バルフレア・ハイン 02
ドアの向こうの誰かは、ゆるゆると声を出した。
「あーっと……」
室内がヤバイ状況だと察したようなその声は、聞き慣れたものだった。思い浮かぶのは、猫背で痩身、太陽の光を浴びていない不健康な白さの男。
新兵部隊の隊員最長記録を常に更新し続けている駄目隊員。
ラックバレー。
「ムドウ部隊長、報告することがあったんスけど、後にしたほうがいいスかね?」
室内の男女が同時に言った。
「ええ、後で報告して」
「いや、今、報告しろ」
二人の全く逆の言葉を聞いて、再び扉の向こうが沈黙した。
しばらくの無音の後、ドアノブが静かに回った。
部屋を覗き込む男は、室内を見回した。こちらにお伺いをたてるような視線―――いいんスか入っても?
いいから、がんがん邪魔しろ。
こちらの切なる希望を、ラックバレーはきちんと読み取った。無駄に長い付き合いではない、という所か。猫背の痩身がするりと部屋へ入ってくる。小脇に抱えた封筒が目についた。どうやら本当に用事があって来たらしい。
「今、話し中よ。後になさい」
レナ部隊長が語気を強める。ラックバレーは肩を竦めて、ドアの横に立った。
女王陛下が、こちらへ振り返った。追い出せと視線で言う。もちろん無視した。かわりにムドウ部隊長は、彼女から一歩離れた。自然と先ほどまでの加熱しかけた空気が霧散する。
話の終わりを態度で表すムドウ部隊長と故意に興味津々といった様子で立つその部下。
都合の悪い話を、続けられるわけもない。
レナ部隊長は、こちらのあからさまな逃げの一手に、顔を赤く染めた。
「いいこと、ムドウ部隊長」
追い出される形での退場を余儀なくされた女の声は、怒りに震えていた。
「話は、まだ、終わっていないわ!」
そう言い放つと、レナ部隊長は踵を返した。ラックバレーがすぐさま扉を開ける。へらりと歪んだ愛想笑いを浮かべかけ、睨まれたのか慌てて神妙な顔を作る。扉を開けて待つ新兵部隊員の横を通り、レナ部隊長は出て行った。
ラックバレーが静かに扉を閉めた。
室内の二人は、廊下に響く怒りの靴音に耳をそばだてた。
完全に音が消える。
「行ったか」
「行ったスね」
どちらともなく押し殺していた息を吐く。扉に手を置いたままだったラックバレーが、突然くっくと咽喉で笑った。
「怖ぇ怖ぇ……夜の笛吹きも真っ青だ」
口元を拭ってラックバレーは言った。
ムドウ部隊長は、ラックバレーを眺めた。こういう言葉が出てくると、こいつはこの街で生まれたんだなと実感する。ムドウ部隊長は、外から来た人間だった。ラックバレーが何気なく言った『夜の笛吹き』が何を表すのか、昔は分からなかったものだ。夜中に笛を吹いたら、近所迷惑だろ。バラッドとナイルと一緒に首を傾げて、そんな姿を隊長に笑われたこともある。
今なら分かる。『夜の笛吹き』は夜街を徘徊する殺し屋だ。あまりにも名が売れすぎて、名前だけが一人歩きをしている。今や、子供を寝かせるための親の武器へと変化していた。――早くベッドに入らないと、夜の笛吹きに連れ去られるよ。
最近、それに似た言葉を子供に言い聞かせる親を見た。―――いい子にしてないと、グリム部隊長に食べられちゃうよ。うちの三番部隊長は、どうやら人を食う何かとして、街の生活に定着しつつあるようだ。幸いにして、まだ人を食っている所は目撃していないからデマが広がっているのだろう。おそらく。
「昼街部隊長は性格はともかくとして、いい身体つきッスよね――これぞ女ってね」
「付き合いてえなら、夜街に撃たれて来い」
こちらの言葉に、ラックバレーが目を丸くした。
「じゃあ、本当なんスね。夜街の部隊長との噂」
ムドウ部隊長は、それ以上の答えを出さなかった。色恋沙汰は当人達の問題だ。ギルドに影響が出ないなら口を出す必要もない。
「それで、なんだ報告って」
「案内カウンターが面白いもん見れるって言うから、覗きに」
こちらが拳を固めたのが見えたらしい。ラックバレーはすぐさま脇に抱えた茶封筒を差し出してきた。
