仕掛け始め。
試験日当日。帰り道にて。
一真を中心に右にルディ、左にフィーと言った具合で並んで歩いていた。足取りは一人を除いて重い感じが拭えない。
「カズマ、お前受かるだろうな?」
やや訝しむような、不機嫌そうな声でルディは一真に尋ねた。と言っても、その不機嫌らしきモノは疲労と睡眠不足が原因であって、試験内容が芳しくなかったからではない。
「なんでそんな事を聞くんだ?」
そんなルディに対して一真の表情はとても晴れやかだ。ルディ以上に身体を酷使している筈なのだが、睡眠不足はおろか疲労が溜まっている感じを微塵も見せない。
「試験日まで二ヶ月ちょいの所から一ヶ月で準備完了してて、残り一ヶ月殆ど俺とフィーに付きっきりで勉強の相手してたろ。……一応、心配しているんだよ」
「寝ないで勉強し続ければどうとでもなる。勉強の相手が出来るってことは、ちゃんと頭に入っているってことだしな」
「どうしたらそんな飄々としていられるのか不思議です……」
兄よりも調子が悪そうにしていたフィーが、溜息混じりにツッコミを入れる。
「普通はどうとでもなる前に倒れるが、お前だしな……」
「その通り。俺はピンピンしてるから良いとして、お前達はどうだったんだ?」
ルディとフィーは互いに顔を合わせ、少しばかり気合を入れるように背筋を伸ばした。
「過去問とお前のヤマから出したところがドンピシャだったよ」
「私なんて「……うわ。ちゃんと出てる、何で解るんですか?」って解きながら思ってました。ちょっと時間が掛り過ぎそうな所は飛ばしたので、私もそれほど自信がある訳では無いのですが」
一真は天を見上げる。もう夕方に差し掛かっており、空はオレンジと朱を混ぜたかのような鮮やかさで目を灼いていく。
「アレは問題文が既に捻くれてたからな。わざと文体崩して意味を分かり難くしてやがってな。しかも全科目ありやがって、解くのに時間掛かったよ」
「アレを解いたのかよ……お前、俺等に「もしこんな問題が出たら無視しろ」って言ってなかったか?」
「そうですよ。あれ一問だけ手をつけようと思って、言われたこと思い出して止めたんですから」
兄妹からそれぞれ不満の声が上がる。確かに一真はそう言っていたが、間違った判断だとは思っていなかった。その捻くれていると称した問題を全部解いたのだから、より確信を持って言える。手を付けたら落ちるか、点数の底上げをしくじるかだと。
「悪い悪い。アレはちょっとした『仕込み』の為に必要だったんだよ。もし、入学して直ぐに誰かから絡まれたら『ソレ』ってことで覚悟しててくれ」
にこやかに答える一真を横目に、ルディは頭を掻いて呆れたように顔を顰める。
「おいおい、どんな爆弾仕込んだんだよ……てか、お前の目的から言ったら目立つのは不味いんじゃないか?」
「黄龍大会に出場する以上、どんなダークホースも網に掛からないってことは無い。それに伯爵の言葉を疑う訳じゃないけど『願いを叶える宝石』ってのも真偽不明の眉唾モノだしな。だったら手はなるべく多く打った方が良いだろ?」
「……なるほどなー」
よくそこまで考えているものだとルディは只々呆れた。一真がどんな考えを張り巡らせていたのか知る由もないが、自分の父親が力を貸せるのはせいぜい一度きり。つまり、今日の入学試験を受けさせるまでだ。それを見越して『仕掛け』なんてモノを企む胆力はどう考えても並ではない。
「あの……兄さん? カズマさん? 目的ってなんですか?」
耳聡いフィーのアンテナに悪いワードが引っかかってしまったようだ。ルディは一真を一瞥し、底意地の悪い笑みを浮かべた。
「カズマくん、モテモテ大計画」
「んなっ」
疲労で一杯一杯だった筈のフィーの目元にキッ、と力が入っていく。
「なにそれこわい」
「というのは冗談で」
「ならカズマくん改め『角無し』くん、友達いっぱい作りましょう作戦。なんてどうだ?」
「それだ!」
ボケとツッコミが入れ替わる。どこからどう見ても誤魔化す気満々だ。
