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蝶のはばたき 5

 バラッドは、ベッドに片膝を乗せた。

 抱きかかえていたササヅカを、ベッドの中心へとゆっくり降ろす。膝下と背中を支えていた手を抜くと、ササヅカは自分に適した寝心地の良さを求めてか、身じろぎした。ころりとこちらに背を向けてしまう。


 バラッドはベッドに片膝をついたまま、背を向けた子供を見つめた。

 手を伸ばす。

「それじゃ、調べられねえだろ」

 触れる。柔らかい髪の感触を楽しんだ。

「なあササヅカ」

 バラッドは歌うように囁いた。

「今、目ぇ覚まさねえなら俺は―――お前にまたがって、服を脱がす」

 そして、口を閉ざす。

 その小さな身体が、動くのを待つ。


 だが、動きは無い。

 静かに深い呼吸で背が揺れるのみだ。


 

 良心の為の時間は、終わりを告げた。

 窮屈すぎる紳士時間を終えて、バラッドは晴れ晴れと笑った。

「よし、合意とみなす」

 ベッドに乗った片膝を小さな背へと近づける。片足もベッドの上へ持ち上げた。そのままササヅカの身体をまたぐ。小さな肩へと手を伸ばし、仰向けになるようにゆっくりと力を加えた。ササヅカはいい子だった。素直にこちらのやりたいようにさせてくれる。

 仰向けになったその身体を見つめ、バラッドは上半身をかがめた。

 ササヅカの脇に腕をつく。


 そして、触れた。

 服の上から、直球で、胸に触れた。

 すぐさま顔をしかめる。

「わからん」

 いや、実際は分かったのだ。ササヅカが、分からないようにしていることが分かった。手の平に、服一枚隔てた皮膚の感触とは違うざらつきがある。

 こいつ、いっちょ前に隠して、やがる。

 


 手を服の裾へと潜り込ませた。

 薄い腹を撫で触れ、さらに上へと手を伸ばす。

 ササヅカの睫毛が、震えた。

 その動きに、バラッドはササヅカの顔を見つめた。ゆっくりと指が這う。少女の眉根がかすかに寄る。こちらが動きを止めると、自然と詰めていたらしい呼吸が、小さく小さく漏れた。寝息とは異なる、戸惑っているかのような呼吸。

 バラッドは微笑んだ。

 その眉宇に、口付けた。

「なんだお前、ちゃんと可愛いじゃねえか」


 

 服の中の指先の感触でも分かるが、こいつは見た目でも間違い無く、少女だ。

 ササヅカは、女。

 見紛うことなく、女だ。

 いったい何故、これが男と思えたのか。うちの野郎共は、揃いも揃って目の奇病を患っているのか。バラッドは、自分の下で眠る少女が来た日のことを思い出した。口元を歪む。いや、これは目の奇病じゃあ、ねえな。


