やはり
維月が帰って来て、日常が戻って来た。
とはいえ、維心は維月の様子をしっかりと見ておくのを忘れなかった。
だが、維月は前の維月と同じように、余裕を持って自分の仕事をこなしているように見えるし、きちんと維心が帰った時には居間で待っていて、ソワソワすることもなく、おっとりと共に時間を過ごすことができていた。
…やはり、あの時は異常だったのだ。
維心は、こうなってみて初めて、そう思った。
急にやりたいことが増えたのかと思った程度だったが、そうではなかった。
あの時、維月は夏奈の気持ちとリンクしていて、役に立たなければ維心に、臣下に見捨てられてしまうと言い様のない不安に襲われて、じっとしていられなかったのだ。
そう思うと、何やら不憫で、維心は維月を常より大切に、接していた。
そんな日常を過ごしていて、今日も茶を飲みながら庭を眺めて話していると、居間の扉の外から、声がした。
「王。ご報告に参りました。」
義心の声だ。
維心は、維月を見た。
「維月、ここは奥へ。別に居ても良いのだが、またおかしなことに巻き込まれてはならぬから。しばらくは、警戒しておこうぞ。」
維月は、自分でも分かっていたので、頷いて立ち上がった。
「はい。では、侍女達と会合の後の宴に出す酒のつまみのことでも話して参りますわ。」
そうして、維月は立ち上がって出て行った。
維心は、言った。
「入るが良い。」
義心は、扉を開いて入って来て、維心の前に膝をついた。
「王。陸様の宮で動きがありました。」
維心は、呆れたように言った。
「まさかもう迅のことで動いたのではあるまいの。」
義心は、顔を上げた。
「その、まさかで。」
維心は、盛大にため息をついた。
「もう?何をしておるのだあれは。せっかく機を与えてやっておるのに、尽く踏みにじりよってからに。旭に何と言えば良いのかと炎嘉がまた病むではないか。」
義心は、自分に言われているのではないのだが、居た堪れない気持ちになって、下を向いた。
「は…。誠にそのように。」
維心は、手を振った。
「して?具体的には何ぞ。」
義心は、答えた。
「は。それが…やはり、我が思うた通りに。しかしながら、軍神筆頭と重臣筆頭は、迅様にそれを明かし、己らの王になって欲しいと申し出ました。ですが迅様は陸様に談判に参って…まるで父のように、計画が甘い、まだ早い、監視されているのにバレて宮が廃宮にされると叱責しておりました。」
維心は、その光景が目に浮かんで、情けなさにこちらが恥ずかしくなった。
「…こちらが恥ずかしいわ。まだ200の皇子に何を言われておるのよ。」
義心は、頷いた。
「我もそのように。そして、特に殺されそうになっておるのには憤っておられるのではなく、真面目に陸様に王として励んでほしいようでその旨をお伝えしておりましたところ、陸様は命を狙われておるのに平気なのかと問われ、迅様はそれに、予測しておったことだし、特別驚きもせぬ、逃れる自信もある、そもそも王座に近い位置に居たら、命など惜しんでいたらやってられぬと答えられて。王である主が何を言うておるとも申しておられましたな。」
維心は、なるほど迅の方が余程王らしいのだ、と思った。
迅と陸が共に居て、臣下もそれは迅を王にと思うだろう。
「…困ったことよ。いよいよ旭に愛羅を迎え取れと言わねばならぬやもしれぬではないか。その様子だと、迅が言うたように宮はもう既に割れておる。筆頭二人が迅に仕えると言うたからには、皆そちらへ付こうしな。」
義心は、しかし首を振った。
「いえ、それが迅様は、それを避けるためにと宮を出られると申されて。」維心が眉を上げると、義心は続けた。「陸様には、臣下の信頼を取り戻すために、もっと励めと言って、飛び立たれました。今は、月の宮の蒼様とお話されておるのではないでしょうか。迅様は、今はそんなことをしておる場合ではないと考えておられるようでありました。」
維心は、ハアアアとため息をついた。
迅の気持ちは、分かる。
だが、今の陸には、とてもじゃないか傘下を持って宮を回して行くだけの能力がない。
こちらとしては、陸を下ろして迅を据え、下位の編成を回したい気持ちなのだ。
