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第一章

 波の音と海鳥の鳴き声しかしないような、のんびりした砂浜。ほとんど人の手が入っていない白い砂浜の一画に、固い葉と棘によって守られた低層木の藪があった。

 その藪から一つ、カーキ色のハーフパンツに包まれた可愛らしいおしりが飛び出していた。

「あぁ~良い写真取れたぁ」

 おしりが声を上げた。

「相変わらず棘が痛いけど、我慢した甲斐があったあった♪」

 もぞもぞとおしりが動いて、細い腰と貧相な胸に着用された黄色のTシャツ藪から出てきた。続いて赤い髪の生えた頭が出てきた。つまり、簡潔に言えば、藪から少女が出てきたのだった。

 少女の名はヨシエ・アズマ。この近辺にある研究所所長の一人娘である。

 ヨシエはぼさぼさになった髪の毛を手櫛でとかし、ポケットから取り出したゴム紐でうなじのところで一つ結びにする。それから肩や首をグルグルと回し、背伸びをした。小麦色とまでは行かないが健康的に焼けた肌に、背伸びをすることでうっすら浮き出る筋肉の陰影が映し出され、彼女はまだまだ少女なのだと理解させられる。

 そんな大人の階段を上りはじめたばかりの彼女は、首から提げたカメラを起動して、本日の観察結果を見直そうとした。

 カメラのディスプレイには毛玉が映っていた。

 毛玉はもぞもぞと動きだし、ヨシエが構えていたカメラに気付いたようで、こちらに目を向けた。

 くりくりとした白目がない目。小さいけれど鋭く尖った黒いくちばし。身体の横に生えた翼と、水かきの付いた短い足。

 鳥の雛だ。

 観察場所が海辺で、足に水かきがあることから、海鳥と推測される。

「うふふ・・・かわいー」

 ディスプレイを見ながら、ヨシエはだらしなく頬を緩ませた。

 ここ2週間ほど、彼女はこの雛の様子を観察していた。少しずつ大きくなっていく雛を見るのは、まるで自分が育てているかのように思えてしまう。

 本当ならば卵を暖めているところから撮影したかったらしいが、巣を見つけられたのは、親鳥が雛に餌を運ぶ姿を追いかけた結果なのだから仕方がない。

 たぶん、この海鳥の巣が、浜辺にある低層木の下に有るだなんて、この惑星の住民の多くでさえ知らないだろう。

 通常の惑星であれば、このような目に見える生き物の生態なんてものは、生物学者の手によってことごとく調べ尽くされるであろう。しかし、この〝ウドラ恒星系〟の第三惑星はそのようにはいかないのだ。

 〝銀河最外縁惑星ぎんがさいがいえんわくせい〟。

 文字通り、銀河の最外縁に位置する惑星である。既知宇宙と未知宇宙を分け隔てる境界線であり、現在の人間にとっての世界の果てである。

 しかしそれは非常にマクロな話であり、ややミクロな視点、つまり恒星系単位で見ればなんら銀河中央と変化はない。恒星を中心に惑星が円形を描いて公転し、場合によってはその惑星の周りを衛星が公転する。

 中には人間の母星である太陽系第三惑星〝地球〟のような生態系保有惑星も存在した。ウドラ恒星系第三惑星もそれに該当する。

 しかしながらその生態系は非常に貧しいものだった。惑星の規模や、生命発生に欠かせない水の量と比べ、存在している生物数が少ないのである。

 原因として一番有力なのは、惑星に存在している炭素の総量が低いことなのだが、それならばなぜ炭素の総量が低いのかといわれると、地質学者も首を捻り答えが出ない。同恒星系に存在する単純惑星の炭素総量よりも圧倒的に低いのだから訳がわからないというのだ。

 また、そのような貧弱な生態系のため、惑星そのものを使った大々的な調査を行うことは法律にて厳しく制限されている。

 炭素総量ではなく、生命自体に特殊な問題があるのではないかという学派も存在している。彼らは遺伝子保護を目的として、実験惑星にて完全培養された最外縁惑星出身の生物による人工進化を、スーパーコンピューターを使って解析・シミュレーションをしていたが、結果は何も出てこなかった。

 そもそも、炭素の総量が低いだけで、銀河最外縁以外の生態系保有惑星とさほど大きな変化がないこれらの最外縁惑星には魅力ある資源がない。そのため調査する資本が集まらなく、惑星自体の調査はまだまだ放置されている。

 残念なことに、そんな大して意味の無いような惑星調査をしている暇は、今の人間にはないのだ。

 銀河には利用可能な資源を有した惑星が多数存在しているし、それらを元に様々なものを開発して行かなくてはならない。なぜなら銀河は広大であり、人の手の届かないところがまだまだあるのだ。

 銀河最外縁になど目を向けるなど、よほど変わり者の学者か金持ちしかいない。もしくは、銀河中央の競争社会や雑踏に嫌気がさしたスローライフ主義者の新天地としてしか見られていない。

 このウドラ恒星系第三惑星もそのような何にもなく、法律と資本主義の論理により保護された、実にのんびりした銀河最外縁生態系保有惑星の一つなのだ。

 保護されていると言っても、ヨシエのようなアマチュアカメラマンの撮影程度の調査なら問題がない。もっとも、商業カメラマンが喜ぶような派手な生物はいなく、それゆえに観光客などもいないが。

 ここまで言えばわかってもらえるだろうが、このヨシエという少女は変わり者なのだ。

 銀河最外縁惑星の生き物で一番変わっているものは、そこに移り住んだ人間なのだというジョークが生まれても仕方がない現実があるのだ。

 ヨシエは満足そうな笑みを浮かべ、カメラを投げ出しておいたザックにしまい、背中に担いで砂浜から離れていった。

 舗装されていないラフロードに戻り、そこに止めてあった電動自転車にまたがった。

 充電率を示すデジタルメーターを見て、顔をしかめる。

「む……最新式なのに」

 この電気自転車は父の助手がプレゼントしてくれたものである。この前迎えた誕生日にもらったもので、最新式だと彼女は聞いていたのだが……

「うえぇぇん、80パーセント切るのぉ?」

 父親による魔改造が完了し、昨夜から今朝までの時間を使ってフル充電したはずなのだが、昨日まで使っていた〝タケロウDX28号〟のときとさほど残量が変わっていなかった。

 銀河最外縁惑星に住む人間が変わり者だと言われる理由の一つがこれである。やたらにバッテリーの放電現象や、送電時の電気ロスが大きいのだ。そのおかげで自家発電を併用するのが当たり前となっているので、田舎暮らしなのに無駄に金が必要だったりする。