「ねえ、何をしてるのかな」

 バラッドは少女を下に敷いたまま、入り口に視線を向けた。銀縁眼鏡の男が、小首を傾げて立っていた。随分と早い登場だとバラッドは思った。

「死んだか隣?」

 銀縁眼鏡の医務室長は、質問の意味が分からないという顔をした。

「私が、目の前のものを取りこぼすような愚かな真似、すると思う?」

「それは、目の前の命は、決して取りこぼさねえっていう名医発言、で合っているよな?」

「おや、心外だね。それ以外に何がある?」

 ―――眼前の金は、決して取りこぼさねえという金の亡者的ゲス発言なんじゃねえかと。

 医務室長は、こちらに負けず劣らず狂った輩だ。だがその医療技術には、狂いはない。


 バラッドは、ササヅカから手をはなし、上半身を起こした。

 ササヅカをまたいで膝立ち体勢のまま、再び医務室長のほうへと目を向けた。

「なあ、こいつ、男と女のどっちに見える」

 医務室長は、もう一度、質問の意味が分からない、という顔をした。


「女、以外の何に見えると?」

 あっさりした返答だった。そうだよなあ。それが正しい意見だよなあ。こちらの今の体勢も影響しているのだろうが、自分の下にいる奴は、女にしか見えない。


 女にしか見えないのだが。


「でもこいつ、アルルカ部隊長が、男だって言うんだ」

 バラッドのにやにや笑いに、医務室長が姿勢を正した。


 今、二人の脳内に浮かぶのは、鬼神のごとき外遊部隊の部隊長の姿だ。独特の鎧を着込み、おそらく長いであろう黒髪を頭上で独特の形に結い上げた壮年の男。街の外を流れるように移動を繰り返し、人形の駆逐と周辺の村々の警護にあたるグレースフロンティアの花形部隊の部隊長。その右頬の大きな傷も、その顎鬚も、眉間の皺も、嗄れた静かな声も、どこまでも硬質で、冗談を言いそうな要素は皆無である。


 そんな男が、ササヅカを「少年」と形容したのだ。



 医務室長が、長い足でベッドへ近づいてくる。

 その手が、少女の胸に伸びた。

 胸部に触れた男は、顔をしかめた。


「「分からん」って思うんだよなあ」

 同時に言う。

 銀縁眼鏡の奥の飴色の瞳がこちらを見つめた。不快そうな目をしていた。続けて口を開く医務室長に、バラッドは再び声を被せた。

「「分からないようにしていることが分かった」って、俺も思った」

 こちらの笑顔に、医務室長が心底、鬱陶しそうな顔をした。


 これで納得した。

 バラッドは頷いた。

「うちの奴らはよ? 隊長が明日は晴天って言ったら、傘を持つ。グリム部隊長が明日は晴天と言ったら、槍が降ると覚悟を決める。だが――――アルルカ部隊長が、明日は晴天と言ったら、誰も疑わねえで夜中に洗濯をするんじゃねえかな」


 医務室長ですら、あの御仁が少年と言ったことで、自分の考えを今一度『確認』をしようとしたのだ。


 アルルカ部隊長がどんな男かを知っている奴ほど盲目に、少女を『少年』と思い込むに違い無い。外遊部隊長は、隊長よりも尊敬され、信頼を勝ち取っている男なのだ。


 そんな男の発言に、付き合いの長い自分がまず騙された。

 騙されて、まんまとおおいに加担した。


 ササヅカは知らないだろう。彼女はこの国に、犯罪すれすれで入国を果たしていることを。

 外遊部隊が怪我人を連れて帰還したその日、先に街へ戻った外遊部隊の若き天才リャノン・モントールは、すぐさま根回しに動いた。奴の王侯貴族的根回しとこちらの『スピード重視』の入国書類で、ササヅカはほぼ審査無しで入国した。

 それは他ギルドが聞いたら、目を剥く話だ。特にバルフレア・ハインなどには絶対、知られてはならない内容だ。通常、観光客が入国する手続きは、事前手続きをせずに外門に来た場合、二、三日かかる。厳しいチェック項目があり、初回の審査が特に細かいのだ。それをササヅカは、ほぼ0分で通過していた。

 外門の前に立つ。門が開く。アルルカ部隊長が自分の住民カードを提示する。外門では、魔法認証と機械認証の両方を実施し、アルルカ部隊長は公正に、問題無く、外門を通過する。続くササヅカが、こちらの用意した書類で、『いろいろすっとばして』『すっとばしたことも関係者一同が忘れて』『いやむしろ関係者は、自分が関係者だったことも忘れて』外門を通過する。門が閉じる。以上、入国終了。

 完全に違法である。軽く白状すれば、この入国に関しては、ササヅカは犯罪者だ。本人すら知らねえだろうけれども。

 違法と声高に言う輩は、昼街門にはいなかった。

 何故なら、このグレースフロンティアの違法行為を押し留めるはずの外門管理者もまた、グレースフロンティアなのだから。


 そしてこの入国時に使われた書類が問題だった。

 モントールが記入したササヅカの入国書類には、しっかり『男』とあった。

 その後、バラッドがササヅカの国籍変更申請書を作成する際も、入国手続きの内容を踏襲している。

 

 ―――普通、そこの性別部分に不備があるかどうか、確認、必要か?

