第十六話『アルコバレーノ』
戦闘を終えてから二時間程山道を歩いた、すでに日は落ちていて辺りは闇に包まれている。
私は夜に慣れているため不安は無いが、馬車が通るのに不便をしそうな道幅では何度か先生が落ちかけた。
普段なら焚き火をしている時間であり、夜道は歩かない前提の旅路である、薄暗くなった段階で先生が取り出したランタンと呼ぶ物を見た時は感動した。
街中で見た事はあるものの、個人が所有出来る事に驚いたのだ。
「油断しすぎですよ先生……私が夜に慣れていなかったら既に何度も死んでいます……」
「助手ちゃんがいるから油断してるのさ!!」
「なんで自慢げなんですか……」
いちいち可愛いな。全く。
「そろそろ危ない道も終わりですね」
「だね、もう腹ぺこだよ……」
狭い道が拓けると道沿いを避け、本格的に火を起こした。
先生が今日は何を食べようかとリュックの中身を探る。
今日は疲れたしパンにしようと、硬くはあるが日持ちするパンを取り出す。
普段の生活ではそれ程貴重では無いが、こうも長旅だと話は別だ。
塩漬け肉をベースにスープを作り、少しだけ豆類を入れる、パンと合わせると何とも贅沢な夕食だ。
体力的には問題ないが、気疲れがあるのか焚き火で煮詰めるスープを先生と一緒に無言で眺める。
慌ただしい一日の終わり、久々な気がする余暇だった。
体に集中していた脳がやっとの思いで頭の中を整理を始める。
「先生の力について聞いてもいいでしょうか?」
「うん、いいよ、というか聞かれずとも説明するつもりではあったけどね」
お腹を鳴らし、お皿に注がれたスープを受け取るとウキウキしながら先生は言う。
先生はこれだけ自分の内を教えてくれるというのに、私の秘密を言わないのはどうなんだろうかと思う。
だけれど一時の情でするべきでは無いと心の中の母に叱られた。
「僕の力はエントロピーってものを元に戻すらしいんだよ」
「らしい?」
「そう、異教徒が言ってたでしょ? 魔女に恋をしたって……」
まさかそこまで教えてくれるとは思わなかった。
もちろん不思議ではあったけれど、先生の恋愛事情みたいなものには何だか踏み込み辛い気持ちがある。
聞いてはいけないような、もやもやするような。
とても気になるので聞きたいけれど、聞きたくない……と思う。
「魔女とは敵ではなかったのですか? 騎士なら尚のこと」
「そうだね、流石に全ては説明出来ないから省くけれど、本当にたまたま仲良くなったのが魔女だったのさ」
きっと、誰であれこんな事を言われても信じられないと思うだろうが、何故だか先生なら納得出来た。
天性の人たらしというか、愛嬌に関して言えば類を見ないのではないだろうか。
もちろん、人の世に疎い私が判断しているので違うのかもしれないが。
「でも、君が言うように魔女達は敵だった、だから彼女と会えなくなる前に、さっきの左腕を貰ったんだ」
「そういえば、何で普段は消しているんですか? あった方が便利だと思いますが、敵を欺くためとか、そう言う事ですか?」
「いいや敵として現れた魔女を倒す時、左腕自体は怪我で無くなったんだ」
怪我で無くなった、確かルーク・ヴァルキヤもそう言っていた。
私もそれを忘れたわけではないのだが、先の戦闘では明らかに存在していた。
「『マクスウェルの左腕』は彼女達が住む世界とこの世界の技術を合わせて作った物なんだ、僕も全く理解出来なかったんだけど、世界を構成する小さな小さな粒は秩序的な状態から乱雑な状態に進んでいくんだ」
「…………はい……はい?」
「簡単に言うとね、今食べてるこのスープは冷たい水と塩漬けしたお肉で出来てるよね?」
「はい、そこまでは理解できます」
頭がパンクしそうだけれど、私は何とかくらいつく、せっかく先生が話してくれているのだし誠意は見せなければならない。
分からないにしても……だ。
「世界は冷たい水の状態、つまりは複雑じゃない状態から始まって、塩漬け肉を入れて肉と塩が混ざる、そして水も沸騰するほどに温度は上がる、水だったものに比べると要素が増えて複雑になっていると言えば分かるかい?」
「なるほど、そう言われれば理解できます」
「僕の左腕はそうして出来上がったスープを元の冷たい水と塩漬け肉に戻すことができるんだよ」
「分からなくなりました」
ふふっと先生が少し笑う、難しい話をする時の知的な先生にはいつも見惚れそうになる。
普段との差がありすぎておかしくなりそうだ。
「僕も理屈に関しては全く理解できてないんだよ、でも現にそう出来てしまう、これを作った彼女はその刻印の本体を僕の体の背中に作って、補助的な役割を左腕に任せたみたい」
「え? つまり本体の刻印が起動するとその力が勝手に左腕を治しているって事ですか!?」
「そう、さすがだね助手ちゃん、厳密に言えば背中だけだと僕自身にはそれが使えるんだけど、左腕がないと僕以外には使えないみたいなんだ、それでその時に出る熱が頭の上にふわふわしてるやつだよ」
背中にどんな風にかかれているのか気になるところだけれど、そんな事を言える訳がなかった。
頭の上のふわふわと言うのは虹色に輝く冠のようなものだろう、急に輝きを増したりしたのはきまって力を広い範囲で使用した時だった。
「でも、その上のふわふわは何故あれ程の威力を持つのでしょう、情報を処理する熱というのはあんなにも強大なのですか?」
「情報を整理する、つまりは読み取ったり削除したりするには、それはそれは莫大な熱が発生するみたいで、動いている物だと尚更、何かの原理で決まっているみたいなんだけれどね、でもあの威力は調整できる、体の中に冷やす為の刻印とその熱を技に変換する刻印があるんだ」
「なんと、そんな事までできるんですね……あ、それであの弓矢のような形に!」
技のデザインも作成者の練度を示す大事な要素だからねぇと、パンをスープに浸しながら先生は言う。
オーダー空を飾る七つの弓
オーダーはたぶん、指定文を簡略化して呼び出す鍵だろうけど、アイリス……その響きは何だか先生に似合っている感じがした。
海のような、大空のような。
包み込むような優しさの中にキラキラした笑顔が先生を飾る。
「でも、先生……そのアイリスは魔女に通用しないのでは?」
「だね、効果があるのは『マクスウェルの左腕』だけで、他の攻撃が魔女に当たっているのを僕は見た事がない」
「やはり外套の攻略はこれから必須になりそうですね……」
「それが本に記されているといいんだけどねぇ……」
先生は動いたせいでお腹が空いているのかパンをもう一切れ食べようとしていたけれど駄目ですよと嗜める。
上目遣いでお願いと言われても駄目なものは駄目である。
先生のお金で買ったものなので私がどうこう言えるものでは無いのだが、旅先を案ずるのも助手の仕事だと思う。
寝床を整えると私たちは眠りについた。