 ヨシエが少々落ち込んでいると、後ろから小石を弾くタイヤの音と水素エンジンの燃焼音が響いてきた。

 彼女が振り向くと、白い下地に一本の青い帯を描いた車体に、青と赤の警光灯が乗っている乗用車だった。要は、パトカーだ。

 パトカーからは一人の男が降りてきた。この星の警官であるヘム・マクスミーだ。

 彼は、白人独特の赤ら顔をした、背が大きい分、腹回りも大きくなってしまった中年だ。頭にはテンガロンハットを被り、スウェード調の革ベストを着用し、腰にはガンベルトを巻き、気分は完全に西部劇の保安官だった。

「よぉ、ヨシエ。今日もまた動物観察とは……」

 ヘムはパトカーに寄りかかるようにして声をかけてきた。

「うーむ……やはり将来は絶望的だなぁ」

「それは酷いんじゃない、ヘムおじさん!」

 ニヤニヤと笑うヘムに対して少し声を荒げて反論するヨシエ。

「ハッハァッ! お前のオヤジの後継者がいなくて絶望的だってことだ。お前はきっと良い学者になれるよ。生物学者だけどな」

「フンだ。アタシはね、自分の好きなこともやりつつ、お父さんの跡を継ごうと思っているの。おじさんは大船に乗った気持ちでいて良いわよ」

 毎度毎度のやりとりだ。

 ヘムは肩をすくめて「やれやれ」とジェスチャーで示し、パトカーに乗り込んだ。

「そうかい、そうかい。んじゃ、気をつけて家まで帰れよ。未来の所長さん」

「ベーッ!」

 軽口を叩きまくる中年男に対し、ヨシエは年甲斐もなく大きなアカンベーをする。そのまま、パトカーのバックミラー越しの顔が認識できなくなるまでアカンベーを続けていた。

 人差し指を下目蓋から離して少しだけ苦笑すると、頭を切り換え、電動自転車に引っかけておいたヘルメットを被った。

「さて、帰ろうか」

 サドルに跨り、アクセルグリップをゆっくりと捻って走り出した。向かう先は我が家でもある〝フライヤー研究所ウドラ支所〟である。

 ウドラ恒星系第三惑星は、最大直径1000km弱の大きさの割には、人口は20万もいない。先述したとおり、現住生物の保護がすすめられ、大規模な気候変動開発を行うことは許されていない故、食料生産もままならない。20万人の人間を養うだけで手一杯なのだ。

 存在する都市は3つあるが、すべてが温暖湿潤で、比較的過ごしやすい環境である。

 恒星の名前を取った中心都市ウドラには全星人口の三分の二が集まっている。各種行政の出先機関や治安維持のための警察本部、生命線である食料生産工場や生活必需品の工場、それに就労する人間を対象とした商業施設、就労者の子供が通うための学校施設など、ごく一般的な惑星と同じものがそろっている。

 そして、中心都市と呼ばれるだけあって、一応は研究機関もある。

 〝エーテルフィッシュの生態調査、及び、新型宇宙航行システム開発研究所〟のウドラ支所である。

 銀河最外縁とは既知宇宙と未知宇宙の境界であることは前述した。では、既知と未知を何を持って分割するのか。

 その答えは人間が進出できたか否かである。

 一応は未知宇宙へ行けたと言われている。しかし、その調査船団は戻ってこれなかった。

 〝エーテル海面下航行システム〟、通称“ダイバー”により光の速度を超えた移動手段を得た人類は、西暦19960年に銀河最外縁へと到達した。開拓者精神溢れる優秀な学者達は、次の銀河へと飛び立っていった。俗に言うフロンティア船団である。しかし彼らは戻ってこれなかった。

 次の銀河で何かトラブルがあったのだろうと多くの人々は考え、そのトラブル解決のために次々とフロンティア船団が送られていった。結果はすべて同じく、帰還者ゼロである。

 そして遂に、そのトラブルとやらが何であるかが知られることになる。西暦19994年、資産家のネヘラシアン氏が通常空間の宇宙飛行を楽しんでいたところ、未知宇宙で全長500mほどの巨大生物に襲われたというのだ。

 護衛に付いていた4隻の武装船が巨大生物と交戦した。ビーム兵器の熱線に照らされたその巨体は、ぬらぬらと鱗模様の怪しい光沢を放ちながら宇宙を泳いでいた。ビームは当たれど巨大生物の身体に傷をつけることは適わず、護衛の武装船は雇い主を逃がすことに全力を注いだ。

 彼らの善戦により資産家たちは該当宇宙域から離脱することに成功した。しかし、武装船のうち2隻がエーテル海面下へと引きずり込まれたという。

 交戦映像は鮮明に撮影されており、それらを見た人々が巨大生物を見て恐怖を覚えた。

 泳ぐという姿から多くの人が魚を連想したが、巨大生物が反撃のために口を大きく開いた姿から竜を連想した人々もいた。そして各種レコーダーによって記録されたデータを解析すると、それら巨大生物はエーテル海面下へ逃走したという結果になった。

 エーテルの海の下にはバケモノがいる。

 その巨大生物は〝エーテルフィッシュ〟という正式な名称を与えられ、多くの人々に畏怖の心を芽生えさせた。

 彼らの存在は、人類はまだ銀河を巣立つには早いのだと考えを改めさせたのだ。

 エーテルフィッシュの存在する宇宙域を超えるためには、人類には新たな超光速航行システムを開発しなければならなかった。加えて、単に新しい技術が有れば良いというわけではない。最大の障害はエーテルフィッシュである。彼らの生態の調査も行う必要があった。

 それ故、研究機関の名称は〝エーテルフィッシュの生態調査、及び、新型宇宙航行システム開発研究所〟である。略称は、概念が確立されてきている新しい宇宙航行システム〝エーテル海面離礁、及び、離隔航行システム〟、通称“フライヤーシステム”から取り、〝フライヤー研究所〟と呼ばれている。

 しかしながら、銀河内にも調査していない場所もあり、開発もまだまだおこなされていない場所もある。それなのに、エーテルフィッシュという恐怖の対象がいるのにかかわらず、銀河の外に目を向ける資産家はほとんどいなかった。

 どのぐらい貧弱な研究基盤なのかというと、ウドラにあるフライヤー研究所の研究員が二人ということを言えばわかるだろうか。その二人とは、ヨシエの父親であるタケロウ・アズマ氏と、イルムート・ネヘラシアン女史である。

 支所長とつとめるタケロウは、フライヤーシステムの大本にもなるエーテル浮上計算式の開発者、トーマ・ベムフラト博士の教え子であり、新たな宇宙航行システムの開発には最適の人物である。

 しかし、もう一人のイルムートは、名前のとおりネヘラシアン氏の親族の一人であり、スポンサーとして招待されているようなものだ。新技術の開発はタケロウ一人で行い、イルムートはエーテルフィッシュの目撃例などを調査しているに過ぎない。しかも、赴任したのは3年前だったりする。