 どうやら必要だったらしい。『スピード重視』をしすぎて、本来、記入するはずのササヅカ本人が、一度も見なかった書類には、大きな穴が空いていたようだ。

 リャノン・モントールのせいで『男』として入国手続きを済ませた少女は、バラッドの加担もあって、国籍も『男』で取得をする。手に入れた住民カードは、アルルカ部隊長の影響を受けていない人間が、少女を見ても、『少年』と言い直す効力を持ったに違いない。


 グレースフロンティア内では、もっと簡単に、少女の性別を誤解した。

 大勢の人間に勘違いをさせた犯人は、新兵部の部隊長ベイデン・ムドウ。

 ムドウ部隊長は、『少年』としてササヅカを扱った。他の隊員と同じように、ゲンコツをぶちおろした。それだけで、全員がこいつを『少年』と思い込む。

 バラッドと同じように、外遊部隊長と付き合いの長いムドウ部隊長が、その信頼のおける御仁の推薦書に目を通し、『少年』としてササヅカを扱う。見ていた者達は、自分の第二のオヤジとも言うべき新兵部隊長の言動を、鵜呑みにする。




 信頼が仇となる。

 この人がこう言ったから―――そんな目隠しで、勘違いが波及していくのが目に見えるようだ。

 たった一人の勘違い。

 たった一人の勘違いだったのに。

 そのたった一人が、決して間違ってはいけない男だったのだ。


 加えて、こんな野郎所帯に入隊するのは男だけという意識と、少女の同期が、不幸にも白冑の美童と少女より非力そうな少年だったことが、事態悪化に拍車をかけた。

 そりゃ、総じて騙される。

 こんな状況で騙されてねえ奴がいたら、そいつは相当、自己中心的で他人を気にしない奴ってことだろう。

 

 つまり、目の奇病が一名。

 あとの奴らは全員まとめて、『すっとぼけアルルカ☆信頼病』を患っていたということだ。



「しっかし」

 バラッドは自分の下に横たわる少女を見つめた。

「こいつもこいつで、どうして男の便所に突入かましたのか」

 そういう突拍子も無い行動が、さらに性別の目くらましになっていたのだ。

 医務室長が賞賛するようにササヅカを見つめた。

「女は度胸ってやつなのかな」

「いや、そこ、女の度胸で入ってこられても困るだろ」

 むしろ女なら、恥じいって入ってくるな。

 ササヅカは、当事者の癖に『すっとぼけアルルカ☆信頼病』にかかっていたのだろうか。アルルカ部隊長を尊敬しすぎて、『自分の性別が申し訳ない、男として生きよう!』と、男の便所に突入をかますほどに、アルルカ部隊長信者だった―――わけじゃねえと思うんだがなあ。


 ササヅカもこの状況、悩んだに違いない。周囲が重ねて『男だ』『少年だ』と言い続けたら、相当、落ち込むだろう。年頃の女が、少年と言われ続けるのは、トラウマになるんじゃなかろうか。『すっとぼけアルルカ☆信頼病』から脱却した身とすれば、ササヅカは普通に女だ。触れた時の反応の仕方だってあどけなくて可愛いもんだ。あと数年すりゃ、誰も性別を間違えることはなくなるだろう―――ただ、残念なことに、ギルド前で匍匐前進をするような奇行に走る奴である。……匍匐前進をするガキは、はたして少女と認定していいのかどうか。