「…気持ちは分かるがそれでは困る。できたら陸には王座を降りてもらい、迅に回してもらわねば、年明けに序列を上げることは不可能ぞ。どうしたものか…明日が会合であるのに。次の会合では、新編成で迎えるはずであったのに。」
上手く行かない。
維心は、頭を抱えたい心地だった。
「…蒼に、こちらへ来れないか聞いてくれぬか。というか、もう我が行くか。」と、立ち上がった。「良いわ、行く。その方が早い。迅も居るし。」
義心は、維心を見上げた。
「は。ではお供を。」
維心は、声を上げた。
「維月!月の宮へちょっと行くぞ、主はどうする?」
維月は、奥から飛んで出て来て、言った。
「では、私も!」と、わらわらと出て来た侍女達を見た。「外出用の着物を持って来て!月の宮だから、仰々しくなくて良いわ。」
侍女達は頭を下げて、また下がって行った。
維心は、とにかく早く何とかしたい、とうんざりした気持ちで居た。
その頃、蒼は会合の席に戻って、恒に書状を書いてもらっていた。
維心に、知らせなければならないからだ。
とは言っても、多分義心が見張っているはずなので、維心はもう知っているだろう。
だが、それでも迅から直接話を聞いた、自分の話を聞きたいと、維心が思っているだろうと思ったのだ。
そうして、高瑞と燐と共に内容を確認していると、嘉翔が駆け込んで来た。
「王!龍の宮から先触れが。いえ、もう龍王様がそこに!」
「ええ?!」
蒼は、椅子から飛び上がった。
ということは、多分先触れと共に宮を出発したぐらいの計算になる。
「ああ、駄目だ結界に掛かった。」と、扉へ向かった。「ごめん、度々任せて悪いけど、もう戻れないと思うから、後は頼んだよ、高瑞、燐、恒!」
駆け出して行く蒼の背に、燐は言った。
「誠に毎度毎度主は大変だの。こちらは気にするでない。」
だが、蒼はもう聞いていなかった。
蒼が、這う這うの体で到着口へと出て来ると、維心が腕に抱いていた維月を床へと降ろしたところだった。
義心がその傍に膝をついている。
蒼は、頭を下げた。
「維心様。急なお越しで、今書状を書いていたところだったんです。」
維心は、頷く。
「すまぬな、蒼よ。だが、もう直接聞いた方が良いかと思うて。迅も居るのだろう?共に話がしたい。どこぞに部屋はあるか。」
蒼は、頷いた。
「こちらへ。東の応接間がありますから。維月はどうする?」
維月は、首を振った。
「私は今回の件はあんまり聞かない方がいいから。十六夜の部屋に行って来る。」
蒼は、え、と言った。
「十六夜は月に居るけど。」と、ハッとした。「あれ、下りて来るんだ。」
見ると、外がキラッと光ったので、十六夜が維月の声を聞いていて、下りて来ることにしたらしい。
あれだけ里帰りの時も気が向かないと降りて来なかった十六夜が、そう言えば維月がここに居る間、必要な時以外は宮に居た。
蒼は、どんな心境の変化なんだろうと不思議に思ったが、維月は言った。
「じゃあ、行って来るわね。」と、維心を見た。「維心様、恙無くお務めくださいませ。」
維心は、頷いた。
「行って参る。」
そうして、蒼は維心と共に、応接間へと向かった。
応接間へと到着すると、客間に迅を呼びに行っていた、侍女が戻って来て、頭を下げた。
「王。迅様をお連れしました。」
蒼は、頷いた。
「入れ。」
すると、迅が来た時の着物のままで、入って来て頭を下げた。
「蒼様。お呼びだとお聞きしました。」
蒼は、言った。
「維心様が来られたんだよ。」と、維心を見た。「維心様、今は迅を客間に入れておるのです。」
維心は、頷いて迅に言った。
「迅よ、主が思っておった通り、我は義心に監視させておったので、主がどういう経緯で宮を出て来たのか、全て知っておる。その上で申すが、主、誠王になるのは嫌か。」
迅は、顔を上げた。
だが、困ったように言った。
「…はい。我は、王座に興味はありませぬ。必要だったので、宮を回しておっただけで、元々王になど、なりたいと思うた事は無いのです。その地位が、どれほどに重いのか知っておりますので。」
維心は、ため息をついたが頷いた。