 でも、ウドラ支所は二人だけでも手狭だったりする。

 研究所と言うにはおこがましいほどの建物なのだ。普通の住宅に実験室と、漁船のドックに実験器具などを装備させて作り上げた実験プールしかない。

「たっだいまぁー」

 元気良く家に向かって挨拶したヨシエは、その実験プール横に電動自転車を止めて電源プラグを差し込んだ。横にはピンクの電気自転車が置かれていた。

「今日も来てるんだ」

 ピンクの電気自転車の持ち主を想像し、笑みを浮かべながら住宅の方へと向かう。

 玄関の方へ足を運ぶと、一台の小型自動車が止まっていた。自宅のものではない。

 誰が来たのだろうかと考えながら玄関ドアを開け、「ただいま」と言って帰宅を告げた。

「お帰りなさぁい」

 やんわりとした声がキッチンから聞こえると、続けてその声の主、イルムート・ネヘラシアンが現れた。

 透き通るような白い肌と、銀色の髪を緩めの三つ編みにしている女だ。優しそうな目はサファイアのような青い輝きを放っていた。資産家のお嬢様なだけあって、ほっそりした身体をしている。

 今は黒のスラックスと白いブラウスを着て、上に白衣を羽織っているが、そんなものよりも胸元が大きく開いたイブニングドレスなんかが似合うのではないかとヨシエはいつも思っている。別に白衣が似合わないというわけでもなく、白衣姿は美人女医という雰囲気があって、それはそれで良いと思ってもいる。

「イルナちゃん、いらっしゃい」

「はい。今日もお仕事ですから」

 そういってイルムートは手に持ったトレイを軽く持ち上げて見せた。

 トレイにはお茶のポットとクッキーが入った小皿が乗っかっていた。

「そっか。やっぱり外の車ってお客さんのだったのね」

 田舎ののんびりした研究所だが、博士の助手である限り、研究だけを手伝えばいいわけではない。来客が有れば、出迎えている博士と客のためにお茶を用意するのも大事な仕事だ。さらにスケジュール管理などもやらされ、秘書のように働いている助手も多い。

「はい。クシィ導師がいらしていますわ」

「ええっ! 彼って運転するの? 電気自転車のこともけしからんとか言ってなかったっけ?」

「そうですわね。彼の信条に反する行為なのでしょうが、今日は事情が事情で急いでいたらしいですよ」

 二人は並んで研究室の方へと歩いていく。

 研究室兼応接間というのが正しいのか、小さい研究室にはお似合いの場所だ。また、フライヤーシステムの実用化に向けての研究というものも、200年後には必要になるだろうと言われているほどのとてもマイナーなものだったりする。

 トレイを持ったイルムートの代わりにヨシエがドアを開けようとしたとき、中から声が近づいてきていたので二人は動きを止めた。

 扉を開けて出てきたのは竜神教の信徒アシュトン・クシィだった。

 彼は白くも黒くもない黄色人種らしい肌色をした長身の男だ。短い黒い髪を清潔に整え、竜神教の正装である白いカソックに身を包んだ姿は、彼の美貌と相まって神秘的な何かを感じさせていた。ウドラ支部の支部長を務める導師だけある。

「いやー、今日も有意義な時間を過ごさせてもらえましたよ」

「無人観測船からの超望遠レンズで撮った写真なんか、キミぐらいしか喜ばないよ。我々学者が欲しがるのは全身図だ」

 クシィ導師の後に続いて姿を見せたのは、この研究所の所長を務めるタケロウ・アズマだ。ヨシエの父親だけあり、肌は小麦色で健康的だ。もっとも、年相応の中年らしい皺と弛みのある顔をしていて、生え際も後退してきている様子がある。

「竜の全身が見えないことによる神秘性を理解できないとは・・・我が教団に入らないのは正解だと思います。私たちから見れば博士のその考えの方が異常となってしまいますから」

「異常で結構だよ。僕たち学者連中ってのは、エーテルフィッシュを竜みたいな神秘的な生き物だとは考えられない脳みそをしているからね」

 竜神教においての信仰対象は竜である。しかしその竜というのは、世間一般ではエーテルフィッシュと呼ばれているものだった。彼ら竜神教徒が言うには、エーテルフィッシュは神々が危険な未知宇宙へと人類が早まった進出をしない為に使わした天使らしい。

「ただいまー」

 ヨシエの言葉に反応し、二人の男は彼女を見つめた。話し込んでいたようで、目の前に彼女がいたことをわからなかったようだ。

「おお、帰っていたのか」

「おじゃましています、ヨシエさん」

「クシィ導師、お久しぶりです」

 ヨシエは姿勢を正し、彼女にとって最上の笑みを見せて挨拶した。

 別に彼を好いているから言い笑顔を見せようとしたわけではない。むしろ、苦手なのだ。

「おや・・・ヨシエさん、今日も現住動物の観察でしたか?」

「えっ? ば、ばれてしまいましたか・・・」

「頭に葉っぱが付いていますし、シャツには綿毛のようなものが付いていますよ」

 頬をかいて愛想笑いをするヨシエに対し、クシィ導師は少々呆れた様子で指摘した。

「あなたも年頃の女性なのですから、もう少し落ち着いた趣味を持ったらどうですか? 動物観察などよりも、もっと色々とやるべきことがあるように思うのです。将来を見据えた勉学に励むのも良し、好きな分野の知識を深めるために読書に打ち込むのも良し、家庭に入ることを考えて料理や掃除の腕を磨くのも――」

 この男、非常に説教を好むのだ。特に、アウトドア志向の人間に対して非常にうるさい。彼が野外活動を苦手とするかららしいが、ヨシエはあまり詳しいことを知らない。ただ、挨拶ぐらいはしっかりと年相応のものをしなくてはならないと、最近になってわかったので、それを実践したのだが、不評だったようだ。

 そもそも宗教家たるもの、他人の弱みを指摘し、それをどうやって克服するのが望ましいかを恩着せがましく教えなくてはならないのだ。いくら新興宗教と言えども今では全銀河に支部を持つ巨大組織である竜神教。そこの支部を任されているのだから、そのような説教の才能が必要だったりする。

「ああそうですね。宗教などに触れるのも良いかもしれません。まず手始めに我ら竜神教の支部にいらしてはどうでしょうか?」

「クシィくん……あまりウチの娘をいじめないでくれないかな?」

「……はい、そうですね」

 アズマ博士の仲裁によりなんとか説教状態ではなくなったクシィ導師だが、どうやら説教のまとめを言いたいようで、「つまり私が言いたいのは」と言葉を続けてきた。

「ヨシエさん、あなたには女性らしい物腰が欠けているのです」

「うぐっ……」

 いくら動物観察が趣味だとしても、一応15歳の乙女である。女らしくないと言われて傷つかないわけがない。むしろ、自覚している分、ショックは大きい。なまじ顔の良い男に言われたのも威力を倍増させている。

 言った本人はそんな彼女の心の内を知ることなく、「それじゃ私はこのへんで失礼します」とか言って研究所を出て行ってしまった。

 言われた彼女の父親も、彼女にもっと女らしくなってほしいと願っている。そのため、フォローを入れる気もないよく、イルムートがトレイに乗せていたクッキーを摘んで居間へと移動していく。