ムドウ部隊長は、封筒を受け取った。中には高級紙の白封筒。手紙は封蝋してあった。赤い蝋が表す印は獅子と剣。うちの隊長印だ。
宛先は『バルフレア・ハイン』宛てだった。
成程。ムドウ部隊長は顔を上げた。
「白天祭への招待状か」
「今年はミカエル・ハヅィに持って行かせろって案内カウンターから」
ラックバレーの言葉に、納得した。毎年、白天祭の前には、各街の最大手ギルドに招待状を届ける。夕街の研究ギルド『バルフレア・ハイン』も、その対象だ。
隊長印の入った招待状は、その年の有望株が届けに行くのが定例化している。今年はミカエル・ハヅィに決まったようだ。ムドウ部隊長の予想としては、外遊のモントールが街に戻っているから、あれが回るのかと思っていたのだが……思わず、言いかけて眼前の男を見て口を閉じた。
こいつに、あれの話はマズイ。
「まあ、ハヅィなら遜色ねえか」
頭を掻きながら言いかけたことを誤魔化し、眼前の猫背男を見つめた。
「で、お前の用事はなんだ?」
他人のやることを伝えるために来たわけではあるまい。
こちらが問えば、ラックバレーは素直に白状した。
「願わくば、その招待状の配達、俺も一緒に行かせて欲しいんスけど」
「なんでまた? 面倒臭えだけだろ」
「バルフレア・ハインに顔を出す口実が欲しいんス」
率直な言い分だった。
研究ギルドに傭兵ギルドの人間が顔出す? しかも口実がいるような事をしてくるつもりらしい。背筋を『厄介事』の悪寒がじわじわと上ってくる。ムドウ部隊長は眼前の隊員を見つめた。眼前の隊員の顔には、歪な笑いが強く浮かんでいた。好ましくねえなと思う。最近、こいつのこういう顔が少し穏やかになったと思っていたのだが……どうやら気のせいだったらしい。
「てめえ、俺の知らねえ所で何をやってる?」
「知らねえ所って言うか、これから思い切りムドウ部隊長も巻き込むんスけどね―――その封筒、中にまだ何かあるでしょ」
言われて封筒に視線を向けた。隊長の招待状と、あと……カードが二枚あった。住民票だ。この街に住む人間が誰でも必ず持っている住民票がそこにある。この街はこれが無いと生活が出来ない。街から街へ移動するのも、住民票の提示が求められるくらいなのだ。ムドウ部隊長は二枚のカードを手に取った。ざっとカードを眺めた。同じカードだった。二度見つめた。呆然とする。全く同じ二枚のカードだった。隈なく見つめ、裏返して眺め廻した。寸分違わず、同一のカードだった。猛烈に頭痛がした。
――――同じ住民票は、存在し得ない。
住民票カードを紛失した場合、再発行されるものは、決して以前と同じ物ではない。製造番号も住民を表す番号も新規番号へと変わる。それなのに、今、手に持っている二枚は製造番号も住民の番号も一致する。
つまり明らかな違法物だ。
この違法物が巻き起こす可能性を考えると……
ムドウ部隊長は眉根を寄せた。
「これ、どちらかが本物か?」
「いや、どっちも偽物ッス」
「偽物って、分かるくらいの杜撰な作りってことか」
「肉眼は合格、機械検査も合格、でも魔法検査は完全アウトだったみたいスよ」
思わず唸り声が上がる。二重検査だとアウトな代物ということは、最低の紛い物ってことだ。
「犯罪に手を染めようってなら……」
ムドウ部隊長は毒づいた。
「二重検査もきちんと通るレベルの偽物を製造してきやがれって思ったのは、俺だけか」
「いやー、事情を知ったうちの全員が、同じこと考えてるスね。本物と同じ水準の完成度だったら良かったのにって」
偽物の完成度が高ければ高い程、問題がひとつ減る。気付かなけりゃ問題が無いのだ。下手なもの作っている奴がいるから、余計な問題がぶち上がる。こっちは祭でクソ忙しいってのに。
ムドウ部隊長はカードの男を指差した。
「こいつは関わっていたか?」
「いや、善良な夕街市民らしいス。この城下から出たこともない温厚で、普通の、幸せな一般市民。ただ最近、住民票を紛失したらしくって、再発行手続きをしてる」
頭痛が酷くなった気がした。
