思ってた。自分が焼香する番になっても特に気持ちが乱れることはなかった。焼香が終わってから弔問客席に見知った顔がないか眺める余裕もあった。


 でも、お棺の蓋を閉める前にお花を入れたり、手紙を入れたりする最後のお別れ。あれはダメだ。どうにも言いようがない感情が止めどもなく溢れてきて、いくら感情の蓋を押さえつけてもダメだった。感情の波が何回も押し寄せてきて、祖母の顔をまともに見られない瞬間が何回もあった。

 涙ぐむことはあったけど、涙を流すところまで気持ちは乱れずに済んだ。前夜に写経した般若心経もお棺の左手あたりに入れることができた。


 そして出棺。バスに乗って祖母を載せたリムジンの後を追う。バスがとった経路は祖母が嫁いできてからずっと過ごしてきた○○地区(昔は○○村だった)を突き抜ける幹線道路で、陸橋の上からは娘の嫁ぎ先まで見渡せるという絶好(?)のロケーション。

 式場から斎場に向かうという「最後」っていうシチュエーションで、祖母が暮らした地区を縦貫して、高いところから一望するということが感慨深かった。


 あとはお坊さんにお経をあげてもらいながら、自分も手を合わせながら窯に入れもらって、焼いて。


 いまの火葬場は昔と違って炎でゴウゴウと燃やさないから、外に出て立ち昇る煙を眺めたりできないんだよね。母方の祖父の葬式では煙を眺めながらあれこれ考えたりもできたんだが。

 便利な世の中になったけど、生きること、死ぬことの生々しさが薄い世の中になったのではないかなあ

なんて、控え室で考えたりもした。


 呼び出されて、骨を拾って。


 大腿骨頭がはっきりと形を残していたり、骨太だったり、

「ああ、この骨太。自分は間違いなくこの人の子孫なのだ」

と、実感したり。


 精進落としでは、本家とはまた別のいとこの子供が騒がしかった。けど、まあ、死ぬ人もいれば生まれてくる人もいるというこの世の無常というのはこういうことかな、と。


 今回もまたまとまりのない文章を書き散らかしてしまったけど、おっさんが人の生き死にや無常観についてまた考えるきっかけになりました。というやつです。

 


祖母に関する話はあと一話ぐらい。

次回更新はいつになるかわかりません(><)


悲しいことやむずかしいことばかりじゃなくて楽しいことも書きたいなと思ってます。

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