「それじゃあ、イルナくん、キミ達の分もお茶を煎れてきてくれないかな? せっかくだから、このクッキーをいただこう」

「はい、博士」

 アズマ博士の言葉に返事をしたイルムートは、去りぎわにヨシエの肩を軽く叩いて話しかけた。

「よろしければ、わたくしの特訓を受けますか?」

 お嬢様であるイルムートならば、それは本当に万人が羨むような女らしい仕草を教えてくれるだろう。しかしヨシエは首を横に振った。なんというか、最初からそんなに敷居が高いものに挑戦し、挫折するのが怖いというか、そんな気持ちだった。


◆◇◆◇◆◇◆


 お茶を飲みながら美味しいクッキーを食べているうちに、ヨシエのもやもやはすでに晴れていた。これだから女らしくないと言われるのに、そのことには気付いていないようだ。

「お父さん」

「うん?」

「そういえば、クシィ導師は何を伝えてきたの? また、フローターの開発を中止してほしいとかそういったこと?」

 フローターとは、フライヤー研究所ウドラ支部にて現在研究開発されている小型宇宙船である。

 フライヤーシステムを現実のものとして開発するには、その概念となっているエーテル浮上計算式による物質の擬似的マイナス質量化を実現しなければならない。それに達するには非常に様々な実験をしなくてはならなく、今のところは擬似的マイナス質量化を諦め、物質の擬似的無質量化を研究をしている。その研究の一番効率的なものがフローター開発である。

 今現在の超光速宇宙航行技術であるダイバーシステムは、エーテル海面の下を流れているエーテル潮流に宇宙船を乗せ、光の速度を超える技術である。次世代技術と言われているフライヤーシステムは、エーテル海面から解き放たれることで光の速度を超えようとしている技術である。

 フローターとはその中間だ。通常空間の乗り物でたとえると、ダイバーシステムが海流と風をうまく捕らえた帆船であり、フライヤーが飛行機である。フローターは高速船に翼を生やしてジャンプできるようにしたぐらいのおもしろ乗り物である。

 アズマ博士はヨシエの言葉に首を横に振った。

「今日は逆だったよ。フロータの有人機開発を進めてくれと言ってきたんだ」

「なんで? クシィ導師はエーテルフィッシュに対して畏怖の念を抱くことが信仰心になるとかなんとか言ってなかったっけ?」

 ヨシエは不思議そうな顔をして再度質問を投げかけた。

「詳しくは教えてくれなかったけど、本部からの圧力があったんだろうね。

 ほら、一応彼らも僕たちのスポンサーなのは知ってるだろ? そのスポンサー自らが開発を遅らせていただなんて何の冗談かと思われてしまうからね」

「そのとおりですわ。わたくしたちネヘラシアン財閥としても、クシィ導師の信仰心は意外なところで邪魔になっていました。今回の本部からの圧力は予定外でしたが、彼も同意してくれたようでうれしく思っていますわ」

 アズマ博士とイルムートの説明に「むぅ」と唸ったヨシエは、少し考えるそぶりを見せて自分の考えを口にした。

「竜神教ってさ、人間が未知宇宙に出るのは危険だと唱えているんだよね。それなのに、なんでフライヤー研究所のスポンサーになってるんだろう? まったく逆じゃない」

 彼女は彼女なりに考えてみたのだが、長い人生を歩んで色々な出来事を見聞きしたアズマ博士にとって、その考えは非常に稚拙なものだった。ため息混じりに問答を始める。

「ヨシエ、キミにとって天使とは何かな?」

「えっと……天使は……天使だよ」

「質問が悪かったようだね。天使とは何をするための存在かな?」

「うーんと、男女の愛を結ぶ?」

 アズマ博士は頭を抱えて大きくため息をついた。ヨシエはそれを見て不機嫌になるが、イルムートは優しく微笑んでいた。

「違うよ。天使、つまり神の使いというのはね、人間に対して常に試練を与える存在なんだよ。可愛い子供には旅をさせろとか、獅子は我が子を千尋の谷に突き落とすとか、そう言った言葉があるだろ? それと似たようなものだよ」

「つまり、エーテルフィッシュの障害を乗り越えて見せろと神様が言っているのだから、それを乗り越えてしまえってこと?」

 いまいち納得できないようで、ヨシエは顔をしかめた。その様子を見て、イルムートが気付いたかのようにフォローを出す。

「あっ! 獅子と言ってもライオンではありませんよ?」

「……イルナちゃん、私でもそれ知ってるよ」

「ご、ごめんなさい」

 不機嫌な顔で睨まれてイルムートは身をすくませた。そんな姉妹のような行為を見て、アズマ博士は顔をほころばせながら補足説明をする。

「もちろんクシィくんのように、絶対に犯してならない禁忌として天使が現れることもある。彼の考えがおかしいというわけではないよ。宗教というのは長い時間をかけ、社会に会わせて教義を変更していくものなんだ。むしろ、いきなりエーテルフィッシュを乗り越えるなんて言う今の状況が、いかにも新興宗教らしくて変なんだよ」

 そこまで言って一旦口を止め、カップに入ったお茶を飲み干す。

「まあ、教団の考えなんて、僕が考えることじゃないよ。僕たち科学者はただ、安全な航行を可能にするために研究を続けるだけだ」

 ヨシエはそれらの説明を聞きながら、クッキーをぽりぽりと食べていた。

 しかし、彼女はクシィ導師の考えの方に惹かれている。彼女は元々動物が好きなのだ。本当ならば、ウドラの現地生物も自宅で飼育して観察したいぐらいに、動物が好きなのである。でも、動物は自然のままが一番幸せであることも理解しており、クシィ導師がエーテルフィッシュに手を伸ばさないでいた姿勢は非常に良い評価ができると思っている。

 なんとなく教団本部を怪しく思い始めたヨシエは、ふと思い出してアズマ博士に話しかけた。

「天使の試練を越えるのも大事だってのはわかったけど、でもさ、私はこういう噂も聞いたことあるよ」

「どんな?」

「本部の偉い人は、神の使いと人類最初のコンタクトをしたいだけなんだってさ」

 ヨシエの言葉に頷くイルムート。

「わたくしも教徒の方からそのようなお噂を聞いたことがあります」

「やっぱり新興宗教らしくておかしい考えもあるんだね」

 二人そろって「ねー」と言い合う女を見て、立場が悪くなったのを感じたのか、アズマ博士は椅子から立ち上がって仏壇に向かっていった。

「うううっ! ヨシエはお父さんのやることが悪いことだというのだね……ああ、なんて悲しいんだ」

「ちょっ! お父さん!」

 ヨシエが椅子から立ち上がり、咎めるように声をかけるが、彼は動きを止めずに仏壇に飾ってあった遺影を素早く掴むと、胸に抱きしめた。

「……お母さん、ヨシエが反抗期だよ」

「勝ってにお母さんの写真を動かさないでよ! わかった、わかったわよ! お父さんの発明を応援する人を悪く言わないようにするから」

「ホントかい?」

 腕にしがみつくヨシエを、博士はにんまりと笑みを浮かべて振り返った。

「ホント、ホント」

「……お母さん、ヨシエの反抗期がおわりました。今日も平和です」

 二人のやりとりを見ながらイルムートはくすくすと小さく笑っていた。父親が母親の遺影を持ち出したことに腹を立てていたヨシエは、その姿にカチンと来たらしく、彼女に詰め寄った。