「それだ! じゃありませんっ。目立つのが目的に沿わないって言ってる時点でそれらは矛盾してますっ。あと『角無し』とは何事ですかっ」
怒るフィーを二人の意地悪が笑顔を浮かべて褒める。
「ルディ、フィーってホント頭良いよな」
「ホントだな。俺の妹にしておくのは勿体ないわ」
「もうっ、教えてくれないと拗ねちゃいますよ」
「ごめんごめん」
頬を膨らませて拗ねるフィーの頭を一真の指が撫でる。くすぐったいのか、それとも心地良過ぎるのか、フィーは少しだけ一真から距離を放すようにして逃げた。
「『角無し』ってのは俺が学校に通う時のニックネームだよ。他に角の生えていない奴がいなければ特別な呼び名っぽくて良いだろ」
「先読みも程々にしてください。その呼び方、ともすれば侮蔑的な意味があるじゃないですか」
竜族の角は魔力を貯める機能を持った顕現器官の一つであり、この存在が高威力魔法の短期構築を可能にしている。だが他の種族は竜族に匹敵するほどの『早くて強い』魔法を作る器官を持っていない。それを力の差という侮蔑的な意味合いを込めて『角無し』と呼ぶ者が居るのだ。
ただしこれは一部の竜族が持つ偏見に過ぎない。他の種族はそれぞれ竜族とは違う顕現器官を持っており、各々の特殊機能を保有している。一例を挙げるなら吸血種と呼ばれる『夜の血族』は爪と血に特別な魔力を宿しており、相性が悪い魔法を真正面からぶつけられても、多少相手の威力が勝っている程度なら高確率で競り勝てると言った具合だ。
よって角が無いからと言って『角無し』と馬鹿にする輩の大半は世界の広さを知らない田舎者なのである。
「まぁ、そういう使い方をしてくる奴も居るだろうな」
「だな。俺等はそんな言い方も使い方もしないが」
「じゃあ、どうしてですか?」
「俺が決めた言葉なら、そんなに我慢しなくて済むだろ。そう言われても俺が許してるってことで黙っておけばいい」
角が無いのは本当のことだしな。と、一真は付け加えて。だがフィーの眼には懐疑的な心情がまだ残っていた。
「……分かりました。それで、目的とは何ですか?」
「おいルディ。誤魔化しきれてねーぞ」
「カズマ。こういう時は事実にほんの少し嘘を混ぜると判り難くなるそうだ」
「そうだなぁ」
「そうだなぁじゃありません!! 本当の事を話して下さい!」
「分かった。本当の事を言おう」
「約束してくれますか? 真実であると」
二人は示し合わせたように胸に右手を当てて、宣言する。
「勿論」
「誓おう」
「では教えてください。どんな目的なんですか?」
「俺達があまりカズマに頼り過ぎないようにする。その為にカズマ自身の見識と付き合いを増やして俺達にも依存し過ぎないようにする。これが目的だ」
「カズマさん、本当ですか?」
「ルディの言った通りだよ。その目的で間違いない」
言い方を変えると物凄く良い言葉に聞こえてしまう。狡い人間だと思いながら、二人はフィーの為だと独善的な解釈で己の口を黙らせる。
「分かりました、信じます。……でも、嘘だったら本気で怒りますからね?」
「……それは勘弁して欲しいな。女の子を泣かすのも泣かされるのも趣味じゃないから」
怒る前に泣かれるかもしれない。それでも一真はフィーに言えない。フィーは歳相応の女の子であり、優しいが強くない。なら、裏切者の謗りを受けようとも黙ることが最上なのだ。それが自分のエゴだと認めながら、一真は黙る道を選んだ。
――・――
竜帝校、生徒会執行部。
部屋は十メートル四方で区切られ、高さは凡そ三メートル半。出入り口の扉がある壁を除いた三方の壁には窓がなく、スライド式の本棚で埋め尽くされている。部屋の灯りは天井に設置された竜国式の冷光魔材から白い光が齎され、部屋の外以上に明るい。
