表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
43/110

バルフレア・ハイン 01



 ――あの日、黒髪の子供は、その横っ面を張り倒された。



 *********


 室内の壁に設置された通信機が、けたたましい音を響かせる。

 自然と悪態が飛び出した。

 通信機は好ましいものではない。煩わしい機械音は、嫌悪に値する。―――いいか、ベイデン。これは機械じゃねえ。動力源は魔法だ。だから、いいか、頼むから、本当に頼むから、これ以上、ぶっ壊すな!


 案内カウンターがこちらに懇々と説明をしたのは、数十年前のことになる。バラッドに言われ続けなければ、今でも本部中のこれを壊して回っていたに違いない。あいつも途中から、説明を繰り返すのに辟易したらしい。壊す度に無言で請求額を釣り上げるようになり、そうこうしているうちに、本部の備品を壊すと高額請求をされるという気風が出来上がってしまった。数十年後の部下達の給料に、多大な影響を与える結果となり、少々、反省しないでもない。


 喧しい機械音――何故、魔法が動力源なのに機械音をさせるんだ――を取り上げた。

「やっと出たな、ムドウ部隊長」

 明るすぎるカウンターの声に、ムドウ部隊長は眉宇をひそめた。

「なんだ」

「昼街のレナ部隊長が、捜し回っているらしいぞ」

 唸り声が自然と出た。

「白天祭のことでか?」

「いや、違うだろ」

 通信機の先で笑う声。笑い上戸が笑っている。あまりいいことではない。否、全く良くない。


 あと数日で、白天祭を迎える。本部勤務者は皆、勤務時間が異常なことになり始めていた。特に今、昼街部隊は猫でも犬でも虫でも手があるなら借りたい時期のはずだ。それなのに、そこのトップが、祭とは別件でこちらを捜していると云う。


 思い当たる事と言えば、何日か前の、酒場の一件。

「バカラのことか」

「みたいだな」

 最高だ。対応は即座に決まった。

 面倒臭い。あの女は絶対、回避だ。

「俺は本部にいねえ。レナに聞かれたら、火鉢通りの自宅に戻ったと伝えろ」

「いや、朝一で火鉢通りは確認済みだそうだ」

 くそったれ。

「なら、所在不明にしろ」


 通信機の先で笑い声が響く。

「―――だ、そうだ。ムドウ部隊長は、所在不明だってよ」

 だ、そうだ?

「おい、まさか」

 耳元で雑音。

 すぐさま、男と全く違う声が聞こえてきた。

「四階にいるのね」

 涼やかな女の声に、悪態をつく。畜生。あの女、一階のカウンターにいる。


 美声が歌うように言った。

「すぐ、そちらへ向かわせていただくわ。――所在不明の部隊長サン?」

 直訳:絶対そこにいろよクソ野郎。

 通信機は切られた。耳から通信機を離す。ムドウ部隊長は、分厚い手の中の小さな通信機を見つめた。――居場所が簡単に割れる。最高だ。本当に最高だ。だからこれが嫌いなんだよ。


 叩きつけるように壁のフックに戻し、振り返って自室を眺める。

 本部四階の自室は、酷い有様だった。ファイルが山積み、奥の寝室まで資料で埋め尽くされている。奥の寝室のドアは開け放たれ、壁に立てかけられた巨大なコルクボードが見えていた。

 コルクボードには、人形に関する記事や資料がナイフで留められている。ムドウ部隊長は顔をしかめて、寝室へと足を向けた。寝室のドアを閉じる。内側で書物の山が崩れる音がする。今日、あの部屋で眠れる気がしない。きっといつものごとく、医務室長に金を握らせて、医務棟で眠ることになるだろう。


 寝室のドア前から、再び部屋を見回した。ここも隊員達の資料で溢れていた。首の後ろを揉む。片付けは諦めた。この汚さはもう隠しようもないレベルだ。

 本当であれば、部屋の片付けどころか、今からやって来る女に会う時間さえも惜しいのだ。

 特に今は、白天祭が迫っている。準備に借り出されて、隊員達は訓練時間が不足する。それにも関わらず、祭りに後には昇格試験が控えている。短時間で効率良く、各々の力を引き上げてやる必要がある。個人指導の時間はいくらあっても足りない。


 時間、時間、時間。

 圧倒的に、時間が不足している。 

 そうだと言うのに。


 ノック音がした。返事も待たずに、扉が開く。勢い良く開けるから、扉にぶつかったファイルが雪崩を起こした。

 金色の髪を後ろで高く結わえた女が、部屋に数歩入る。崩れた資料を、踏まない努力はしたらしい。黒く縁取りした目が、こちらを見た。

「相変わらず汚い部屋ね」

「帰っても構わんぞ」

 ムドウ部隊長はがなるように言った。

 太い腕を組み、寝室の扉に背を預ける。

「それで、何の用だ」

「分かっているくせに」

 女は腰に手をあて、くい、と眉を上げる仕草をした。いつもの彼女の癖だ。新兵部隊にいた頃から変わらない。この女は入隊した頃から、女王様として新兵部隊に騒動を巻き起こした。そのプライドの高さは霊峰シャヌドラに匹敵する。無駄に高くて、関わると相当、面倒臭い。


 その面倒臭いプライドを刺激しまくったのが、あの酒場の一件だった。

 酒場――バカラで、うちのガキどもと昼街がやりあった。


 ムドウ部隊長は首を振った。

「あれは、もう解決しただろ」

 こちらの言葉に、女は信じられないという顔をした。

「解決? いったいどう解決したと?」

 面倒くせえな!

