事実を
炎嘉が衝撃から立ち直って聡子の目を見ると、聡子は落ち着いた様子で、遠く鳥の血が混じるため、薄っすらと赤い瞳に暗い茶色の髪で、塔矢にも似ているようだが、母親が美しかったのかどこか儚い美しさを纏っていた。
それでも幼い皇女を前に、気圧されそうになる己に驚きながら、炎嘉は言った。
「…未来を知る者か?」
聡子は、首を振った。
「いいえ。我は過去も未来も知る者。我は詠み人でありまする。詳細に渡り、過去から今、そして未来まで我の頭の中にはありまする。我がこちらへ参ったのは、我が知らずに書き残した書を読んで、それを利用して未来を変えて己の利を追求しようとした者が、下りたのを知ったから。ですがその者は、過去は記憶に留めておけず、どうやら未来だけを持って降りた様子。それを知った過去しか知らぬ者達が、阻止しようと己の苦労を知っておって降りて参りました。それを見た我が、元は我のせいでこのような事にと思うて、すぐにそれを追って降りました。それを思い出したのは、つい数日前のことで。もしかして我にも記憶に欠けがあるかもと思いましたが、我は全てを持って来ておりました。父に無理を申して、我はこうしてこちらへ参りました。最上位の王の中でも、父に一番に近い王であられるからです。」
炎嘉は、そういう事か、と目を丸くした。
迅と涼夏は、定成が世を変えようとしていたので、過去しか知らないが降りて来た。そして、聡子は自分が知らずに詠んで書き記して残したのが悪かったのだと、己のせいだとそれを追って降りて来た。
炎嘉は、言った。
「…主には、黄泉での記憶もあるか。迅と涼夏には、無いようであったが。」
聡子は、え、と驚いた顔をした。
「え…あの二人は、迅と涼夏になっておったのですか。」
炎嘉は、頷いた。
「そう。そして、恐らく主が追っておるのは定成ぞ。未来を知るものであろうが。主からしたら、未来しか知らぬものであろうがの。」
聡子は、頷いた。
「はい、そちらはここ数日記憶が戻ってから、最近の動きを調べてそうではないかと当たりをつけておりました。定満の宮の栄子は大変に気強い王妃で、妃である成子にもその子の定成にもつらく当たっておるのは己で書いたので知っております。定弥も栄子に似て性質に問題があり、定満は知っておりながらそれを疎ましいと思うだけで放置しておりまする。面倒を嫌う性質ゆえですが、それゆえ定弥の代で宮が面倒に巻き込まれまする。この、百年ほど後のことです。定満が亡くなった後長く虐げられた臣下が定弥を王の器ではないと定め、筆頭軍神の佐々(ささ)が斬り捨てまする。その頃には、もう定成は定弥に殺された後でした。これが後のあの宮の流れでございます。」
炎嘉は、すらすらと名が出て来るのに驚いた。
しかも、まるでその名の持ち主に対して現実味もなく、ただ物語の一登場人物ぐらいにしか思っていないのは、炎嘉にも分かった。
塔矢も、驚愕の顔で聡子を見ている。
炎嘉は、頷いて更に問うた。
「ならば問う。陸の宮は主が見ていた未来ではどうなっておった。正しい筋を申せ。」
聡子は、頷いた。
「はい。陸は愛羅が戻らなかった事で狂い、月の宮へと逃れておった迅が、弟である昌士を伴って戻って宮を回し始めます。ですが昌士も優秀な神でしかも陸にそっくりであり、どちらを王にするかで宮の臣下は割れます。新編成で宮が大変な時期、迅はこのままでは宮が立ち行かなくなると昌士を手に掛けます。それによって昌士についていた臣下が反乱を起こし、迅は宮を回せぬようになりまた狂います。王族を失った宮は衰退し、定満の宮に吸収される形で廃宮となります。その折、定成がその宮へ入って面倒を見ると申しますが、定弥はそれが一番良いのが分かっていながら弟の望みを叶えたくない一心で許さず、臣下も宮も放置されて荒れ放題となります。」
だから迅がどうあっても宮へと帰るように、流れが動くのか。
炎嘉は、それを聞いて思った。
聡子の頭の中には、全ての答えがあるのだ。それこそ、自分たちの未来も、これから起こる何某かも、全て…。
何という誘惑か。
炎嘉は、眉を寄せた。
その知識の全ては、全ての神が喉から手が出るほど欲しいものだろう。
最上位の王達の個人的な事から全てがこの頭の中にはあり、恐らく知らぬことなどない。