「ちょっといい、イルナちゃん?」

 またもや不機嫌そうな顔で睨まれた彼女は、白い顔をさらに白くして驚いていた。

「えっとぉ……お茶が冷めてしまうので、ちょっとの時間もよくありません」

 そのもじもじとした年上らしくない姿が、ヨシエの嗜虐心をくすぐったようで、意地悪な笑みを浮かべて見せた。

「それなら一気に飲み干して見せて!」

「そ、そんなの無理です……って、あつっ! 熱いです!」

 一応彼女もスポンサーの関係者なのだが、扱いはいつもこんなものだ。こんなことしても研究費をケチられることはない。

 平和なのだ。


◆◇◆◇◆◇◆


 アズマ博士は現在、フローター試作機11号の開発に全力を注いでいる。

 昨年末に飛ばした9号、今年になって飛ばした10号とも、疑似無質量化に成功しており、なおかつ無事に研究所まで帰還することに成功した。もっとも、疑似無質量化していられる時間はたった10分しかなく、光速に達することにもまだまだ遠い技術だった。実用化はまだまだ先の話である。

 彼は研究室から出ると実験プールへと足を運び、フローター試作機11号を眺めた。

 水上飛行機の一種であるフロート水上機のように、胴体から二本の足を伸ばしてフロートをつけていた。フロート水上機との大きな違いは翼がないことと、エンジンが化学ロケットだという点だろうか。

「ふむ……有人飛行ねぇ」

 11号には人が乗れるスペースを一応備え付けてみた。。

 しかし、スポンサーの一つである竜神教へのアピールのためにつけたものであり、実際に人を乗せるつもりは毛頭無い。

 そもそも、エーテル海理論において通常空間は〝エーテル海面〟と定義されている。ダイバーシステムはエーテル海の中を航行するため、エーテル海理論においても安全性が確保されていた。そのエーテル海から離れるフライヤーシステムは、生命にどのような影響を与えるかは未知数である。

 現在開発を進めているフローターもエーテル海面よりやや上に浮かびながら航行するシステムであるため、フライヤーシステム同様に生命に与える影響を検証しなければならない。しかも、エーテルフィッシュの出現宇宙域を超えて次の銀河へ到達するには、フライヤーシステムでも約30日かかると計算されており、その長時間にわたってエーテル海から離れる影響についても検証しなければならない。

 現段階で動物を使った実験を行っても、疑似無質量化時間が10分という状態では、まともなデータが取れないので行われていない。

 もう一度言うが、このフライヤー技術というのは「200年後に必要になるかもしれないねー」と学者達に言われているようなマイナーで、急がなくて良い研究なのだ。のんびりのんびり研究が繰り返されている。

 わずか10年あまりで試作機を10機作成したアズマ博士が研究熱心すぎるだけなのである。

「博士?」

「ん、ああ、イルナくんか」

 これまで製作した試作機を思いだしていたので、11号のコックピットから顔を覗かせた助手の存在に、声をかけられるまで気付かなかった。

「今日は休日にしてあったはずですが……どうしたのですか?」

 助手が右手の人差し指を下唇に当てて考える姿を見て、アズマ博士は亡き妻に似ていることをすると考えてしまう。

「いやなに……ここまでフロート水上機に似ているのに翼がないのは不格好だなと思ってね」

 そんなことを悟られないようにと、今更な馬鹿げたことを言ってみる。

「重量を削るのに一番良いのは翼をなくすこと。それは博士がおっしゃったことではありませんか」

「それはそうだが、いずれは質量が関係なくなる技術なんだ。もしかしたらエーテル海の上にはエーテルの空があり、エーテルの風が吹いているのかもしれない。そう考えたら、翼は不要とは言えないだろう?」

「……エーテルの風……吹いていたら本当にいいですわねぇ」

 アズマ博士の言葉にうっとりと目を細めて頬に手を当てる助手。

 彼は、短い付き合いだが彼女の性格というのはある程度掴んでいた。彼女は自然界のロマンティックな情景を好むのだ。通常空間では観測することができないエーテルの風を、新たなステージで見ることができたら、それはとても情熱的なことではないか。

 しかしながら、たぶん彼女も知っているのだろう。生態系保有銀河最外縁惑星においては大規模開発のほとんどが禁止されている。そのため、大規模な開発となる滑走路の整備は制限され、一民間の研究所としては広大な海原そのものを使う水上機の形が望ましいということを。

 だが、同時に、海面と空を自由に行き来する水上機という存在は、エーテル海面とその上を行き来するフローターに対しての成功の思いが詰め込まれているとも理解しているのだろう。

 アズマ博士は、妻が良く「あなたは超ド級のロマンチストね」と言っていたことを思いだした。

 科学とは、本来では到底あり得ないと言われるような絵空事を現実にするための努力であり、それに必要なのは夢を見続ける情熱なのだ。ロマンチストでも良いのではなく、ロマンチストでなければならないのだ。

 どれだけ現実を突きつけられたとしても、その中から夢を見つけたり、展望を切り開けなければならない。科学者とは科学に携わる者を指し示すのではない。科学分野での開拓者としての称号、それこそが科学者という人物である。ロマンのない開拓者など存在しない。

 そんなことを考えながらアズマ博士は、ポケットの中で振るえている携帯電話を取り出した。ディスプレイを見ると、娘の名前が表示されていた。

「もしもし、お父さんだよ」

 彼の娘は学校帰りにいつも動物を観察してくる。父親として、少しは人間の友達を作ってほしいと思ってはいるが、同時に観察に夢中になるその姿を誇らしいと思ってしまっていて、動物観察を控えるようにとは言い出せないでいた。

 この電話が、「友達の家によってから帰るから遅くなる」とかそう言った内容だといいなと思いながら出たのだが、娘の言葉は彼のロマンチストの部分を強く揺さぶるものだった。

『お父さん! 8号が……8号が、不時着していたよっ!』


◆◇◆◇◆◇◆


 ヨシエが伝えてきた座標にて回収したのは、フローター試作機8号である。

 フローターの試作機は、1号機から6号機は完全に失敗に終わり、7号機で疑似無質量化にわずかばかり成功した。わずかばかりの成功だが、それは人類があと20年かかるであろうという言われていた技術を実現したと言うことで、かなり大きな第一歩となった。