「うちが謝罪に行った。ついでに」

 ムドウ部隊長の眉間の皺が深くなる。


「てめえは、うちのガキの顔を、引っぱたいたはずだ」

 自然と殺気立ったのは、横っ面を張られた後のそのガキの様子を思い出したからだ。

「その他の処罰を聞いているのよ」

「俺の説教と新兵部隊の鎧磨き」

「まさか、それだけ?」

 女王陛下の瞳が、怒りに染まる。

「処罰が軽すぎる!」


 処罰が軽いわけではない。もう充分だ。

 騒動の翌日、加熱しすぎた説教のせいで、昼街の謝罪へ連れて行くはずだった万年新兵隊員が、昼を過ぎても、医務室のベッドで撃沈していた。チロ・デイシーは、家族から休ませるという連絡が入っていたし、後は黒髪のガキ―――ササヅカしかいなかった。

 当事者ひとりを引き連れて、昼街の駐在室へ向かう。嫌な予感はしていた。あの場にいたのがラックバレーなら、あの張り手がとんでくることはなかったはずだ。この女が張り倒した時、思わず口を出しそうになった。堪えた。―――ここで、俺が口を出すと収まる所に収まらなくなる。

 足元をふらつかせる子供を掴み、早々に部屋を出た。

 その平手のほうが、拳骨より衝撃が強かったらしい。

 新兵部隊の駐在室へ戻った後、ササヅカは黙々と鎧を磨いた。こちらは距離を置き背を向けて、隊員の資料作成に専念した。背後で時々故意に大きな音がする。その音に鼻をすする音が紛れ込むのを、聞き流した。資料にペンをはしらせながら、もう充分だと思った。これ以上の罰は不要だ。


 ムドウ部隊長は、ゆっくりとドアから背を離した。

 大股でレナ部隊長に近づく。威圧するように睨みつければ、負けじとこちらを怒り混じりに睨み上げてくる。ムドウ部隊長にすれば、この女も、ガキのひとりと変わらない年齢だ。若くとも臆することのない堂々とした態度は賞賛に値する。お互いの力量の差も測れないバカではないはずなのに、それでも立ち向かってくる。

 睨みつけたまま、唸るように言った。

「俺の部隊の隊員の話だ。てめえに口を出す権利はねえ」

「新兵部隊と昼街部隊では番格が違う。貴方の隊員は、格上相手に騒動を起こしているのよ。こちらが口を出す権利は十分にあるわ」

「だから、うちから謝罪を入れたんだろうが―――どちらが仕掛けたか、どんな理由だったか、喧嘩の内容も全部棚上げしてやった。うちが悪かったってことで、収まってる。てめえがこれ以上、きいきい騒ぎ立てるなら、うちも黙っちゃいねえぞ」


 騒ぎが大きくなれば、困るのは、この女のほうだ。

 バカラの件は、喧嘩をふっかけたのも、その喧嘩の理由も昼街部隊が原因だ。だが重要なのは、そこではない。このバカラの件、問題はケツにあった。

 喧嘩が日常茶飯事のこのギルドでは、喧嘩の始まり方も、原因もあまり重要視されていない。むしろ、騒動が起こった時には、ケツを見る。始まりではなく、ケツ――つまり、終わり方だ。

 

 このバカラの騒動は、とんでもない終わり方をしていた。

 途中で外遊部隊なんて規格外のものが出てきたせいでケツがぼやけたが、この喧嘩、昼街部隊員が数的有利だったにも関わらず、万年新兵部隊員一名を落とすこともできなかった。おまけに『赤ん坊レベル』のガキに銃を取られ、しかもその後、その『赤ん坊』レベルのガキがどういうわけか昼街隊員を一名、潰すという―――まことに昼街部隊にとって、不本意な結果だったのだ。


 格が上のはずの昼街が、負けた。

 眼前の女は、この不名誉な事実を払拭しようと躍起になっている。ササヅカの除隊を要求してくるぐらい、きいきいと騒ぎ立てている。無論、たかが喧嘩だ。こちらは、そんなアホな要求を鵜呑みにするわけもない。


「この話は、終わりだ。忘れろ」

「そんな簡単な問題ではないでしょう!」

 このやりとり、何度続ければ、この女、納得するのだろうか。

 いい加減うんざりしたムドウ部隊長と怒りで紅潮するレナ部隊長が睨みあう。

 

 その時だ。部屋の外から、軽く乾いたノック音がした。

 眼前の翠の目からそらさず、ムドウ部隊長は怒鳴った。

「なんだ!」


 こちらの怒鳴り声に、ドアの向こうの誰かが沈黙した。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