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昨日の晩飯がヤクルト一本だったと言うのに、朝起きても食欲がなく、原田は湯を沸かしてコーヒーを淹れた。
コーヒーメーカーを持っていないのでカップにドリッパーを乗せてフィルターをセットして一人前を淹れる。
お湯を落として粉を膨らませながらぼんやり考える。
朝食を作らない朝は時間を持て余す。
今までこんなことはなかった。
健介の朝食を作らない朝なんて。
……いや、その前は?学生の時は?
俺は毎朝どうやって過ごしてたんだ?
原田はコポコポと落ちる滴の音を聞きながら腕組みをした。
苦学生だったからずっと新聞配達をしていた。
いや、それは高校まで。
大学からは、
あの頃はバイクしかなかったから。
今みたいにガレージもなかったから。
出掛ける準備に手間が掛かって持て余す時間なんかなかった。
そうだったなぁ。
原田は目を閉じて少し笑った。
走ろうかな。
しばらくロングに行ってない。
もう寒いけど雪の前に山にでも行こうか。
久しぶりにバイクを出そうか。
健介も猫もいない死んだような空間で、原田はやっと気持ちに火を点ける。
そして出勤し、現場回りをして、棟梁と資材の打ち合わせをして、その後施主と設備のショールームで打ち合わせ。
会社に戻って図面や見積もりをさばく。また現場に出る。
全て通常通り無表情にこなしていたのだが、夕方になり一人だけ妙な突っ込みをしてきた。
「原田、飯食ってないだろ?」
無駄にでかい声で社長が座っている原田を上から見下ろし根拠のない指摘をした。
「食べました」
「嘘つけ。俺ずっと見てたもん」
「そんなに暇なら仕事取ってきてください」
「お前が飯食えないぐらい忙しいのに?」
「食べました」
社長の橘大和は朱鷺の一番上の兄。朱鷺は三男。
橘家は企業を経営していて工場を持っているが、それを継いだのは次男の昴で、大和は長兄だが跡継ぎを持たない伯父の経営する工務店を引き継いだ。
大和はラガーマンだったのでそれなりの身体つきをした顔もごつい大男だ。
朱鷺と似ているのはその長身だけ。
「てかさ、平たく言うとさ、俺も食ってないんだよ」
「俺は食べました」
原田はそう言って席を立った。
これから食いに行かない?奢るから。と続くのは目に見えている。
忙しい振りをしてあしらわないと、次々と付き合わされて帰宅が遅くなる。
ほぼ家庭に見放されている社長とは違って俺の家庭は、
とまで考えて
今日からそれがもう無いことを思い出した。
忘れていた。
原田が立ち止まって振り向くと、社長はもう別の社員を誘っている。
一般の社員は社長からのお誘いを原田のように冷たくあしらったりはしない。
短時間で社長は夕食前の腹ごしらえの相手を確保して事務所を出て行った。
失敗したなぁ。奢ってもらうんだった。
晩飯どうしようかなぁ。
原田はため息をついた。