 ウドラ支部から研究所本部へ報告すると、給料アップと研究資金を増資してくれるというほどの成功だった。そして作られた8号機は成功例の7号機の発展版であり、かなり期待されていた。しかしながらその結果は失敗。疑似無質量化した直後に座標を維持できずにどこかへと飛んでいってしまったのだ。その後に計算したところによると、未知宇宙にフローター航行したと結果が出た。

 失敗したのはさほど問題ではなかった。一番の問題は、どうやって未知宇宙まで飛べるほどの疑似無質量状態を維持できたのかということだった。ちなみに7号の疑似無質量状態はたったの10秒であり、次の瞬間にフローターシステムが物質崩壊して、通常空間に試作機が落ちてきた。8号のシミュレーションでは40秒間の疑似無質量化が可能だと有ったのだが、大気圏を過ぎ去り、未知宇宙に到達するにはおおよそ18分必要とされていた。

 アズマ博士は無事に回収して実験プールに牽引してきた8号を見て、思ったよりは破損していないと思った。

 最初、不時着という言葉をヨシエから聞いていたので、アズマ博士は相当悲惨な状態になっているのだろうと思っていたが、フローター試作機8号は予想に反してだいたい無事だった。もちろん、フロート水上機の足に当たる部分はへし折れて失われているし、各種センサーを積んだ先端部分は見事につぶれている。

 しかし、それらは宇宙空間で壊れたのではなく、おそらく着水するときに壊れたのだろう。なぜならば、フローター試作機には大気圏突入のための設計などなされていないので、宇宙空間でこのような破損した後にウドラ第三惑星に戻ってこれるはずがないのだ。

 おおかた、エーテル海面から離礁している状態でウドラ第三惑星の大気圏内に戻り、そこで通常空間に落ちて、海面に不時着まがいの激突をしたのだろう。

「こら、ヨシエ、危ないから近づくんじゃないよ」

 8号をアズマ博士が眺めていると、横からヨシエが手を伸ばして8号に触れようとしていた。

「なんで? 別に爆発の危険性もないんでしょ?」

 ヨシエの言うことはもっともだ。

 実験プールに戻ってくる前、8号をの燃料タンクが空になっていることをすでに調べ終えている。間違っても爆発することはない。

「それはそうなのですが、宇宙空間を飛んだ以上、何らかの危険物質が表面に付着しているかもしれません」

 横からイルムートが機器を操作しながら説明してくる。

「今からスキャニングを実施しますから、それが終わるまでは待ってもらえませんか?」

「あー、そういうこと。オーケー、オーケー」

 8号がマシンハンドで動かされ、スキャン装置の台に乗せられる。巨大な逆U型の装置がゆっくりと移動し、台の上の八号をスキャニングしていく。

「損傷は軽微ですわ。これならレコーダーも……あら?」

 ディスプレイを覗き込んでいたイルムートが驚きの声を上げた。

「イルナくん?」

「博士……これって……」

 彼女の隣にいたアズマ博士もディスプレイを覗き込む。

「生き物だね。海に落ちたときの亀裂から入り込んだんだろう」

 生物が8号の中にいると聞いて、ヨシエも二人に割り込むようにディスプレイを覗き込んだ。スキャンされた画像が3DCGになって表示されると、勝手にコンソールをいじって、自分の見たいアングルにしていく。

 アズマ博士もイルムートもその様子に怒ることはない。もう、慣れているのだ。

「40cmぐらいの海洋生物? 手とか足とか有るみたいだけど……こんなのいたんだぁ」

 目をキラキラと輝かせて感動するヨシエをみて、アズマ博士はため息混じりに分解作業の準備を始めた。

 イルムートはマシンハンドを動かし、今度は平らな場所へと8号を移動させた。

「ほら、ヨシエ。すぐに分解してあげるから手伝いなさい」

「はい!」

 アズマ博士はヨシエに電動工具類を渡し分解作業を手伝わせていく。外壁類は博士が分解可能になるまでカッター類で切り、イルムートのマシンハンドがそれを引きはがしていく。ヨシエは外壁が外れた部分から工具を入れ、ネジやボルトを外しては小さな部品を取り出していった。

 次々と分解されていくにつれて作業場がなくなっていく中、ヨシエが「見つかったよ!」と大きな声を出した。

「さて、どんな生き物なのかな?」

 アズマ博士ももちろん学者の一人として、未知の生物に会うことは楽しみである。この星に生息している身近な生物を観察している娘ですら知らないという海洋生物。それがどんなものか見てみたい。

「はい、ヨシエさん」

 イルムートは現地生物保護の観点から、滅菌処理されたメディカルグローブをヨシエに投げて渡した。ヨシエは工具を下に置くと、油類で汚れた手にグローブをはめ、身体事8号の中に入っていった。

「ほらほら、怖がらなくて良いよ。食べたりしないからさー」

 相手が言葉を話せないことはわかっているだろうが、ヨシエはあやすように声をかけている。気分の問題なのだろう。きっと彼女は、今、最高に気分が良いのだ。

「もうちょい……もうちょっと……つーかまーえた♪」

 身体をくねらせながら8号から這いだしてくるヨシエ。彼女の手には桃色の身体をした、ぬめぬめとした生き物が捕獲されていた。

 体長30cmほどで尾を含めると40cmは越えるぐらい。ずんぐりとした身体に短い手足が左右2本ずつ生えていて、首の左右には小さな赤い突起物が何本か飛び出していた。

「それ、まだ生きているのですか?」

 暴れる様子のないピンク色の生物に対して、イルムートが心配そうな顔をして質問する。

 いくらこちらに害意がないとわかったとしても、野生動物が他者に身体を捕まれていて暴れないわけがない。それをしていないというのは、よほど弱っている可能性が高い。

 しかし、それは杞憂に終わったようで、ヨシエは笑顔のままだった。

「大丈夫だよ。アタシに向かって歩いてきてくれたぐらいだから。ただ、この子は両生類みたいだから、陸上ではあまり行動的じゃないみたいなの」

 両生類と聞いてアズマ博士は遠い昔に地球の博物館で見た生物を思いだした。

「なるほど……ウーパー・ルーパーか」

 彼のつぶやきに「なんですか、それ?」とイルムートが聞いてくる。

「大昔にペットとして流行っていたらしい両生類の一種だよ。ネオテニーって知ってるよね?」

「はい。性的には完全に成長しきっても、生殖に関わることのない器官が未成熟でいる個体ですよね。それの一種がウーパー・ルーパーなのですわね?」

「うん。これが同じような生態なのかは不明だけど、なんとなく見た目が似ているなと思ってね」

 二人の会話を聞いてか、ヨシエは慌てた様子でプールまで移動して、ウーパー・ルーパーに似た生き物を海中に入れてあげた。

 元々いたであろう海中に戻してほっとため息をつくと、次の瞬間には満面の笑みを浮かべてアズマ博士に駆け寄ってきた。

「両生類かぁ。カエルとかサンショウウオみたいなのはこの星でも見たことあるけど、この子みたいなのは初めて! すごく感激しちゃうわ!」

「わたくしも少々うれしく思います。動物が陸へ進出するための先駆者が、地球のように多様にいる可能性があるのですから。銀河最外縁惑星などと言っても、その規模に見合った形のしっかりとした生態系があるのですね」