ラックバレーが同情するように肩をすくめた。
「と、いうことで、バルフレア・ハインに行ってきたいんスよ。街から街へ抜ける時には住民票の提示義務がある。使用記録がバルフレア・ハインのデータに残っているはずッスよね。これを使った奴が、どんな動きをしたかを知るには―――」
「あの研究ギルドに行くしかないってわけか」
ムドウ部隊長は唸った。使用記録はバルフレア・ハインの管轄。もちろん個人情報だから完全機密だ。「情報、ください」「はい、あげます」が通用するはずがない。
だから、眼前の新兵部隊員はバルフレア・ハインに「ください」を言わずに、「偶然落ちてました。だから拾ってきました」をするつもりなのだろう。
だがラックバレーが……この一介の新兵部隊員が、あの根暗研究ギルドから情報を抜き出してくるには、相当優れた後方支援が必要になるはずだ。根暗で陰気な研究ギルドとはいえ、あのギルドは夕街を代表する学術ギルドだ。情報のプロとも云えるギルド『バルフレア・ハイン』から、情報を引き出すためには、機械と魔法の両方を相手にしなければならない。ラックバレー単独では出来ないはずだ。つまり裏で手をまわす奴が、ラックバレーを遠隔操作をし、情報を引き出す作戦なのだろう。
この脳筋な傭兵団体で、そんな頭脳を持ち、かつ本人が出向かないということは。
ムドウ部隊長は、壁の通信機を手に取った。
すぐさま繋がる。
「おい、新兵部ってのは訓練生であって、私用任務は禁止事項だったはずだ」
通信機の先に怒鳴りつければ、笑い声がした。くそ、愉快狂が笑う時は、決していいことはないのだ。
「私用任務じゃない。ラックバレーには、お使いを頼んだだけだ」
「お使い、だあ?」
なんだ、その安全性が全然、確立されてないお使いは!
「こいつじゃなくてもいいだろうが! モ―――」
モントールにでもやらせろ、と言いかけて、ぶちぎる。くそ、面倒臭えな!
言いたいことは伝わったらしい。
「あのモントールが、どうやって他ギルドに忍び込むんだよ」
通信機の先―――案内カウンターが笑い転げた。
「鎧兜が白衣集団の中を歩いていたら、浮くだろ!」
「脱いで行かせろ!」
「もっと目立って仕事にならねえよ―――ムドウ部隊長」
案内カウンターが笑いを引っ込めてこちらを呼ぶ。
「これは、昼街にも夕街にも朝街にも夜街にもやらせることができねえ。分かっているはずだ。新兵部隊員じゃなきゃダメだ。新兵部隊員でこちらの指示をきっちり完遂できる奴は―――そいつしかいねえだろ」
分かっている。分かっているが、納得は出来ない。
ムドウ部隊長は、ラックバレーを見た。緊張感もなくダラダラと立っている。確かにこいつは、どこへ行っても浮くことはないだろう。ちょっと不健康そうなどこにでもいる市民だ。筋肉のついた他の隊員より、はるかに諜報向き。モントールさえ関わることが無ければ、文句無く仕事も任せられる。だが―――
目が合う。
こいつの目が気にいらないのだ。ムドウ部隊長は歯軋りした。簡単に人生を投げそうな目をしてやがる。捨て鉢になったら、あっさり死ぬことを選ぶだろう。死なせる為に拳骨をくれているわけじゃない。ふ、と頭の中に、生命力に溢れた目が思い出された。
きょろきょろと良く動き、驚いたように何にでも目を丸くしている目だ。
まるで生まれて初めて見るものばかり、と言った好奇心旺盛の威勢の良い黒の目だ。
そして、その視線を追うこの猫背隊員の目も思い出せた。少し興味が引かれているようなこいつの目が後を追い、自嘲めいた歪んだ笑みが和らぐ―――ああ、そうか。最近、こいつから不安定さが消えつつあるように見えたのは……
ムドウ部隊長は目を閉じて、眉根を寄せたまま通信機にがなり立てた。
「分かった。ラックバレーにやらせろ」
通信機の先と眼前の男が軽く笑う。
「ただし―――」
ムドウ部隊長は、視線を跳ね上げた。ラックバレーを見つめる。
「ただし、ササヅカを、連れて行け」
聞いた通信機の先と眼前の男が、完全に沈黙した。