だから、聡子の瞳はこれほどに落ち着いているし、こちらが気圧されるほどの気の濃い重さを感じるのだろう。
炎嘉は、自分の未来を知りたい衝動を抑えて、聞くべきことを問うた。
「…なぜに、未来を知る者は定成のような面倒な立場の命に降りたのだ?」
聡子は、それにも答えた。
「我らは選ぶことができましたが、あれは選ぶことができませなんだ。あれの悪巧みは知る者は知っておったので、あちらの一部地域で有名になっておって。機を待っておったようですが、己が思う高い地位の宮の、高い地位の命には生まれる事ができませんでした。本来、公明様の皇子として生まれようとしたのは知っておりましたが、もっと力のある命に弾かれて落ちたところがそこであったのです。元より命というものは、背負う責に見合った力のある命こそが力のある神へと生まれることができるのです。まして我らは人でした。そんな高い地位の神になど、転生できるはずもないものを。」
誠に何もかも知っている。
炎嘉は、頷いた。
「あいわかった。主は嘘は言うておらぬ。恐らくはそれが真実であろう。主はこの後どうしたい?定成を阻止しようと思うか。」
塔矢が困惑しながら横で控えている。
聡子は、答えた。
「我は、あれに力を持たせたくはありませぬ。とはいえ本来の定成の運命はあまりにも過酷なものであって、神世に定弥の所業が知れるのは何もかも終わってから。どうなさるのかは最上位の王に決断を委ねようと思いますが、あの頭には多くの未来があり、面倒を起こさぬとは限らぬと申し上げておきます。流れは廃宮へと向かうので、仮に定弥が失脚して定成が王座についたとしても、同じ事が起こる可能性がありまする。佐々が定弥を殺す大変に能力のある軍神だとはあれも知っておるので、恐らく王座についたら真っ先に佐々を殺すでしょうし。ですが、できたら穏便に。迅と涼夏の事は…私情ではありますが、我は助けてやりたいと思うておりますとお伝えしておきまする。」
誠にまるで文章でも読んでいるようだ。
炎嘉は、思って聞いていた。
人として生きていた頃に、知らずに詠み人としてひたすら見えた事を書き綴っていたのだろう。
炎嘉は、言った。
「ならばそのように。主はしかし、もう塔矢の宮には帰れぬ。」塔矢が驚いた顔をする。炎嘉は続けた。「分かるであろう?その膨大な知識は神世にとって脅威となろう。どうやら未来は玉にすることができぬようだが、過去は違う。主の頭に過去・未来が有る限り、我らは主を放逐するわけには行かぬ。だからといって、消してしまう事もできぬ。何の罪もないのに、若い皇女を手にかけるなどさすがの維心もせぬだろうしな。とにかくは、恵麻と共にこちらに留まり、然る後はその後考えよう。恐らくは…最上位の誰かに嫁ぐ事になろうがの。」
聡子は、頭を下げた。
「何事も仰せの通りに。」
落ち着いている。
恐らく、分かっていたことなのだろう。
何百年の神世を詠み続けた聡子には、神がどう考えるのかも全て分かっているのだ。
代わりにおろおろと落ち着きなく塔矢が言った。
「そのような…ただ前世が詠み人であったばかりに。そのように不自由な未来になると申すのですか。たった一人の娘であるのに。」
聡子は、顔を上げて塔矢を見て微笑んだ。
「お父様、聡子は不幸ではありませぬ。分かっておって降りて参りました。我の知識は脅威でしかなく、長く現世に留まるべきではないのです。役目が終われば去るつもりでありました。残って嫁げと言われるのなら、そのように。」と、塔矢の手を握りしめた。「お父様、我は幸福でありました。お父様が優れた神なのは我も、これからの神世も知って参りますゆえ。お父様はこれより恵麻様と大変に幸福に過ごされます。数々の実績をお残しになって。皇子は桐矢と申してお父様そっくりに生まれ、気立ても良くもっと優秀で気の大きな神に育ちましょう。宮の将来は安泰です。我を信じて、お父様はお父様のやるべき事をなさってくださいませ。」
桐矢…確かにその名は候補にある。
塔矢は、思った。
恵麻に選べば良いと幾つか渡した名の中に、確かにその名もあったのだ。
恵麻は、それを選ぶのだろう。
炎嘉は、言った。
「…とにかくは、月の宮ぞ。」と、窓を見た。「十六夜!詠み人が見つかった!」
そうして、聡子は鳥の宮に残る事になったのだった。