 元々、イルムートは生物の研究をしていたので、ヨシエのように感動を覚えるのは当然のことだった。

 アズマ博士は彼女がエーテルフィッシュを調査したい一心で、一族の制止を聞かずにウドラ第三惑星に来たということを思いだしていた。

「実際に飼育して観察できないのが残念ですわね」

「しょうがないよ、イルナちゃん。でも、アタシは決めたわ。海鳥の次に観察をするのは両生類にする」

「それは良いことですね。まあ、あの子がこの実験プールを住処として好んでくれれば、研究対象としても、ペット扱いとしても非常に嬉しいのですが、かといって――」

 久々に良い笑顔を見せているイルムートは急に言葉に詰まった。徐々に、表情を固まらせて目を見開いていく。目が見開き終わると、彼女らしからぬ大口を開けるという下品な行為をし始めた。

 ただならない様子に、アズマ博士とヨシエは彼女の視線の先を追ってみた。

 そして二人もイルムート同様の顔をしてしまった。

「お父さん、ウーパー・ルーパーって空を飛べるんだね」

 一番早く心を切り替えられたヨシエが状況を説明した。

 話しかけられたアズマ博士は、首を横に何度も振りながら「ありえない」とつぶやく。

「ウーパー・ルーパーと呼ばれている両生類は完全水生の生物のはずだ」

 彼は脳をフル回転させて様々な考えを巡らすが、すべてが目の前の両生類の存在を否定する考えばかりだった。

 つまりこの両生類は、いや、両生類であるかも疑わしいこのピンク色の生物は、これまで人類が遭遇したこともないような種ということだ。

 ピンク色の生物は空中を漂うように飛行し、スキャン装置へと近づいていく。

 はっきり言って異常。

 だが、三人はその様子を恐怖とは思わなかった。

 ピンク色の生物がウーパー・ルーパーに似て愛らしいからと言うわけではない。自分のよくよく知っているものが予想とは全く違う動きをしたら、それは恐怖となるだろう。

 ただ単に、三人はこの生物に害意を感じることができなかったから、恐怖を感じなかったのだ。事実、ウーパー・ルーパーのような生き物が人間に対して危害を加えようと思えば、先ほどヨシエに捕らえられることはなかったはず。

 しかし、だからといって容易には近づかないでおく。危険を感じるからではなく、このピンク色の生物がどのような行動をするのか興味があるのだ。

 ピンク色の生物はスキャン装置の周囲をしばらくの間旋回すると、満足したかのようにスキャン装置に着地した。

 どうやら降りる場所をどこにするのか決めたのだろう、とアズマ博士は考えた。だが、イルムートが驚いたような声を上げ、その考えを中断sれた。

「あれ? は、博士!」

「どうした、イルナくん?」

 自然界の生物が近くにいるのに大きな声を上げてしまったイルムートに対し、アズマ博士は少々機嫌を悪くして返事をした。

「大変です! スキャンしたデータが突然消失!」

「なに!?」

 先ほどフローター試作機8号をスキャニングしたが、そのデータが消失したという。だれもコンソールには手を触れていなかったというのに、一体何が起きたのか。

 アズマ博士は慌ててイルムートに駆け寄る。ピンク色の生物のことは一旦頭の隅にでも追いやっておこうというのだ。

「それだけでなく、シャットダウンされました!」

「シャットダウンって……うん?」

 スキャン装置のディスプレイを見てアズマ博士は何かに気付いたようだ。

「何かわかりましたか?」

 聞いてくるイルムートに対して、彼は天井を指さした。

「え? 天井……あら? 電気が消えた?」

 先ほど彼は、ディスプレイそのものではなく、周囲が暗くなってディスプレイ自体が見えにくいなと感じたのだろう。それで、天井の電気が消えたことを知ったのだ。

「ふぅ……イルナくんもそそっかしいな」

「す、すみません。あの両生類に注目しすぎていて、停電が良くあることを忘れていました」

 ウドラ第三惑星は送電時の電気ロスが多い。都心部ならまだしも、この研究所のように郊外にあるような場所では時々停電が起きてしまうのだ。

 もちろんそのための対策もある。日中であればソーラーパネルによる太陽光発電システムがある。夜間帯ならば、余剰電力にによる電気分解や、太陽光触媒によって蓄えられた水素を燃料電池として使用するのだ。

「ヨシエ、すぐに太陽光発電に切り替えてくれないか」

「うん、わかったよ」

 アズマ博士もその娘も慣れた様子で自家発電へと切り替えるよう作業をしていく。

 すぐにスキャン装置と天井の明かりに電気が通っていく。

 しかし、それらが完全に通常の起動をするまでに電気が不足してしまった。アズマ博士は悩む。

「なぜだ?」

「アタシに聞かれても困るよ」

 ついついヨシエに愚痴ってしまい、答えなど返ってこない。それに対しておそるおそる手を挙げながら、イルムートが口を開いた。

「あのー」

「どうしたの、イルナちゃん。こっちは復旧で忙しいのよ」

「復旧するにも原因を調べなくてはいけないからね。ヨシエと一緒にソーラーパネルを見てきてくれないかな?」

 電力不足による停電があることをすっかり忘れていたイルムートに対して、アズマ博士とヨシエは冷たい対応をするが、彼女はそれにめげずに自分の考えを伝えてきた。

「その原因が何となくわかりました」

 彼女の言葉に二人は動きを止め、「え?」という疑問の声をハモらせた。

 その様子を見た彼女は、ゆっくりと手を動かしてある一点を指さした。その指はスキャン装置を指しており、もっと細かく言えばピンク色の生物がいた。

「ぴぃ」

 突然響く謎の音。

 電気がなくなる原因を探し続けていたら、きっとこの音が何であり、どこから聞こえたのかわからなかっただろう。今、イルムートが指を指し示していたおかげで、この音がピンク色の生物から発せられたことをわかり、それが声であることもわかった。

「な、鳴いた!?」

 確かに両生類は声帯を持ってはいるが、こうやって……なんというか、人間に対して親しげに話しかけるように鳴くことはない。しかし今、ピンク色の生物はヨシエの周りを旋回しながら、「ぴぃぴぃ」とひな鳥のような声で鳴いていた。

 ヨシエはそれをうれしいのか怖いのか、引きつった顔をして微動だにせず直立して耐えていた。

 そういえば先ほどイルムートは電気が足りなくなった原因がわかったようなことを言っていた。アズマ博士がそれを思い出すと同時に、天井の明かりがともり、スキャン装置の電源が勝手に入った。