出入り口の扉から見て少し先にグラウンドのトラックに似た縦長のテーブルが鎮座しており、更にその奥には黒色のニスが重厚感を放つ高級机が設置されている。机の上には役職を示すアダマンプレートが置いてあり、竜言語で『生徒会会長席』と彫られていた。その机に肘を付き、同じ色の椅子に背を凭れながら一枚の答案用紙を眺めている男が一人。その男を横目で見つめる女が一人。共に竜族の象徴である角を頭に生やし、竜帝校の制服に見を包んでいる。唯一身なりに差を探すとするならタイピンの色ぐらいだろう。男は赤で、女は青だ。それはこの学校の三年生、及び二年生であることを証明するものである。
「今期の受験生、面白い奴が居るぞ」
男――竜帝校、今期生徒会長のカズィ=リーズィはその手に取った一枚の答案用紙を見ながら、そう評価した。彼が持っている紙は今年の学園入試試験の答案用紙であり、本来なら金庫室に保存されていなければならない代物だ。手練手管を講じたのか、それとも最初から手に入れられる立場なのか、恐らくはその両方なのだろう。答案用紙を――より正確には記入された解答者の名前を――見つめるその目は、微塵の負い目も映していない。
「どんな方?」
その言葉を待っていた、と言わんばかりに興味あり気に女――アナスタシア=シェイクが尋ね返す。
「科目平均九十点」
「それは……確かに優秀のようね。でもそれなら、もっと上の人が居たはずよね?」
「そうだな」
アナスタシアの記憶が正しければ、最高得点は平均九十六点だった筈だ。確かに高いが、常識外れという程でもない。それはカズィも十分理解しているからか、静かな笑みを浮かべながら言葉を付け加えていく。
「全科目九十点、制限時間からすれば割の合わない難問全てを完全解答。一番楽な部類に入る問題が十点分空白で提出されている。という点を除けばな」
「……へぇ」
「簡単な問題が解けない奇病、という線も無くは無いが空白にしておくメリットが無い。なにせ簡単な問題は三択問題だ」
そこまで言った所でカズィはアナスタシアの方へ目線を向けた。
「これの意味する所は何だと思う?」
「満点取れる実力を持ちながら敢えて点数を下げる……『華を持たせてやった』か、もしくは『目立ちたくない』か。まぁ、後者の確率は低いわね」
目立ちたくないのなら適度に間違えておけばいいのだ。わざわざ空欄にする理由がない。
あるいは。主席候補への当て付けとも解釈できるが、年に一度しかない入学試験で『そんなこと』を行う度胸のある人間が、そんなつまらない嫌がらせをするだろうか。まず有り得ない。
「ああ。これだけじゃちょっと目的が見えてこない。で、調べさせてみた所、オルガイア伯爵の館に身を寄せている客分の男だと分かった。伯爵と公爵閣下の口添えで受験資格を得ているが……どうもタダの留学生という訳では無さそうだ。この情報を踏まえてどう思う?」
随分特殊な人だと思いつつ、アナスタシアは性急な答えを出さない。
「確か、そのオルガイア伯爵の子息と令嬢も今回受けていた筈よね」
情報を出しきってから判断する。その用心深さにカズィは一層濃い笑みを浮かべた。ご褒美だと言わんばかりに彼女の問いへの答えを出す。
「兄と妹、両方とも平均八十点代をキープしている。妹の方がやや高めだが、九十点は超えていない」
つまり、伯爵家の兄妹に遠慮したわけではない。
「んー……恐らく撒き餌ね」
「その心は?」
「挑発行為とも取れる奇行。嗅ぎ付ける人は居るという前提……。仕込みに気付かなかったり、ジョークを受け流せない堅物には興味無さそうね。なら面白い話に食い付き、多少なりとも話に融通が効く人間を釣り上げようとしている……なんて線はどう? それも、試験結果や答案用紙に触れられるぐらいの人あてに」
「同感だな。俺も生徒会執行部、いや、中枢に対するラブレターだと思う。探りを入れてみたいね」
「そうね。……新入生代表の挨拶はその子の狙い通り、主席で突破した者に任せましょう。その子には私の妹をぶつけてみるわ」
「そうしてくれ」
「ちなみに、なんてお名前?」
「カズマだ。カズマ・ミカゲ」
「カズマ・ミカゲ……ふふ、面白い子が入ってきたわね」
「ああ、まったくだ」