「主と同じ気持ちであるから、分かるつもりぞ。だがの、王族というのはそのために存在しておるのだ。王として、臣下を守って仕えてくれることに報いらねばならぬ。王として不適格な者が王座に居たなら、己が変わるという選択肢も必要ぞ。我らとしては、此度の件といい、これまでの事といい、陸を王座に置いたまま、あの宮の序列を上げることはもうできぬ。主が戻って王座に就けば、安心して任せることができるのだ。主は、あの宮を見捨ててそれで良いのか。」
迅は、維心をじっと見て、物怖じする様子もなく、答えた。
「龍王様。我は、実の父に殺されかけておりました。あの父には殺せないと思うておったし、特に危機感は感じておりませんでしたが、それでも宮のために励んでおるのに認められぬ上、利用されるだけ利用されて捨てられるのだというのは、虚しいとしか思えませなんだ。そんな状態でも、宮のために励んだ時間で臣下にはこれまでの事に報いたと思うておりまする。宮へ帰れば、必然的にまた父と顔を合わせねばなりませぬ。ゆえ、我はもう、あの宮には帰りたいとは思いませぬ。」
維心は、眉を寄せて言った。
「…我が陸を殺してやると言うてもか。」
迅は、首を振った。
「そうなるのが否だと思うております。龍王様、父は今はあんな感じですが、こんなことが起こる前は気のいい王でした。回りの宮とも上手くやっていた。本気で時を掛ければ何とかできるはずなのです。それだけの事を我が構築して残して参りましたから。愛羅殿が産む子は、旭殿の血があるので恐らく優秀に育ちましょうし、それに繋ぐ間だけでも、何とかなれば良いのではないでしょうか。昔から、母の知れぬ皇子だと疎まれて育ちました。ですが、それも己の能力を示すことで何とか払拭してここまでになった。臣下達には、あれだけ幼少期に疎んじておったのに、育って頼りになるからと利用しようとされておるように感じるのですよ。我は、元からこうして皆に敬われていたわけではないのです。」
蒼は、それを聞いてはぐれの神の子、と疎まれた幼少期を送った、迅の事を思った。
そうして必死に努力を重ね、今のように何事にも優れた神に成長したのだろう。
こうして維心に対して物怖じもせず、はっきりと己の意見を言えるのは、王の器だろうと思うのにもったいない。
だが、言われてみたら陸は、困っていたら友の妹を娶ってやるぐらい、気のいい王だったのだろう。
それが、振って湧いた夢のような女に、ついあんな感じになってしまっているとしたら、理解できた。
まだ、娶って数か月なのだ。
維心は、フンとため息をついた。
「…仕方がない。主がそう申すならの。あんな風でも主にとっては父親であるし、機を与えたい気持ちは分かる。確かにあれは、旭の娘を娶るまでは無難に王をやっておったの。それが、我らが縁付けたゆえあのような事に。そう思うと、あればかりを責めることもできぬ。だがの、これまで我らも、よう待ったのだぞ?昔ならぬるい事を申した時点で終わりであった。此度は、主に免じて陸を待ってやろう。だが、今も言うたように年明けに序列は上げられぬ。なぜなら、三番目の宮に相応しくないからぞ。塔矢と吉賀が思たよりしっかりやっておる報告を受けておる。吉賀はの、本来そんな器でもないが、那海を娶っておるから必死に励んで己を高めておるのだ。そんな王も居るのに、と我は思う。長くは待たぬ。一年は待とう。それを、明日の会合で申す。一年待ってあれがあの様子なら、見限るぞ。主が戻らねば宮は廃宮となろう。それでも良いな?」
迅は、さすがに一瞬迷うような顔をした。
だが、頷いた。
「…はい。」迅は、答えた。「立ち直ってくれるのを信じて、我はこちらで見守っておりまする。その間、蒼様にはご厄介を掛けますが…。」
蒼は、首を振った。
「オレはいいよ。でも、賭けだぞ?本当にいいのか。」
迅は、頷いた。
「良いのです。どうしてもできぬとなれば、父が正気なら宮を守るために、我に連絡して参りましょう。宮のためを考えられるという事なので、その時は手を貸そうと思うております。補佐、という形でですがね。王座は…我は、そんな大した命ではありませぬから。」
まだ母の事が頭にあるのか。
維心も蒼も、思って顔を見合わせた。
しかしそれ以上は、無理に迅の考えを変えられそうにはなかった。