 ピンク色の生物がスキャン装置から離れた途端に電気が回復したのだ。

「……やっぱり」

「イルナくん……キミはこのピンク色の生物が停電の原因だったというのか?」

 少し感激した様子でいるイルムートに、アズマ博士はやんわりと聞いてみた。しかし、彼女は首を横に振って否定する。

「違います。停電の原因ではありませんの」

「だったら何を?」

「そもそも先ほどの現象は停電ではなかったのです。

 電気を過剰に消費するものがいたと言うのが正しい表現であり、その消費したものはそのウーパー・ルーパーのような生き物だと予想しました」

「それで?」

「先ほど太陽光発電へ切り替えたとき、あの子の身体が一瞬だけ光ったような気がしたのですわ」

 アズマ博士はイルムートが話していることを半信半疑で聞いていた。とても信じられないような突拍子のない話だ。だが、大事な助手の話なのだから聞いてやるのが博士の役割というものだ。

「だが、残念なことに、電気を糧にしている生物は今のところ確認されていないんだよ。このウドラ第三惑星の生物と言っても、貧弱ではあるものの通常の生態系を持っている星の生物だ」

 地球にいる生物も、ウドラ第三惑星にいる生物も炭素生命体だ。かつては、宇宙には珪素生命体がいて、それも炭素生命体と同じく進化しているはずだと言われていたが、これまで人類が珪素生命体と出会ったことはない。

 珪素生命体の存在を主張する学者達は言う。彼らは個体間で完全な記録のやりとりを可能にする、いわば機械の生命体である。文化を己に内蔵させて進化をすることが可能で、単体での恒星間航行を行える存在であり、我々炭素生命体が人間に進化する前にこの銀河を離れたのだと。

 話が逸れてしまったが、つまり、未だ人類は単純に炭素のやりとりをするだけの炭素生命体としか出会っていないのだ。電気エネルギーを消費して生命活動をする存在など、空想の中にいる生き物でしかない。

 それは生物学者の端くれでもあるイルムートもわかっているはずなのだが、なぜそのような絵空事を信じるのか。ロマンチストはロマンチストでも、それはきっとフィクション作家の仕事の方で必要なものの方だ。

 だが、イルムートはニコリと柔らかく笑い、「ご存じでしょうか?」と反論してきた。

「私の先輩にも地球外生物を研究している方がいらっしゃいまして、その方の論文にて主張された説にこのようなものがあるのです」

 アズマ博士は、しばらく前に彼女の口から一人の学者の自慢話をされたことがあったことを思いだした。

 その学者の名前はリリッシュ・バイアヘルト。イルムートの学生時代の先輩であり、彼女にとって姉のような存在だったのだという。確か、その自慢話の元になったのが一つの論文だったような気がする。斬新と言えば聞こえが良いが、かなり荒唐無稽で到底信じられないような内容だったと記憶している。

 彼が論文の中身が何だったのか思いだしているとき、いつの間にかピンクの生物を捕まえることに成功していたヨシエが駆け寄ってきた。

「アタシ知ってる! エーテルフィッシュの食べ物は電気エネルギーだって言った学者さんでしょ?」

 思いだした。

 金属製の宇宙船など、通常の生物にとっては単なる岩石に他ならない。それにも関わらずエーテルフィッシュはネヘラシアン氏のレジャー用宇宙船を襲ってきた。エーテルフィッシュが珪素製生命体であると言った学者もいたが、それならばなぜ通常空間で食事を取らずに超深度のエーテルの海へ引きずり込んだのか説明できないでいた。また、なぜ高速で移動している宇宙船を襲ったのかも説明できていない。

 エーテルフィッシュは元々超深度のエーテルの海にいる未知の生命体であり、通常空間にいながら食事をすることは、魚が海面で捕食行為を続けるような危険な行動であると主張したのがバイアヘルト女史だった。彼女はさらに、エーテルフィッシュが襲ってきた理由を、宇宙船も所詮は機械の塊であり、電気エネルギーを大量に保有しているからだと主張した。そして、エーテルフィッシュにとって電気エネルギーは食料なのだとも。

「つまりイルナちゃんは、このピンクちゃんも電気エネルギーを食料としている生き物だというのね!」

「ええ、その通りですよ」

 自分の話すことを信じてもらえたのがうれしいようで、イルムートはヨシエに微笑みかけていた。

 しかし、それでもアズマ博士はイルムートの話が信じられなかった。

 そもそもそのバイアヘルト女史の説は完全に認められたわけではない。なぜなら、本当にエーテルフィッシュが電気エネルギーを糧として生きている生命ならば、彼らは雷雲立ちこめるガスの惑星は当たり前に、大規模な発電行為を繰り返している人類の都市などへ捕食行為に来るはずなのだ。

「お父さん! これは大発見かもしれないよ!」

「ぴぃ!」

 ヨシエの腕に抱かれながら、ピンク色の生物が彼女の声に会わせて鳴き声を上げた。

 様々なことが頭の中で回り続けていたアズマ博士は、エーテルフィッシュが既知宇宙に現れない理由をひとまず考えないようにして、一つの結論を導びいた。

「……そうだな、それは確かに大発見になるだろう」

 ヨシエが抱えているピンク色の生物に手を伸ばすアズマ博士。

「お父さんもさわりたいの? ちょっとヌルヌルするけど慣れれば気持ちいいよ」

 彼は娘の手から受け取り、その感触をしっかりと確かめた。娘が言うように確かにヌルヌルという両生類らしい肌触りだ。皮膚組織も非常に薄いようで、力強く掴むと可哀想な気になってくる。彼は非常に加減を加えた腕でピンク色の生物を掴んでいた。しかし、地面に落下することもない。 

 両生類の有尾種はウナギのようなものからトカゲのようなものまであるが、大抵細長い形をしている。ピンク色の生物はそれの40cmほどの個体なのだから、どう見積もっても1kgほどあるはずだ。

 しかし実際はどうだ。ヌルヌルした細いものを掴むには大きな力がいるのが普通なのだが、彼は本当に支えるぐらいしか力を加えていない。なにも落下させて虐待しようと思っていたわけではない。彼は確信を持ってそのような持ち方をしたのだ。

 このピンク色の生物は、先ほど宙に浮いていた。さきほどまでヨシエに抱かれながらも、ほとんどは宙に浮いているようなもだったのだろう。

 おおよそ、質量コントロールをしたのだ。普段は大気とほぼ同じ重さで存在していて、水よりも重くなることで海中へ進入可能となる。

 そもそも質量コントロール技術は、エーテルの海に沈むために必要なシステムで、ダイバーシステムの中核である。それをこの生物は個体で行っているというのだ。

 それ故、アズマ博士は結論を出した。

「この生物はエーテルフィッシュだ」


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