「まあ、何はともあれ、だ」

 バラッドは、ササヅカの頬を手の甲で優しく撫でた。

「こいつにはこのまま、少年、でいてもらわなくちゃなあ」

「これからも、男のトイレに突入させるってこと?」

 医務室長が意外そうに、反対側の頬をつついた。

「女の子なのに、憐れだね」

 呑気な医務室長にバラッドが呆れた。

「いや、俺は別に書類を直してもいいんだけどよ? ―――問題は、お前さんだろ、医務室長?」

 こちらの言葉に、医務室長がササヅカから目線を上げた。

 不思議そうな顔をしていた。

「私の問題って、何故?」

「入国手続きの時も、その後の国籍変更届も、医務室長が診断書を書いていることになってる」

 医務室長は、銀縁眼鏡の奥の飴色の目を丸くした。

「この子を診た覚えがない」

「そりゃ覚えてねえだろ。お前、そもそも診てねえんだから。リャノン・モントールと取引したはずだ。がっつり懐温めて、診断書を出したんじゃねえの」

「…………」

「ここで男じゃなくて女でした、って言い出したら、一番、目の奇病扱いをされるのは」

 バラッドはにっこり笑って言葉を切った。


 目を見開いていた医務室長は、暫くして、くすり、と笑いをもらした。

 目を細めて薄い笑みを浮かべた。


「成程」

 医務室長は細い指で、ササヅカの頬を再び突いた。

「良かったね。君は特別だ。病倒れても、怪我しても、撃たれても、私はどんな状態であれ、低額で最高の医療を施すと約束しよう。だから悪いけれど君は、男のトイレでも男の大浴場でも、どこにでも果敢に行ってもらわなくてはならないね」

 右頬から悪しきものを感じたのか、ササヅカは眉間に皺を寄せた。

「いっそのこと性転換手術でも挑んでみたらいい」

 ササヅカが、うるさいとばかりに唸った。

 そして、吐息とともに、少女は、小さく啼いた。


「ん……ぃや、ハーヴェスト…」

 

 絶妙なタイミングだった。

 虚をつかれた大人二名が、凝固した。

 ササヅカは、医務室長から離れるように寝返りをうつ。

 膝立ちのバラッドの下で、彼女はうつ伏せに近い形で転がった。


 医務室長が少女を凝視している。

 バラッドも笑いを引っ込めた。

 二人の視線が、寝返りをうった少女のある一点に集中する。



 それは、少女の首だった。



 偶然、露になったその細い首に、二人の目は集中した。

 明らかに、内出血していると分かるその歯型。噛み痕だった。

 完全に、それは噛み痕だった。


 こういう噛み痕をつけかねない『ん……ぃや、ハーヴェスト…』に適合する輩を、二人は偶然にも―――全く偶然にも、一名だけ知っている。


 バラッドは思い出した。

「―――そうそう、こいつ。大事なチップを持っているはずなんだよな」

 バラッドが思うに、ササヅカは『ん……ぃや、ハーヴェスト…』に適合する輩から、チップを受け取っているはずだ。

 そのチップは、本来欲しかった情報以上の物がぶちこまれたチップだ。


 視線が彷徨う。

 きゅっと小さく握り込んだその少女の手を、バラッドは見つめた。

 チップは、そこにある。

 バラッドには分かった。

 チップはササヅカの手の中だ。


 眠っていても落とさないくらいしっかりと握りしめてきた、ということか。

 バラッドは手を伸ばした。手を重ね、握りこんだ指を開かせようとし―――

「ゃ、あ」

 ササヅカの眉根が寄った。きゅっと先程よりさらに指に力が入り、手をうつ伏せの自分の胸の方へと引き込んでしまう。


 バラッドは、にやりと笑った。

「こいつ、眠っているとよく啼くのな」

 少なくとも、今の状態のササヅカは匍匐前進をしそうには見えない。

 少女だ。

 ササヅカが少女に見える。

 バラッドは医務室長を見た。

「ちょっと手伝ってくれるか―――こいつには、このベッドで、気持ち良ーく、指の先まで伸ばせるくらい寛いでいて欲しいんでな」


 こちらの言葉に、医務室長は薄く笑った。

 ササヅカの露になっているうなじに、そっと触れた。

「いいよ。だいぶ、この子に興味がわいてきたところだから」

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[良い点] こらーーーーーーーーーーー!!! 推しーーーーーーーーー!!!! [気になる点] 合意とは [一言] ついてて良かった噛み痕 って、そんなわけあるかー!! バレたん早く!!!!!!!! …
[良い点] なんでエロい男がいっぱい居るのにムーンライト掲載じゃないんだ。焦らされてる気分だ。
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